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双生のインプロア  作者: クロレキシスト
一章:梟の秘めたる事の顛末
22/34

EP22:羽繕いと惰眠と天使たちを弔うべき日


          《1》


 都内某所、マンションの一室。その部屋は中ほどの階層に位置しており、特に目立って変わった点はないように見えてしまう。

 しかし「飛電」の表札の前を通ってその扉を開き、中の光景を見たのなら、十人中十人が「この部屋は変だ」と異口同音に言うだろう。

 部屋には何に使うわけでもない大量のネジやボルト、鉄板や鉄塊が入ったミニコンテナが積み上がっている。そのさらに奥に進んでみれば、三面になった巨大なモニターが聳え立つ、その男の作業部屋が見つかることだろう。

 その部屋の中で、その主が倒れていた。薄青の長髪が床に広がり、悔しげな表情のまま、男——飛電翼は意識を失っていた。

「……これが私の仕事なのだ。恨むなよ、タスク」

 そのすぐ側に、まるで彼の命を刈り取りに来た死神のように佇む男が一人。品行方正に着こなされたスーツ越しでも分かる屈強な肉体を持った、赤みのかかった淡い橙色の短髪の青年だ。

 彼はついさっき通話を切った、固定電話のような奇妙な機械の受話器を下ろすと、部屋を去ろうとタスクに背を向ける。

「……待て、よ」

 気絶していたはずのタスクが、彼の足を掴んだ。

「お、前……アマナ……だろ……?」

「……だったらなんだと言うのだ」

「お前……《零班》の、絆は……どう、したんだ、よ……?」

「……あいにく、今の私が身を置いている世界は、友情などにいちいち絆されていては、生きていけない場所でな」

青年は振り向くと、確かにタスクの姿をその山吹色の瞳の中に捉え、その色彩からは想像もできない、冷たい視線で彼を見た。

「私は指定暴力団《茉莉花組》の幹部、風解(ふうかい)天凪(あまな)だ。お前の知る、過去の風解天凪はもういない」

 「アマナ」と呼ばれ、「アマナ」と名乗った彼は、旧友の腕を踏みつけた。


           《2》


 稲葉瑠璃は、《烏丸珈琲店》で一夜を明かした後、友人たちに家から持ってきてもらった私服に着替えながら、考え事をしていた。

(——日暮飛路、伊織日凪、黒崎亜玖斗、辻斬必手、紙魚綴幸、物部千尋、それからメア・ヒュノプス。ついでに写絵風鈴に怪炎寺仁、あとはエントレ・レギュレイトに進藤朝景。他には誰がいたか……ああ、氷渡凍路と岩室時雨、最後に……狭霧真か)

 彼女が脳裏に思い浮かべたのは、自分の味方の《ツインズ》能力者たちの名だ。長い付き合いの者から知り合ってから片手で数える程度の日数しか経っていない者、さらにはスイコウを通じて存在を知ったために、未だ顔も見ていない人間(「人間」の枠組みに入らない者もいるが)も含まれている。

(——《焚書図書館》からの連絡によれば、私を襲撃しようとした奴ら……幕内鳴海や紫隈杏華は全員記憶改ざんを受けた後、解放する予定だと聞いている。それに、他にも食堂淡雪やら手枕後光やら安条蹴やら、聞き覚えのない名前もたくさん聞いたのだけれど……流石に覚えきれないなぁ)

 そう思いつつも、この短期間に九割方の名前は網羅している彼女の記憶力は凄まじい。だが、ルリが自分でそれを認めることは無さそうだった。「全て」を覚えられないのなら、彼女にとっては「凄いこと」には当てはまらないかららしい。

(——これだけの人間に守ってもらえるというのはとても心強いことだが、同時に窮屈さも感じてしまうな……現に私は下手に外出することができないわけだし)

 などと考えながら、彼女はゆったりとした着心地の、青色のパーカーに袖を通す。もとより中性的な容姿を持つ彼女だが、白のパンツと合わせたその着こなしによって、より彼女の自由な魅力が引き立っていた。

「……よし。モルフォ、この格好は変でないかな?」

 おそらく今日もほとんど外出しないだろうが、一応恥ずかしくならない程度に整えた己の姿を、もう一人の自分に確認してもらう。

(——うん。大丈夫だと思うよ)

「ありがとう。……ふぅ」

 小さく息を吐くと、彼女は一階の喫茶店に降りていった。そして、

「……ヘぁ!?」

 客席に二人の人影を見つけ、彼女はフリーズした。

 一人は、『閑散』の《ツインズ》を宿す悪魔の少女、《焚書図書館リコール》に身を置くエントレ・レギュレイトだ。彼女は、相変わらずおどおどした態度に反して、羞恥心のネジが外れているとしか思えないエロミイラルックに身を包んでいる。

 そして彼女と向かい合うようにして座っていたのは——

「ひ、ヒロ!?」

「あはは……ただいま」

「おかえり……じゃない! 君、その腕と足は一体どうしたんだ!?」

 ——巷で噂の『不殺人鬼』、日暮飛路。ルリの友人であり、シナリオの貴重な「題材」である彼は、腕と足が鳥の翼と脚に置き換わった異形の姿で、彼女の前に現れた。

 彼女は彼に駆け寄って、その姿を観察する。その形は、ファンタジー作品では「ハーピー」と呼ばれる種族に近い。腕と置き換わった翼の先端は指のように分かれていて、実際にものを掴めるようだ。緋色の羽と黒の羽が織り混ざってできた模様は、美しいと言うより禍々しい。

「おお……どうやら手触りは悪くないようだね……じゃない! ヒロ、一体どうしてこんな、人間離れした姿になったんだ!」

「フェニックスが好き放題した反動で、こんなになっちゃってね……心配しなくても大丈夫だよ? ちょっと動きにくいけど、生きていく上では問題ないから……」

「そうじゃない! そんな姿じゃ、街中に出歩くことなんてできないだろう!? ……君を護衛につけられたら、心配なく街を歩けると思っていたのだが……はぁ、これじゃあ無理そうだな」

「……俺の心配はしないの?」

「君は基本死なないから、心配しなくても大丈夫だろう?」

「その言葉、嬉しいような寂しいような……」

「先に『心配しなくても大丈夫』と言ったのは君だろう。全幅の信頼を置かれているというのは、喜ぶべきことなんだよ? ……というか」

 ルリは突然、ヒロと反対に座る少女を睨み、その顔を指さした。

「君はどうしてここにいるんだい、エントレ・レギュレイト!」

「ひぎゃぁぁ!? あっ、あたしでしゅか!?」

 突然強く名前を呼ばれ、エントレは驚きのあまり素っ頓狂な叫び声を上げる。まだ朝も早いというのに、ずいぶん元気があるようだ。

「あのっ、あたしは、あたしはヒロさんを送り届けただけでしゅ」

「でも私が眠りについた時、この店の鍵は閉まっていたはずだ。それはどうやって突破したと説明するつもりだい!?」

「それは……このお店の代理マスターしゃんが、私と入れ違いにこのお店から出てきたんでしゅ、その人に鍵を任されて……」

「代理マスター……ヒッテのことか……」

「そうでしゅ、その人でしゅ! あの人からこのお店を留守の間見張っているように頼まれて……しばらくの間は、あたしの《ユー・マスト・ゴー・アウト》でこの建物に人が近づかないようにしてるんでしゅよ! だから、そんなに疑いの目を向けないでくだしゃい!」

 エントレが言う通り、ルリは彼女のことを——というよりも、スイコウとチヒロ、そしてトウジ以外の《焚書図書館》のメンバーのことを——未だ信用に値しないと未だに思っているらしい。

 懐疑的な視線を注いだまま、「ふぅん」とつまらなそうに返事を返して、ヒロの隣に座る。そして大きく横幅をとってしまうヒロの翼の片方を膝の上に置いて、その毛並みを弄り始めた。

「……ルリ? 何してるの?」

「話しかけるな。外出できないのならば、この翼を人間の腕に戻すための方法を調べてやる……《バタフライ・テキスト》!」

「ちょっ、《ツインズ》は無しだろ!」

 直後、ヒロとエントレの視界を、青い鱗粉をばら撒く蝶が埋め尽くしたことは言うまでもない。


          《3》


「うわぁ……入りたくねぇ……」

 辻斬必手は、《烏丸珈琲店》のすぐ近くの歩道の上、両肩からエコバッグをぶら下げて佇んでいた。彼の視線の先には、窓からうすらぼんやりと青い光を放つ《烏丸珈琲店》の建物があった。

「……スコーヴィル、あれ絶対にルリがなんかしてるよね」

(——んぉ?)

 ヒッテが自らの胸に話しかけると、己の声で発される、やたらオッサン臭い響きの声が聞こえてきた。

「もしかして、今まで寝てた?」

(——おぅ。ワシみたいな輩は、どぉーにも燃費が悪ぃからのぅ。ヒッテ、今は何時じゃ? 正午くらいかぁ?)

「まだギリギリ朝だよ。だから別に、いつもみたいには咎めたりしないけどさ……僕はお前みたいなのが羨ましいよ……」

 声の主は、ヒッテの《ツインズ》、《マックスエンド・スパイス》の意識である「スコーヴィル」だ。《冥界》の偉人でもある彼は、ヒロの自由を《冥界》の人間との対話によって獲得している。それほどまでの地位を持っている、ということでもあるのだが……当人の性格はというと、一日のほとんどを惰眠に費やす怠け者だ。

(——で、何の用じゃ?)

「……あれだよ。マスターの店のとこの……青い光」

(——おぅおぅ……あっはははは、ありゃ派手にやっとるのぅ! 確かにルリちゃんの仕業じゃなァ。青いチョウチョが大暴れしとるわ)

「だよね……え、敵襲に遭ってるとかは無いよね?」

(——そりゃ無いじゃろう。あのー、あの子じゃよ。「えんとれ」とか言う悪魔の嬢ちゃんがおったじゃろ? あの嬢ちゃんの持っとった《ツインズ》、あの人払いの効力が続いとる限り、あそこに敵が来ることは無ェはずじゃよ)

「スコーヴィルがそう言うからには、大丈夫なんだろうけど……」

 ヒッテはそう言いつつも、納得できない様子で頭を掻く。ルリの持つ《バタフライ・テキスト》は、ヒッテの知る中では最も強い能力を持った——それは単純な火力の話ではなくて、初見殺し度や世界への影響も含めた、総合的な「強さ」を基準とした上で——《ツインズ》だ。その能力による生成物で満たされた建物に、一体誰が入りたがるだろうか。

 正直、《羊飼い》とやらがルリを真っ先に潰そうとしている理由も、わからなくはない。その「仕立て上げた脚本によって運命を確定する」能力は、仕込みの時間さえ確保できれば、いくらでも化ける可能性のある能力だ。もしヒッテが彼女と敵対するならば、下手に泳がせておいて手を出した時に反撃できるよう準備をするより、さっさと倒してしまったほうが、確実に安心安全に計画を遂行できる。

「……って、僕は一体何を考えてるんだよ……」

 正気に戻ったヒッテは、とりあえず店の中に入ることにした。幸い人払いがまだ機能しているので、護身用に《マックスエンド・スパイス》を実体化させておく。スコーヴィルが何か言ったような気もするが、気にせずに金棒にしておこうと思う。

 車通りもまともに無いので、堂々と金棒を肩に担いで店の入り口に近づく。威嚇の意味も込めて、わざと大袈裟に足を開いて歩いて。

 じりじりと、慎重にその魔境の門へと近づく。間近で見て、青い光を発するナニカが蝶々であることを再確認した上で、ドアノブに手をかけ、そして——

「どこまで追ってくるつもりですかッ!?」

「お前こそどこまで逃げる気だっ、こっちの話を聞けよッ!」

 ——知らない人をよく知る人が追いかける声が聞こえて、ヒッテはドアノブから手を離した。


          《4》


 熾羽篝火は、完全に油断していたと言えるだろう。眠りにつくということは、その間体を動かす権利が離れるということ。そして目覚めた直後に体の主導権を握っているのは、本来の体の持ち主である最愛の弟・トモシビだということを、すっかり忘れていたのだ。

(——くそっ、朝起きたら知らない天井、隣にはセクシーな女の人、何もなかったわけがない……昨日の夜の俺は何してたんだよッッ!?)

 トモシビは全力で走る中で、記憶のない昨晩の自らを責める。本来その非難を浴びるべきは彼の《ツインズ》兼兄なのだが、カガリビの意思が表面化していない今、彼がそれを知る方法はなかった。

 いや、正確に言えば「全くない」というわけではない。だが彼はその唯一の「方法」の存在の有用性を知らずに、「方法」から全力で逃げることを選んでいたため、実質選択肢には含まれないものと見てよいのだ。

 そしてその「方法」は、彼の少し後ろを全力疾走していた。

「テメェ待てやオラァァァァァァッ!」

 色気のある容貌に反し、まるでヤクザのように威圧的な口調と形相で爆走する女性。メア・ヒュノプス、カガリビと接触した彼女こそが、その「方法」に他ならない。

(——あーあ、ここが《冥界》だったらアタシも飛んで追いかけられたんだけどなー……走ると揺れっから痛ぇんだよなぁ……)

 脳内ではそうやってボヤきつつも、彼女は一切の手加減も容赦もナシで、かつすれ違う人の視線も全く気にせずに走る。

 そこでメアはふと、自分たち二人を取り囲む情景が、随分と馴染みのあるものに変わってきていることに気づいた。毎日とは言わないが、最近お世話になることが決まった場所の近く……。

「どこまで追ってくるつもりですかッ!?」

「そっちこそどこまで逃げる気だ、こっちの話を聞けよッ!」

 トモシビに続いてメアも怒鳴る。と同時に、メアの中でぼんやりと形作られていた疑念が、「その人物」の姿が視界に入ってきたことで確証に変わった。

「ヒッテェェェッ! そいつを、金髪のそいつを止めろォォォッ!」

 メアは左肩にエコバッグをぶら下げ、右肩に金棒を担ぎ《烏丸珈琲店》のドアに手をかけていた少年に向かって叫ぶ。

 名前を呼ばれたヒッテはすぐにメアの方を見て、ほぼ衝動的に左肩の荷物を地面に下ろしていた。そして担いでいた金棒を振り上げ、地面に叩きつける。

「そこのお兄さん、止まりなさい——ッ!」

「!?」

 まるで警察官のようなセリフの後に続いて、荒々しく「ズガン!」というような衝撃音がこだまする。金髪の青年があわてて踵を返そうとしたその時——

「捕まえ……たッ!」

 メアが青年に飛びかかり、その背中にのしかかった。

「ぐえッ!?」

「もう逃さねーぞ……ゆっくり話そうじゃねぇかぁ……」

 青年に馬乗りになった状態で、メアは妖しい笑みを浮かべる。どうやら長尺の追いかけっこを経て、知らず知らずのうちに気分が昂ってしまっていたようだった。

「おっ、俺何かしましたかッ!? したなら謝りますッ、謝りますから離してくださいッ……!」

「そ、そんなガチに怖がることはないじゃんかよ……暴れんな! 用があるのは、テメェの兄ちゃんの方なんだって……!」

 メアはそう言いながらも重心を移動して、トモシビを逃すまいと拘束を強固にしていく。文字通り尻に敷かれたトモシビの方は、涙目でもがき、彼女から逃れようとしていた。

「あうッ……うアァァッ!?」

「メア姉ちゃん、もしかしてだけど……この人って、別に僕たちの敵ってわけじゃなかったりとか……したりする感じ?」

 金棒の実体化を切ったヒッテは、その同情を誘う青年の表情を見て疑問を漏らす。てっきり《冥界》の輩か《羊飼い》かの手下かと思っていた彼は、「もしかすると自分は、加害者側に味方してしまったのではないか」という疑いに冷や汗が止まらなくなる。

「……君たち、何を騒いでいるんだい?」

 そこに追い打ちをかけるように、背後からかけられる声。ヒッテが錆びついたロボットのようなぎこちない動作で振り向くと、そこには瑠璃色の蝶々をたくさん侍らせたルリが立っていた。

「待てってルリ……いっ……まだ俺治ってない……!」

 そしてその更に後ろに現れたのは——

「ちょ、待て! まだ荒療治の途中だろ!? 動き辛いことこの上ないんだけど!」

 右腕の肩から先が切断され、左腕は鳥の翼、右足は人間の足で左足が鳥の脚になった、言いようのないグロテスクな容姿になった『不殺人鬼』だった。

「ひぃぃぃぃぃッ——!?」

 その姿を見た途端、トモシビは顔を真っ青にして絶叫した。もしかしたら、これから自分もあのように「改造」されてしまう、とでも勘違いしたのかもしれない。彼はそのまま白目を剥いて、意識を手放しぐったりと項垂れてしまった。

「あ、あ……あはは」

 まだ馬乗りの姿勢だったメアは、引き攣った笑いを浮かべた。


          《5》


「……すまない、これは完全に俺が悪かった」

 ついさっき気絶したばかりの青年は、《烏丸珈琲店》のボックス席のソファに腰掛けて足を組み、別人のような(実際に中身は別人なのだが)冷静さで言葉を発した。

 ルリは彼を注意深く観察する。近寄りがたい威圧的な雰囲気を醸し出す、テカテカした素材の黒い服。髪のダメージ的に地毛のように見える金髪のツンツン頭。不良らしい雰囲気に反した、実年齢以上に若く見える美しい顔立ち。そして、それらとどこか噛み合わない、口調や目つき、立ち振る舞いから漏れる狂気……。

「メア姉。すまないが、この人は一体……?」

「こいつは熾羽篝火、アタシらの『協力者』だ」

 悪夢を見せる悪魔は口ではそう言いつつも、何やら私怨のこもった鋭い目つきで青年を見ている。彼女が《インフェルノ・ムーン》を発動させる時と、その眼光の強さはほとんど同じだった。

「仲間だっていうんなら、もっと穏やかにしててもいいだろ」

 ルリの痒いところに届く質問を、メアへと投げかけるヒロ。その四肢はルリの荒療治によってめでたく(?)人間の形を取り戻していた。ちなみに、切断した鳥のパーツの方は、一瞬で空気に分解されるように消えてしまった。

「いや……仲間であることは間違い無いんだけどよぉ……どーにもそいつの立場っつーか、種族っつーか、そういうのが気に入らないんだよ……お前らを含まない『アタシら』にとっちゃ敵だからな」

 彼の質問を受けたメアは、眉間に皺を寄せた。

「こいつは、堕天使なんだ」

「……そういうことでしゅか」

「お、エントレちゃんも分かってくれるか」

「でしゅ。あたしも一応悪魔でしゅからね」

 エントレは頷く。

「天使と悪魔との関係はまさに水と油、犬猿の仲でしゅ。二つの世界を跨いだ大戦争が起きて以来、天使は悪魔を、悪魔は天使を毛嫌いしていましゅ……初めてここに来た時、天使が元になった《ツインズ》を持っている人と、メアしゃんとが並んでいたのが信じられなかったんでしゅから」

 エントレの言うところの「天使が元になった《ツインズ》を持っている人」と言うのは、おそらくヒナギを指しているのだろう。残念ながら、彼女は普通に学校に行ってしまったのでここにはいないが、もし同席していたなら、よりこの男や天使について、詳しい話が聞けていただろう。そして、例の事件についても。

「カガリビしゃんは、もしかして《エンジェルフォール事件》の時に堕天した一人なんでしゅか?」

「……そうだね」

「《エンジェルフォール事件》? なんだいそれは」

 ここでルリが口を開く。どうやらいつも天使の宿主と一緒に行動していた割にその言葉は聞いたことがなかったらしく、メアやエントレは驚いた表情を見せた。

「ルリちゃぁん、これは天使のヒナタちゃんと一緒に過ごすんなら是非知っとかないといけない事件よ? きっとタイミング的に、ヒナタちゃんが堕天したのもその時だろうし」

 メアはそういうと、カガリビに目配せする。アイコンタクトを受けたカガリビは小さくため息をつくと、「俺は説明とかそういうのは苦手なんだが……」と前置きした上で、口を開いた。

「まず、この話をする前提として……《天界》が地獄だってことから説明しなくちゃいけないな」


 熾羽篝火、彼はかつて人間の警察官だった。

 最愛の弟であり、《ツインズ》と化した今では宿主になっている青年、熾羽灯火。彼を守る為に、カガリビは警察官となった。

 しかし彼は事件の捜査中に、その犯人の仲間に襲撃されて命を落とした。彼の死は犯人の仲間たちによって徹底的に隠蔽され、世間的には行方不明の状態が、今現在でも続いている。

 悪人たちの手によって彼の遺体が焼却炉で燃やされ、原型を失った直後、彼の意識は《天界》にあった。


 ——《天界》。そこは善人を労る場所である。


 カガリビの見たその世界の姿は、一般的に想像されるように、雲のような純白の大地、澄み渡る青空、そしてそこに従事する天使たちによって大半が構成されている。

 彼はしばらくの間、天使たちにもてなされ、現世で積んだ徳の分だけ労られた。美味しい飯、美しい音楽、安らかな眠り。人間が求めるあらゆる「幸せ」が、そこにあった。

 しかしそこは、何かがおかしかった。カガリビがそのもてなしに飽きてきて、しきりに弟の顔を思い出し、現世への未練を募らせていた頃、彼はその違和感の正体を知った。


 ——《天界》。そこは天使たちを酷使する場所である。


 ある日彼が目を覚ますと、彼の背中には一対の純白の羽が生えていた。それは間違いなく天使の羽であった。彼は《天界》で過ごす中で、いつしか天使になっていたのだ。カガリビは自らの体に起こった異変に、強い恐怖を覚えた。その勘は正しかったと言える。

 彼の前に突然、一人の天使が現れた。その天使は、今まで出会ってきた天使たちとは比べ物にならない、とてつもない強い力を持っているようだった。そしてその天使が、カガリビの頭に何かを乗せた。それは金色のリング状のもの……《天使の輪》だった。

 それが頭についた次の瞬間、彼の脳を激痛が襲った。まるで熾羽篝火という人間の記憶や人格が、無数の蟲にたかられて貪り食われているかのような苦しみ。

 数分後、天使は言った。

「君は今日から私たちの同胞だ。さあ、さっさと働いてこい」

 カガリビは悟った。今まで出会ってきた天使の正体は、自分のように天界に招かれた死人。それをこのように支配することで、都合のいい「接客役」を作り出し、この世界を支えさせているのだと。

 天使の素材になる死人の多くは、《天界》に招かれた死人の中でも特に強い信念を持っていた者だけだ。それが愛であれ執念であれ好奇心であれ、とにかく何かを渇望したその先に、偉大なものを見出そうとしていた、正真正銘の偉大な人間。彼らが作り変えられたのが、天使という存在なのだ。

 その労働環境は、《冥界》のものとはまた違った、それでいてさらに苦しいものだった。どんな無理難題も断ることができず、ある時は猫撫で声で跪き、ある時には肉体の全てを客に委ねることを、金色の輪に強制させられた。

 《天界》に招かれる人間は、「偉大な功績を残した人間」か、「救いようもないくらい可哀想な人間」かの二択になる。しかしその多くはロクな人間ではなく、選別の基準を疑うレベルだった。

 天使の多くは、天使の輪の支配が及ばないところで、《天界》から今すぐに逃げ出したいと強く懇願していた。そしてその願いを現実のモノにしようと提案した、一人の上級天使がいた。

 彼は名を「ハマル・ストレイキッド」といい、上級であるために、天使の輪の支配から逃れているどころか、天使の輪で下級天使を支配する側の者だった。

 そんな彼の誘いに乗り、多くの天使が彼についていった。カガリビもまた、その支配から逃れるため、そして弟に会うために、彼に手を貸すことを選んだ。そして一日のうちに、《天界》から大量の天使が堕ちる、《エンジェルフォール事件》が起きた——。


「——でもハマちゃん……ハマル・ストレイキッドって男は、俺たちに大事なことを説明しなかったんだよ。それは、『天使たちは《天界》以外の環境に適応できない』ってことだ」

 カガリビは、最愛の弟の口を借りて、この世界の理についての説明を始める。

「この世界は、全部で五層の『位相』から形作られてる。今俺たちがいる《基礎世界》はその層のちょうど真ん中、三層目だ。この下には、一番深い五層目の《冥界》と四層目の《妖魔世界》がある。反対にこの上には、二層目の《幻想世界》、さらにその上に、俺たち天使が元いた《天界》がある、そういう構造だ」

 ジェスチャーを交えながら、彼は話している。その説明に横入りするようにして、メアが口を開いた。

「んで、基本的にこの『層』ってやつは、数字がデカくなればデカくなるほど、そこにいる生命体にかかる『負荷』が強くなるって言われてる。第五層の《冥界》は一番負荷が強くて、第一層の《天界》は一番負荷が軽いってこと。この『負荷』が強ければ強いほど、人間は《ツインズ》を生み出しやすい、なんて囁かれてたりもするね」

「……で、さらに特筆すべきなのは、それぞれの『位相』で生まれた生命体は、より深い『位相』に移動すると、その『負荷』に耐えられなくなるってことだ。ま、《ツインズ》能力者は例外らしいが」

 再び説明の主導権を握ったカガリビは、メアを心底うざったそうな目で見た。

「深海魚を思い浮かべてもらうと、それがわかりやすいかもしれないね。深海魚は元々負荷の強い場所で生まれたから、負荷に耐えられる構造になっている。あれと違って、《冥界》の悪魔が《天界》に来ても体が膨れたりはしないけどな。……でも、《天界》の天使たちがより強い位相に来る……つまり堕天した時は、その『負荷』に苦しむことが分かってんだ」

 カガリビはトモシビの手を見る。己の体ではない手を。

「ある者は肉体が解けるようになくなり、ある者は発狂して自我を失った。そのどちらも失って、跡形もなく消えたやつの話もよく聞いたよ。……これをアイツが説明しなかったせいで、多くの天使が命を落とした」

 カガリビは自らを、幸運な天使だったと振り返る。自我を保てた上、望んだ形とは違うながらも、最愛の弟との再会も果たすことができたのだから。

 しかし、彼は少数派だ。多くの天使は、自分が偉大な人間、正しい人間だと信じていた。それなのに突然自由を奪われ、さらにようやく自由を掴めたと思ったその瞬間に、バラバラになって消えた。

「……メア・ヒュノプス。お前には言ったが、《羊飼い》の正体はおそらく、ハマル・ストレイキッドその人だ。アイツが最終的に何を企んでいるかは知らねぇが……《ツインズ》能力者を使い潰すような計画だってのは分かりきった話だ。俺は弟を守る為に、アイツを殺さねぇといけないんだよ」

「……ハマル・ストレイキッド」

 ヒロはその名前を復唱する。それが自分やルリの命を狙わせたことによって、多くの《ツインズ》能力者を悪役に仕立て上げている、天使の名前。

 ヒロはウシミツも、シュウも、ナルミも、キョウカも、見聞からの印象では、全員根っからの悪人だとは判断できなかった。ただ普通ではない力を持っているだけで、今まで普通に生きてきていたことは確かなのだ。

「……クソ野郎だな」

「だろ? 確かアンタらは……《焚書図書館》とかいうところと手を組んで、ハマちゃんの企みを止めようとしてんだろ? だったら俺に手伝わせてくれ。トモシビ……俺の弟は、《羊飼い》の命令に従わざるを得ない状況にあるんだよ。それを利用すれば、接触のチャンスを得られるかもしれない」

 カガリビは言う。その目には混じりっ気のない正義と、極めて独善的な狂気が混在していた。彼の目的は天使たちの無念を晴らすことではなく、弟を守ることにある。しかしながら、それが多くの命を救い、多くの天使たちの復讐を果たすことと結果を同じくすることを理解している。「ついで」と言うには規模が大きいが、その全てを果たしたいと願っているようだった。

「……分かった」

 ヒロはカガリビに近づき、右手を差し出した。

「俺が代表面するのもおかしいかもしれないけど……俺はあんたと協力したい。ルリを、いや、たくさんの《ツインズ》能力者の名誉を守るために、力を貸して欲しい」

「分かってんじゃねぇか」

 カガリビは、最愛の弟の繊細な指先で、荒っぽくその手を握った。

「お前、名前は?」

「日暮飛路だ。人は俺のこと、『不殺人鬼』って呼んでるけどな」

「へぇ、アンタが噂の『不殺人鬼』か。話は聞いてるよ……もし敵対することがあったら真っ先に潰しておこうと思ってたが……強敵が味方になることほど、心強いことはねぇな」

 二人の狂人は、ギラついた目線を通わせた。

「……何かいい感じになってるけどさ」

 と、ここで水を差すような言葉を放ったのはヒッテ。いつものように厨房に立ち、今日はシンクを洗っていたようだ。

「具体的にはどうやって《羊飼い》……その、ハマルとか言う人を誘き寄せるのさ。それがわからないと、僕たちにしろ《焚書図書館》にしろ動けないんだよね。エントレもそう思うでしょ?」

「でしゅっ!? ……ふ、《焚書図書館》のエージェントとして意見するなら、そうでしゅね。オウル様の許可を貰わなければ、あたしたちは行動を起こせないでしゅから」

「なら、私が一つ提案をしよう。ハマルとやらを誘き出すための計画についてだ」

 ルリが、とびきり悪趣味に笑った。

「ここはベタに『罠』っていうのはどうだい?」

「……『罠』?」

 カガリビは、顔を顰めた。

       

          《5》


 籠目市内の喫茶店で、一人の堕天使と『不殺人鬼』が結託したのと時を同じくして、東京二十三区内某所。そこに周囲に溶け込むようにして、それでいてその存在感を強く周囲に知らしめるようにして聳え立つ、黒い高層ビルにて。

 そこは外からの見た目よりも広大な空間を内部に持っており、青いステンドグラス状の装飾がふんだんに施された、教会のような内装の部屋が数多く備え付けられていた。

 そしてその部屋の中央に、鉄の鎖で四肢の自由を奪われた、薄青の長髪を持つ青年が寝転がっていた。目立った傷は右腕の青あざ以外に見られないが、その表情からは想像を絶する精神の消耗を感じ取ることができた。

 その青年、警察官であると同時に《焚書図書館》の外部協力者であるハッカー、飛電翼に近づく人影が、二つ。

「……アマナ」

 タスクはその片方、スーツを着た短髪の青年の名を呼んだ。

「軽々しく名前を呼ぶな、タスク。次私の名前を呼んだなら——」

「お前、どうしてカガリビを失踪させた奴らなんかに味方してんだよ……しかも、幹部って……冗談だろ!?」

 どこにそんな力が残っていたのか、タスクは思わず耳を塞ぎたくなるほどの叫びで訴えた。ドーム上の天井に乱反射した叫びは、波になって耳に押し寄せた。

「……カガリビは死んだ。組織が殺した。俺はそれを知った以上、ここに味方せざるを得なくなった。——答えてやったぞ、これで満足か?」

「嘘だ! カガリビはまだ生きてる、俺はそう信じてるんだ!」

「そんな幻想今すぐに捨て去れ!」

 タスクの言葉を掻き消すようにアマナは叫んだ。その姿を見たもう一つの人影——空色の長い髪に灰色のメッシュを入れた、高校生くらいの歳の穏やかそうな少女が、わずかに眉を顰める。

「アマナさん、教会本部での荒事は御法度だとご存知ですよね?」

「……すまない、ウロメ」

 ウロメと呼ばれたその少女は、「分かればいいのです」と、袖口から出かかっていた、鎖で繋がれた一対の手鎌を消した。どうやらアマナが話続けたならば、すぐにその首筋を掻っ切るつもりでいたらしい。

「……アマナ……お前、何するつもりだ……」

「お前には私たちの協力者になってもらう。少し強引な手を使うことになるが……決して恨まないでほしい。これも平和のためなんだ」

「……それでは、私の出番ですね」

 アマナはタスクに背を向け、教会を去る。その背にタスクは手を伸ばそうとしたが、四肢が鎖で繋がれて動かない上、その背と自らの間に少女が割って入ったことで、それは叶わなかった。

 タスクは少女のことを、怒り狂う獣の形相で睨んだ。しかし——それは自ら墓穴を掘る愚かな行為だった。

「《オルソドクシア》——あなたも、自らに宿る神の力を信じなさい」

 少女の右目の中に、魔法陣のような模様が見えた。それが目に入った瞬間に、まるで吸い寄せられるようにその紋様に視線が行ってしまう。その模様を見ていると、頭の中にある様々な事象が、ミキサーにかけられたようにぐちゃぐちゃになっていくような感覚が襲ってくるのだ。

「私と共に唱えてください。『私は、《解放教会》の信者。宿す力は、この世界に生きる全ての人を解き放つためにある』……さぁどうぞ」

「私は……《解放教会》の信者……宿す……力は……この世界に生きる全ての人を……解き放つために……ある」

 タスクはその文言を、一言一句全て正確に唱え切った。同時に頭の中の混濁が晴れ、ただ一つの真理のようなものが、さながら全ての悪を吐き出した後のパンドラの箱に残った「希望」のように、彼の頭に鮮明に存在していた。

「……ようこそ、私たちの世界へ。気分はいかがですか?」

「……こんな気分は初めてです、ウロメ様」

 憑き物が取れたような清々しい笑顔を浮かべるタスク。それに反して、彼の瞳はヘドロのように濁り切っていた。

 それを見たウロメは心底嬉しそうに上品に笑うと、瞬く間に彼女の相棒の《ツインズ》である鎖鎌、《オルソドクシア》を再度実体化させ、それを振るった。目にも止まらぬ早業によって、タスクの四肢を拘束していた鎖が、弾けるように切断される。

「さあ、あなたは解放への第一歩を踏み出しました。今度はあなたが人々へ、解放を教える時です」

「はい……そうです、そうですとも!」

「うふふ……ではこれをどうぞ、飛電翼様」

 立ち上がったタスクに、少女は何かを手渡した。それは間違いなく、《ツインズミラー》と何も書かれていない《ツインズカード》だった。タスクはそれらを、大層ありがたいもののように受け取った。

 タスクが《ツインズカード》の端を持った瞬間、灰色の枠組みしか描かれていなかったカードに、古代遺跡の壁画のような、抽象的な絵柄が現れる。それは彼の《ツインズ》であるレールガンを模したものだ。その傍には「ELECTROMAGNETIC DESTROYER」という、《ツインズ》の名前を表す文字列が出現していた。

 ウロメはそれを見て満足げに笑うと、彼に改めて向き直った。

「私たちの教えを知らない、愚かな人間たちを救うための最初の助言です。風解天凪に着いて行き、彼に従って邪魔者を殺しなさい」

 執筆のモチベーションがイマイチ上がらないクロレキシストです。どうしたものでしょうか、三月投稿分の執筆を終えてからと言うものの、筆がなかなか乗らないんですよね。これがいわゆる「燃え尽き症候群」というやつなのでしょうか……。

 さて、本編はしばらく続いていた戦闘から一歩引いて、ヒロ陣営に新しい仲間を迎える回になりました。《羊飼い》の手下・熾羽灯火、登場早々光堕ちです。前にも話した通り、彼は創作仲間と共同で創作したキャラクターになります。彼の原案を作った方は「大正餅」という名前でピクシブに小説を連載しているので、トモシビの設定が刺さった方はぜひ覗いてみてくださいね。

 そしてついに、《ツインズミラー》の真の機能が明らかになろうとしています。詳細な内容は来週のEP23で語られることになると思いますが、是非楽しみに一週間を過ごしていただけると嬉しいです。……正直に言ってしまうと、これは私の個人的な趣味全開、いわゆる「ロマン」を詰めたものになってしまっていますが……。

 今日はここいらでさようならとしましょうか……最近はモチベの無さに加えて、自分の広告力・宣伝力の無さも痛感している次第です。作品をより多くの人に読んでもらえるよう精進していきたいと思っていますので、皆様も引き続き応援の方していただけると嬉しいです。では、また来週。

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