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双生のインプロア  作者: クロレキシスト
一章:梟の秘めたる事の顛末
20/34

EP20:時殺しと時越えと陽の光のような正義


      《1》


「俺はこの事件の火付け役……《羊飼い》の正体に心当たりがある」

 熾羽篝火と名乗った青年は、メアに向かってそう宣言した。メアと同じくらいか、もしくは下かという歳の金髪の青年は、どこか年上のような風格のある背中を見せて立っていた。

「……心当たり、ってなんだよ」

「言葉のままの意味さ。《羊飼い》って名前を名乗って、こういう洒落にならない騒ぎを引き起こすようなロクデモナイ人間を、一人知ってるんだよ。ま、『人間』っつーのは違うかもしんないけど」

「まさか、そいつもアンタと同じ……?」

「That is right. メアちゃんの予想通りさ」

 メアは唾を飲んだ。彼の言葉通りなら、この騒動はただ《ツインズ》能力者が集まって暴れているというだけでは済まない可能性が出てきたのだ。

 カガリビは振り返って、そんな不安そうなメアの姿を見た。そして続け様に夜闇の空を見上げると、不意に彼女へ問いを投げかけた。

「……お前さ、《エンジェルフォール事件》って知ってる?」

「知らないわけねェだろ舐めてんのか……五年前、《天界》の天使が大量に堕天したアレだろ? 確か、《天界》のクソみたいな労働環境に反発した天使たちが、一斉に追放されたって……」

「あー、そっか。《冥界》の悪魔さんたちにはそーゆー伝わり方してんのね〜……それね、嘘よ嘘」

「あ?」

 面食らった顔をするメアを、カガリビは嗤った。

「あのねぇ、アレって別に無理やり追い出されたわけじゃないんだよ。むしろあの時堕天した奴らって、ほとんどが自分から望んで下界に堕ちたわけ。俺もその一人だしさぁ。……俺たちを堕天させたのは、たった一人の天使だ。俺も結構、そいつとは仲良くしてたんだけどさ? まっさか、あんなことするたぁ思わなかったけどねぇ」

 懐かしむような顔で、彼はその名前を口にした。

「あいつの名前は『ハマル・ストレイキッド』、またの名を『《天界》至上最凶の天使』……それが、《羊飼い》の正体さ」


       《2》


 手枕後光は、ゲーム実況配信で人気の配信者だ。数年前から「夜更かしウシミツ」という名前で活動しており、界隈を知るものに聞けば必ず彼のことを知っている有名人に今ではなっている。

 それによる収益も十分に得ているだろう彼が《羊飼い》からの誘いに乗った理由は、「トークのネタ探し」だった。

そもそも、彼が配信者になった理由は、彼が先天的な障害のために朝に弱く、夜でも働ける職を求めていたためだった。

 彼は幼少期から朝が弱く、小学生の頃は、かろうじて愛用していた目覚ましの力を借りて毎日遅刻せず登校できていた。しかし中学に上がってスマートフォンを与えられ、その目覚ましもお役御免になった後、彼の体は朝、全く動けなくなっていたのだ。

 中学はほとんど不登校のまま三年間を終え、その後は通信制の高校をなんとか卒業した。そして「学歴と時間に左右されない、能力さえあれば稼ぐことのできる職業」を探した結果行き着いたのが、配信者という職業だったのだ。

 順当にファンを獲得し、現在まで至った彼だったが、一つだけ悩みがあった。それが、ほとんど引きこもりのような生活を続けているために、フリートークの話題がないということ。

 そうして話題探しのためにと彼が見つけたのが、このバイトだったわけなのだが——。


「《クロノサイド・オウル》」

 まるで巨大な流氷のように冷たく、高圧的な佇まいのその少年は、一言自分の《ツインズ》の名前を宣言すると、ウシミツの視界から姿を消した。

「……!」

 ウシミツは咄嗟に後ろを振り返り、同時に手に持っていた槍を思い切り振りかぶる。姿も気配も全く無いが、それが奇襲たり得るためには、死角から襲いかかる必要があるからだ。FPSゲームで学んだことが、まさか現実でも役立つことが来ようとは、ウシミツ自身思っても見なかったことだった。

(——ここだ!)

 槍の穂先から柄を通じ、彼の腕に肉を引き裂く感覚が伝わる。彼の予測通り、少年の姿はウシミツの真後ろにあった。そして少年がウシミツを攻撃するために振り上げた右腕を、槍先が捉え切りつけていた。

 コツ、と固いものが槍に当たる感覚が、その後に続く。おそらくこれは腕の骨。ウシミツはそれを感じ取った直後、槍に更なる力を加え、それを引き裂いた。

 ——引き裂いたはずだった。

「え?」

 次の瞬間、鋭い痛みとともに傷を負っていたのは、ウシミツの方だった。彼の脇腹には、少年の振るう鳥の羽のような双剣の一方がつけた、浅い切り傷が確かに残っていた。

「手枕後光と言ったな」

 少年の声は、背後から聞こえてきた。後ろの後ろは前ということで、ウシミツはまた先ほどまでの正面に目線を向ける。

「お前は、なかなか厄介な能力を持っているようだ。俺は確かに『手枕後光を殺害した』世界になるよう改変を施したはずだが……なるほど、その《ツインズ》、《因果系》の力を持っているのか」

 少年はウシミツの持つ槍——彼の《ツインズ》である《テンポラル・シフティング》を指差す。名前通り、その能力は「時間の入れ替え」。より詳細に言うならば、「未来のある地点の自分と、身体の状態を入れ替える」というものだ。

 ウシミツの体は日が昇っている間、眠気に支配されている上、障害のために体調も優れない。しかし完全に目が覚めた夜間であれば、彼のパフォーマンスは大きく向上する。

 彼が配信者になりたての時に覚醒させたこの《ツインズ》があれば、夜間の自分の体の状態を「前借り」してくることで、時間に関わらず百パーセントの力で活動することができるのだ。

 その上、「前借り」というプロセスを成立させるために、彼に訪れる未来は「前借り」してきた未来に沿って整えられる。

 つまり、「ぐっすり寝て疲れを癒した傷一つない体」という未来の姿を借りてきたために、彼の体に大きな傷がつくという未来は、どのような災難が降ってきたとしても絶対に訪れなくなっていたのだ。

 そのことを早くも見抜いていたマコトは頭を捻る。

「過去に干渉する《改変系》と、未来に干渉する《因果系》。真逆の特性を持つ二つの優劣を決めるとなると、《因果系》に軍配が上がる」

 たとえマコトに宿っているのが《サイダーズ》、別格の強さの《ツインズ》だったとしても、単なる力比べの範疇に収まらない世界の法則の前では、それに従う他ない。例え現実がいくら歪められようとも、「時の流れ」に抗うことはできないのだから。


「だが、だからと言って勝敗が決まったわけではない」


 少年の姿が「ザザッ!」とノイズに包まれ消える。捜してみると、その姿は木の上にあった。

「仮にお前に攻撃が効かないとしても」

 またしても少年の姿が消え、視界の端に出現する。

「殺さずに勝敗を決める方法は存在する」

 少年の消失、そして出現。

「それを遂行するためには、不本意だが」

 徐々に二者の距離が縮まる。

「あの卑怯な不死鳥のやり方を」

 移動の時間を消し飛ばしつつ、

「参考にしなければならない。つまり、お前のよく知っていそうな言葉で言うなら——」

 少年はウシミツと十センチの位置に現れ、

「——TOD、ということだな」

 彼の耳元で、これから起きることを明かした。


       《3》


 安条蹴は、細かいことを考えるのが苦手な人間であった。それが、自らの《ツインズ》にも少なからず影響を与えているのだろう。

「《アド・アストラ・ペル・アスペラ》!」

 ——ゴォーッ!

 シュウの周囲を漂うボール大の小さな太陽は、表面のプロミネンスを激しく暴れさせた。「はい、主人!」とでも言いたげなその火球は、表面全体から放つ熱と光を一層強くした。

「あの悪いヤツの体を焼き尽くすっす!」

 シュウが叫んだ直後、プロミネンスが大きく膨れ上がり、その中から「シュゴァッ!」と悪党を焼き尽くす熱線が放たれた。

「……ッ」

 ヒロは横に跳んで熱線を回避した。しかし着地しようとしていたところには、もうすでに次の熱線が迫っている。慌てて空中で身を捩り、軌道を修正して着地する位置を変えたものの、まもなくそこにも熱線が放たれ、また飛び退くことを余儀なくされた。

(——チッ……弾幕が濃くて迂闊に近寄れない……!)

 太陽はいつの間にかトンネルの天井に近いところまで浮き上がっており、さながらディスコの天井に吊されたミラーボールのようにして、その球面から四方八方に灼熱のレーザーを放ち続けていた。

「レーザーの網目を掻い潜るようにすれば……」

「どこ見てるんすか……『不殺人鬼』!」

「は? ……ッ!?」

 突然正面から聞こえてきた声。ヒロは咄嗟に太陽から目を離し、その声の主を視界に収めた。

「うおぉぉぉぉぉぉッ!」

 なんとレーザーが降り注ぐ中を、太陽の主人であるシュウが猛ダッシュで迫ってきていたのだ。例え《ツインズ》能力者でもこの熱を完全に無効化するのは難しい、一体何が起きているのかとヒロが目を疑ったその時、シュウがヒロを自らの間合いの中に捉えた。

 ブォン! と風を切るような蹴りが、彼の鍛えられた足から繰り出される。下から上に放たれる大振りのキックは、ギリギリ鼻先を掠る距離でヒロに回避された。

 しかし続け様に放たれた、足首を横から小突くような蹴りまでは見切ることができず、ヒロはその場で横に倒れるように転倒する。

 目の荒いアスファルトに側頭部を打ち付け目を回す彼へ、間髪入れずに襲いかかる太陽光線。地面を転がるようにして回避するも、目の前の地面が「ドゴッ!」と爆ぜる様に全身が強張る。

「お前……流石にやりすぎだろ!」

「か弱い女の子を恐ろしい目に遭わせた怪物は……これくらいしないと反省しないっすよねッ!」

 天井の太陽がより一層強い光を放ち、今までよりさらに速く、熱く、太いレーザー光線がヒロに襲いかかる。彼は跳ねるように起き上がり、走り、跳び、時には剣も巧みに使って、光線の直撃を防ぐ。

(——こんな暴れたら、トンネルが壊れちまうだろ……!)

 流石のヒロも、この猛攻には恐れを覚えていた。複雑な理論も一瞬の隙をつくような正確さも捨て、暴力的な手数で追い詰めることに特化している。基本的に物理的な怪我は一瞬で治るヒロが回避に専念せざるを得ないというと、その脅威が伝わるだろうか。

 こんな《ツインズ》を持った人間が未だ悪事に手を染めず普通に暮らしていたというのが未だ信じられない、破壊に特化した《ツインズ》、それが《アド・アストラ・ペル・アスペラ》。

 ヒロは周囲を見渡す。暖かさなど微塵も感じない、無慈悲な日の光に焼かれたアスファルトの大地は、焼け焦げて捲れ上がり、その下の土を空気に晒していた。トンネルの壁も所々が溶岩のように赤くなり、その下に座り込む少女のことは危なっかしいとしか——

「あっ——!」

 ——そう、トンネルの中には、彼が《ツインズ》を切り離して破壊した直後の少女、食堂淡雪が意識を失ったままずっといたのだ。

「まずい……!」

 ヒロはすぐさま、攻撃しようと迫ってくるシュウに背を向け、少女の元へ走り出す。どうやら青年は怒りのあまり、少女そのものへ意識を向けることを忘れているようで、お構いなしに太陽光線を乱射してくる。

 そのうちの数本が狙いから大きく逸れ、ヒロの横を通り抜けて床に激突する。またしても轟音とともにアスファルトが捲れ、その破片が眠る少女へと真っ直ぐ飛んでいく。

「——ッ……ウオォォォォォァァァアアアッッッ!」

 ヒロはなりふり構わず、比喩ではなく全身の筋肉が弾けるほどの力で走る。メリメリと皮膚が裂け、全身から炎が噴出する。激化する光線の掃射を背後に、彼は少女へと手を伸ばし——


       《4》


「……派手にやってくれる」

 連続でテレポート——実際には「最初からそこにいた」という小規模な現実改変を立て続けに行なっているのだが、外からはそうとしか見えない——するマコトは、トンネルの方から流れてくる熱を伴った風を浴びて呟く。移動しながら戦闘を続けていたために、トンネルそのものからはかなり離れてしまったはずなのだが、その熱気は確かにここまで届いてきていた。

 世界の目から《ツインズ》の存在を隠し続ける《焚書図書館》、その総帥の依代という立場上「派手」な戦闘を嫌うマコトは、明らかに苛立ちを覚えていた。しかし、それによって心が乱れ、戦闘の腕が落ちるということは、絶対に無い。

「はぁ……あぁッ……!」

 その証拠に、相性的には有利な《改変系》の力で彼と渡り合おうとしている、ウシミツと言う名の男の槍を持つ手は僅かに震え、呼吸も荒くなってきている。彼の疲労は、徐々に表面化していた。

 マコトが宣言した「TOD」とは、ある対戦ゲームで用いられる言葉で、「Time Over Death」の頭文字を取ったものだ。その文面通り、自分に有利な状況を維持したまま、時間切れまで耐え抜いて勝利を収める戦法を意味する。第六座の依代はこれに似た方法によって、ウシミツから勝利を奪い取ろうとしている、というところだ。

(——俺の仮説が正しいならば、あの男が全力の状態を維持し続けられる時間には制限があるはずだ……そこまで逃げ切って、あの男の体力切れを狙う……我ながら卑怯な手だ)

 ウシミツが「前借り」という言葉を使って自らの能力を表現した点、それと戦闘が始まった直後、彼の目の下に深く刻まれた隈が薄くなった点を踏まえて考えれば、恐らく今の彼は、十分な睡眠をとった後の身体状況を、未来から持ってきたのだろう。

 しかし「前借り」したということは、当然それ相応の「反動」も存在するはず。その「前借り」してきた身体の状態を、「前借り」してくる時間に存在させるために、その未来が訪れるよう「現在」の彼の状態が補正される必要があるはずなのだ。

 実際に、マコトがどのような攻撃を加えようと、彼の体に致命傷を与えることはできない。それは、彼の体が五体満足で存在する状況を未来に作り出すためだ。

 ならば、彼には近い未来に、全力で動き回れるほどに体力を回復させるための睡眠をとる時間が訪れるはず。その睡眠に必要な時間が始まる瞬間が、ウシミツの活動限界。

(——あの男が眠り始めるまで、俺は攻撃を捌き続けなければならない。それが何分何時間続くかは分からないが……仕方があるまい)

 先ほどよりもやや威力が落ちた槍を双剣でいなしながら、マコトは考える。今彼ができることは、防御と回避に全神経を使い、時間切れまで耐え抜くこと。幸い、しばらく大きな戦闘や現実改変を行っていなかったおかげで、体力はそれなりに余っている。できるだけ最小限の消耗で抑え、目の前の男の体力は限界まで消耗させる、それだけを考え、彼は両手の羽を振るうのだ。

(——見るがいい、大衆の目の前で目立つことばかり考えている卑しい人間よ。これが《焚書図書館》の、暗闇に潜む者の戦い方だ)


       《5》


 少女は温もりを感じ、その真紅の目を開いた。

「あ……ごめんね、起こしちゃったかな……?」

 少女の視界にまず入ってきたのは、酷い顔の少年だった。ここでいう「酷い顔」とは、少年の顔の作りのことを言っているわけではなく、彼の顔面に、酷い傷が見られたという意味だ。

 彼は顔の右半分に、酷い火傷を負っていた。皮膚が捲れ、その下の肉が見えるような悍ましい様相だった。加えて、その傷を隠すように、彼の顔を流血が覆わんとしている。周囲に転がる大きなアスファルト片と合わせて見るに、どうやらこれらを後頭部で受け止めたようだった。

 にも関わらず、少年の声音は健気だった。いや、痛みを押し殺して健気に振る舞おうとしている、と表現したほうがいい。目を覚ました少女を怖がらせないように、なんとか平静を取り繕おうとしているような、そんな気配を感じることができた。

 少女——食堂淡雪は己の目を、耳を、目の前に少年がいる事実を疑った。一体どのように考えれば、自分のような生きていた方が危険な「怪物」を、命を挺して守ろうとするというのか。

「あなた……だれ?」

「……それに答えるのは、ちょっと後でもいいかな」

 少年は、少し離れた場所を睨む。そこには、少年とは打って変わって綺麗な格好をした茶髪の青年が、驚きに目を見開いて立ち尽くしていた。

「その子……まだ生きてるんすか……!?」

「『まだ』生きてるってのは違うな。俺がこの子を殺したって事実は存在する。でも、俺がこの子を蘇らせたから、こうやって彼女は俺の顔を見て、俺と話せている。……俺は『不殺人鬼』だ。どれだけ人道に反したことをしようとも、相手の命を奪ったままにすることはまずないさ」

 自らを『不殺人鬼』とした少年は、アワユキの手を取って彼女を立ち上がらせる。彼はアワユキのワンピースについた傷や汚れ、特に胸元を貫くようにして開いた大きな穴を気にしているようだった。

「……嘘っすよ」

 その様子を前に、青年は震えていた。

「嘘っすよそんなの! 人の命は、そんな簡単に蘇らせられるものじゃないっす! そしたら、あの人だって……ちょっと逃げようとしただけで殺されたあの人だって、生きられたはずじゃないっすか!」

「……あんたの言ってるのが誰のことかは知らないが、この力は俺にしか……俺に宿る《ツインズ》にしか使えないんだ」

「だったら……どうしてアンタはその力を、人を救うことに使わないんすか!? どうして人を傷つけることにしか使わないんすかッ!? アンタがもっと正しい使い方をしていれば、理不尽に奪われた大勢の命が救えたかもしれないんすよ!?」

「……ッ」

 その言葉が、『不殺人鬼』の表情から余裕を奪った。アワユキに心配をかけないことも、その瞬間に辞めたようだった。

「……俺はもう『不殺人鬼』だ。今更正義面なんてできない」

「だったら、今からでも遅くはな……」

「黙れ……!」

 その言葉と共に、少年の左手首から先が消えていた。行方を探せば、それは断面から炎を噴き、まっすぐ青年に向かっていた。

「……俺はあんたみたいな真っ直ぐなやつが大嫌いだ」

「ちょッ——!?」

 青年は防御を試みたようだったがそれも虚しく、『不殺人鬼』の飛ぶ左拳を、もろにその腹に受けた。

「どかん、だ」


 ——ドゴァァァァッ!


 少年の宣言と共に、左拳の中に詰まっていた血液が炎へと変わり、無慈悲に炸裂する。青年の断末魔さえもかき消し、緋色の炎は激しく燃え上がった。青年が倒れたことで、彼の《ツインズ》によって生み出された太陽も消えた。トンネルの内部に残った光は、破壊を逃れた蛍光灯のか細い光だけだった。

「……また、善い人殺しちゃったよ」

 青白い光の照らすボロボロの路面の上には、一人の青年が眠っていた。爆破によって殺された直後、その肉体は完全に修復され、彼は一人眠りについていたのだ。

 一部始終を至近距離で見ていたアワユキは、理解が追いつかないといった様子で、少年に問うた。

「……『ふさつじんき』、さん?」

「ん? どうしたの?」

 少年はまた、笑顔の仮面で自らを隠すだけの余裕を取り戻していたようだった。

「あなた、なにものなの」

「……ちょっと前までの君と、同じようなモノだよ」


 ——人の姿をした、『怪物』。


 アワユキが『不殺人鬼』の真意を理解するのは、そう難しいことではなかった。

「ちょっと遠くに、俺の友だ……いや違う、仲間がいるんだ。そこまで行けば安全だと思うから、とりあえずここを離れようか」


        《6》


「はぁ……はぁ……オラァッ!」

「……っ」

 あれからしばらく経ったが、手枕後光の表情からは、余裕が完全に無くなっていた。しかし、狭霧真の顔からも、それは消えていた。

(——くそっ、この男、思っていたよりもしぶとい……少し改変を使いすぎたかもしれん。一度下がりたいところだが……だからといってこの男が攻撃を止めるとは思えんな)

 双剣を振るう手はやや鈍っている。力任せに振るわれる槍の力を全ていなすだけの技術も、今のマコトでは扱いきれないだろう。いっそこのまま改変を使って逃げた方が得策かとも思った、その時。

「……ハァッ!」

 彼の目の前で槍を振り上げたウシミツの動きが、突如ぴたりと止まった。よく見てみれば、何か緋色に輝くものが、男の腰のあたりを横一文字に走り抜けた跡があった。

「——《血閃・燕》」

 そしてその声が聞こえたかと思えば、男の腰が横にずれ、同時に緋色の炎が彼を包み込む。

「ぎゃあアアアアアアアアッ!? ……あ…………あ」

 男は炎の奥から絶叫をあげたが、そう経たないうちに静かになった。炎が完全に絶えた後、その燃え滓の代わりに、全く傷が見られない手枕後光の体がそこにあった。まるで何事もなかったかのように、彼は寝息をたてていた。

「……戻ってきたぞ、マコト」

 そこから少し離れたところ、敵とも見紛う風格と共に現れた、『不殺人鬼』の姿がそこにあった。傍にはアルビノの少女が、信じられないものを見たと言った調子に、放心状態で立っていた。

「……なるほどな」

 マコトは今起こった出来事を、一瞬にして頭の中で整理した。

 まず、突然『不殺人鬼』が現れたことに関しては、《羊飼い》の手先との戦闘に勝利して、マコトとの合流を図ったからだろう。傍の少女は食堂淡雪に他ならないはずなので、彼女の救出も同時に済ませたということか。

 次に、マコトが《テンポラル・シフティング》のせいで有効打を見舞えなかったウシミツに、ヒロがトドメを刺せた理由について。これは《スーサイド・フェニックス》の持つ、いくら攻撃を加えても相手に傷跡を残せない能力故だろう。結局数秒後に完治するのであれば、いくらウシミツを傷つけようとも、《テンポラル・シフティング》の描き出した「五体満足かつ睡眠を十分に取った未来」と矛盾が生じることはない。加えて彼を強制的に眠らせたことで、その未来が訪れることが確定したため、例の「制限時間」のリミットが今まで持ち越されたのだろう。

「助太刀感謝する、『不殺人鬼』。おかげで無駄な体力を消耗せずに済んだ」

「助太刀っていうか美味しいトコだけ持ってっちゃったから、むしろ俺としては謝りたいんだけど……そっちがそう言うなら、こっちもそれに甘えとこうかな」

 眠りこけるウシミツを前に、二人の《サイダーズ》の器は会話を始める。戦った相手の詳細だとか、有用な情報は何か聞かなかったかとか、そんなことを共有しあった。その間アワユキは相変わらず何も分かっていない様子で、二人の年上の少年を交互に見つめていた。

「……では、その安条という男の回収はお前に任せようか」

「分かった。じゃあ、アワユキちゃん……だったっけ、この子の身柄は任せたぞ。……マコト」

 ヒロはぎこちないながらも、『梟の止まり木』の名前を呼んだ。マコトはそれに頷くと、アワユキの手を取る。

「……『ふさつじんき』さん」

「ん? どうしたの、アワユキちゃん?」

 不意にヒロのことを呼んだアワユキは、何やら言いたいことがありげにもじもじとしている。ヒロが少し屈んで彼女に目線を合わせてやると、彼女は小さな声で言った。

「『ふさつじんき』さんも、わたしとおなじ?」

「……そう言ったね」

「じゃあ、『ふさつじんき』さんも、こわくて、わるい人なの?『ふさつじんき』さんも、わたしとおんなじ『ばけもの』なの?」

「……それは……そうだね」

 ヒロは笑顔で頷いた。

「だから、アワユキちゃんは早く俺から離れた方がいいよ」

「……」

 アワユキは不安げな顔で、マコトの顔を見上げた。今ばかりは氷のような雰囲気を纏う彼も、ぎこちないながらも柔らかい雰囲気を作ろうとしている様子だった。

「……わたし、『ふさつじんき』さんはやさしい人だって、思うな」

「……そんなこと、絶対にないよ」

 その言葉を、ヒロは強く言った。

「絶対に無いよ」

 そのすぐ後、マコトが《ツインズミラー》を取り出して、《焚書図書館》に連絡したようだった。すぐに見慣れた吹雪が冷たい少年と幼い真っ白の少女を包み込み、その姿を本棚が連なる場所へと攫っていった。

「……そう。絶対に、無い」


       《7》


 それから十分も経たないうちに、ヒロはトンネルに引き返す道を歩いていた。目的はもちろん、安条蹴の「回収」。今もまだ倒れているであろう彼を、尋問のために捕える必要があったのだ。

 しかし、先ほどは快く受け入れてしまったものの、彼との再会というのは、精神的にかなりキツイものがあった。彼の真っ直ぐな正義感に燃える瞳を見つめていると、自分のダークヒーロー、アンチヒーロー然としたスタンスを自ら否定してしまいかねないのだ。

(——っていうか、自分のことを表す言葉に「ヒーロー」ってつくのが、そもそも気持ち悪いんだよなぁ……好き勝手やってるのが結果的に社会とか個人の利益につながってるだけであって……)

 そんな彼の様子を、内側から見ている者がいた。

(——またまた偏屈になっちゃって。息苦しそうで見てられないよ)

「……フェニックス!?」

 彼は自分の肉体に居座る、《サイダーズ》第一座の名を思わず叫ぶ。

(——久しぶりだねヒロ。一つ屋根の下どころか同じ体に住まう「同居人」に「久しぶり」なんて言葉、使う機会なんてそうそうないと思っていたけど、案外あるものだねぇ)

「……お前、よくいつもの調子で出て来れたな」

(——え? なんのことだい?)

「とぼけるな! 勝手に俺の体乗っ取って《冥界》を滅茶苦茶にしようとしたこと、忘れたとは言わせないぞ!」

(——ああ、あれか……別にいいじゃないか、最終的にはあの「スコーヴィル」とかいうジジイ悪魔が丸く収めてくれたんだから。それよりも、俺からも「忘れたとは言わせない」事が一つあるんだよ)

「……何だよ」

(——「欠月大夢」についてだ)

「……ッ!」

 ヒロは鬼の形相になり、歩みを止める。手が赤くなるまでギリギリと握りしめ、必死に湧き上がってくるものを押し留めた。

「……その話は、やめてくれ」

(——へぇ。やめてくれっていうことは、あれなんだね)

 フェニックスの声が、ヒロの耳元に囁かれるような感覚で、頭の中にこだまする。


(——君、思い出したんだね)


 ヒロは直前までとは真逆に、全身の力が抜けたようにして、その場に崩れ落ちる。内股で座り込んだ彼は、

「……そうだよ」

 諦めたようにその言葉を口にした。

「別に、全部を思い出したわけじゃない……でも、自分が『欠月大夢』で、母親を殺したクソ野郎だってことは、何となくだけど思い出したよ……いやもしかしたら、俺は最初っから全部覚えてたのかもしれないよ」

(——何だって?)

「俺は、最初っから全部覚えてたかもしれない……色々振り返って考えてみろよ。『ヒロ』と『ヒロム』、音は一文字の有り無ししか変わらないだろ。それは俺が、自分の名前を覚えてたからかもしれない」

 体感少し明るくなったかもしれない、紺色の空を見上げてヒロは話す。その瞳は、いつになく虚ろだ。

「それに、ルリに言われても頑なに記憶を取り戻そうとしなかったのも、単に俺が母さんを殺したことを、絶対に思い出したくなかったから……今思えば、メアさんが俺に能力を使った時見えた光景……あれは、母さんを殺した時に近い光景だった。普通覚えてるはずの悪夢の光景を忘れてたのは、俺が無意識にあの光景を忘れようとしてたからなんだと思う……」

(——ヒロ)

「つまりはさ、『不殺人鬼』の『日暮飛路』は、結局お前が言ってた通り、俺が望んで成ったものだったってことだよ。俺が望んで、お前に搾り取られてたってことさ……」

 ヒロは「フン」と鼻を鳴らした。乾いた音だった。

「嗤ってくれよ、フェニックス。お前は二度と人間にはなれないクソ野郎だって、肉親をミンチにしたサイコパスだって、俺が立ち直れなくなるくらい罵ってくれよ……そうでもしないと、俺はこうやって自分で自分を貶すことしかできないんだからさ……」

 ヒロの視界はぼやけていた。空に瞬く数多の星々が、全て暗い夜空に溶けて無くなったようにも見えた。今のヒロには、そんな星々が羨ましいとまで思えてしまっていた。

「……それか、もう俺のことを完全に乗っ取ってくれよ。こんな苦しむくらいなら、俺が人殺しだって看板だけ使って、お前が『不殺人鬼』より何倍も強い『自殺の不死鳥』になればいいじゃないか!」

(——……ヒロ。そんなことを言うなんて、君らしくない)

「……お前にはそう見えるんだな、今の俺が。そうだよな、『日暮飛路』しか知らないお前に、『欠月大夢』の苦しみが分かるわけない!」

(——でも、俺は今の君が大好きだよ)

「……は?」

 突然、ヒロは強い熱を感じた。体の奥から湧き上がってくるような、とてつもないエネルギーが渦巻いているような熱。自分は風船で、パンパンに空気を入れられているのに、なおもポンプで空気を送り続けられているような、そんな感覚だ。

「フェニックス……お前何してるんだよ!?」

(——大したことじゃないさ。ただ、君が忘れていただけじゃないか。君が感じている苦しみのその全ては、俺の養分になってるってことをさぁ。今の君は最高だよ。君のその苦しみ……『自罰』、『罪悪感』、その分だけ俺は力をつける……!)

 暑さ、熱さ、そして苦しさ。ヒロは夜空に構っている暇などなくなり、自分を抱きしめるようにして腕を回した。こうでもしないと、迫り上がってくる莫大な「生命力」に耐えられそうにないのだ。

(——それにさ、君が自分のことを『欠月大夢』だって思い出してくれたおかげで、素晴らしいことに気がついたんだよ……俺が《不死の血》で君のことを現世に縛り続ければ縛り続けるほどに、君は「死んでしまいたい」って気持ちを拗らせることになるんだろう!? それって最高じゃないか!)

 フェニックスは笑う。ヒロのことをではなく、ヒロムを用いることで、永久機関が完成したことに対して。

(——俺は君を絶対に逃さないよ、ヒロ。君は永遠に生きて、自分の罪を償えないまま、『不殺人鬼』として罪を重ねていくんだ。その罪の重さの分だけ、俺が君を生かしてあげるよ。そう、君が今まで『不殺人鬼』として、しょうもない小悪党にしてきたみたいにね)

「……あぁっ……やめろ、フェニックス……!」

(——俺の血の不死は、死から逃れるためのものじゃない。死ぬことの何倍も辛い現実の苦しみに、悪人を縛り付けて発狂させるためのもの、それは君が一番よく知っているはずだろう! ハハハハハ、ハハハハハハハハ!)

「あああああああああああッッ!?」

 全身の血管が悲鳴をあげている。血液の中だけには収まりきらない分の生命力が、血管を破り外に出ようとしているのだ。まるで全身の血液が沸騰しているような、想像を絶する痛み。逃れようともがけど、内側からの苦しみは消えない。

「こんな……ことなら……あの時……死ねていたら……ッ!」

 サラダ油、ライター、遺言書。人の目につかない静かな場所で、生きたまま己を火葬した、あの瞬間を思い出したその時。


 ——ゴァァァァァッ!


 アスファルトの上で転げ回るヒロの左肩を、白いレーザーが撃ち抜いて消し飛ばした。光線は勢い余ってそのまま地面に放たれ、黒いアスファルトが一瞬で融けてしまった。

 同時に、沸騰してヒロの体を蝕んでいた血液が、肩口の傷から爆発して溢れ出す。彼は衝撃で宙を舞い、数メートル手前側に投げ出された。

「いっ——てぇ……!? 今、何が起こった!?」

「見つけたっすよ」

 フェニックスのものではない声が、鼓膜を揺らした。

「アンタ、俺を殺したんすね。それで蘇らせたんすね……あり得ないっす……あり得ない、あり得ないあり得ないあり得ない! そんなことあり得ないっす!」

 首元に、かつての王の棺と共に遺跡の奥底から見つかったと言われても信じてしまう、豪華絢爛な太陽の飾りをぶら下げた青年。

 彼は頭上に太陽を従え、完全に狂気に蝕まれた、悍ましいほどに爛々と輝く瞳でヒロを真っ直ぐ見つめていた。

「お前はあり得ない存在っす……今コこで、燃え尽きルっす」

 その身が宿す《ツインズ》の名は、《アド・アストラ・ペル・アスペラ》。ラテン語で、「苦難を乗り越えて星々へ」を意味している。

 なろうのシステムに翻弄されているクロレキシストです。

 このサイトでは、ルビを振りたい時に《 》を使ってルビの内容を指定するんですけど……ご存知の通り私は、《ツインズ》とか《スーサイド・フェニックス》とか、固有名詞も《 》で囲っているので、意図しないルビ振りがちょこちょこあったりして……今度一通り見直さないといけないみたいです。読者の皆さんも、もし文中のルビに違和感を覚えたのなら、私に報告していただけると非常に嬉しいです。

 今回は戦闘に加え、ヒロの葛藤も描きました。過去の自分の抱える罪を悔やみつつも、人殺しを止めることができない今の自分。彼が罪を清算するために行き着くのは、悪を滅する殺人人形か、己は悪と認めた罪人か。今後の展開にも注目していただきたいですね。

 次回描かれるのは、「《ツインズ》の暴走」です。アワユキに続き、自らの能力に呑まれかけている安条蹴。ヒロは彼を救うことができるのでしょうか。また次回、皆様が楽しんでくれることを願っています。では。

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