EP16:蛍光ペンと記憶の断片と正体についての告白
《1》
「は、はは……冗談だろう……?」
ルリは気持ちを鎮めようと、手に持ったカフェオレのカップを、小刻みに震わせながら口元へ運ぶ。だが手の震えのせいで、当然その中身は溢れかけ、余計に慌てる事態となってしまった。
自らを《焚書図書館》の人間だと告白したチヒロと、連れてこられたという感じでそこにいたヒナギ。彼女らと合流したルリは、連れてこられたありきたりなチェーン店のカフェの店内で、チヒロの口から立て続けに、衝撃の告白を告げられたのだ。そのせいで、ヒナギの《ディア・マイ・シスター》で解いてもらった緊張が再発してしまった。
その緊張を解いたヒナギも、心ここにあらずといった様子で硬直している。どうやら、彼女も何も聞かされていなかったらしい。
「そんな怖がるようなことなのでありますか? 別に、この事実によってワガハイたちの関係が揺らぐことはないでありましょう?」
「……いや、そうではあるんだよ。そうではあるんだけれど、あまりにも想像していなかった展開だと思って、少し処理に時間がかかっていてね……すまないチヒロ、もう少し待ってくれ……」
「……アンタは偉いわよ、受け止めようとしてるだけ……アタシは……アタシは全く理解できてないわ……」
「どこらへんがでありますか?」
「そんなの……全部に決まってるじゃない!」
ヒナギはテーブルを叩いて勢いよく立ち上がる。チヒロたちのみならず多くの客の視線が彼女に集中するが、彼女はそれも分からないほど錯乱しているようだった。
「アンタずっと《焚書図書館》にいたんでしょ!? だったらどうしてスイコウのこと詳しく教えなかったのよ! 欠員を補うために現実を書き換えて『最初からメンバーだったことにした』? 何言ってるの? 一体何が起こったの!? それに何より——」
ヒナギは一際大きな声で叫んだ。
「アンタが『人間じゃない』って、一体どういうことよッ!?」
間も無く店員が駆けつけ、三人は店外へと締め出された。
《2》
《焚書図書館》本部にある、存在を消し去られた人物のリストが並ぶ本棚。日暮飛路はその前を、不気味な影と共に歩いていた。
「ホホホッ、懐かしいような、初めてのような。やはり他の《サイダーズ》と並び立つのは、奇妙な感覚を伴いますねぇ。厳密に言えば、その依代となのですが。ホホッ」
「……」
ヒロは隣に立つ仮面の男の姿をチラリと見て、すぐに目線を逸らした。とてつもない禁忌に触れているような感覚、「今すぐ離れろ」と本能が警鐘を鳴らすような感覚が、胸の中に渦巻いてる。本当はよく観察してみたいのだが、どうにもうまくいかない。
「そういえば……フェニックスの依代、感謝の言葉はまだ頂けないのですか? ああ、別に急かしているわけではないのですが、ここで感謝を伝えないのは、人間としてどうなのかなぁ、と思いまして。ワタクシは人間ではないので細かくは分かりませんがね、ホホホッ!」
「あ……えと……」
オウルが急にそんなことを迫ったのにも理由がある。際限無い採血を続けようとしていたフウリンの魔の手からヒロを救ったのは、紛れもなく、今ヒロの隣に立つオウルなのだ。
彼は椅子に縛り付けられたヒロを発見するや否や、「全くフウリンのやつめ、恩を仇で返すなんて頂けないですね」と呟き、ヒロの縄を解いた。その時、縄はまるで結び目自体が消失するように、不自然な解け方をした。
そして「フウリンには後できつく言っておきます。フェニックスの依代、『日暮飛路』。あなたに来て欲しい場所があります」と、この本棚の前まで連れてこられたのだ。
「……《クロノサイド・オウル》さん」
「ん、なんです? ようやく礼を言う気になって頂けましたか?」
「それは後で言います……だから……これから何をするつもりなのか、俺に教えてくれませんか」
「ホ? ……ホホホッ、そうでした。せっかく連れ出したくせに、その訳を言っていませんでしたね。これは失敬、ワタクシばかりアナタにお願いして、アナタの話は全く聞いていませんでした」
いいでしょう、とオウルは一拍おいて、本棚にあった本を一冊手に取った。本には何やら読みづらい書体で、タイトルらしき文言が並んでいた。
「実はワタクシは、アナタのことが気になっていてですねぇ」
「……俺のことが?」
「その疑問に対しての答えは、簡単なイエスとノーで答えられるものではありませんねぇ。強いて言うならば、半分半分、イエスとノーが共存している状態です、シュレディンガーの猫のように……ん? あっ、間違えました、シュレディンガーの猫は、そういう二律背反の共存を『否定』するためのものであって、こういった時に持ち出すべきではないんでしたねぇ、ホホホッ!」
オウルはまたしても笑う。仮面に表された不気味な笑顔から想像される通りの、道化のような甲高い笑いだった。
「……さて、冗談はこれくらいにして。ワタクシが関心を持っている『アナタ』。それは『今のアナタ』ではなく、『昔のアナタ』です。すなわち、アナタが『不殺人鬼』の『日暮飛路』になる前の、ただの一般人としてのアナタのことです」
「記憶を失う前の俺、ってことですか」
その通りです、とオウルは笑う。笑う以外の表情は見る事ができないが、確かにその時の梟は笑っていた。
対して、ヒロは顔を曇らせた。
「……それを知ってどうするつもりですか」
「どうするも何も。ワタクシは単純に好奇心でアナタについて調べていますから、知った結果変わるのは、ワタクシの好奇心の総量だけです。それはつまりアナタには何の害もないということで——」
「だったらやめてください」
ヒロは断言した。その語気の強さに呆気に取られるオウルを睨み、少年は語った。
「……俺は、自分の過去なんて、ましてや他人の過去なんて、知るだけ無駄だと思ってますから。俺の記憶を何か有効に使おうとする人間……例えば俺を題にした物語を書こうとしてる人間とか、そういうのだけが、俺の過去を知るべきだと思ってます。ですから、俺の過去は調べないでください」
「……ホぅ?」
オウルは、ヒロを訝しんだ。
(——なんでしょう、この感じ。あの少年は真っ当なことを言っているつもりなのでしょうが、どうにも色々なところが腑に落ちない。こちらが勝手に調べるというだけなのに、そこまで拒否を見せるなんて、まるで知られるのを恐れているような——ああ、なるほど)
そして、より深い事実に気付いた。
「……日暮飛路。アナタはワタクシが思っていたよりも、罪深い人間のようですねぇ。俄然興味が湧いてきましたよ、ホホホッ」
「?」
ヒロは何も分かっていない様子を見せる。その状態を嘲りながら、オウルは手元の本を開き、そこに書いてある名前を読み上げた。
「——『欠月大夢』。この名前に聞き覚えはありませんか?」
「シズキ……ヒロ……ム……!?」
その瞬間、ヒロの顔色が変わった。オウルの隣を歩いていた時の比ではない、確実に禁忌に触れた、触れてしまった、焦燥と恐怖の練り上げられた強い粘り気を持つ不快感が、一気に喉まで押し上がる。
「おっと、これは……予想以上」
ヒューッ、ヒューッと、ヒロは酸素が吸えているかどうかも分からない呼吸を続ける。頬の裏あたりから際限なく湧き上がってくる、水っぽくて苦い液体を飲み下す。冷たい汗が全身から吹き出し、心臓と全身の血管が激しく脈打ち、大地が揺れているような錯覚すら引き起こした。
「そんなに恐ろしいのですか?『欠月大夢』という名前が」
「やめロ……呼ぶな……」
「おお、こわいこわい……そうですよねぇ。何せ『欠月大夢』は人殺しの名前なんですから、怖くならないわけがありませんよねぇ」
「その名前ヲ…………れノ名前を……!」
全身から力が抜けたのか、ヒロはその場に崩れ落ちる。だが両手を床について上体を上げ、意地でもオウルから目を離そうとしていない。
それを見て、オウルはさらに歪んだ笑みを浮かべる。仮面に描かれた偽りではなく、依代の真の顔で、ニギィィと笑ったのだ。
「母親殺しの『欠月大夢』。一体誰なんでしょうねぇ、ねぇ!?」
「アアアアアアアアッ——!」
オウルの仮面を、強い衝撃が襲った。ヒロが突然、彼に殴りかかったのだ。その時の彼の瞳はオウルを向いていないどころか、最早この世の何もかもの輪郭を捉えるものかと、あらぬ方向を向いていた。
「……痛いですねぇ。乱暴はやめてください、この仮面はオーダーメイドなのですよぉ? せっかくドラゴニュートのところで新調したのに、余計な手間をかけさせないでくださいよ」
オウルは愚痴を垂れたが、ヒロには聞こえていない。彼はゾンビのようにだらりと手を垂れ下げ、その場で揺れていた。
「……俺の」
狂気に蝕まれた眼球は、カメレオンのように左右別の方向を向いて、ギュるン、ギュルンと数秒おきにメチャクチャに動く。
「俺の……名前を……」
ガクガクッ、とその顔がオウルに向く。充血した眼が、梟の面をその中に映し出した。
「俺の名前を…………呼ぶ——ッ」
オウルにヒロが飛びかかろうとした次の瞬間、
——バゴンッ!
ヒロの顔が、見えない拳にアッパーカットを決められたように上を向いた。同時に涙腺から溢れた血の涙が、その猟奇的な表情を覆い隠すようにして仮面を作り出す。
「——あ…………《血面・鷽》」
突然人が変わったように冷静な声音が、彼の声帯を震わせて飛び出た。そしてしばらくの沈黙と静止を経て——
「……俺の半身を、あまり虐めないでくれるかい、おしゃべりなフクロウさん?」
正真正銘の別人が、彼の体を以てして現界した。
「ホッホッホ……こんなタイミングで再会することになるとは」
猛禽にも鸚鵡のようにも見える、緋色の仮面の少年。彼は、面梟の面の男——否、「依代」の肉体年齢を考えるなら「少年」と表したほうがいいだろう——と、再会を果たした。
「久しぶりだな、『第六座』。俺は戻ってきたぞ」
「ええ、こちらこそお久しぶりです、『第一座』。こうして話すのは……かつての戦争以来になるのでしょうかねぇ、ホホホッ」
二人の《サイダーズ》は、仮面の奥の他人の瞳で睨み合う。
「……君、どのズラ下げて俺と話しているんだい。俺のこと《冥界》の奴らまで動員してとっ捕まえようとしてたくせしてさ」
「ホホッ、長い長い間会っていなかったせいで、ワタクシの性格を忘れてしまったのですか? ワタクシは《サイダーズ》七人の中で最も非情な者……一瞬の躊躇いも許されない《ツインズ》の存在の秘匿の役を買って出たのも、それ故だというのに」
「俺は君の性格なんて、ハナっから知らないよ。だって君たちが人間性を獲得したのは、俺を追放した後だっていうじゃないか。俺は君たちがまだ殺戮兵器だった頃しか知らないよ」
「ホ……そういえば、そうでしたねぇ。では」
オウルはその言葉を境に、全身から放っていた不気味なオーラの勢いを弱め、「賢者」然とした風格を纏う。
「少し面倒臭いですが……昔話から始めるとしますか」
《3》
——「付喪神」。少女は自らを、「付喪神」だと言った。
それは大切にされた道具に魂が宿り、精霊となったもの。表記揺れとして「九十九神」とも書かれるように、ただ人に作られた道具が、生命力、人格、さらには神格を得るのには、気が遠くなるような時間、それこそ、百年ほどはかかるとされていた。
「しかしですねしかしですね、この精霊に至るまでの時間は、実のところ『本来想定された使用期間』、または『一般に捨てられるのはこれくらいだろうと想定されている時間』と比例関係にあるのでありますよ。つまり、ワガハイは何が言いたいかといいますと——」
「元々一年とか二年とか、それかもっと短い間しか使われないだろうと考えられている物は、付喪神に変じるまでの時間が短い、ということで合っているかい」
「——わぎゃっ!? ルリどの、ワガハイが言いたかったことを全部言わないで欲しかったのであります〜っ」
ルリに言葉を遮られ、チヒロはご立腹の様子だった。だが彼女のコミカルな言動に反し、まだルリとヒナギはシリアスな表情だった。
ヒナギのせいでカフェを追い出された三人は、その足で《烏丸珈琲店》へ向かっていた。あの場所ならば確実にヒッテという心強い仲間が(もしかしたらメアも)いるので、ひとまずそこを目指すことにしたのだ。といってもあの店はルリの家に比較的近い場所にあるので、結局遠回りにはなってしまったのだが。
「——しかし、宇宙人やファンタジー世界の種族を想像していたんだが、まさか付喪神とは……全く予想していなかったぞ」
「正体を明かした人からはよく言われるのであります〜、でも、ワガハイのような元・人工物は、《サイダーズ》の存在を知っている人々からすれば、案外身近なのでありますよ?」
「そうなのかい?」
「はい! 何せ、ワガハイのようなニンゲンモドキがたぁっくさんいる場所が存在するのでありますから!」
「へぇ……興味深いねぇ」
「なんと、ルリどのは《異類隔離区》に興味がおありなのでありますか!? だったら今度オウル様にお願いして連れて行ってもらってもいいかもしれないのでありますねぇ! あっ、でもオウル様とクミホ様は、オウル様が《天空王国》と《異類隔離区》のどちらの肩を持つかで揉めているんでありましたっけ……」
トントン拍子でルリたちの知らない単語を出すチヒロの隣で目を輝かせるルリに対して、ヒナギは頭がパンクしそうになっていた。
「だーっ! アンタたちさっきから何の話をしてるの!?」
「急に叫ぶなよヒナギ。またさっきみたいに咎められるよ?」
「あれは……悪かったと思ってるわよ。でも、半分はアンタたちのせいみたいなもんじゃない!? それにチヒロ! 論点をずらそうったってそうはいかないわよ!」
「えっ、ワガハイ!? ワガハイはそんなつもりなかったのでありますが……ヒナギどのは一体何の話をしたかったのでありますか?」
「アンタの正体に決まってんじゃない! ただ『付喪神』っつっても、何の付喪神だーとか、そもそもなんで付喪神が《焚書図書館》にいるのかーとか、話すこといっぱいあるでしょッ!?」
「わーっ! その通りでありますっ、ごめんなさいでありますっ!」
慌てて頭を下げるチヒロ。それを見て落ち着くヒナギ。
「んで? アンタは一体何の付喪神なのよ」
「蛍光ペンであります」
「へぇ……なるほど蛍光ペン……ん!?」
「蛍光ペンであります!」
「別に聞こえなかったわけじゃないわよ! 何、蛍光ペン!?」
蛍光ペンというと、教科書に記された重要語句を強調するために使うあれだろう。あれ以外の物に「蛍光ペン」という名詞を当てることはないと思うのだが……この明らかに人間の容姿をした少女のどこらへんが蛍光ペンなのだろうと、二人は目を凝らしてみた。が、案の定彼女から要素を見出す事はできない。
「……チヒロ、君は嘘を言っているわけじゃないんだよね」
「えっ、まさか疑っているのでありますか!?」
「疑うに決まってんじゃない、アタシにはアンタが人間にしか見えないんだけど!? まさか、これも幻覚だっていうの!?」
「あっ、そういう……そういう事なら早く言って欲しかったのであります……ワガハイはちょっと特殊な手術を受けてるので、こういう見た目なだけなのであります」
「しゅっ、手術?」
「はい。ワガハイの本当の姿は……」
と、チヒロはブレザーの内ポケットからスマホを取り出す。人間じゃないのに携帯電話の契約なんてどうやってしたのだろうかという疑問が浮かんでくるより前に、チヒロは操作を終え、その画面を二人に見せた。
「これであります!」
「……嘘だろう」「……嘘でしょ」
二人はその写真を見て、またしても息を呑んだ。
「……これって」
「……ああ」
二人は息ぴったりのタイミングで叫んだ。
「みんなが使っている物じゃないか!」「みんな持ってるやつじゃん!」
その写真は大手文具メーカーのホームページに載っているもので、二人も一度は文具店で見たことのある、有名なカラーペン、しかも六色がセットになっているものだった。
「え、どういうこと? 六色まとめてチヒロってこと?」
「そういうことであります! ワガハイはこの蛍光ペン六本セットの付喪神でありまして……ワガハイの持ち主様は、ワガハイを中学入学から高校卒業まで使ってくれたのでありますよ!」
「え、六年間!? インク無くならず!?」
「それが、どうも持ち主様の使い方が良かったようでありまして」
「えー……アタシだったら二年持ったら長いほうだけどな……」
「私もだ……それどころか私は落書きにも使うから、下手したらヒナギよりも短いかもしれない……その持ち主のことを尊敬するよ」
「そう言ってもらえると、なんだかワガハイまで嬉しくなってしまうのであります〜」
頬を赤らめ、まるで自分が褒められたように照れた様子を見せるチヒロ。彼女の整った容姿も相まって、破壊力は抜群だった。
「で、この流れでさっき言ってた手術についても聞いていいかい?」
「そうでありますね、せっかくの機会なのでこの際全部話させていただくのであります。少し話が長くなると思うのでありますが、どうか眠らずに聞いて欲しいのであります」
「……私たちが歩きながら眠れるほど、器用な脳の構造をしているように見えるかい? イルカじゃあるまいし」
「わぇっ!? た、確かに考えてみたらそうでありました……」
どうやらルリにも、冗談を言う余裕が出てきたようだった。
《4》
「……なるほどね。第四座ドラゴニュートと第五座のクミホ、そして君の間に、そんないざこざが……」
「ええ……世界の禁忌を封じ込める仕事を、我々《焚書図書館》はひとえに担っていますからねぇ。こうやって他の勢力から敵対を恐れられるのは仕方ないことです。もっとも、ケルベロスから狙われていないだけまだマシとも言えますが……ホホホッ」
時殺しの梟はまた、甲高い笑いを発した。だがそこにはどこか余裕がなく、むしろ泣き笑いのようにすら聞こえた。
一触即発の事態に発展するかに思えた二人の《サイダーズ》の邂逅は、意外にも戦闘に発展する事はなく、穏やかな形で進んだ。それこそ、お互い旧友に再会した時のように。
フェニックスもオウルも、とある共通点を持っていた。それは単に、二人とも鳥類をベースにしているという単純なものだけではなくて、二人ともある種の孤独を感じている、というものだった。
「……アナタを追放したうちの一人としてこんなことを言うのは馬鹿だとはわかっていますが……あのままあなたを《サイダーズ》の輪の中に引き留めていたら、多少は何かが変わったのでしょうか」
「……さあね。でも俺としては、何も変わらないと思うよ」
フェニックスはオウルから受け取った本の内容に目を通しながら言う。その口ぶりは、自らを蔑むようでもあった。
「俺みたいな旧式のオンボロ、しかも元からポンコツの欠陥品がしゃしゃり出たところで、《サイダーズ》の分裂は止められなかったさ。あの時の君たちからすれば、俺がいない方が都合が良かったんだろう? ……半端な感情で勝手な行動を起こそうとする、俺がいない方が」
「……確かにあの時のワタクシたちは、そういう結論に至りました、至ってしまいました。ですが、ワタクシはあれさえなければ、あのままアナタの言葉に従っていれば、ワタクシたちがこうして衝突する必要はなかったのではないかと思ってしまうのですよ、ホホホッ……だってあの時あなたを欠かなければ、全員が亡ぶまで《サイダーズ》を一蓮托生の物にすることができたかもしれないのですから」
オウルは自身の笑い顔に見える仮面に触れた。
「あの事件を、そして《冥界》と《天界》それぞれの復興作業を経て、ワタクシたち六人はあなたと同じものを学びました。すなわちそれは濃い自我であり、人間性であり、そして『信念』でした。異なる信念を持った《サイダーズ》たちはやがて分裂しました。そのせいで第二座と第三座と第七座は行方知れずになり、席に残った我々でさえもこの有様です……どうしてこうなってしまったのでしょうか」
「それは……俺たちが『争いを止める鍵』であると同時に、『争いの種』にもなりかねない代物だからに他ならないだろう。強すぎる力は常に争いの中にある。最初から分かりきったことだ。いくら議論を重ねたところで、何一つとして変わらない」
「……そうですね。いくら話したところで、あの時の記憶はすでに、ワタクシが変えられる過去の範疇にすらないのですから……話を変えましょう」
オウルはページを捲るフェニックスに近づく。
「その事件の記録は、アナタが抹消したのですか?」
「いや、違うね」
フェニックスは間を置かず答えた。あまりに早い返答に、オウルは固まってしまった。
「即答、ですか」
「当たり前だろう。だって俺は、君みたいに歴史を改竄したり記録を書き換えたりする力なんて持っていない。第一、今の俺が使える力は《不死の血》だけだ。《ブラッド・アームズ》どころか《キャンサー》すらも使えない今の俺に、そんな力があるわけないだろう」
「……そうですよね、ホホホッ。聞いたワタクシが馬鹿でした」
自虐的になるオウルのことはそこまで気にせずに、フェニックスは引き続きページを捲る。
「……こうしてちゃんと確かめたのは初めてだけど……ヒロの奴め、随分とやらかしてるみたいだな」
「ホ? アナタが欠月大夢にやらせたのではないのですか?」
「俺に敵対してない上に今後障害になる気配のないようなヤツを殺すような趣味はない。あったとしても、今後依代にするつもりの人間の肉親なんて殺したら、まともに使えなくなるだろう。……それよりも、ヒロに弟がいたなんて知らないぞ」
「ホッ!?」
オウルはフェニックスに更に近づく。彼らは向かい合い、資料を共に覗き込むような形になった。
「……オウル、近いよ」
「アナタまさか、欠月大夢について詳しくご存知でないと!?」
「……俺がヒロを選んだ理由は、単に心の闇が深そうで、簡単に乗っとれそうだったってだけさ。ま、実際は信じられないくらい強い決意があったせいでうまく乗っとれなかったから、言葉巧みに利用する感じになったけどね。一応、憑依した時に多少記憶を見る事はできたけど……それも不明瞭で参考にならなかった。母親を殺したことと、焼身自殺しようとしたことしか俺は知らない……ほら、ここに書いてある『事件の一年前に父親が他界した』とかは、全く」
「ホホホ……ワタクシはてっきり、あなたがすべて根回ししたものかとばかり思っていました……」
「ツメが甘かったね、オウル。俺に気を取られてばかりいちゃあ、七人の《サイダーズ》の中で最も重要な役なんざ務まらないだろう」
「申し訳ないです、フェニックス……ですが、そうだとしても依然として不可解なことがまだ残っていますよ」
オウルはフェニックスから資料を取り上げると、ある見開きのページを開き、フェニックスへと見せた。
「アナタが言ったように、欠月大夢には弟がいます。最初は兄弟のどちらにも『日暮飛路』かも知れないという疑いをかけていたのですが、我が《焚書図書館》の優秀なリサーチ能力と、この資料の情報によって、兄の方が『不殺人鬼』であり、同時にこの事件を引き起こした張本人であることは割り出しました。しかし、残った弟の方に関しては、随分と情報が少なくてですねぇ」
オウル曰く、事件の抹消が起きるまでにはある程度のラグがあり、警察の捜査やマスメディアによる事件の紹介、更にはSNSの書き込みのログから、兄である『欠月大夢』についての情報はかなり入手できたという。しかし。
「生まれ年と性別と苗字以外一切不明、か……」
「はい。しかもそれらの情報も、欠月大夢に関する情報に書かれていた『二歳差の弟がいる』という情報から逆算して知ることのできるものですから……弟個人に関する記録はゼロに等しいのです」
「これは……弟がこの事件を抹消したと怪しまざるを得ないね」
「でしょう。しかし、《焚書図書館》は世界から抹消された記録が集まる場所、そこに記録が無い上に、表の世界にも記録がないとすると、それは本当に最初からなかったということになるので……」
「……強い現実改変が可能な、高位な《ツインズ》……」
フェニックスは頭を抱えた。この世に存在する《ツインズ》、その八分類の中で《改変系》に振り分けられる輩は、特に厄介である。
記憶、記録、情景、現象。その全てに干渉し、あたかも「最初からそのような事実が存在していた」ような状況を作り出すのがその本質。破壊された《ゴシップ・オーシャン》、そして《クロノサイド・オウル》自らのような、凶悪な《ツインズ》が該当する。
「……でも」
「物好きの間で語り継がれるか、あるいは模倣犯が生まれないように記録を残されるかしかねない、特異な猟奇殺人事件。その記録と記憶を全て消すとなると……目撃者や関係者はもちろんのこと、メディアを発信する側、メディアを受け取る側、更にはSNSで拡散されたその情報を受け取った人々まで含めて……」
「それこそ、改変は世界を覆い尽くす規模になる」
「ワタクシがこの体で同じことをしたのならば、宿主は丸一日動けなくなってしまうかもですね、ホホホッ……ましてや、この『マコト』という少年は特異体質です。普通の人間がやろうとしたならば、」
「自分の存在すらも消しかねない。だろう?」
二人の《サイダーズ》はただ一人の過去を考えるために、ひたすら思考を重ねる。現在進行形で続く陰謀と「それ」とを天秤にかけることも、すっかり忘れて。
《5》
(——ああッ……なんでアタシはこうも忘れられねぇんだよ……!)
ガリガリガリと、アスファルトの路面に固いものを引きずる、不快な音が鳴り響く。その音の根源は、とある少女だった。
少女の姿は、これまた奇怪なものだった。彼女をぱっと見た時に入ってくる情報量が、あまりにも多いのだ。
彼女そのものは綺麗な顔立ちをしている。髪はピンクシルバーとでも言うべき気品のある色に染められており、その美しさがよく目立つようにか、髪質に特に手は加わっていなかった。
しかし、それに反してその服装は「いかつい」。一言で言えば改造制服なのだが、そのどれもが昭和のツッパリを思わせつつも、その小物感を薄める威厳を持っているのだ。ロング丈のスカートに、上は丈を詰め、へそが露出するセーラー服。その上に男物の学ランを羽織っているのだ。ほぼコートのような丈になった長ランは、彼女の髪色と同じピンクシルバーのものであり、ところどころに金色で蔓草や花のような刺繍があしらわれている。そして背中には大きく墨文字書体で「紫隈」の文字が。
彼女の名は「紫隈杏華」。《籠目西高校》に存在するレディース不良グループのトップにして《ツインズ》能力者、そして件の闇バイトに応募した一人である。
先ほどからアスファルトの地面に引き摺られて削れるような音を鳴らしているのは、彼女の《ツインズ》、《リグレット・オブ・イエローチューリップ》。武器としては、これまたピンクシルバー色の刀身に、黄色いチューリップの花弁を模した鍔を持つ日本刀の姿をしている。だがそこには更に鉄の鎖が巻き付いており、斬撃ではなく殴打に特化しているようだった。
割とあんまりな扱いを受けている「彼女」だったが、どうやらこういうことは珍しくないようで、黙って主にされるがままにしている。おそらく彼なりに、気の立っている彼女を刺激しないようにしているのだろう。
だがそんな「彼女」の親切心は、むしろ裏目に出てしまったと言えるかもしれない。
「……なんでさっきから何も言わねぇんだよ」
キョウカは不意に日本刀の刀身を蹴り上げて、自分の目線の高さまで持ってきた。
「……お前のせいでこうなったんだろ、『シグマ』」
彼女は自身の《ツインズ》をそう呼ぶ。その正体は、彼女がかつて捨てた、彼女のもう一つの側面。つまりもっと簡単に言えば、それは昔の彼女、不良になる前の彼女そのものである。
(——だって……アタシがシュンヤくんを好きだったのは、本当なんだもん……アタシは、後悔してないから)
「……強がるなよ」
頭の中に響くシグマの声に、キョウカは苛立ちを見せた。そして再び刀をコンクリートに叩きつけ、引きずって歩き出す。
キョウカが《ツインズ》に目覚め、同時に不良の道に堕ちたきっかけは、たった一度の失恋だった。
彼女の好きだった「シュンヤくん」。クラスの人気者で、人を惹きつける才能を持った人だった。数多くいるクラスメイトたちの中でも、彼がいるところだけは常に異世界のように見えたのだ。
そんな彼に、昔のキョウカは衝撃を受けた。キラキラしたオーラも全くなく、普通の平凡な女子だった彼女だったが、昔から行動力だけはある人間だった。そして、彼女は告白した。
「——俺は恋愛しないって決めてるから」
それが、「シュンヤくん」がキョウカを振った言葉だった。その声音は優しく、本当に恋愛する気がないだけなんだ、と感じられた。
だがこれで引き下がるキョウカではなく、そのあと何度も何度も、彼女は「シュンヤくん」への告白をし続けた。それは彼女が「シュンヤくん」のことを諦めきれないからに他ならなかった。
だが、彼女のアプローチは熱烈すぎた。
「——君、よく諦めないよね。まっすぐな姿勢は尊敬に値するけど、それが実を結ぶかどうかはまた別だ。……お引き取り願うよ」
彼は最後に、こう続けた。
「あ、そうか……もしかして、君は俺という『クラスの人気者』と結ばれることで、何かこう、クラスという小社会の中での、特別な地位を得ようとしていたのかな? ……『不可能だ』というところに目を瞑れば、なかなかよくできた計略だったんじゃないかな」
その冷たい言葉が、キョウカの恋心を完全に、何か別のものに変えてしまった。彼女のまっすぐな恋心は、彼の中では全て下劣な野望と捉えられてしまっていたのだ。
それから彼女は、完全に変わってしまった。髪を染め、制服を弄り、気に入らない奴には拳を振り上げるようにした。昔の弱い自分は完全に彼女から分離して、彼女に異質な力を与えた。
そして彼女は高校で、不動の地位を手にすることに成功する。西高のレディースの頂点に立ったとき、彼女は心のうちでこう思ったのだ。「どうだシュンヤ、お前の力を借りなくても、アタシは特別な地位を手に入れたぞ」と。
その言葉は、彼女自身に生徒たちの頂点に立った自覚を植え付けた。そして同時に、彼女がかつての失恋の未練を断ち切れていないことにも気づかせたのだった。
「……アタシは何のためにここまで堕ちたんだよ……ああっ、激しく腹が立つ、今すぐ殴らなきゃ気がすまねェンだよォ……!」
彼女が《羊飼い》の誘いに乗った理由は他でもなく、その治まらない腹の虫を黙らせるためである。相手は誰でも構わない、ただひたすらに暴れて、破壊して、殴りつけて、ふとした瞬間に「自分がとんでもないことをしてしまった」と気づくまで止まらない。
(——「八つ当たり」なんて、恥ずかしくないの……!?)
「うるせェぞシグマ……アタシは紫隈杏華、西高の頂点だぞ……!」
自分に言い聞かせるようにして彼女は叫ぶ。
「稲葉瑠璃は……稲葉瑠璃はどこだ……見つけたら……ブッ殺す!」
正直、彼女は金なんてものはどうでもいいと思っている。《羊飼い》からそれを受け取ったとしても、それは他の貪欲なクソ野郎に投げつけてしまえばいい。
だが西高の頂点として、果たさなければいけない責務というものがある。それは西高の腕っぷしが、そんじょそこらの人間とは根本的に違うということを、野良の不良や《ツインズ》能力者に教えてやることだ。彼女は西高の女子不良の看板を背負って、その刀を握り、振るわなければならないのだ。
しかし、彼女の前に現れたのは、狙っていた相手ではなかった。
「何やら、聞き捨てならないセリフが聞こえたでありますなぁ」
「……あ?」
キョウカの前に現れたのは、いかにも陰キャでヲタクという感じの、眼鏡をかけた少女だった。ボブカットの黒髪、校則に従って着られた東高の制服。背負ったリュックは異様に大きく中身もギッシリ詰まっていて、ぱっと見、少女の貧弱な足腰では支えきれなさそうだった。
「おめェ、誰だ?」
「通りすがりの全方位ヲタク女子高生であります! ……と、いつもなら名乗っているとこなのでありますが、今日ばっかりは事情がちょいと複雑になってくるのであります」
少女は背負っていたリュックを、ブォン! と勢いよく道路の脇へ投げ捨てる。その速度からして、腕力は見た目以上あるらしい。
「ワガハイは《焚書図書館リコール》に所属する、カラーペンの付喪神にして《ツインズ》能力者、物部千尋であります。そして同時に、あなたがお探しの稲葉瑠璃どのの親友であります」
「……へぇ? じゃあ何、お前はアタシを止めに来たってこと?」
「そういうことであります。ルリどのを傷つけようとする人間であり、同時に《ツインズ》で悪事を働こうとするあなたのような人間は、ワガハイのどの立場からしても排除すべきなのであります」
「……フッ」
キョウカは笑った。こいつは馬鹿だと。
「アハハハハ! お前ばっかだなァ! アタシが《籠目西高校》の不良のトップ、紫隈杏華って知らずに言ってんだな!」
日本刀をガシャン、ガシャン! と叩きつけて笑う彼女に対して、チヒロと名乗った少女は微動だにしなかった。
「……ワガハイは人間の事情には疎いので、あなたが何者なのかは知らないのであります。でも——」
チヒロは真横に左手を伸ばした。その先にあるのは、彼女が投げ捨てたリュックサックだった。
「——相手が誰であれ何であれ、一般人を、友達を、ルリどのを傷つけようとしているなら、止めるだけなのであります」
彼女が言い切った直後、リュックが不自然に揺れた。まるで中に生き物が入っているかのように、その表面がモゾモゾと波打つ。
「ワガハイの《ツインズ》が持つ啓示は『勉学』であります」
ジィーッ、と彼女のリュックのチャックが独りでに開いた。よく見れば、一本のシャープペンシルが独りでに動いている。あれが、チャックを内側から開けたようだった。
「完璧に物を述べるためには、千の道具の元を尋ね、完全にして無欠たる表現を探さなければならないのであります。故にワガハイは物部千尋であり、故にワガハイの能力は、その千の道具の使役という形で現れたのであります」
——ゴォーッ!
リュックの中身が、まるで火山の噴火によって巻き上げられる溶岩のように一気に吹き出す。よく見てみれば、それは十個は軽く超えるであろう大量の筆箱だった。全く同じ形、全く同じ色。個体差はチャックの金具からぶら下がる、判別用に取り付けられたであろうタグに書かれた文字だけだ。「蛍光マーカー」、「消しゴム」、「鉛筆」、それから「コンパス」に「三角定規」……。
シャープペンシルがそのうちの一つに潜り込むと、布製の筆箱たちはまるで自ら意思を持つようにして旋回しだし、彼女の背中の後ろで、仏の後光のような円を描いた。
「ワガハイの《ツインズ》の名……即ちワガハイの真名は《ステーショナリー・ストリート》。幾千もの文具によって切り開かれる、知識への探究という一筋の街道なのであります」
クロレキシストです。勉強は他の現代人に倣って「嫌い」の立場にいます。
今話では、怒涛の伏線ラッシュに目を回した方が多いかと思います、私もそのうちの一人です。……実は、プロットの時点では今日の分と次週投稿する分は、本来一話分に収まるはずだったんです。しかし、ヒロの過去やら第六座のシーンやらを盛り込んだ結果肥大化しましてね……その結果内容もバカにならないことになりました。作中の時間経過に反して動きが少ないのはその所為です。その分次回からは長尺のバトルがあるので首を長くしてお待ちください。
さて、今日の後書きもここらで終わらせておきましょうかね。あまり長くなると一気読みの時に鬱陶しいでしょうし。それでは、またまた次週に。
……ようやく、チヒロに本格的な戦闘をさせられる……。