EP14:鏡と紙屑と籠目が綻ぶ予兆
《1》
「こんな方法で……俺なんかが助けて、本当に良かったんですか」
「ええ。これ以外に方法があったなら、それをあなたの口から教えていただきたかったのですが……そんなものはなさそうでしたしね」
ヒロは黙って首を縦に振る。彼は両腕の断面が血を溢し、燃え上がり、さらにそれが再生する痛みを堪えながらも、視線は自分が手を加えたものから、全く逸さなかった。
——黒いビニールで中身が隠された、二つの蓋の開いた棺。
「本当はアサカゲさんが自分で助けたかったですよね……俺みたいな、この人に攻撃した奴の手なんか、借りたくなかったですよね」
ヒロはどうしても、自分を否定する言葉を発するのをやめられなかった。そうしなければ、落ち着くことができなかった。
二つの棺にそれぞれ収まっているのは、この《焚書図書館リコール》を構成するメンバーの二人だ。
——『疾走』の怪炎寺仁と、『虚報』の写絵風鈴。
紙魚綴幸が《焚書図書館》に帰っていく時に起こった騒動で、ルリたちが敵対した二人の《ツインズ》能力者。それが、見るも無惨な姿となり、ビニールの下に「あった」。ヒロはその棺に自らの血を注ぎ入れ、なんとか二人の能力者の命を繋ぎ止めたのだ。
人として断らなかったヒロの選択は、人情から考えれば正解と言える。だがヒロ本人は、それを認めたくない様子だった。
かつて友人たちを苦しめた「敵」を救ってよかったのだろうかという、ルリの友人としての思い。
それを望まれていたとしても、死んだはずだった人間を頼まれて蘇らせたこと、すなわち自分だけが責任を負うべきでない、倫理的に正しいとは言えない行動をしたという罪悪感。
前者はまだしも後者は「今更か?」という感じすらあるが、それでもヒロの中では、悩むべきトピックとしてそれは存在していた。
「……どうしてそんな悩む必要があるのですか。これは私の頼みですから、もし間違ったことをしたと非難する人が現れたとしても、その相手をすべきなのは私だけなのですよ?」
「そうだけど……そうじゃないですよ」
ヒロはいつしか、アサカゲへの警戒心を解いていた。それは彼への見方が、かつて敵対した《焚書図書館リコール》の一員という枠組みから外れ、ただ苦楽を共にした仲間に生きてほしいと願う、一人の人間というものに変わっていたためだ。
無意識に彼に敬語を使うようになっていたのも、その変化の現れだろう。
「頭おかしいのは、俺だけでいいんですよ。そうであってほしいんですよ。……なんでかは分からないですけど」
「……ヒロさん、カウンセラーの役割を知ってますか?」
「え?」
いきなり考えもしなかったことを聞かれ、ヒロはアサカゲの顔を見る。彼は二つの棺をじっと見ていたが、どこか遠くを眺めているようでもあった。
「……私たちカウンセラーは、カウンセリングを受けに来た人の悩みを聞き、それを解決する手伝いをすることが役目です。ですがそれは、受け手に自分の思う解決方法を押し付ける、なんてスタンスでは成立しないんですよ」
アサカゲは《焚書図書館》で、悪事を働く《ツインズ》能力者を炙り出し、それを始末する仕事をしている。だがそれは『不殺人鬼』の台頭によって頻度が減り、本業のカウンセラーとしての仕事に赴くことが増えたという。そうして様々な人間と向き合う中で、その向き合い方の「正解」に近いものを掴んだらしい。
「カウンセリングに大切なのは、『共に悩む』こと。悩みを抱える人と悩みを聞く人が対話を重ね、その中で悩みを抱える人が最も腑に落ちる方法を模索していく。一人で悩むだけではうまく正解を見つけられない、それは至極当然のことなんです。だから」
アサカゲはヒロの方を向いた。正義を感じる瞳だった。
「そうやって突き放すように話さないでください。少なくとも私であれば、あなたと共に悩むことができると思いますので」
「……俺は《焚書図書館》を敵だと思ってる人間ですよ。それなのにどうして、そんな助けようとするみたいな文言を並べられるんですか」
「ただ並べているだけじゃありません、実際にあなたのことを助けたいと思っているのです。それに、立場がどうであれ、悩める人が悩める人であることに変わりはないのですから」
「……ッ」
ヒロは感じた。「この人間とは話したくない」と。だがそれは嫌悪からではなく、どちらかといえば、昨日モルフォの言葉を聞いた時に近いもの——必死に考えないようにしていたことを見透かされ、それを引き出されそうになっている感覚だ。
(——『不殺人鬼』が、人を殺すことにしか脳を使えない化け物が、いちいち自分の寂しさとか苦しさに構ってられるかよ)
誰に言うわけでもなく、強いて言うなら自分に言い聞かせるような強がりが、ヒロの胸の奥を横切った。
「……アサカゲさん、話終わりました?」
そんなヒロの胸を締め付ける感情に水を挿したのは、棺の中から聞こえてきた、気怠げな男の声だった。
「……目覚めましたか、ジン」
アサカゲの声音は、同胞の蘇生を喜ぶのが半分、少年への語り掛けを邪魔された不快感が半分の、なんとも言えないものだった。
《2》
「これが……スイコウ……!?」
ルリ、そして単眼の怪物の言葉に、ヒナギたちは後頭部をレンガで殴られたような衝撃を受けていた。
「……整理すればわかることだろう」
ルリは言う。
「まず、彼が所属している『組織』が《焚書図書館》であるということ。次に、『僕』という一人称と、加工がかかった声の中から感じられる少年らしさ。そして極め付けに、その万年筆を模した仮面。スイコウの《ツインズ》も、万年筆を模したものだからね。……これらが私の推察を捗らせてくれた材料だ」
キャラ作りの尊大な口調はかろうじて保たれていたが、それに覇気はない。まだ、最大の疑問が残っていたからだ。
「それで? 君はどうしてそんな異形の姿になっているんだい? できることなら……元の姿に戻れるかどうかも教えてほしいなぁ」
「……そうだね。元々は正体を隠すために《鏡装》してたから、もう意味もないし取っちゃっても大丈夫か。いいよね、エントレ?」
「ひゃい!? なんであたしに聞くんでしゅかっ!?」
シリアスな雰囲気に慣れていないのか、突然名前を呼ばれた、エントレという頭のおかしい格好の少女は焦りを見せる。大鎌を握る力が強くなっているのが、側から見ていても分かった。
「だってここには《焚書図書館》のメンバーは僕とエントレ以外いないじゃん。エントレの都合が悪かったら、解除しないよ」
「えーっと……あたしは……別に問題ないかなぁと思いましゅ……」
「うん、ありがとう。じゃあ取るね」
単眼の怪物がそう言った次の瞬間、その姿にヒビが入る。まるで鳥の雛が卵の殻を破るようにして、その内側から少年の姿が現れた。
紙魚綴幸。ルリの親友の姿は、彼女がよく知る顔で笑った。ただし唯一つ、彼の瞳の色だけは、生来の翠玉のような緑色ではなく、厳かな金色へと変質していた。
「スイコウ——っ!」
しかしルリはそんな些細なことには目もくれず、反射的に彼に抱きついていた。二つといない親友へと。
「……しばらく会えなくてごめんね」
「君は実に、実に馬鹿なやつだ……こっちの気持ちも知らずに、勝手にいなくなるんじゃないよ——っ!」
ルリは溜め込んでいた寂しさを爆発させるように、スイコウにぐりぐりと頭を押し付ける。スイコウの少し困った顔は、ヒナギやアクトからすれば見慣れた光景、そうでないメアから見ても、温かい光景だと認識できた。
「……ルリ、まだ離さないの?」
「離してたまるか。今まで心配した分の時間だけ、君のことは離したりしないよ……言いたいことがあるならば、このまま言いたまえ」
あはは、と眉毛をハの字にしたまま笑うスイコウは、ヒナギやアクトの視線に気づくと僅かに頬を赤らめながら、また笑う。
「えっと……何から話せばいいかな」
「えー……じゃあ、あの姿について教えてちょうだい」
ヒナギがルリの代わりに答える。スイコウはそれを聞くと、懐から何やらゴテゴテとしたものを取り出した。それを一同に見せながら彼は話す。
「あの姿は《鏡装体》って言うんだ。それなりに《ツインズ》の扱いに慣れた能力者だったら、この《ツインズミラー》を通して誰でもできる、《鏡装》で肉体を変化させた姿なんだ」
「《ツインズミラー》? ……それって……ッ!?」
何かを思い出したように、ヒッテが突然、店のバックヤードに駆け込んだ。少し待つと、彼はあるものを持って戻ってきた。
「やっぱり……同じだ……!」
彼が持ってきたのは、昨日ヒロを連れ帰る時に使った、メアの言うところの『異位相世界間通信機』……ヒッテがこの店をしばらく空けるマスターから譲り受けたデバイスだった。
「えっ、なんでヒッテくんが《ツインズミラー》を!?」
当然、スイコウは目を丸くする。ヒッテがかくかくしかじかを説明してもスイコウは理解できなかったようで、ルリに抱きつかれながらも、彼は目を回していた。
「——そ、そのマスターって人のことは、事が終わったら調べておくよ……『烏丸九郎』さんだっけ……?」
「うん……ごめん、僕もちょっと混乱してるよ……でも、僕がそれ使っても、さっきのスイコウみたいになるようなことは起きなかったよ?」
「それは……もう一つ道具が必要でさ……」
スイコウは《ツインズミラー》の下側に設けられた、例のリングに指をかけて、それを引っ張る。するとジャコンとそこがスライドしてカードスロットが現れ、一枚のカードが目についた。
「この《ツインズカード》……これは僕の《レター・フロム・ブラックワールド》の情報が入ってるやつなんだけど……これとセットで使わないと、《鏡装》は発動できないんだ。ヒッテくん、これ持ってないよね?」
「うん……今存在知ったし。なんかそれ、特撮ものとかアニメとかに出てきそうな見た目だね……」
カードの面には、スイコウの《ツインズ》である、《レター・フロム・ブラックワールド》の姿、すなわち全体で万年筆を模した槍の姿が、古代遺跡の壁画のようなタッチで描かれていた。
「入手経路が結構複雑で面倒くさいから、ヒッテくんの分は僕だけじゃ用意できないんだけどさ……」
「全然いいよ……別にあんな感じになりたいわけじゃないし、そもそも僕は自力で変身できるから……」
ヒッテは左手を鬼のものに一瞬変化させて言った。それを見るなり、スイコウは「それもそうか」と言いつつ、《ツインズミラー》と《ツインズカード》を懐へとしまった。
「……ルリ、もう離れてもいいんじゃない?」
「話は聞いてるよ?」
「そう言う問題じゃなくてさ……なんていうかさ、これから真面目な話するところだから、ルリも真面目に聞いてほしいなって……」
「私はずっと大真面目だ! 大体、まず咎めるべきなのは、そこにいる痴女の方じゃないのかい!? どう見てもふざけてるだろっ!」
「なんであたしに飛び火するんでしゅかぁぁっ!?」
突然ルリに敵意を向けられたエントレは、屋内だと言うのに手にした大鎌を振り回しかける。スイコウが落ち着くよう促すと、なんとか彼女は平静を取り戻した。
「ごめんなしゃい、スイコウのお友達しゃん……あたしはあんまり人と話すのが得意じゃないんでしゅ……」
「だろうね」
「今のはさすがにひどくないでしゅか!?」
スイコウが「まあまあ二人とも……」と諌めようとしているのも気にせずに、ルリはエントレに対して攻撃的な姿勢をやめない。
「私がスイコウの心配をし続けている間、どうせ君はその破廉恥な格好でスイコウの若い心を煽り続けていたんだろう、この変態女!」
「あっ、あたしは《焚書図書館》の『閑散』の《ツインズ》能力者、エントレ・レギュレイトでしゅっ! この格好はあたしの《ツインズ》、《ユー・マスト・ゴー・アウト》の力を高めるためのものなんでしゅ、あたしが好きでこの格好してるって思わないでほしいでしゅっ!」
「ちょっ、ルリ、エントレ、もうやめてって……!」
「……スイコウ、南無三」
完全に女子の喧嘩に巻き込まれてしまったスイコウに向けて、アクトは手を合わせた。
「……てかテメェ、そんなことしてる場合か? わざわざアタシらのとこに来た理由、まさか忘れてるんじゃねーだろーな」
「あっ、そうだよそうだよ! 僕らが今すべきなのは作戦会議! ありがとう……その……お姉さん?」
「メア。メア・ヒュノプスだ」
思わぬ助け舟によって板挟みを抜け出した(ついでにルリも剥がすことに成功した)スイコウは、テーブル席にルリたち五人を座らせ、自身はその隣にエントレと立つ。ルリからエントレへの威嚇は相変わらず続いていたが、とりあえず今は無視することにした。
「早速だけど、まずはチーム分けと場所の振り分けについて……」
《3》
「いやぁ、まさか私にも死を体験する日が来るなんてねぇ〜、しかも敵だった『不殺人鬼』に助けられるとは! これは奇妙な縁だ、アハハハハ、ハハハハハ!」
おおよそ正気とは思えない笑い声を上げながら、フウリンは棺に腰掛けてている。その体には一切の傷はなく、フェニックスの再生能力の高さを示している。
対するジンはげっそりとした表情で、真っ白に燃え尽きたような大勢で棺に腰掛けている。よく耳を済ましてみれば、「俺一回死んだんだよな……信じられないって……」と呟いていた。
「……」
そんな二人の様子を見たヒロは、これまた神妙な表情だった。さっきまで真面目に悩んでいたのを小馬鹿にされたような気分で、どうにも腑に落ちない。なんというか、蘇生された二人のリアクションが思っていたシリアスな感じとはかけ離れていたので、微妙な顔をせざるを得ない感じだ。
「……ごめんなさい、ヒロさん。この二人がうちの組織の中でも、ちょっと多めにネジが外れているということを忘れていました……」
アサカゲもアサカゲで頭を抱えている。ヒロの悩みに真剣に向き合う機会を奪ってしまった罪悪感か、はたまたこの二人は本当にこの方法で助けるべきだったのかとか、とにかく今の状況をよろしくないと考えている感じで。
とにかくヒロとアサカゲは、ジンとフウリンが蘇生された直後からこんな調子で興醒めだと思っているというのが妥当だろう。
「……でもねぇ、『不殺人鬼』クン。君への感謝を忘れているというわけじゃあないからねぇ。君がいなかったら、私はこれ以上スクープを撮れなかったわけだしぃ?《焚書図書館》に身を置くものとしての責務を果たせなかったわけだしぃ? そりゃ感謝しないと失礼だし、感謝してもしきれないよぉ」
独特な話し方のせいで頭に入って来にくいが、フウリンはヒロへの感謝を正直に述べたようだった。
「ほら、ジン。君も『ありがとう』くらい言ったらどうなんだい?」
「うう、その……ありがとうございました……あと……その節はお友達を傷つけてしまい、本当に申し訳ないです……」
ジンの方もあまり乗り気ではない感じではあるが、感謝に加えてスイコウの騒動の時のことを謝った。
「……別に、頼まれてやっただけですから……」
ヒロもヒロで素直にはなれなかったが、返事だけはしておいた。
その様をうんうんと頷きながら見ていたアサカゲは、メガネの位置を直すと、表情を《焚書図書館》の剣士としてのものに変えた。
「……さて、フウリン。私はあなたに聞かなければならないことが山ほどありますので、あとで部屋に来ていただけますか?」
「え〜? 別にここで話したっていいじゃないか、ど〜せこの少年も出撃させるつもりなんだろ〜?」
「なぜそれを……まあそれはそうなんですが、何せうちの組織は秘密主義ですから、体裁だけでも整えておかないと。それに、フウリンさんは何を漏らしてもおかしくない人なので」
「例えば何だい? クソとかかい?」
「下品ですよ……そうじゃなくて、秘密です、ヒ・ミ・ツ!」
「クソもある意味秘密にしたいことだろうよ、アハハハハ!」
「アサカゲさん、多分こいつもう何も聞きませんよ」
「ジンさん諦めないでください、これは《焚書図書館》の存続に関わることなんですから」
「ほらほら頑張りなよ、ジン〜?」
「フウリンさんあなたが言わないでください!」
「……ふっ」
三人の大人のものではない笑い声が、一際目立って三人の耳に飛び込んだ。小さいが、貴重なもののような気がする笑い声。すなわち、ヒロのものに他ならなかった。
「『不殺人鬼』……君ぃ、私たちのことをバカだと思っただろー! 年上を軽蔑しちゃいけないんだぞーッ!」
「いや……他の二人はまだしも……フウリンさんは尊敬には値しない感じがしてしまって……」
「丁寧な口調でなーに失礼なこと言っちゃってるんだい! あーあ、フウリンさんは拗ねちゃいましたー!」
「ヒロさん話をややこしくしないでくださいよ! これから籠目市の存亡と《ツインズ》能力者たちへの社会の認知に関わる大事な話があるというのに……」
「うるさいよアサカゲ! 私はこのガキにぎゃふんと言わせるまで話はしないからな!」
「でかい小学生みたいですね……」
ヒロは口先ではそう言ってみたが、実際にはそれとはまた別の感想を、頭の中に浮かべていた。
それはフウリンとジンの関係性が、ルリとスイコウの間にある関係に似ているかもしれない、というものだ。フウリンとジン、ルリとスイコウ。二組とも、「振り回す女」と「振り回される男」という構図が完成している。もちろん多少の違いもある、むしろ違いを探したほうが早いだろうが、どことなく輪郭だけ取ったなら、この二つは似ていると言えないだろうか。
それから連想するように、写絵風鈴という人間には、稲葉瑠璃に似た性質が宿っていると思えるようにもなってきた。大袈裟な口調然り、何かに取り憑かれたように魅了され、それを中心にして生きているような雰囲気を持っている点然り。
だが両者を分かつ上で最大の違いは、恐らくその身に纏う熱気、狂気が、天然物であるか養殖物であるかだろう。ルリの持っている狂気は、彼女のキャラ付けによるものだ。現にヒロは彼女の鉄仮面とでもいうべきキャラが剥がれる瞬間を目撃している。だがフウリンはどうだ、初めて見かけた時から一切変わらない、安定した狂気を見せている。恐らく彼女は物心ついた時からこうで、この先もずっとその狂気と付き合っていくに他ならないのだろう。
人間観察の面白さを、久しぶりに思い出したヒロだった。
「もう一回死んでもらった方がいいですかね……フウリンさん?」
「ふっ、『不殺人鬼』!? その剣は一体どういうつもりなんだ、待て待て、冗談だよな!? やめてくれっ、私はもう死にたくないッ!」
「あなたが言うとそのセリフも軽く聞こえますね」
「いやだーッ! ジン! 助けてくれーッ!《ゴシップ・オーシャン》、君でも構わないからぁーッ!」
どさくさに紛れて、フウリンは自らの《ツインズ》を呼び出そうとした。だが、彼女が頭に描いた、たくさんの新聞記事が貼り付けられたスクラップブックは現れなかった。代わりに、ズタズタに引き裂かれた紙屑が、彼女の手のひらから湧き出てきた。
「……え?」
その瞬間、比較的暖かかった空気感が、ピシャリと凍りついた。
「待ってくれ嘘だろ?《ゴシップ・オーシャン》? まさかこれが、この紙屑が《ゴシップ・オーシャン》だとでも言うのかい? 私が死んだからか? なあジン、君の《リバイバル・チャリオット》はどうなんだ? 仮にこれが私の死を原因としているならば、君の愛車もスクラップになっているはずなんだ」
「え? ……『グレン』は変わらず俺の中にいるよ、今も俺と一緒に生き返ったってはしゃいでたし……さ」
おそらく『グレン』と言うのが彼の《ツインズ》の真の名前なのだろうが、フウリンはそれを聞いてさらに絶望に追い込まれた。
「まさか私だけか?《ゴシップ・オーシャン》だけなのか? ……つまり、あのデカハンマー男が《ゴシップ・オーシャン》に致命傷を負わせたと? ……ははぁなるほどねぇ、ふざけるなよ、ふざけるなよあのクソヤンキーがァッッ!」
フウリンは苛立ちに任せ、座っている棺を殴る。「ドゴン!」という渇いた音がよく響いた。
「ああ、苛立ちと共に記憶が蘇ってきたよ……ジンが殺された後、あいつは私に迫ってきた……あの野郎ォ、私が武器になる《ツインズ》を持っていないと察するや否や、ハンマーを捨ててステゴロで私を……ハハハハ! そうだ、私は殴り殺された! 必死に頭を守ろうとして、咄嗟に《ゴシップ・オーシャン》を盾にしてしまって、そのせいで《ゴシップ・オーシャン》は……ハハハハハハハハ!」
狂った笑い声を上げるフウリン。彼女はどうやら、どの感情が昂ったとしても、その全てが笑いに変換されて表に出てくるタイプの人間らしい。
「お前、落ち着けって……」
「落ち着ける訳がないだろうジン、私はも〜う限界だ、我慢ならないねぇ! ジン、アサカゲ、あとそこの『不殺人鬼』! 今すぐに私の《ツインズ》の敵討ち、ついでに私を殺した件のセルフ敵討ちに付き合ってもらおうじゃァないか! さっさとあの無駄にいい顔面を潰してやろう、そうだそれがいい……ハハハハハハッ!」
「フウリンさん、その前に聞かなければいけないことがあります」
同胞の狂気を真正面から受けても、アサカゲは冷静さを崩さずにその問いを投げかけた。それがアサカゲの職業故なのか、彼女とそこそこの付き合いがあったからなのかは分からないが、随分と狂気のいなし方を心得ているようだった。
「あなたを殺したその男は、自らの名前を名乗っていましたか? もし知っているのであれば、聞かせていただきたいです」
「ああ……忘れないさ……忘れるわけがないだろう……? 私を好き放題殴った後で、ちぃーっちゃく名乗ってたあの名前……ピアスをジャラジャラつけて、鎖骨にタトゥー彫って、全身が『ガラ悪いですよ』って主張してる、あの男の名前は……ッ!」
《4》
籠目市の北東部には、小規模ながらも工業地帯が存在する。主に食料品の工場が立ち並んでいるそのエリアには、現在は使われていない工場の亡骸も、もちろん多数存在している。
その廃工場のうちの一つに、不自然に人が集まっていた。
「この……裏切り者がァァァァッ!」
激しい「バゴン!」という衝突音がしたかと思えば、次の瞬間には地面さえ揺るがすような歓声が湧き上がる。
「すごいすごい、すっごいよ! 流石私たちのヤブヘビさんだぁ!」
そのうちの一人、犬用の首輪を身につけた少女が飛び跳ねながら手を叩き、目の前で繰り広げられる激しい戦いに歓声を上げる。
殴り合っているのは、二人の青年。少女が応援するのは、たった今喧嘩相手の顔面に深々と拳をめり込ませた、有利に立ち回っている長身の青年の方だ。
細身ながらも筋肉質な体格が目立つ、タイトなジーンズと黒無地のスウェット。大きく開いた襟元からは、鎖骨に刻まれた這う蛇のようなタトゥーが覗き見える。大量に身につけた銀のチェーンピアスと共に揺れる、清潔感のないボサボサの黒髪。その下では、濁りきった緑色の瞳が見開かれていた。
「俺らを裏切った罰だよ。その痛み、しっかり味わえよな」
鈍い緑の瞳の青年はニイィと口を歪め、大量に鼻血を流して気絶するもう一人の青年へと、その言葉を吐き捨てる。それを合図に群衆の中から二人ほど別の若者が現れ、血みどろの青年を担ぎ上げてどこかへと運んで行ってしまった。
「ふぃー……まっさかこん中に逃げようとするヤツがいるなんてねぇ……。生半可な覚悟でついてくんなってあっれほど言って——」
「——ヤブヘビさぁぁぁん!」
「おわぁッ!?」
青年の腹に衝撃が襲いかかる。興奮を抑えきれなくなった首輪の少女が、体当たりするようにして青年の体に抱きついたのだ。
「モカ……今はやめろ……まだ傷が痛ぇんだからさぁ……」
「え〜? いーじゃないですか〜♡」
モカと呼ばれた少女は、青年の話を全く聞かないで抱きつき続けている。青年は呆れ顔を見せつつも、それを引き剥がすつもりはないようだった。
青年の名は、ヤブヘビ。千賀藪蛇。
「モカ……テメェあんまベタベタしてっと、《コンカッション》で吹き飛ばっぞ……って、やっぱ聞いてねぇな」
彼がちらつかせたのは、彼の体に宿る、緑の宝石で構築されたハンマーの姿を持つ《ツインズ》の名前である。
これらが意味することはただ一つ。この男こそが、《焚書図書館リコール》の精鋭二人を破った、『震撼』の《ツインズ》能力者である。
「にしてもよぉ、まーだ《羊飼い》からの連絡は来ねぇのかァ? そろそろ痺れが切れちまうっつーの……」
ヤブヘビは、自らを《羊飼い》と名乗る何者かからの連絡を待っている。ここにいる若者たちは全て、《羊飼い》からの誘いを受けて集まっているのだ。その内容は簡単に言えば、「闇バイト」である。
応募する条件は《ツインズ》を宿していること、ただ一点。それが売り物の型落ちだろうと、生まれつき宿しているものだろうと関係ない。《羊飼い》の提示する目的さえ果たせれば、何をしようと構わないのだ。その目的とは——
——籠目市のインフラの壊滅。
雇い主である《羊飼い》は言う。籠目市は土地が特殊で、そこで生まれた者、越してきた者、あるいは一度でも訪れたことのある者は、普通の人間と比べて、《ツインズ》を覚醒する確率が格段に跳ね上がる。これ以上、《ツインズ》能力者——自らと同じ罪を背負った人々を増やしたくないのであれば、私に協力して欲しい、と。
つまりは籠目市を「住めない土地」にすることで、《ツインズ》能力者の局地的な発生を抑え、今以上に《ツインズ》絡みの犯罪や事件が起きないよう抑制することが目的だという。
だがヤブヘビ自身は、金に釣られてやってきただけで、れっきとした《羊飼い》の恨むべき人間、すなわち《ツインズ》能力を使った犯罪、しかも殺人に手を染めた人間だ。
それが経歴を調べることもなく審査を通った上、このバイトのリーダー……つまりは、何十という能力者を率いる軍隊長の地位を任されるのは、筋が通っていないようにも感ぜられて落ち着かない。
これからすることも、端的に言えば「街の破壊」、《羊飼い》の恨む異能力を用いた犯罪に他ならない。考えれば考えるほど、この話には裏があるような気がしてならないのだ。
しかしそんな疑いも、莫大な報酬の前では眩んでしまう。具体的な金額は成果によって変動するため伏せるが……保証されているだけの金額で、「軽自動車の本体代は賄える」と言えば、どれほどのものか想像できるだろうか。
普通なら疑うどころかバカな話だと突っぱねるだろうが、少なくとも《ツインズ》の存在を知っている時点で、《羊飼い》が裏の商人であるか、彼自身が《ツインズ》能力者かの二択で確定なのだ。ただものではないことは前提で、その上でその金額を話しているとなると、能力者たちにとって信憑性は跳ね上がる。
(——ま、好きなだけ暴れていーぞーって言われるだけで舞いあがっちまう、バカなとこがあるのは俺らも認めるけどよォ)
「……ハッ」
ヤブヘビは自嘲気味に笑いを浮かべた。そのタイミングで、
——ヴーッ、ヴーッ。
彼のズボンに突っ込まれていた携帯が震え出した。
(——ようやく来たか)
ヤブヘビはディスプレイに表示された登録名を見る。確かに「羊飼い」の三文字がそこにはあった。
「——随分遅かったじゃねぇか」
『申し訳ありません、皆様。少々予想外の事態が立て続けに起きましてですね……しかも、特別危険視していたことが』
「……『不殺人鬼』か」
『おお、よくお分かりで』
「この街で何かしら犯罪やろうって言うんなら真っ先に浮かんでくるのがそいつだろうよ。この町の能力者はな、警察は大して怖がってねぇくせに、そいつの名前が上がると一瞬ピリつくんだよ」
『ええ、確かそうでしたね。……実は昨日、駅周辺の監視カメラの映像に、『不殺人鬼』と思しき人影が数ヶ所に渡って映り込んでいたんですよ。何やら別の二人に介抱されながらという、『不殺人鬼』らしからぬ弱々しい姿ではありましたが』
「見間違いの可能性はねェのか?」
『それも疑いましたが、現地に赴いて特殊な方法——詳しい方法についての言及はできませんが——で痕跡を探ったところ、それが『不殺人鬼』のものであるとはっきりわかる結果が出まして……』
「へぇ、なるほどねぇ。んで、作戦の決行はどうするつもりだ。『不殺人鬼』が出たって言うんなら……まさか、計画を取りやめるんじゃあねェだろうなァ?」
『そんなまさか、計画はもちろん行うつもりでいます。しかし、少々改善すべき点が見つかりましたので、集まってもらった所悪いのですが、今日行うのは厳しいかと思われますので、お帰り頂けると助かります』
「おいおい、わざわざ市外から生活費を切り詰めて来た奴がいるってんのに、雇い主としてそれは無責任なんじゃねェのか?」
『その点についてはご安心を、私の方で止まる宿を手配しておきました。後で使者を向かわせますので、それまではその場でお待ちください。あと、ヤブヘビ様のようなこの市にお住まいの方、もしくはこの市近辺にお住まいの方にお願いなのですが……』
電話の向こう側の《羊飼い》は、笑っていたかもしれない。
『少し、狩ってほしい輩が増えましてね』
《5》
「千賀、千賀……千賀藪蛇……」
氷渡凍路はキーボードを叩く。あまりに打鍵が早いために、その連続する音は一つの音のように感じられた。
アサカゲが『不殺人鬼』の捕縛、およびジンとフウリンの蘇生に成功したという吉報と共に、流れ込んで来た新たな仕事。それが「千賀藪蛇」と言う男について調べることだった。
この手の仕事は、あまり心踊るものではない。ハッカーとしては、もっと大きなサーバーをクラッキングによって麻痺させたり、敵の情報網を潰したりといった派手な仕事がやりたいものだが、「隠密行動」を第一とするこの《焚書図書館》において、そういった大規模な攻撃を行うことは滅多にない。せいぜいSNS上に書き込まれた《ツインズ》の目撃証言を、リツイートごと一斉削除する程度のことが限界だ。それすらも、ここを統べる《サイダーズ》第六座の手にかかれば簡単に為せる技。
「結局僕は雑用止まり……ん?」
何となくメランコリックになっていたトウジの指が止まる。彼は今、千賀藪蛇の所持する、電子メールやゲーム等のアカウントから彼の全容を探ろうとしていた。だがそんな中で、彼がSNSに投稿した内容が、一際目立って彼の目に留まったのだ。
「これは……へぇ、なるほど……まさか……そういう感じか」
直前まで述べていた内容に、一つ誤りがあった。
彼にとってこの手の仕事は、あまり心踊るものではない。その理由は、そういう仕事は知りたい情報を検索するだけの作業で、驚きや発見のようなものは少ないから、というものだ。
しかしそれにも例外はある。その「例外」が、彼の目に映り込んだ。
「……うわ、全部繋がっちゃったよ。やっぱり、フウリンは『持ってる』タイプの人間なんだな」
——《焚書図書館》は、以前よりある計画を追っていた。
《羊飼い》と名乗る謎の人物がSNSに発信した、《ツインズ》能力者のみを対象にした闇バイトの誘い。詳しい内容は応募した人間しか分からないようになっていたため、クラッキングによって無理やりこじ開け確認したそれは「籠目市のインフラを潰す」こと。
まさに今日、その計画が行われようとしていた。だが、それは中止された。原因は、『不殺人鬼』が籠目市に戻ってきたため。それを、他でもない千賀藪蛇が、《羊飼い》に代わり宣言していたのだ。
しかし、計画そのものが道半ばで終わったというわけではないようで、彼の手によって新たな指示が為されていた。
「スイコウ、これ聞いたら倒れるかもしれないな……」
そこには、見覚えのある名前と共に、「駆除対象」の文言が並んでいた。人間を相手にしているとは思えない、侮蔑的な表現だった。
その多くは、《焚書図書館》に属するものの名前だった。何を以てして調べ上げたのかは分からないが、どうやら彼らの狙いは《焚書図書館》の殲滅、つまりは計画の邪魔になる不安要素の排除にあるらしい。
しかし、その名だたる強者たちに混じって、どの《サイダーズ》の下にも属していない……と言うのは適切ではないが、組織に属していない《ツインズ》能力者の名前がそこにはあった。
「……スイコウ。今どこにいる」
固定電話のような形の通信機器を用いて、トウジは同胞へ連絡を飛ばす。程なくして、相手から返答が返ってきた。
『どこって……ルリのところだけど』
「奴らの狙いが変わった、計画は中止だ。でも、お前はそこにいろ」
『ちゅっ、中止!? え、でも説明も済ませちゃって、みんなやる気満々で待機してたところなんだけど……その、《羊飼い》の狙いが変わったって、一体あいつは何するつもりなのさ!?』
モニターに表示されたリストのうち、《焚書図書館》に属さない者の名前を凝視しながら、彼は受話器へしっとりと宣言した。
「日暮飛路、稲葉瑠璃。この二名が、殺害対象に設定された」
『……え?』
「《羊飼い》は、この二人を絶対に潰そうとしているらしい」
『……日暮飛路はまだ分かるけど……なんで……ルリまで……?』
「とにかく、稲葉瑠璃のことはお前が護衛しろ、いいな」
『……』
凍てつくような空気感が、受話器越しに二人の間を対流していた。
風邪を引いちまって絶賛不調中のクロレキシストです。執筆は辞めませんけどね。
というわけで双生のインプロア、怒涛の毎週更新・三週間目です。これいつまで続けるつもりなのかというと、ざっと三月末までは続けようかなと考えています。いつもの二倍のペースで、あと二ヶ月連載が続くんですよ。読者の皆様、三月までは日曜日の体力を多めに取っておいてくださいね。
本編の内容に触れますと、二話前から仄めかされていた《鏡装》が実際に披露されたことと、ヒロとルリが狩りの獲物にされてしまったことが大きなことですかね。
《鏡装》は、私がこの小説のインフレを防ぐため+怪人化が趣味だからという理由で生まれたものです。まだ戦闘描写がないのでぼかしてお伝えしますが、《鏡装》はいわば「能力強化」の一つの形です。宿主の地のスペックを上げつつ、能力も強くする。それにより、デフォルトで強力な能力者を作らずに済んだり、弱い能力者も善戦できるようになったり、他には俗に言う「レイドボス」的な一対多、多対一の戦闘を描きやすくするためのものなのです。もちろん登場させる以上、見た目も(挿絵がないので言葉だけになりますが)こだわるつもりでいます。
ルリちゃんが殺されそうになってる理由は……おいおい語るとしましょう。
と言うわけで、今日の雑談はここまで。次回はスイコウくんが活躍する予定です。では、また来週。