EP13:漆黒と梟と打ち破られた平穏
※新章突入です。
《1》
眠りについたヒロは、底のない暗闇の中で目を覚ました。
(——やっぱり、フェニックスはいないか)
ここは彼の夢の中……といっても堂々「夢」と言えるほどの要素が集まっているわけでもなく、深い深い眠りに落ちた時に見える虚無の中に投げ出されたようでもあった。
上も下も分からず、重力も存在しない。水中に漂っているような、風に飛ばされているような感覚。かといって肌を撫でるような感覚すらも存在せず、本当に「何もない」としか言いようがなかった。
昔、「五億年ボタン」という話を聞いた記憶がある。恐らくどうでも良い記憶すぎて喪失を間逃れたのだと思われるその物語には、「押しただけで数千万円が手に入るボタン」が登場する。
そのボタンを押すと、何も感じず、何もなく、何も消耗しない暗黒の空間に投げ出され、五億年を耐えさせられる。もちろん、「何も刺激がない」という人間史上最も耐え難い苦痛によって、ボタンを押した人間の精神はすり減り、やがて発狂してしまう。
なのだが、五億年の刑期が終了した直後、その五億年の期間を耐え抜いた記憶は消失してしまう。それはボタンを押した人間の主観的には、ボタンを押した直後に数千万円が手元に現れたように見えている。
これは、ヒロ自らにも言える事だろう。この暗闇で何を考えようとも、目を覚ました時にはきっと、その全てを忘れている。唯一この話と違うのは、目を覚ました時には何の利益も生まれていないということ。せいぜい、「疲れが取れる」程度の些細なものだろう。
(——今何かを考えたところで、無駄になるんだろうな)
ヒロは夢の中で目を瞑る。目の前に広がる景色は暗黒のまま変わらないが、こっちの方が安心すると感じられた。その格好は眠りにつくようで、彼は夢の中でさらに眠ろうとしているようだった。
「……フェニックス」
寂しげに、声にならない声が漏れた。
《2》
不死鳥の奴隷は目を覚ました。
夢を見ない眠りは、「何もない夢」を見た眠りは、新鮮だった。
「……?」
だがそれ以上に、違和感があった。
(——静かだ、それも不気味なくらいに)
ヒロの鋭敏な聴覚が、己以外の音を感じ取らない。足音、呼吸音、心音、自分以外の生者の音が、全くしない。昨日の晩の馬鹿騒ぎが嘘のように、静かなのだ。
ヒロはベッドから降りて、壁にかけてあった上着と帽子を身につける。着慣れた服からは、微かに鉄の香りが漂っている。それが自分に由来するものであることは、最早説明する必要もない。
玄関まで来ると、これまた履き慣れた靴を履く。数ヶ月も履いたままだったはずなのにこれといった消耗が見られないのは、ヒロの使い方が良いわけではなく、不死鳥の血を浴び続けたがために、その再生能力を受け継いでしまったというだけだ。
久しぶりに靴紐を結び、ヒロは扉を開けた。外は晴れていて、過ごしやすそうな陽気だった。その日の光の下で——
——メア・ヒュノプスが倒れていた。
「……ッ!?」
ヒロは息を呑んだ。ついこの前まで、彼を悪夢の中に拘束していた赤い刺客は、隠していたはずの翼を陽の下に晒し、その場にうずくまるようにして息絶えていた。
死因は恐らく、両目を斬るように疾った一文字の傷。彼女の能力のトリガーとなる真紅の瞳が潰されていて、そこから「血の涙」とでも形容するのが相応しいような、大量の出血が確認できた。
彼はすぐさま、その冷たい肉体に触れた。筋肉はまだ柔らかい、死亡してからそこまで時間は経っていないらしい。
(——フェニックスの意思はないけど……使えるかな……)
ヒロはすぐに、自分の親指を口の中に突っ込み、その腹を犬歯で刺した。じわりと鮮血が溢れ、生温さが指を伝う。
「《スーサイド・フェニックス》、この悪魔にもう一度生きる資格を!」
血の滲む親指を、彼女に押し当てる。すぐさま緋色の炎が悪魔の体を包み込み、その体に温もりを取り戻させた。
(——息はしてる、脈もある、成功だ)
ヒロはそっと、彼女の体を床に寝かせる。
(——この調子だと多分……他もか……?)
その時のヒロは嫌に冷静だった。急いで一階の店に降りる。ヒロの想像通り、そこには凄惨な光景が存在していた。
(——ルリ、ヒナギ、アクト、ヒッテ……全員やられてる)
ある者は背もたれに体を預け、ある者は床に倒れている。昨日の馬鹿騒ぎの片付けは昨晩の間に終わっていたが、今ヒロが見ている店内は、あの時以上に散らかっていた。主に、四人の少年少女から垂れ流されたモノによって。
(——四人とも両手首を斬られてる……さっきのメアは眼を斬られてたから、《ツインズ》を発動する箇所を真っ先に潰した、ってことなのか……? だとしたら相手は、相当能力者相手に戦い慣れてるな)
血の赤を見る度に、焦燥が治まり、感情が冷え切る。ルリの感激したあの表情ができなくなっていく。本来彼がいるべき場所にいた時と同じ、嗜虐的にして非情なあの顔が出来上がっていく。
「《スーサイド・フェニックス》、この四人を蘇らせろ」
四滴の血液を、それぞれ一滴ずつ四人へと飛ばす。すぐさま血液は燃え上がり、四人の《ツインズ》能力者に息を吹き返した。彼の姿はまるで流れ作業をこなすようであり、おおよそ人命を扱っているようには見えなかった。
「……っ」
そんな自分の冷たさに気づいて、ヒロは歯噛みした。「人間」から遠ざかっていく、自分の感覚が憎い。そして同時に、それを受け入れざるを得ないと考えている自分のことも、憎くて仕方なくなった。
だがそんな自分の内側のことにだけ拘り続けるのも、今の状況では無理だというのも確かなこと。
(——五人が殺されてからそう時間は経っていない。だったら、殺したやつもまだ遠くには行ってないはずだ)
フェニックスに体を乗っ取られていた時の感覚を、ヒロは体に思い出させた。それはフェニックスが使っていた、「生命力探知」を使うためだ。あれがあれば、相手が隠れていても場所を炙り出せる。
ヒロは眼を閉じてイメージする。自分の肉眼の視界に重なるようにして、サーモグラフィ状に生命力の有無を示す色彩変化が現れる様子を。眼に向かって血が集い、彼に新たな視界を与える様を。
「こうだっけ……なッ!」
そして「カッ!」と、その双眸を大きく見開く。そこには彼本来の焦茶色の虹彩ではなく、不死鳥の血に由来する緋色の瞳が備わっていた。どうやら、発動は成功したようだ。
今のヒロには、生命力を持たないものは黒ずんで、生命力を持つものは明るめの赤系統の色に染まって見えている。たった今蘇らせた四人はやや薄めのオレンジ色で映っている。蘇生直後ということもあり、そこまで生命力が強いわけではないが、確かに息を吹き返したことが文字通り目に見えて分かった。
生命力はシルエットとなり、物体を貫通して観測することを可能にしている。少し視線をあげて調べてみれば、二階で倒れているメアの姿も観測できた。
そして店の出入り口に視線を移した時に、「それ」は見えた。
「……誰と誰だ」
ヒロはドア越しに見える、二つのシルエットに向けて問うた。大きい声ではなかったが、十分な殺意がこもった声。それが明瞭に壁の向こうに届かなかったとしても、「何者かが殺意を向けている」とははっきり認識できるほどに圧のある、ドスの効いた声だ。
片方は、ミイラのように全身に包帯を巻いているような、その端をぷらぷらと垂らしたシルエット。その上にパーカーとホットパンツを身につけているようだが、どうにも奇怪に見えて仕方ない。
もう片方は、かなり長身な男性だ。ドアの大きさと比較してなんとなしに推測してみても、百八十センチ後半から百九十センチはあろうという背丈で、おそらく正面のドアも少し屈まなければ頭をぶつけてしまうだろう。だがだからといって、屈強な印象は与えてこない。スラリとした体格は、いわゆる「モデル体型」と言えば良いだろうか。
こちらの動きに気づいたのか、男性のシルエットが動く。のぶを掴んだかと思えば、「キィ……」と軋む音を立てながら、ドアがほんの少しだけ開いた。
「……さすが第一座、肩書きに恥じない力を持っているようですね・……汎用性に優れた力だとは聞きましたが、この短時間で死者蘇生、生命力探知と、全く異なる二つの力を披露してくれるなんて」
「……どうやって今の様子を観察していた」
「簡単です。皆様を最初に攻撃した際に、店内に監視カメラを複数仕掛けさせて頂きました。勝手な真似を、どうぞ許してください」
ドアがまた少し開いた。その隙間から流れ込む朝の空気は肌寒く、緊張感に汗ばむヒロの額から熱を奪う。
「……謝るくらいなら、とっとと顔を見せろ」
「おお、そちらから私の姿を見ることをご希望と……一人の《ツインズ》能力者として、その祖に呼ばれるとは光栄ですね……では」
ドアが一気に開く。
「謝罪代わりの一太刀をどうぞ」
どこからか「パァン!」と、風船が割れたような音が鳴り響く。それが電車がトンネルに突っ込んだ時のような、空気抵抗によるものだとヒロが気づく前に、その思考は両断された。
「自己紹介が遅れましたね、日暮飛路さん」
一拍遅れて、男の姿が背後に現れ、店内に突風が吹き荒れる。倒れる少年少女の髪を揺らし、テーブルに備えられた紙ナプキンが、ひらひらと舞い上がる。
そしてヒロの首筋に、横一文字の赤い線が現れた。
「私の名前は進藤朝景と言います。普段は籠目市の教育相談所でカウンセラーをしていますが……今は少し事情が特殊でして」
スッ、とヒロの首がずれる。やや斜めに切られたため、その断面と重力に沿って、彼の首が落ちてきているのだ。
「《焚書図書館リコール》を構成する一人、『排他』の《ツインズ》を宿す者として、今日はヒロさんの元を訪ねさせていただきました」
アサカゲは左腰側面に構えた漆黒の鞘に、同じく漆黒の日本刀を、あえて「カチン」と音を鳴らして収めた。
「いきなりの致命傷失礼しました、痛かったでしょうか?」
ボトリ、とヒロの生首が地面に転がった。
「……案外、呆気ないですね」
《3》
ヒロはかろうじて機能していた視覚によって、自分が生首になったことを知った。だがそれは実感を伴っていない、そういう情報を受け止めただけの状態で、彼が「自分は首を斬られた」と理解することとイコールにはなっていなかった。
「アサカゲしゃん……何やってるんでしゅか!?」
慌てた様子で、何やら破廉恥な格好をした少女が駆け込んでくるのが見えた。全身に通行規制テープをぐるぐる巻きにしたその少女は、ヒロの首を討ち取った男へ叫ぶ。
「『ターゲットは生け捕りだ』って話だったじゃないでしゅか!」
「エントレさん。私は確かに、『不死鳥』を生け捕りにしましたよ」
「何言ってるんでしゅ、首を斬られても生き続けられる生き物なんて、この世のどこにも存在しましぇ……あっ」
「今、理解しましたね」
「もしかして……《スーサイド・フェニックス》の能力のおかげで死なないんでしゅか、そいつ」
「そういうことです。より正しく言うなら、彼はどれだけ生命力を失おうとも、それと釣り合うどころかなお有り余るほどの生命力を、常に生み出しているのです。首だけにされようとも、死ぬことはありません。まあ、どちらかといえば『いつでも全身を再生できる状態にある』と言う方がいいですか……いわゆる『仮死状態』ですね」
ヒロの視界が高くなる。どうやら、アサカゲが彼のことを持ち上げたようだ。
「……脳が入っているだけあって、なかなか重いですね」
「うぇぇ……アサカゲしゃん、よく持てるでしゅね……」
「裏の職業柄、死体よりも悍ましいものを何度も見ていますので」
「おぇ、想像したくもないでしゅ……でも、さっきの話が本当なら、余計に不思議でしゅ。その生命力が《ツインズ》からくるものなら、アサカゲしゃんの能力で死んでないとおかしく無いでしゅか?」
「……私の《ノイジー・マイノリティ》にも、打ち消せるものと打ち消せないものがある。それだけの話ですよ」
アサカゲはヒロの頭を抱えるような格好に持ち替えると、
「さて、ここで寝ている人たちが起きる前に、早く図書館へ戻らないといけませんね。エントレさんはここに残って、引き続き人はらいをかけ続けてくれるんですよね」
「そうでしゅ……でも不安でしゅ……あたし戦いは苦手でしゅし、いきなり攻撃されたりしたら……」
「そこは安心してください、エントレさん。私と入れ替えで、手の空いている構成員が来てくださる算段になっているでしょう?」
「それは……そうでしゅけど……そっちが終わったら、早く戻ってきてくだしゃいね!」
「ええ、分かりましたよ」
その言葉を合図にしたのか、アサカゲの周囲に不自然な空気の流れが生まれる。彼を中心とした、渦を巻く風。今は春か夏かというところなのに、季節外れに冷たい空気が彼を包み込んだ。
(——この感じ)
男の手中の生首は、その風の感覚だけを、思考を伴って感じることができていた。徐々にその風に雪が混じり、視界を白く遮っていく。屋内ではまず聞けない、ビュウビュウという激しい風音。
(——スイコウの時と同じだ)
視界が完全に白に閉ざされた直後、吹雪の音を聞きながら、彼は目を閉じる。しつこいほどに味わわされた、意識の喪失が起こった。
《4》
メア・ヒュノプスは、急いで一階の店へと駆け降りた。
(——朝っぱらから何してくれてんだよ……ヒッテ、ルリちゃん、あと他の奴らも生きててくれッ!)
大きく「バン!」と銃声のような開閉音と共に、メアは《烏丸珈琲店》の中に飛び込んだ。
「テメェらァ! 全員無事か大丈……夫……か……?」
メアの言葉は一瞬で勢いを失った。彼女の瞳に、処理しきれないほどの情報が飛び込んできたからだ。
まず、今朝突然入ってきた、長身で漆黒の日本刀を持った男に斬り殺されたはずの四人が、服にこそ傷を負いつつも、本人たちは完全無傷の状態で立っていること。
今思えばメア本人も目を潰されて大量出血したはずなのに、こうして四人の姿を視界に収められている以上、何らかの人物——十中八九あの《サイダーズ》の器の干渉があったことは確かなのだが、そのあまりに強大な、そして生命の神秘を侮辱するようなその力に、理解がなかなか追いつかない。
そして次に、メアに背を向けるようにして立つ四人がまっすぐ見つめる先にあった二つの人影について。
片方は、随分と頭のおかしい格好をした少女。小柄で気弱そうな雰囲気のくせに、服装は通行規制テープミイラという変態にしか見えない格好をしている。そして少女は両手で抱きしめるようにして、本人と同じく通行規制テープでぐるぐる巻きにされた大鎌を持っていた。恐らく、あれは少女の《ツインズ》なのだろう。
しかし、彼女以上に目を引くのが、もう一方の人影だった。いや、あれは人ですら無いかもしれない。人間に近い姿をした天使や悪魔以上に、人間離れしていた。
まず、全身が黒い。黒ずくめの格好だとか、暗めの肌色をしているだとかそんな次元ではなく、黒インクを頭から被ったように、肉体が深淵を思わせるドス黒い色をしている。露出している手首から先、足首から先は硬質化しているのか、鋭い爪状の組織が、靴や手袋のようなシルエットを形成していた。
次にその服装。かろうじて人型のシルエットのそれは、人間用と思われる、白地に金のラインが入ったコートとズボンを着用していた。コートとズボンに入ったラインはマス目状になっており、さながら、趣味の悪い作文用紙のようだった。
これだけでも目を引くには十分なのだが、最後に、その頭部について。肉体の一部なのか装飾なのかは分からないが、後ろに靡くような髪型に見える何かが備わったその頭をしている。そして顔面にあたる部分には、下向きになった万年筆の筆先のような仮面を身につけていた。そしてその仮面の隙間から、畏怖を感じさせる金色の虹彩を持った単眼がギョロリと、縦に裂けた虹彩によって前に立つ四人を見つめていた。
「……最後の一人も目覚めたようだな」
人らしいのは形だけのバケモノが、メアをチラリと見て言う。ボイスチェンジャーでも使っているかのような、高音と低音が同時に聞こえてくる不気味な声の中には、どこか少年のような響きを感じられたように思えた。
「テメェ……何モンだ」
「今は答えられない。強いて言うならば、君たちを一度殺害した者、及び君たちを甦らせた友人を連れ去った者の仲間、としておこうか」
「……ッ! テメェ、ヒロを連れ去ったってことか!?」
単眼の怪物は頷く。あっさりとしたその様子は、メアの中のものを一気に噴き出させた。
「テメェ……アタシのせっかくの再就職先を何勝手に奪ってんだァッ!? 初めっから報告不能とかありえねェだろ!」
「……メア姉ちゃん、今はそれどころじゃないんだよ」
知っている声が彼女を静止した。ヒッテだ。
「……僕らを殺して、ヒロくんを連れ去って、好き放題してるこいつらが憎いのは分かる、僕だって今すぐにこいつを殴りたいよ……でも、僕らには別に、やらなくちゃいけないことがあるんだ……」
その声は震えている。ヒッテは何かを激しく堪えると同時に、何かを猛烈に恐れているようだった。そして他の三人も、同じ様子だ。
「まずは説明を聞いてもらおうか……エントレ」
「ひゃっ、ひゃい!」
エントレと呼ばれた例の規制テープ少女は、単眼の怪物に何かを差し出す。それはカラー印刷の資料の束で、何やら長ったらしい文言と共に、複数の写真やニュースの切り抜きが並んでいる。
「この四人はすでに目を通している。お前で最後だ、さっさと読め」
ヒッテの肩の上を通して渡された資料に、メアは渋々目を通し始めた。一枚一枚、何となく目を通していく。だが資料をめくる度にメアの顔色は変わっていく。最後の資料を見た後、もう一度最初から、今度は一文字も見逃さないようのめり込むようにして、彼女は資料を見直した。
そして二周目を読み終えると、彼女は顔をゆっくりとあげる。紅い瞳がはっきり際立つほどに、彼女の顔は青くなっていた。
「何だよこれ……この町、そんなヤベェ場所だったのか!?」
単眼の怪物は、またしても頷く。資料にあったことを踏まえると、そのあっさりとした返答ができるのは、とんでもないことだと感ぜられるようになっていた。
「実際、この一連の騒動のせいで多数の死者が出ている。……そしてその中に、僕達の仲間も含まれている。不死鳥の身柄を借りたのもそれが原因だ……強引な手を使ってしまったことを謝罪する」
怪物は頭を下げた。メアは咄嗟に頭を上げさせようとしたが、その言葉すらも喉からスムーズに吐き出せない。それほどまでに、メアの全身を、資料から得られた衝撃が支配していた。
「……君たち五人、不死鳥も含めた六人には、これから起こることになっている騒動を止めてもらう、仮にそれが間に合わなかったとしたら、その被害を最小に抑えてもらうための手伝いをしてもらう」
「……つまりテメェは、デケェ戦闘になるからテメェらも戦力になれ、って言ってんのか……知り合いとアタシを殺した連中の手伝いなんてしたくねぇが……手伝わねぇ理由より、手伝わねぇとヤベェって感覚のほうがデケェな……」
「……手伝ってくれるか」
「……全部終わった後、テメェらの親分ぶん殴らせてくれるんならやってやってもいーぜ」
メアは渋々、本当に渋々だが、友人の住む場所、自分が住むことになった場所のために、それを承った。
「……助かる。報酬はともかく、これで多少は勝ち筋が見えてくるだろう……僕は早速詳しい作戦を話すつもりだが、その前に聞いておきたいことがあるならば、今聞いてくれ」
「……私から一ついいかい」
震える手を挙げたのは、ルリだった。
「……何が聞きたい」
「これは、これから行われることではさほど重要なことでは無いかもしれないが、私個人としての士気に関わることだから答えてほしい……一つ目の君、君個人についてだ」
よく見れば、ルリは四人の背中を眺めるメアから見て、誰よりも強く動揺しているように見えた。それでもいつもの口調を維持しているあたり彼女の芯の強さが窺えるが、いっぱいいっぱいになっていることに変わりはない。
「君はどうして、そんな人間離れした姿に変わり果てているんだい」
ルリの震えが一段と大きくなる。「さほど重要でない」と前置きしたにも関わらず、自分の発言がとてつもない重みを持っているかのような顔をしていた。
「……紙魚、綴幸」
ルリがその名を口にすると、単眼の怪物は、穏やかに目を閉じた。
「——昔の監督相手に演技するのは、ちょっと難しかったか」
二重の声色が、その発言を境目に、一つになっていた。穏やかで怖がりで、でも優しくて、演技が上手い少年の声。
「あたりだよ、ルリ」
単眼の怪物——『黒塗』の《ツインズ》を宿す彼は、切なく笑った。
《5》
「——ッ!」
ヒロは瞬時に、振るわれた漆黒の刀から距離を取った。首の断面から全身が再生しきり、さらに寝起きに比べて判断力が冴えた今だからこそ、かろうじて避けることができた。
(——なんだよ……景色から推測するに、少なくとも現実でも《冥界》でも、話に聞いた《天界》でもない……まじでどこだよここ!?)
ヒロは着地ついでに周囲を見渡す。到底手の届かないところまでびっしり本が並んだ棚が立ち並び、ガラス張りの天井から見える空には、美しいが不気味なオーロラが揺蕩う異空間。
まず考察を巡らせたいヒロの邪魔をするのは、さっき彼の首を刈った青年——記憶から探ったところの、「進藤朝景」に他ならなかった。
「大人しくして頂けませんか、ヒロさん。私たちとしては、そうしてあなたに動き回られるのは時間の無駄なんです……話なら色々終わった後にしてあげますから」
「ここまで戦わせといてどの口が言ってんだよ!」
ヒロはアサカゲという青年のことを、限界まで警戒していた。その理由はたった一つ、彼の持つ漆黒の日本刀、つまりは彼の《ツインズ》……名を《ノイジー・マイノリティ》というものだ。
(——あの刀、ただの武器じゃない……いや《ツインズ》な時点でただの刀じゃないんだけど、それ以上におかしい……あれに斬られた時、明らかにフェニックスの再生が遅れてた)
ヒロの再生能力は、基本自動発動。その部位に傷を負ったり、部位ごと吹き飛ばされたりしても、数秒時間があれば血が生命力の炎を生み出し、何事も無かったかのように再生できる。
だがさっき首を切り落とされた際は、意識を失い、また目が覚めるまでの間、彼はずっと生首のままだったのだ。
確かに、頭と繋がっている部分を優先して再生する特性を持つ以上、首を落とされたならば全身を復元するために時間がかかるのは仕方がない。だがそれでもかかる時間は長くても十秒か二十秒程度、意識を失う前に再生は終わっていたはずだ。
それがあの刀に斬られたせいで、意識を失ってから首から下のことを考えるに至るまでの間、ずっと再生が発動していなかった。だとしたら、あの刀の刀身には、何か仕掛けがあるはずなのだ。
「白状しろメガネ野郎、お前の《ツインズ》は俺に何をした!」
ヒロは血流をさらに強く巡らせる。全身の筋肉が悲鳴を上げようとも、構わず動き続けられるだけの、再生の血が駆け巡る。
「《血閃・——」
左腰に《スーサイド・フェニックス》を構え、足に全ての力を注ぎ込む。「バオッ!」と地面が揺らぎ、ヒロの姿が砲弾のように、前方に飛んだ。
「——燕》ッ!」
振り抜かれるヒロの剣。鞘こそないが、形だけ抜刀術を真似た一撃特化型の剣技。手応えは確かにあった。
ヒロはすぐに振り向く。通った場所には粉塵が巻き上がり、その威力を物語っていた。
「流石にいけただろ……あれ?」
だが、ここで違和感に気づく。さっきまで握っていた《スーサイド・フェニックス》が、手元から消えていたのだ。
「……あんまりにもしつこいので、特別に教えてあげますよ」
一つ刀を振る影が見えたかと思えば、「ブオォッ!」と旋風が巻き起こり、それは風の中心に立つ青年の姿を現した。
「私の《ノイジー・マイノリティ》の能力は、『他の《ツインズ》に由来する現象を打ち消す』こと……実際はもう少し複雑な法則性があるのですが、簡単に言えばそんなことでしょう」
青年は切先をまっすぐヒロに向けて宣言した。
「あなたの剣が今あなたの手元に無いのは、私が《ツインズ》であなたの剣を受けたことで、『実体のない《ツインズ》を武器として顕現させる現象』を打ち消したからです。あなたの再生を止めたのも、私の《ツインズ》によるものですが……再生現象そのものは打ち消せても、その血に宿った莫大な生命力までもを打ち消すことは不可能だったようです。……《サイダーズ》第一座が格上だということなのか、単に私の能力が《異形系》相手に分が悪いというだけなのかは、どちらも考えられることなので分かりませんが」
一気に説明を並べ、アサカゲは刀を鞘にしまい直す。
「……説明はしました。それの対価を、あなたには払っていただかなければいけません……私の話を聞いてください。これ以上戦闘を続けても、時間の無駄になるだけですから」
「……そう言って油断させたところを、一気に切り伏せるつもりなんだろ。分かってんだからな」
「何故分かっていただけないのですか!」
「ファーストコンタクトで生首にされた相手を信頼しろってほうが普通は難しいだろ! あんたカウンセラーなんだからそれくらい分かんないのかよ!?」
「それは……後悔しています。何せ『館長』からは、『相手は不死だから安心して最大威力をぶつけても大丈夫だ』と言われていましたので……痛覚が残っているとは思っていなかったのです。それに、あなたも……『不殺人鬼』も、まず一太刀入れてから会話を試みるような人間でしょう?」
「うっ」
ヒロの意識がアサカゲの向きを離れる。今まで自分がやってきた、凄惨な仕打ちの数々が頭をよぎる。今思えば、あれは「相手はまともな人間ではないのだから何をやってもいいだろう」という、一種の侮蔑あっての行動だ。それと今のアサカゲの行動には、似通った部分が多くあるのではないか、だとしたら、自分に「それは間違っている」と声高に主張する権利はないのではないかと考えてしまった。
「……どうされましたか」
アサカゲの問いかけに、ハッと我に帰る。目の前の青年は刀を抜かずに、そこに立っている。メガネの奥の黒い眼が、こちらを注意深く観察していた。
(——……待てよ。俺、今何秒考えるのに使った?)
ヒロは思い返す。少なくとも十秒前後、ヒロは俯きフリーズしていた。だがそれだけの時間があれば、目の前の青年がヒロを腰のラインで真っ二つにするには十分すぎるはずだ。何せ、実際にヒロの首を討ち取ったあの時、彼がドアを開けてから背後に駆け抜けるまでの時間は、一秒と無かったのだから。
(——本当に攻撃する意思はないのかもしれない……いやでも、ただ俺が突然固まったことに驚いてただけなのかも……)
と、再度動きを止めて思考しながらも、ヒロはチラチラとアサカゲを見る。彼は依然として刀を抜かないどころか、持ち手に手をかける素振りすらも見せない。もっと言えば、彼は《ツインズ》を武器として顕現させてすらいなかった。
「……何か、引っかかることでもおありですか? ここは一体どこなのか、とか、『館長』とは何者なのか、とか、そんなものでしょうか」
アサカゲの言葉には、ヒロに歩み寄るような雰囲気が含まれている。流石カウンセラーというか、思わずその言葉に乗りそうになってしまうような、優しげな語調。
「そう言ったことも全て後で……それが嫌ならば、移動中に説明します。だから、とにかく今は私の言葉に従ってください……もう時間は残っていません、速く!」
気づけば、アサカゲはヒロのすぐ近くまで来て、その右手を差し出していた。
「……」
「速く!」
強引にヒロの腕を掴んで、その目的の場所まで彼を連れていくこともできただろう。だが彼はそれをせず、あくまでヒロの方から彼の腕を掴むのを待っている。
「……俺がそれを拒んだとしたら、どうするつもりだ。理由は『あんたに首を斬られたから』って、立派なやつが拵えてあるぞ」
「……なら、言うしかありません」
アサカゲは強く強く、それを言い切った。
「これは人の命がかかっているんです」
「……」
ヒロはその言葉を聞くと同時に、「さっき俺を殺した奴が立派に命を語るなんて、バカなやつだ」と言うセリフを思いついていた。
だが顔を少しあげると、アサカゲの瞳が見えた。そこには残酷なほどに真っ直ぐな正義感があった。行いを正しいと言えるかはさておき、当人は確実に己の正義に従っているだろうという確信を与えてくれる、眩しい光の宿った、黒い瞳。
ヒロはどちらかというと、「悪」に傾いた人間だと己を認識している。数十人というクソ野郎を豚箱送りにしたという、一見すれば正義の味方のような行動も、その動機——自分の過去に思いを馳せたり、思い出したりしないため——を見れば、自分勝手でしかない。
自分にはない光。ヒロはこういう「正義感」、正しいことを為そうとする意思には、弱い人間だったようだ。
「——っ」
ヒロの右手は無意識に、青年の右手を握っていた。
「……ありがとうございます、行きましょう」
「……」
それに威勢よく頷くことは、今のヒロにはできなかった。
《6》
高く聳え立つ本棚の更に上、建物の梁から、青年に連れられてよたよたと走るヒロの姿を見ている者がいた。
「ホッホッホ……あれが第一座の器ですね……」
おどけたような、小馬鹿にするような、不気味な笑い声を放つ男。
体型はオリーブの葉の刺繍が施された白いローブに隠され、判別はできない。ローブは袖口が広くつくられており、まるで鳥の翼のようなシルエットを形成していた。
更に、男は顔すらも仮面で隠していた。メンフクロウという、仮面を身につけたような少し不気味な顔のフクロウがいるが、ちょうど男の仮面は目を細めたメンフクロウを模したもののようで、狐面のように細く長く描かれた表情は、笑っているように捉えられた。
「フェニックスのやつめ、随分と変わった趣味を持っているようですねぇ。あんな自信のない自罰感情と自己嫌悪の塊のような人間、憑いていても疲れるだけでしょうに……しかも肉体の主導権を奪わずそのままにしているなんて、余計に意味が分からない。彼が何をしようとしているか分からないのは、今に始まったことではありませんがねぇ、ホホホッ!」
昔から《スーサイド・フェニックス》の存在を知っているかのような口ぶりで、仮面の男は不死鳥を嘲る。
「……それにしても面倒ですねぇ。ワタクシの図書館には精鋭のみを集めているはずなのに、それを二人同時に相手して勝利する輩ですか……特に片方は《ツインズ》までも破壊されて、もうこの《焚書図書館》においておく理由は……でもまぁ、一度この組織の存在を知った以上、下手に民衆にポイすることもできないのがもどかしいところではありますが」
——ヴヴッ。
ローブの姿が、突然消える。そのシルエットはいつの間にか下にあり、ヒロとアサカゲの背中を、同じ高さで見ていた。
「あの輩の処分は部下共に任せるとして……『日暮飛路』……名前は聞いたことありませんが、あの顔、どこかで見たような、見ていないような……」
ローブの男はたった今、「本棚の上にいる」という事実を、「床に立っている」という、これからする予定だった行動の結果によって上書きした。それはいわゆる現実改変の一種であり、言い換えれば、行動にかかる「過程」、及びその行動に本来費やされる「時間」をスキップしたということ。
故に、この存在は「時殺し」と呼ばれる。
「まさか……ここの蔵書で見たということでしょうか? ホホホッ、それならば余計に面白いですねぇ。ワタクシ、柄にもなくワクワクしてきたかもしれません……旧友の依代のデータが、この『抹消された記録』しかない図書館に残っているだなんて! ホホホホホッ!」
——梟の仮面。《焚書図書館》。「時殺し」。
この三つの要素を与えられたならば、もう多くの人が、彼の正体を分かっているだろう。
「ワタクシたち《サイダーズ》の第一座、アナタとはそう遠くない日にお話しできるでしょうねぇ……ホホホッ、ホホホホホホホッ!」
彼は《サイダーズ》第六座にして、この世にはもう存在しない情報を集めた、《焚書図書館リコール》の『館長』。その名は《クロノサイド・オウル》、すなわち「時殺しの梟」。
世界そのものよりも、世界の裏側を知る者である。
「序章」がシステム上で「一章目」のカウントになるのがいつまでも納得できないクロレキシストです。
はい。インプロア始まって以来、初の月三回更新が果たされようとしています。私は割と忙しい身なのですが、最近はその時間の合間合間で爆速で仕上げたり、休日には巣篭もりで書き上げたりと、この小説の更新のために割と命削ってる節があります。
……そして大事な告白なのですが、私クロレキシスト、実は「学生」です。しかも、「高校生」です。幸いまだ受験生ではないのですが、おそらく来年の今頃には試験に追われているのでしょう
……ということで、ここで投稿頻度を上げたのは、「忙しくなる前に色々吐き出しちまえ!」という一種の自棄です。今の時点ですでにEP16まで書けているので、ここからどこまでを毎週投稿にして、どこからをストックにするかが悩ましいです。もし投稿頻度についてご意見を下さるなら、是非ともこの作品のコメント欄に感想と共に記してくれると嬉しいです。
さて、作品の内容に触れますと……新章開幕、ここから本格的に《焚書図書館》の姿が分かっていきます。そして、まだ見ぬ強者たちも続々登場ということで。作家の卵仲間から刺激を得たりしながら、能力バトルものらしく仕上げていけたらなぁ、と思います。あと、伏線回収も忘れないようにしなければいけませんね。
ということで、今日のお喋りはここまでです。……皆様、毎度のこと学生のお喋りと妄想に付き合っていただきありがとうございます。作品を追ってくれている皆様に果てしない感謝の意を込めて、また来週。