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双生のインプロア  作者: クロレキシスト
序章:超常の邂逅
10/34

EP10:悪鬼と殺気と天使の自分語り


           《1》


 辻斬必手は、真紅の空からのほの暗い光を受けながら、両脇に粗雑な造りの店や住宅が並ぶ大通りを走る。圏外表示のスマートフォンに映した、ルリから受け取った一人の少年の写真を道行く人に見せ、「この人知りませんか?」と聞いて回りながら。それへの返答は全て、「知りません」の五文字で済まされる。

「やっぱりここにはいないのかな……せっかくパスポート引っ張り出してきたのに……」

 彼はただの中卒のフリーターのはずなのだが、何故か《冥界》にいて、なおかつ悪魔たちと問題なくコミュニケーションを取れていた。

「ルリになんて説明しよ……」

 現在、手柄らしい手柄はゼロ。このまま手ぶらで帰るわけにはいかないと、手土産の一つや二つ持ち帰ってやろうかと悩んでしまう。

(——いやいや、それはホントに最終手段だから! 最優先はヒロを見つけること! 頑張れ辻斬必手! 必勝の一手、略してヒッテ!)

 ペシペシと頬を叩き、ヒッテは気合を入れ直す。この足が棒のようになるまで聞いて回ってやると、覚悟を決めたその時だった。

 ——ドオォォォォオン!

 地響きのような音が、そう遠くない場所から鳴り響いた。通りを歩く人々が、口々になんだなんだと驚きの声をあげる。

 ヒッテはその音を聞くやいなや、すぐに走り出していた。彼の足が向かう先には、一切の迷いがなかった。


           《2》


「おらァッ!」

 メアは少年めがけて槍を振り下ろす。三叉槍は赤い軌跡を残しながら、フェニックスの肩口へと吸い込まれ、ザックリとそれを切り裂いた。吹き出す血液がメアに迫る。彼女は咄嗟にそれを避けた。

 一方のフェニックスは余裕綽々といった調子で、微動だにせず彼女の攻撃を受けている。だが今のところダメージを受けているような素振りは見せていない。

「俺の力は既に把握済みのようだね、メア・ヒュノプス」

「あのクソ上司にネチネチ教え込まれりゃ嫌でも覚えるっての!」

 そんな言葉を交わした直後、飛び散ったフェニックスの血液が炎上する。それは一瞬だけ炎の壁を作り出し、メアの視界を遮った。

 そしてその壁の向こうから、迫り来るフェニックスの拳。指と指の間からは鮮血が滴っており、それもまた、火の手を上げる前兆を見せていた。

 メアは咄嗟に《インフェルノ・ムーン》で拳を受け、すぐに受けた拳を横に流すように槍を傾け、衝撃を受け流した。先ほどの一撃で、この少年の体躯からは考えられないほどの衝撃が襲ってくることは学習済みだ。

 だが、拳に流れている血液までは対応しきれない。その血は槍を伝い、メアの手に迫る。

「チッ……——ウオォォォォ!」

 メアは苦し紛れに、三叉槍を投擲した。大気を裂いて、赤い一条の光がフェニックスを貫き、彼の体を地面に繋ぎ止めた。

「これは……想定外だね」

 腹を貫かれたまま再生が進み、槍と肉体が同化してしまっているにも関わらず、フェニックスは笑いを崩さない。一切身動きが取れないにも関わらず、その状況を楽しんでいるようだった。

「おらァァァァッ!」

 全速力でフェニックスへ突進するメア。その右手は殺意によって固く握られ、全力の打撃が繰り出されようとしていた。

「その気合いは賞賛に値するが……君には用心深さが足りない」

フェニックスは両手の十本の指をメアへとまっすぐ向けた。

「不死の体には……こういう使い方もあるらしいぞ」


 ——ボボボボシュッ!


 次の瞬間、フェニックスの指の第一関節が火を噴き、切り離されてメアへと飛んでいった。まるで小型のミサイルのように。

「はぁ!? そんなのありかよ……うわっ!?」

 あまりの驚きに一瞬反応が遅れたメアに襲いかかる、フェニックスの指。断面からは血を燃料にした炎が吹き出し、ミサイルを加速する。制動性に難があるのか、その挙動は非常に不安定だ。だがそれが逆に動きを読みづらくして、回避難易度を跳ね上がらせていた。

(——この距離とあの速度じゃもう避けられない……クソッ!)

 メアはほとんど効果が無いと分かっていながらも、胸の前で両手を交差させ、さらに翼で己を包んだ。

 ——どゴァッ!

「ごはッ——!」

 十本の指はほぼ同時に、メアとその周辺の地面へと着弾した。指に残っていた血液が爆発炎上し、彼女の体と瓦礫を吹き飛ばす。

 同時に、実体を保っていた《インフェルノ・ムーン》が、メアの集中が途切れたことで形を失う。行動の自由を取り戻したフェニックスは一気に間合いを詰め、メアに殴りかかった。拳を握る十本の指は、すでに再生を終えている。

 メアの目の前まで迫った、フェニックスの仮面と拳。その一撃が叩き込まれようとしたその時。

「《インフェルノ・ムーン》……眠れッ!」

 メアの禍々しい瞳が、赤い光を発した。一か八か、彼女は能力を発動させたのだ。仮面の奥に潜む、宿主本来の瞳と目を合わせ、悪夢へ引き摺り込む——

「無駄だよ」

 ——だがそんなのはお構いなしと言った調子で、無慈悲にもメアの顔面に、フェニックスの恨みの乗った拳がめり込んだ。生命力を惜しみなく込めた血液による、爆発のおまけ付きで。

 メアは言葉を発することを許されない状態で、建物の壁に後頭部から激突し、そのまま壁を破って外へと吹き飛ばされた。十メートル弱ほどの間を床にすりおろされたその体は、フェニックスの血によって一瞬で修復された。

「ってぇ……クソが……」

「あれ、やっぱりトドメは刺せないか」

 絞り出すように苦悶の声を上げるメアには一瞥もせずに、フェニックスは自身の能力における欠点を再確認していた。どれだけ苛烈なダメージを与えようと、肉体的な損傷は例外なく全て無効化してしまう。それが《スーサイド・フェニックス》に課された、ある意味呪いとも言える能力だった。

「さて、どうしようか。君がそれでギブアップだったら、俺は次の標的を探しに行くよ。でももし……まだ立ち上がるって言うのなら、君が負けを認めるか、それか、発狂するまで相手してあげるよ」

 瓦礫に腰掛け、非常に軽い調子でフェニックスは言った。

「……どうして効かねぇんだよ」

「ん? なんだって、質問に答えているわけじゃ無いのかい?」

「アタシが質問してんだよ……どうして《インフェルノ・ムーン》が効かねぇんだって聞いてんだよ!」

 メアは瓦礫山の中からかろうじて体を起こし、立ち上がった。その瞳は依然として赤く光り輝いていて、かつ仮面の奥のフェニックスの眼窩を捉えたまま、その視線は動かない。

 彼女の《ツインズ》の能力が対象を悪夢に堕とすためには、対象者と目を合わせる、という行為を経る必要がある。より正確に言えば、彼女が瞳の中に映し出す「赤い月」の姿を、対象の瞳が捉える必要がある。だが、確かにメアはフェニックスの目を見たはずなのに、能力が不発に終わった。

「そんなの、当たり前だろう」

 フェニックスは飄々とした口調だった。彼は仮面の縁に手をかけ、それをほんの少しずらして見せた。彼の素顔がチラリと見える。

「……っ、嘘、だろ——っ!?」

 メアは絶句する。彼の顔には——瞳がなかった。

「目を合わせるも何も、そもそも目がないんだからさぁ?」

 本来茶色の瞳孔を備えた眼球が納まるべき眼窩からは、赤い液体が緩やかに流れている。顎まで垂れたそれは雫を作る前に燃え上がり、足元に血溜まりを作ることはない。

「君の能力が『目を合わせること』をトリガーに発動することは分かっていた。だからあらかじめ両目を潰しておいたんだ。君の悪趣味な能力には、俺の大切な依代がずいぶん苦しめられたからね……封じておくだけの価値を感じたんだよ」

「じゃあ……テメェはどうやって、今の今までアタシと殺りあってたんだよ!? 視界が潰されてたんなら、顔面に拳を叩き込むことなんざ出来ねぇはずだろ!?」

「それに関しては……君の『生命力』を感知して、それを元に戦っていた。俺の生命力探知は結構使えてね。大まかな方向はもちろん、誰が何処にいるのかなんとなく分かるし、一定距離まで接近できれば、輪郭もなんとなしに掴める。シルエットだけでも、顔や腹の位置を割り出すには十分だろう?」

 そんなのインチキだろクソ焼き鳥が、とメアは内心毒づく。物理的な攻撃が効かない相手が、さらに精神的、認識的な攻撃すらも無効化してしまったら、突破口は存在しないに等しい。

「で、本題に戻ろう。君の答えはどうなんだい? 俺の前に負けを認めるのか、倒せない俺に無謀にも戦いを挑み続けるのか。どっちがいい?」

「……アタシ……は」

 このまま戦っても、メアに勝ち目はない。槍術も《ツインズ》もフェニックスの無効化には使えない。通信機も先ほど破壊されたため、増援も絶望的だ。

「……どうしろって言うんだよ」

 《冥界》に暮らしているのは全て、前世でロクでもないことをやらかし、罪を抱えることとなった人々だ。例え人を辞めさせられて無期懲役を強いられていたとしても、彼らを「守る」義務は彼女にはない。守るべきものは、己の尊厳くらいしか残っていない。

 だがそれは、彼女がここで引き下がってしまえば、それで本当の本当に全ておしまいになってしまうことも意味している。与えられた仕事もロクに完遂できず、こうして敵を野に放ってしまった。ここで逃げ帰ることを選んだとしても、そして無謀にも立ち向かったとしても、《サイダーズ》を逃した責任からの追及からは逃げられず、つまりは彼女に待ち受けているのは、社会的な「死」一択。

「アタシの人生、もう詰みなんだよ……どっちを選んでも変わんねーんだわ。テメェを迎撃したのも脊髄反射だし、今思えば大した理由なんざねーのよ……不死鳥さんよ、もういっそここでアタシを殺してくれねーかなぁあはははは……」

 メアは壊れたように笑い出す。その目に光はなく、視線も何処を見ているかいまいち分からない。フェニックスはそんな彼女の様子を見て、興が冷めたようだった。

「……俺に人殺しはできないよ。それに、俺の攻撃とかじゃなくて勝手にメンタル壊れられるのは気に食わないな……もういいや。君とはもうこれまでだ。俺はここで退くとするよ」

 フェニックスは悪魔メアに背を向けた。そこでようやく、

「……お前、メア姉ちゃんに何してんだ」

 背後の人物の存在に気付いた。


           《3》


 ヒッテが探していた人物と、旧知の友人との再会を同時に果たしたのは、壁が穴だらけになった「公開処刑場」の中だった。

 本来その建物は、《冥界》に堕ちて罰を受けてなお、罪を重ねた人間に最後の処罰を下すための場所だ。具体的に言うならば、真っ白な壁に四肢を固定して磔にした後で、服を剥がし、皮を剥がし、肉を削ぎ、骨を削る。少しずつ文字通りに身を削り、その悲惨な有様を、壁を取り囲むようにして集った観衆に見せつけるのだ。

 そして処刑ショーが終了した後、拷問官から観衆へ一言告げられる。「罪を犯せば、お前らもこうなる」と。

 だがそんな処罰と戒めの舞台は、不死鳥によってことごとく破壊されていた。この処刑場は《冥界》の中でも特に規模が大きいものであり、複数の処刑場が映画館のシアターのように横並びに配置されており、並行して何人もの処刑が行えるようになっていた。だが今となっては、その多くの処刑場の壁が破壊され、まるで一つの大きな処刑場のようになっていた。

 ヒッテと、その破壊の犯人の距離は約八メートル。そしてその奥のメアとの距離は十一メートルほどだろう。だがそれだけ離れていてもなお、メアの前に立つ少年の殺気が肌で感じられた。

「君は誰だ。見たところ悪魔ではないようだが……どうしてただの人間が《冥界》にいる?」

「……僕は辻斬必手。日暮飛路を探してここに来た」

「ルリ? ……あの芝居臭い《ツインズ》能力者、どこまでヒロのことを追いかけてくるつもりなんだ……」

「その仮面……ルリから一応話は聞いてる。お前、ヒロってやつの《ツインズ》なんだろ。確か《サイダーズ》とかいう、特別なヤツ」

「ああ、確かにそうだ。俺は《サイダーズ》だ。だから《冥界》と《天界》に恨みがあってね……ちょうど今、一人目が壊れたところなんだよ。……まあ、原因は俺じゃないけど。ほら、見てみな」

 フェニックスはメアの姿がヒッテによく見えるように、少し横にはけた。傷一つ無い姿の悪魔が力無く背中を壁に預けて座り込み、虚空を見つめながら笑う姿が見えた。

「あはははは……もう全部どーでもいーや……ははは……」

「こいつ俺を逃がしたのが原因で、社会的に詰んだとかどうとか言っていたよ。俺の知ったことじゃ無いけど。俺が壊す前に壊れちゃったら、俺の憂さ晴らしが成り立たないんだけど——」

「それはお前のせいじゃ無いのか」

 フェニックスの言葉を遮るようにしてヒッテは言った。

「っていうか、理由なんてどうでもいいよ。お前がメア姉ちゃんに酷いことしたって事実は変わらないんだからさ」

 ヒッテはフェニックスと比べれば僅かなものだったが、確かな殺意を露わにした。

「ハッ、悪魔でも無いのに俺と殺り合うつもりかい?《サイダーズ》第一座の肩書を持つこの俺と」

「肩書きとか関係ないだろ。僕はお前のことが頭にきたから、こうやって宣戦布告したんだ。それ自体に実力は関係ない」

 ヒッテが一歩を踏み出した。彼の踏み締めた瓦礫が、「バギン」と音を立てて砕ける。フェニックスは違和感を覚えた。

 少年の生命力は人間のものだ。だがどこか歪な部分がある。背後にいるメアの純然たる悪魔の生命力とは明らかに違うものであることは確かなのだが、何か、何かおかしい。

 眼球を再生すれば少年の違和感に気づけるのかもしれないが、それでは背後の悪魔に奇襲をかけられて昏倒する可能性も否めない。

 そんなことを考えているうちに、少年の気配はどんどん自分へ近づいてくる。一歩一歩着実に。

(——どうせ距離が詰まるなら……自分から詰めた方が良いだろう)

 フェニックスは足の血液に生命力を集約させ、その爆発の反動で一気にヒッテとの距離を詰めた。空中で飛び蹴りの姿勢を取り、そのまま少年へと突っ込んだ。

 ——だが。

「ゴフッ……!?」

 その苦悶の声を漏らしたのは、フェニックスだった。彼はヒッテに後少しというところまで近づいたところで、突然鼻と口に強い痛みを覚えたのだ。

 蹴りの姿勢は崩れ、彼はそのままヒッテの後ろに転がった。

「君……ゲホゲホッ……一体何をしたんだ……」

 その問いかけに、ヒッテは返答を返さなかった。代わりに、彼は倒れたフェニックスの胸を蹴り上げた。

「がはっ……ゲホゴホッ!?」

 肺から追い出された分の空気を吸い込んだフェニックスは、さらに強い、焼けるような痛みを喉に覚えた。自身の血によるものとは違い、粘膜自らが熱を帯びているかのような鋭い痛みだ。

(——……まさか、毒か何かでも使っているのか? だとしたらまずいな。俺の血に解毒作用はない、このまま体内に毒素が蓄積すれば死んでしまうかもしれないな……あれ、あのガキは何処だ……あそこか! あの悪魔の側に!)

 フェニックスが一人で苦しんでいる隙に、ヒッテはメアの隣まで走っていた。

 悪魔メアはまだ、空な目で力無く笑い続けていた。ループ再生されているような同じトーンの笑い声を、絶えず吐き出している。その姿に活力はなく、やはり見ていて悲痛だ。

「姉ちゃん……」

 ヒッテはおもむろに、右手の人差し指を彼女の前に差し出す。彼はその指先に力を込めた。「メキッ」という異質な音が彼の手から鳴る。彼の細い指はいつの間にか、屈強で、朱色に染まった長い爪を持つ怪物染みたものになっていた。

 まだ痛みに苛まれているフェニックスは、遠くから確認できたその指先に宿る生命力が、人のものではないことに気づいていた。

(——あの指の生命力、間違いなく悪魔のものだ……あいつ、肉体を変化させるタイプの《ツインズ》を持っているのか!)

 直後、彼の爪から、一滴の液体が流れた。爪と同じ朱色をしたそれは爪先を伝って雫を作り、そのままメアの開いた口へと飛び込んだ。

「あはは……は……ハァ!? 辛ッ、ああっ、ゲホゲホッ!?」

 メアは突然血相を変えて口を押さえ、のたうち回る。顔は真っ赤に染まり、彼女の全身は熱を帯びて汗を吹き出す。

「ヒッテ、おま、ゲッホゲッホ、なんでここ、ヴおえッ……!?」

「目ぇ覚めた? ……はぁ……疲れてるなら連絡くれたらよかったのに、どうしてこんなになるまで放っておいたの」

「それはゴホッ……連絡する暇がなかっ……ヴェホッ」

「とりあえず正気には戻ったみたいでよかったよ」

「良くねぇだカハッ!? この辛味なんとかしろ!」

 二人が茶番を繰り広げているうちに、フェニックスはなんとか呼吸を整え、立ち上がる。そしてその穴の空いた両の目で、悪魔と少年を睨んだ。

「君……ゴホッゴホッ……一体俺に何をした……? 今その女にも……一体何をしたんだ……答えろ」

「どうにかしろって言ってんだろヒッテ! ゲホゲホッ……!」

「無理だよ、ここら辺水もないし」

「……話していないで……答えろと言っているんだッ!」

 フェニックスは床を強く踏み締め、弾丸のように少年に殴りかかった。だがイマイチ動きのコントロールが効かず、繰り出した拳は後ろの壁を貫いてしまった。「ごガァン!」と爆発のような轟音を鳴らし、フェニックスの体は外へと投げ出された。

 ガラガラと音を立てて崩れる壁から、ヒッテは即座にメアを担いで距離を取る。俯瞰してみると、まさしく砲弾に貫かれたような有様だった。

「うわっ、エグい威力……この惨状も納得だなぁ」

「お前信じてなかったの!?」

「だってルリの話って盛られがちなんだもん」

「……ゲホッ……もしかしてお前、《サイダーズ》のこと知らねぇのかよ……」

「うん。それについては後で聞くよ。今はアイツが誰であれ、なんとかしないといけないからさ……メア姉ちゃんは休んでて、アレは僕がなんとかするから」

 ヒッテはメアを座らせ、壁の向こうへと踵を返した。

 瓦礫の山の向こうでは、鳥を彷彿とさせる仮面を身につけた少年が、無い瞳でヒッテを睨んでいた。

「さっきから何度も言っているじゃないか……答えろ! 君は一体何なんだ! その能力は!? その態度は何なんだ!」

「さっき言ったでしょ。僕は辻斬必手。ルリの友達で、喫茶店《烏丸珈琲店》のマスター代理兼料理他全般担当。あれ、これ言ってなかったっけ? 他に言い忘れてたことあったっけ……あ」

 ヒッテは思い出したように上を向く。そこには冥界特有の、禍々しい煉獄色の空が広がっていた。

「ヤッベ、ここ屋外じゃん! ってことはあの戦法使えない!? うわー、封殺しようと思ってたのになぁー……しょうがないかぁ。『スコーヴィル』、もう少し手伝ってくれる?」

 彼は自分に問いかけるようにそう言った。次の瞬間。

 ——カクン。

 彼の首が倒れた。《ツインズ》能力者たちの間では、よく見る現象の一つ。それが、ヒッテにも起きたのだ。

(——人格の交代……やはり能力者だったか)

 そして頭が起き上がってきた時、彼の表情は全く違っていた。大人しめというか無表情というか、どこかぽかんとした感じだった彼の顔は、血気盛んで危なげなものに変わっていた。

「ヒッテがそう言うんならァ、ワシは喜んで力を貸したる……だからァ、好き勝手暴れたらええんじゃ……ワシも久しぶりに、同年代の輩に会えて興奮しとるんじゃよ……その分オメェには気張ってもらわんとなァ……のぅ、ヒッテ?」

 また首が倒れる。また人格が交代し、ヒッテが戻ってきたようだ。

「分かったよ。……まあ、スコーヴィルのためってわけじゃなくて、日暮飛路に用があるから、人格を叩き出さなくちゃいけないってだけなんだけどさ……」

 ヒッテは「同居人」との会話を終えると、着ているシャツのボタンを、全て外した。下には何も着ておらず、貧相な肉体が露わになる。

 そして彼はそのまま腰を落として力む。さながら力を溜めているような格好だ。プルプルと震えるまで力を込め、そして——


「《ツインズ》発動……《マックスエンド・スパイス》!」


 ——彼は自身の「同居人」の名を告げ、全身に力を巡らせた。すると、彼の全身が、先ほどのようにメキメキと音を立て始める。

 全身の筋肉がビキビキと肥大化していく、さらに身長も徐々に伸び、最初は百七十と少しほどしかなかったであろう彼の背丈は、今や百八、九十はあろうかというところまで来ていた。同時に彼の肌は紅潮し、両手の十本の爪は朱色に染まり、鉤爪状に変形していた。

 すっかり屈強な姿に変わった後、彼の眉の上あたりに一対のコブが現れ、それが高く伸び上がるようにして、角を形成した。その姿は悪魔というよりも、東洋の伝承に残る鬼に似ていた。

「全身変化は体力消耗が激しい、だから短期決戦で終わらせてやる」

 心なしか迫力の増した声で、辛苦の鬼は不死鳥へ告げた。

「……いいよ。君にはどうにも手加減はできなさそうだ」

 鬼を前にして、不死鳥は珍しく弱気になっていた。


           《4》


「……ヒッテ、大丈夫だろうか……」

 ルリは喫茶店のカウンターにうつ伏せになり、《冥界》へと赴いた友人の安否を心配していた。もちろん、彼が迎えに行った別の友人、すなわち『不殺人鬼』のことも。

「あのバカが二度と帰ってこないなんてことは、絶対にないと思うけど? それに『スコーヴィル』だって手伝ってくれてるでしょ」

 ナーバスなルリの背中に手を置いたのは伊織日凪。このオーナー不在の《烏丸珈琲店》に、ルリに呼び出されて居座っている。友人特権とはいえ、店員不在の飲食店に居座るのはいかがなものだろうかという些細な心配は、ルリの前では絶対に言えない。

「だが、俺もルリには同意する、今回ばかりはヒッテとスコーヴィルを信じ切ることができない。……助ける相手が『不殺人鬼』だからというのもあるだろう。仲間を解放しに行っているというよりも、敵に盗まれた兵器を奪い返しに行っているようなものだからな」

 少し離れたテーブルに腰掛けてそう言ったのは黒崎亜玖斗。こちらは、ヒナギに連れられてここにいる。ポストも携帯を持っていないアクトは、口頭でしか連絡を受けることができない。だからいつも、ルリから連絡を受けた誰かしらが連れてくる形で彼は姿を現す。

「それにしても《冥界》か……俺は行ったことがない場所だ」

「私だって直接見たことは無い。せいぜいヒッテが写真で見せてくれたくらいだ。なんというか……住みづらそうな場所だったぞ」

「アタシも、《冥界》には行ったことはないわね。……《天界》なら、不本意だけど一回だけ、行ったことがあるんだけど」

「ああ、そういえばそうだったね。私の記憶では、確かそこでヒナタと再会して、《ディア・マイ・シスター》が覚醒したんだったか」

「うん……あの時は本当に——」

 続きを話そうとしたところで、ヒナギの首が後ろに倒れた。どうやら彼女の姉が、突然肉体の主導権を交代したらしい。

「……ウチ、ほんっとにあの時は、いろんな意味で心臓止まるかと思ったんだから!」

「ヒナタ……そんな強引に交代したら、多分ヒナギが怒るぞ?」

「だって本当にあの時はさぁ!」

 神々しく光を放つ双眸をカッと見開き、ヒナギの体で声を発する彼女は、ヒナギの姉、伊織日向だ。彼女自身とヒナギ曰く、彼女は天界の天使だったらしい。

「ウチびっくりしたんだよ!? 自分とそっくりな人が天界に来た事にも、それが本当に自分の妹だったって事にも! そう、あれはウチがまだ人間だった頃……」

 ヒナタのスイッチが入ったことを察したルリとアクトは、少しだけ嫌そうな顔をした。「またこの話か」というニュアンスの顔だ。途中で口を挟むと絶対に面倒な事になるので、渋々彼ら二人はおとなしく話を聞く事にした。

 本当に長くなるので、読者の皆様にはところどころを省略したものを読んでもらう事にする。これは、ヒナギとヒナタの過去の話だ。


 ヒナギはヒナタの二つ下の妹として生まれてきた。だがヒナタは体が弱く、ヒナギが物心つく前に、病気で亡くなってしまった。ヒナギはヒナタの存在こそ知っていたが、思い出の一つも心当たりがないまま、そのまま成長していった。

 ヒナギが中学に上がりたての頃、彼女の住んでいたマンションでは、外壁の塗装工事が行われていた。だが業者のミスによって、工事のために組まれた足場が倒壊してしまう。学校帰りのヒナギは、不幸にもその足場の下敷きになり、大怪我を負ってしまった。

 激痛に襲われ、意識を手放したヒナギ。次に目を覚ました時に彼女が見たのは、純白の街並みと、そこを歩く背中に鳥の羽を生やした人々。彼女の魂は、《天界》に召されていたのだ。

 漠然とした死の自覚は、「アタシ、死んじゃったのかな」と呟いた事によって鮮明になり、彼女は思わず涙を流した。

 だが、彼女に「いいえ、まだ死んでいませんよ」と語りかける者が一人。彼女が顔を上げると、そこには純白の羽を持った天使がいた。

「初めまして。私はヒナタ、あなたに《天界》の案内をする天使です」

 と天使は言う。だがその言葉以上に、ヒナギの注目は天使の顔へと向いていた。天使の顔は、自分とそっくりだったのだ。

 少しして、天使もその事実に気づいたようだった。天使は突然目を見開いて驚いた様子だったが、また笑顔を取り繕って言った。

「えっと……あなたの名前はなんですか?」

「ヒナギ……伊織、日凪です」

「……嘘でしょ」

 そこで、天使の余裕は完全に崩れた。その表情は驚き、そして感涙へと移り変わっていき、そして天使は思わず、ヒナギのことを抱きしめていた。背中の翼で、彼女のことを包み込みながら。

「……ヒナギ……また会えるなんて……」

 ヒナギは何のことかさっぱり分かっていなかった。まだ自分に何が起きたのかが分かっていなかったからだ。だがふと、忘れかけていた自身の姉のことを思い出した。きっと今頃生きていたら、自分とそっくりな顔をしていたであろう、自身の姉のことを。

「もしかして……ヒナタなの?」

「そう……ウチが人間だった頃の名前は、伊織日向……」

「……嘘」

「嘘じゃない。ウチが覚えてるんだもん」

 二人はしばらくの間、その感情を噛み締めた。


「それから、《基礎世界》では植物状態って事になってたヒナギを助けるために……つまり《天界》にあるヒナギの魂を《基礎世界》に降ろすために色々頑張って、最終的にウチの堕天にヒナギを巻き込んでなんとか助かったってこと」

「……感動的だ、ね」

 ルリはぎこちなくそう言った。確かに感動的な話だとは思うのだが、何せ耳にタコができるほどヒナタがこの話を擦りまくったので、正直最初に話を聞いた時の感動はもう記憶に無い。

 チラリとアクトの方を見れば、彼もうんざりしたような、不服そうな顔で話を聞いていたようだ。右手が不自然にもぞもぞと動いているのは、恐らく影の中から何か物資を引き出そうとしているからだろう。

「で、何話してたんだっけ?」

「……《冥界》に行ったヒッテを、ルリが心配していると言う話だ」

 アクトはため息混じりにヒナタに言った。そして彼の手には、いつの間にかメモ用紙と鉛筆が握られていた。彼は先の丸い鉛筆で、そのメモに一本の横線を書き足す。正の字が並んだそのメモは、ヒナタの昔話をカウントしているようだった。

「お前は天使だったんだろう。《冥界》について、何か《天界》の者から聞かされていないのか」

「えー? ウチは……うーん、あんまり詳しくは聞かされなかったなぁ。ただ、ウチの友達が、好奇心で調べようとしたことはあったよ。でもその子、上層部から『《冥界》だなんて汚れた場所のことなど、知るに値することではありません』って言われて、しばらく《天界》のデータベースへのアクセス権を切られちゃったみたい」

「……天界はデジタル化が進んでいるのかい?」

「そこ食いついちゃう? ……デジタル化なんて大したことじゃないよ。ただ《天界》が持ってる記録資料のことを、現代風に呼ぶようになっただけ。今働いてる天使のみんなって、大体は現代人が転生したような人ばっかりだからね〜、そう言った方が何かと楽なの」

 ふうん、とルリはそっけない返事をしてみた。どうも彼女からは、これ以上の情報を得ることはできなさそうだ。

「ヒッテ……ヒロ……早く帰ってきてくれよ〜……このままじゃ新作が書けないじゃないか……」


        《5》


 肉体が不死鳥に使われ、激闘を演じさせられている日暮飛路は、自らの意識空間に幽閉されていた。

彼の意識空間には、一軒の家と、赤い野原と緋色の空、そして沈みそうで沈まない恐ろしげな太陽以外、何も存在していない。

 そんな中彼は、ベッド紛いの台の上に敷き布団を置いただけの寝台に腰掛け、無味無臭の「何か」を頬張っていた。

この「何か」は、ヒロの意識空間に時折現れる。まんじゅうのような丸く平べったいフォルムを持ち、ヒロにとってはひどく見慣れた、赤黒い色をしている。サクリと簡単に噛み切れるが、モチモチとした強い弾力を持っており食べるのには時間がかかる。加えて味も匂いもしないため、腹が膨れるばかりの、「娯楽としての食事」とは全く無縁な代物だ。

 フェニックスにこれが何かを聞いてみると、「君の食欲を鎮めるためのもの」としか答えなかった。だがその用途を知っている以上、フェニックスが用意したものと考えて良いのだろう。

 彼の相棒、即ち《スーサイド・フェニックス》を宿した人間に、食事を行う必要はない。彼から無尽蔵に供給される生命力が代わりになって、ほぼ全ての栄養分は補われる。

 だがそれでも、人間の体から「食欲」は消えない。それを気にならないようにするための、この「何か」なのだ。

この「何か」を夢の中で食すことで「物を食べた」という感覚を植え付け、食欲を消す。そうすることで、より『不殺人鬼』として過ごすことに集中させるというフェニックスの策だった。

 そんな「何か」を、ヒロは頬張る。美味いか不味いかを論じる前に、まず味がないそれを無心に食べる理由は、ただ「習慣だから」というだけだった。

(——フェニックスのやつ……いきなり俺の体を使って、何をするつもりだったんだろう……あのメアとかいう悪魔の女の人に、恨みでもあったのかな)

 フェニックスの意思による物なのか、ヒロは外で何が起きているのか知ることができない。今のヒロに許された自由は、この何も無い空間を歩くことと、こうして食事紛いの行為をすることのみ。

(——《冥界》の存在に《サイダーズ》が戦争兵器ってこと、あと他の六人の《サイダーズ》のこと……なんかよく分からないな)

 と言っても人間、頭の中は常に自由だ。彼は悪魔メアから告げられた情報を反芻して、かつての戦乱のことを理解しようとしていた。

(——《ツインズ》が生まれたのも、《天界》と《冥界》の戦争の時だったんだよね。具体的にいつのことだったのかははっきりしないけど、思ってたより昔から存在するのかな。あと……《サイダーズ》が《天界》と《冥界》を復興させた、か……フェニックスが人のために何かをするっていうのがいまいちピンとこないな)

 いつの間にか、食べていた「何か」は残り一口分になっている。

(——でも、メアさんが「俺に見せた夢」って……本当に何のことだったんだろう。俺が見る夢っていうのは、それこそ今いるこの場所にいるって内容だけのはずなんだけど……「母さん」って寝言を言ってたって言ってたっけ。もしかしたら、記憶を取り戻す鍵になるかもしれないな……)

 正直もう吐き気すら迫ってくるほど食欲はなかったのだが、意を決して「何か」の最後の一欠けを頬張ろうと口を開いた、その時。

「あ……ゲホゲホッ——ッ!?」

 強烈な痛みが、ヒロの口内を襲った。熱を持った痛みだ。だがいつも感じるような肉の焼ける痛みや、刺されたところが熱くなるような感覚とは違う。皮膚が腫れ上がるようなそんな痛みだ。

 そしてそれは口の中だけに止まらず、鼻や目にまで襲いかかってくる。全身の毛穴が開いて、汗と震えが止まらなくなってくる。

「何だ……これ……ッ!?」

 ヒロは思わずベッドから転げ落ち、口や鼻を押さえながらフローリングの床を転げ回る。時々上着やズボンの金具が骨にめり込むが、そんな痛みなど屁でも無いほど、口内の痛みは強烈だった。

 ヒロには知る由もないが、フェニックスは例の鬼少年と戦っている最中だ。つまりこの苦しみは、彼の「肉体」が受け取り、ヒロに伝えている刺激だ。それが、意識空間まで伝わってきたのだ。

「はぁ……はぁ……アァァッ」

 舌が痺れて動かなくなり、意味のある叫び声はもう出せないだろうという確信があった。

(——何かこの苦痛を和らげる方法は……ッ!)

 ヒロの目線の先では、取り落とした、ヒロの歯形が残ったあの「何か」が床に転がっていた。彼はすぐにそれを拾い上げ、口に含んだ。

 何故だかは分からないが、こうやって何かを食べれば、その痛みを和らげられるような気がしたのだ。まるで、過去に自分がこういうタイプの苦痛を経験したことがあるかのような、そんな漢字の直感的な行動だった。

ヒロは「何か」を噛み締め、唾液を出すよう肉体に促した。だがここでまたしても、思わぬ事態が起きた。

「うっ、おえぇっ!?」

 彼は突然とてつもない吐き気に襲われて、「何か」を堪らず吐き出した。原型を失い、汚らしい粘液を帯びたそれが床に落ちる。非常に不快な光景だ。

 だがそれを上回る不快感が、彼の口を支配している。辛さももちろん存在していたが、それに張り合うように「それ」はいた。

 ヒロが口に含んだ、歯応えがあって赤黒い「何か」。それは確かに、さっきのさっきまで無味無臭の塊だったはずなのに。

 その「何か」には強い鉄の臭い——「血の匂い」が染み付いていた。

 一週間遅れました、クロレキシストです。月末以外は不定期なので、まあ多めに見てくれるでしょう。

 今回明かされたのは、辻斬必手の《ツインズ》。《マックスエンド・スパイス》は、いったいどんな活躍を見せてくれるのでしょうか。作者的には、割と強い部類に入ると思っています。

 もう一つ取り上げるべきことは、伊織姉妹の感動の再会。一応本人たちにとっては大事なエピソードなのですが、ヒナタが話しまくったせいでその価値は薄れている様子。皆さんも、同じ話の擦りすぎには気をつけるようにしてくださいね。

 毎度毎度後書きが長いのは一気見勢の方に悪いでしょうし、今日はこの辺でお別れといたしましょう。次回の更新は大晦日、12/31の日曜13時を予定しています。もし都合が合えば、その時に、また。

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