EP1:死相と不死鳥と都市伝説
《1》
世の中には、奇妙な話が存在する。口伝、あるいはネットによって広まるそれらは、「都市伝説」あるいは「洒落怖」などと呼ばれ、人々の間で時折話の種になっている。具体的な例を挙げると、『きさらぎ駅』や『八尺様』、それから『小さいおじさん』などが馴染み深いだろうか。
基本的にこれらは、現代の人々の中で生まれ、口先で広まっていったものだ。事実が誇張されたもの、全くの作り話だったりして、その存在は架空のものとされる。
しかしながら、都市伝説というものは大量に存在する。その中には稀に、実在の可能性を秘める物だってある。先ほどあげた例の中だと、『きさらぎ駅』がそれにあたるだろうか。……といっても、根拠は駅とその近辺で撮られたとされる写真や、全く関わりのない複数人から目撃情報が上がっているという点だけで、それだけを材料に実在を証明することはできない。
だが、今話題になっている都市伝説で語られる存在——『不殺人鬼』に関しては、その存在が確実視されている。
内容はこうだ——東京都多摩地区に位置する、「籠目市」。一見するとただのベッドタウンにしか見えないそこには、人の形をした怪物が潜んでいるという。それはどれだけ傷つけようとも絶対に死なず、絶対に他人を殺すことのできない、少年の姿をしたナニカだ。
彼は罪を犯そうとしたものへ、肉を燃やし骨を断つ苛烈な裁きを加え、その末に殺害する。しかしながら先に述べたように、彼は人を殺すことができない——殺した相手は、怪我一つない状態で蘇るのだ。そうして「臨死体験」どころの騒ぎではない、正真正銘の「死」を味わった犯罪者は恐怖のあまり、自ら檻の中へ入っていくという……。
最初に誰がその存在に言及したのか、いつ「彼」が現れたのか、そういったことは未だ分かっていない。だが気になった物好きたちが調べてみた結果、舞台とされる籠目市では犯罪者の自首が異常に多いことが判明した。その後、『不殺人鬼』の裁きを実際に目撃したと話す人間、声を聞いたと言う人間、果てには実際に殺されたと話す人間すらも現れはじめた。
結果的にインターネットの住民たちは、そのダークヒーロー然とした『不殺人鬼』の存在について、毎日ひっそりと語らい合うことになっていた。
《2》
さて、その舞台である籠目市は、人気も人気もさほどない、かといってそれが自虐に使えるというほど極端でもない、中途半端な小田舎である。休日の街に外からの客が来ることはなく、駅前の商業施設群も、地元の人々でしか賑わっていない——その賑わいもある程度のものしかない——という感じだ。
しかし、そうやって外からの目が届きにくいからこそ、密かに犯罪が行われている。それが、『不殺人鬼』からの贈り物……つまりは発狂した犯罪者を受け取る、地元警察の見解だった。
そして、この人目のつかない立体交差からも、文字通り犯罪の「香り」が漂ってくる。鉄臭く、まとわりつくような、嫌な空気が。
「ぐはっ……!」
そこには一人の少年がいた。彼は不幸なことに、カツアゲに遭っている最中だった。彼より二、三個歳が上の男二人組は、彼の腹を交互に殴っている。その度に、彼は湿った吐息と呻き声を吐き出している。既に衣服は泥と血に塗れ、元の色はよくわからない、そんな有様だ。
「俺……一銭も持ってないんですって……」
「今の世の中、そんなの浮浪者じゃない限りあり得ないんだよ、にーちゃん。ほら、早く財布出しな」
男の呼びかけに、少年はただ首を横に振った。これで信じてくれ、とでも言いたげに、少年はポケットの裏地を見せつける。殴打によって溢れた血をべっとりと滴らせる裏地は、彼の無一文を無言で示した。
「……んなわけあるかよ。どこに隠してる」
「ここまでしても口を割らないなら、俺らの力、見せちゃう?」
「ああ……出し惜しみは勿体無いねぇ。こんだけ殴っても出さねぇなら……『使う』しかないよなァ?」
男二人は、何か意志を込めるように手を構えた。
「《ジャンキー・ナイト》!」「《ザ・ピンク》!」
——ヒュウゥゥゥン!
構えた手に光が灯り、それがある形を成して二人の手にそれぞれ握られた。それは現代にはおよそ似つかわしくない、正真正銘の「武器」だった。一方は、根本が赤、先端が黄のグラデーションになった鋭い鉄扇。もう一方は、悪趣味なピンク色で染め上げられた、チェーンソーを思わせる刀身を持つ剣。
「……それ……っ!?」
少年は絶句する。「あの刃が一度肉に触れれば、あらゆるものをぶちまけてズタズタになってしまうぞ」と、他でもない彼自身の本能が彼に告げたからだ。
「にーちゃん、《ツインズ》を見るのは初めてかな?」
「そいつは幸運なこった。最期に珍しい物が見られてよかったなぁ」
男が放った、《ツインズ》という言葉。少年はまるで聞いたことがない、といった表情をする。男たちはその様子を見て調子に乗ったのか、嬉々とした表情で説明を始めた。
「《ツインズ》ってのはね、簡単に言えば『異能力』のことだよ。分かるかなぁ? にーちゃんが漫画とかアニメとかいっぱい見て、現実から目を背けてるよわっちーやつだったら分かるかもなァ!」
「人間ってのは全力を出せない生き物なんだとよ……でもなぁ、もう一つの『俺』が目を覚ました時、俺たちは全力を出して生きようと『進化』するンだよ……誰にも追いつけない、世界にも縛られない自由な力、《ツインズ》を宿す存在に! この響き、たまんねぇだろ! ……んじゃ、」
男たちは同時に武器を振り上げた。
「鑑賞料は……お前の命と財布で十分だぜェェェェェ!」
——ズバギャギャギャシャァァァァァァッ!
「がああああああああああああ——ッ!?」
少年の肩から下の腕が、体から離れた。肉が内側と外側で混ざり、骨が削られ血が踊る。少年の表情は、溢れて吹き出して飛び散る血で見ることができない。少年はそのまま血溜まりの中に崩れた。
「……チッ」
男たちはどうやら金銭を巻き上げる気が失せたようで、少年の遺体に背を向けた。あれだけ血を噴き出してしまったたならば、隠している金も血で染まって使い物にはならなくなってしまった、とでも考えたのだろうか。
そうして、彼らが帰路に着こうとした、その時だった。
「………………奇遇だな」
男二人は背筋を強張らせた。咄嗟に、少年の遺体の方を振り向く。今、死んだはずの少年が声を発したように思われたのだ。だが少年は相変わらず血溜まりの中でうつ伏せに倒れている。呼吸はない。
しかし、異変が起きた。切り落とされた両の腕、その指先がピク、と動いたのである。
「まさか……あんなになっても生きてるってのか!?」
「いやいやないない……きっと死んだ後のアレだろ? 死後硬直とかなんとかってやつだよ……気にするな……さっさとずらかるぞ」
「まだ話が終わってないだろ? せっかくなら、最後まで聞いていけって」
二人を引き止めるように、少年の骸が確かに声を上げた。……そして、さらに奇妙なことに、その血溜まりが、火の手をあげ始めたのだ。少年の身を火葬するように、独りでに火の手は広がっていく。
「……《スーサイド・フェニックス》……」
やがて少年の体を完全に、血にも勝る濃い緋色の炎が包んだ。炎は男たちの背の丈を超えて伸び上がる。そしてその火が、切り裂かれるようにして消えた時。
「実は俺もお前らと同じ、《ツインズ》能力者でね」
無傷の少年が、狂気じみた笑みで立っていた。
「まさか……お前が……!?」
「そうだ。俺が……巷で噂の『不殺人鬼』ってやつになるんだろうなぁ。いや、実感が湧かないね。ただの一般人だった俺が、いろんなところで大注目の都市伝説だなんてさ」
少年の緋く染まった瞳が、二人の不良の顔を捉える。
「お兄さんたちはラッキーだよ。……一度目の人生の最期に、こんな珍しいものに会えたんだからさ」
直後、激しい嵐が巻き起こった。血と炎によって構成された、荒れ狂う渦が。
《3》
「……君の無鉄砲さには、毎日驚かされるね。自分の体をもっと大切に扱う気は無いのかい?」
一人の少年が、寝転がる少年に呟いた。少年の背丈はおおよそ百七十センチほどで、服装は黒い上着に黒いズボン、黒い靴と全身黒づくめ。上着の下に着たTシャツが唯一黒以外の色彩だが……それ以上に目立つのは、彼の顔を覆い隠す仮面だろう。眉間の上あたりから伸びる冠羽のような装飾、口元の嘴状のパーツなど、どことなく鳥を思わせるその仮面は、鮮血よりもおどろおどろしい緋色に染まっていた。
「お前……よくそんな常識人ぶった台詞言えるよな……俺を『不殺人鬼』にしたのはお前だろ?」
一方、彼に「ヒロ」と呼ばれた少年は、赤い芝生にうつ伏せになったまま振り返り、自らの名を呼んだ少年の、仮面の奥の瞳を睨んだ。少年の目には、緋色の空を背景に立つ、自分と同じ背丈、同じ輪郭の少年が映り込んだ。
このヒロという少年の格好は、大方仮面の少年と同じだ。だが大きな違いとして、彼の瞳は焦茶色で、それは仮面に覆い隠されていない。代わりに彼の頭には、丸いフォルムの黒いキャスケット帽が乗っかっていた。
「ヒロ。もし君が舞台に立つ演者なら、俺は舞台の進みを考え、見届けるプロデューサーなんだよ。演劇の成功には演者の健康も欠かせないだろう? 俺はそういう精神性で、さっきの言葉を君に投げかけたんだ」
「じゃあ、俺からも反論させてもらうけど」
ヒロは上半身を起こして、仮面の少年としっかり向き合う体勢になる。キャスケット帽の鍔を親指でクイ、と挙げると、彼の不服そうな表情がよく見えた。
「そもそも、お前の作る舞台は俺への負担を全く考えちゃいない……いや、考えちゃいないわけじゃ無いんだろうけどさ……対策が荒っぽすぎるんだよ。荒療治とかそういう次元じゃなくてさ。ほら——」
ヒロは突然、自らの手首に犬歯を突き立て、噛みついた。位置的に、わざわざ大きな血管に当たるところを狙ったようだ。
——ぷしゅッ。
血管が爆ぜ、細い血の柱がヒロの視界の左へ伸びていく。しばらく経つと、「ボウッ!」と血が発火して傷口を焼いた。火が収まったあと、出血は止まっていた。手首には火傷も、治療の跡も、さらには最初に噛み跡も無い。初めから、何もしていなかったとさえ錯覚させる。
「——これ、案外痛いんだからな。怪我の痛みとは別に、治療の痛み……熱い鉄を押し付けられて、裂けた皮膚を無理にくっつけられるみたいなのが……もう慣れたけどさ? もう慣れちゃったんだけどさ!?」
「それくらい俺も分かっているさ。それが俺の……君の《ツインズ》たる俺にできる全力なんだよ。全く……大人しく従っていればいいものを、さらに高望みするとは。君には従順さが足りないかもしれないなぁ」
「は? 高望みしてるのはお前の方だろ!? 記憶喪失の人間連れ出して人殺しさせておいて、そこにさらに従順さまで求めるなんて……普通は逃げ出すか発狂するかがいいところなんだよ、俺っつーイレギュラーを引き寄せただけ幸運だと思いやがれ。お前が俺の《ツインズ》……つまりは半身だからとかいう事情無しにな」
ヒロと仮面の少年は、その視線で小さな火花が起こるのではと思わせるほど、鋭い眼光を向け合った。
——《ツインズ》。
それは肉体に「強い生命力」と「二つ以上の人格」が揃った時に、初めて発現するとされている「異能力」につけられた名前だ。
多重人格、イマジナリーフレンド、あるいは理想の自分や記憶の中の幻影……何かしらによって生まれた二つ目の意識はその存在によって、人の生命に負荷をかけ、生命力はその維持のために限界を超えて活性化する。それが人の体を動かす以上の、世界を動かす力を生み出す。これこそが《ツインズ》だ。
宿主との共鳴によって《ツインズ》へと昇華された二つ目の意識は、宿主の内なる欲望に応えるべく、世界を動かす。宿主に異能の力を授け、時に実体化して武器として振るわれ、時に良き理解者として宿主に寄り添う。それがこの世界の「意志を持つ異能力」、《ツインズ》である。
そしてもちろん、このヒロという少年——フルネームを「日暮飛路」と名乗る彼も、《ツインズ》を宿すうちの一人である。
……この表現に違和感を感じた人は、鋭い勘を持っているかもしれない。
彼の名前、「日暮飛路」とは、彼が勝手に名乗っている名前である。親に与えられた名前とは無関係に名乗っているものなのだ。だが、別に彼が痛い趣味を持っているわけではない。というのも——彼自身が先ほど言っていたように、記憶喪失を患っているのだ。それも、少し気持ち悪い形の記憶喪失を。
例えば彼の中に「誰かと出かけた」という記憶があったとしよう。しかし今の彼は「出かけた」こと自体は覚えているものの、「誰と」は全く思い出すことができない。記憶を成り立たせる要素の詳細な部分が抜け落ちているのだ。
また、一部の重い価値を持つ記憶—— 家族や友人との主要な思い出、例えば旅行だとか、喧嘩だとか、そういう人格形成の根幹に関わるような記憶——は、一般的に想像される「記憶喪失」の状態と同じく、パーツ一つすらも浮かび上がってこない状態にある。
ほとんど虫食いになった彼が明瞭に思い出せる記憶は、彼が《ツインズ》を手にした後のことばかり……つまりは記憶喪失に陥った後に得た記憶だけだった。この事実から見て、彼が《ツインズ》に目覚めていることは、記憶喪失に関する何らかのヒントと言えるだろう。
そんな彼の《ツインズ》は、ヒロのそばに立つ、彼と瓜二つの素顔を仮面で隠した少年その人だ。《スーサイド・フェニックス》……それが彼の真の名前である。直訳して《自殺の不死鳥》という刺々しい名前を持つ彼の力は、「宿主に無限の生命力を与える」こと。彼はヒロの血液を変質させ、傷を瞬時に回復させる能力を与えた。そしてヒロが必要とすれば、彼はヒロの剣となり、その殺人行為を血で彩るのだ。
加えて彼は、ヒロと彼が立つこの異空間の主人でもある。「緋色の世界」と二人が呼ぶこの世界は、ヒロの意識の中に存在する。フェニックスが、宿主と円滑なコミュニケーションを行うために用意した場だ。この世界に存在するものは、草も空も雲も、血のように緋い。それはヒロとフェニックスにとって、もっとも見慣れた、親しみのある色彩だった。
「だいたい、お前って悪趣味だよな。お前の作ったこの世界……俺の心象風景らしいけど、ほとんど血塗れみたいな色だろ? もう見飽きたっていうかさ、『不殺人鬼』として戦う以外の時間は、血の色なんて見ないでリラックスしたいって思ってんだけど……」
「俺のセンスを否定するなんて、俺の半身はなんてことを言ってくれたんだ……じゃあ俺の力を以てして、この空間の色を取り払ってあげてもいい。……もっとも、この空間で俺と幾晩をも共にしたこの空間に、君がある程度の愛着を持っていることを俺は知っているけどね」
「誤解を招くような言葉選びだな。お前やっぱり最高だよ」
「それは褒め言葉かい?」
「そう聞こえるなら、お前はおめでたい頭をしてることになるな」
「ふっ……どうやら俺の選んだ『依代』は、『友人』にするには少々気難しい部類らしい」
「じゃあ、今の俺と別れるか?」
「それが無理な相談だというのは、君が一番よく分かっているだろう?」
「……まあ、そうなんだよな。俺が一番、お前の力に適応できてるんだよな」
「そうだ。君はこの上なく最高の、俺の『依代』なんだよ。だから、これからも末長く俺のために戦ってほしい」
フェニックスは指を鳴らした。すると、緋色の空がぱらぱらと崩れていく。空間が、徐々に消えていく。
「そろそろ、君の目覚めの時間が来る。……一応警告しておこう。この前出会した不良の《ツインズ》、二体とも仕留め損ねていただろう? ああいう単細胞な連中は、確実に君に復讐を働くはずだ。くれぐれも、背後に気をつけるようにね。まあいずれにせよ、あちらから来なければこちらが出向くことになるだろうけれどね」
「言われなくても分かってるっての……」
《4》
ヒロはゆっくりと上体を起こした。適当な河川敷で仮眠をとっていたが、思っていたよりも長い間眠りについていたらしい。すでに、空にはまばらに星が見えている。人通りはほとんどなく、春にしては少し肌寒い。
(——何度も「死」を前にしたくせに、まだ「命の尊さ」が分からないなんて……バカだよなぁ)
ヒロは記憶を失ったせいなのか、あるいは何か別の理由があるのかはわからないが、とにかく彼自身の欲求に無頓着だ。それ故に己の内から響く不死鳥の声に従い、《不殺人鬼》なる怪物に身を堕とした。何もしないよりは、それがどれだけの「悪」だとしても行動を起こした方がいいだろう、と。
(——イカれてるよな、ほんと)
ふと、「みぃ」というような声が聞こえた。見てみれば、茂みの中から白い猫が顔を覗かせている。その若草色の瞳は、確かにヒロを見ていた。
「……君も一人なの? ……俺とおんなじかな……」
ヒロは子猫に手を伸ばした。しかし子猫はまた「みぃ」と鳴いたかと思えば、そそくさと草むらの中に姿を消してしまった。
ヒロはふと、自分の手を見てみた。特におかしなところは無い。一見すると、下手な普通の人よりも清潔な手に見える。しかしそこにはきっと、血の匂いが強くこびり付いているのだ。彼自身は長く血を浴びたために、おそらく鼻が慣れてしまっていて分からないだろうが。
「まあ、当たり前だよな……」
現状を確認するように、彼は一人呟く。学校からもインターネットからも引き剥がされ、所属するコミュニティを持たない彼に、味方はフェニックスしかいない。「親友は四、五人いれば十分」だという。ならば一生を添い遂げることになる「双子」に関しては、一人で十分なはずだ。
しかしながら今のヒロには、それが随分と寂しいことのように感じられた。
(——寂しさ……寂しさね……こんなの、感じるだけ無駄だと思うんだけど)
見えない傷を確かめるヒロ——だったがその視界に高速で飛び込んでくるものがあった。
——ビシュウゥゥッ!
先端についた突起物が、ヒロの頬を切り付ける。凝視すれば、それは肉色の触手だ。
「あーあ、来ちゃったか……」
ヒロは咄嗟に臨戦体制を整えた。襲撃されている、その認識事実が彼の身体中の血管の収縮を活性化させる。血流が荒ぶる痛み。武者震いに両腕が揺れた。
「テメェ……テメェ許さねぇぞォォォォ!」
触手が掃除機のコードよろしくシュルシュルと戻っていった先には、フェニックスが警戒するように言ってきた、あの《ツインズ》能力者二人組の姿があった。片方の男がその《ツインズ》……《ザ・ピンク》の能力である肉の触手を見せびらかし、殺意に身を包んでいる。
隣には《ジャンキー・ナイト》を既に実体化させたもう一方のカツアゲ男の姿が。彼は飛び上がると、ヒロを視界に捉えたまま扇を横一閃した。扇から飛び散るのは、高熱に熱された油の刃。
「……ッ」
ジュッ! と音を立てて着弾する飛刃。ヒロは咄嗟に横に飛んで回避していた。跳ねた油の熱気が、ヒロの頬に小さな赤い跡を残した。
「わざわざそっちから出向いてくれるなんて、有難いね」
「うるせぇ! テメェは俺らの人生を壊した……お前のせいで下っ端の警官に追われる身だ! ガキの癖して《ツインズ》なんか使ってるじゃねぇ……イラつくんだよクソ野郎が!」
「……今まで奪う側だったアンタが、ちょっぴり命と立場を奪われたくらいでそんなにぎゃあぎゃあ喚くなんて、惨めとしか言いようがないなぁ。……いや、待てよ。もしかして、奪われる感覚が癖になっちゃったから、俺の前に現れたのかな? ほら、奪う側が快感を覚えるのは、奪われる側の気持ちが分かってこそって言うだろう。つまり元々、アンタらには奪われる側に回る才能があったってことだ! ははっ、人間て面白いなぁ」
ヒロは持ち合わせの語彙を総動員して、男たちを嘲る。瞳に、さっき猫を見ていた時のような、優しい光はない。まるで蝋燭の先で黒い炎がゆらゆらと風に靡くような、不気味な輝きが灯っている。彼の「仕事」モードのスイッチを、二人の男は完全にオンにしてしまった。
それは間違いなく——『不殺人鬼』に相応しい顔だった。
「《スーサイド・フェニックス》、俺に力を貸してくれ……」
ヒロが唱えると、彼の手首が独りでに、カッターナイフを滑らせたかのように裂けた。溢れるのは血ではなく、緋色の炎。炎は渦を巻く。まるで型に流し込まれた鉄のように、炎が形を持っていく。
「これが俺の《ツインズ》……って言っても、アンタらはもう見たんだったっけか、一度目の死に際に。俺に殺される直前に、って言った方がいいかもね。ほら、何事も二度目の印象って違うものだろ? ちゃんと見てみろよ」
黒の刀身に、血管が這ったような禍々しい模様が刻まれた剣。鳥の羽を模した柄飾りの中心に刻まれた紋章は、彼の《ツインズ》がそんじょそこらの雑魚とは違うことを、暗に示している。
それを見た男たちは、悟られないよう取り繕っているものの、確かに身をすくめた。それが耐え難かったのか、肉の触手と油の刃がまた、ヒロの首筋を狙って襲いかかる。またしても殺す気だ。
ならばと、ヒロも殺気を十分に纏い、足に力を込めた。彼は腰を捻り、剣の柄を固く握る。刀身に張り巡らされた模様が、どくんどくんと脈を打つように明滅する。
「——ッ!」
ヒロは大きく踏み出す。敵の繰り出した触手に、自ら突っ込むようにして。案の定、彼の左腕が「ザクン!」と切り飛ばされて宙を舞う。しかし彼は走るのをやめない。肩口から溢れ出る血を、触手に塗りたくるようにして全身を続けている。
「ウォォォォォォォォ!」
続いて横を見てみれば、《ジャンキー・ナイト》の油臭い刃がすぐそこまで迫っている。彼は自分の喉笛を、その油の刃に差し出した。彼の喉は、「ジュワッ!」と音を立てて焼かれ、切断された。
——ゴボボボッ! ドシャッ!
ヒロは傷口や口から血を撒き散らした。その血を顔面に受けながらも、《ジャンキー・ナイト》を持つ男はヒロに追撃を送らんと間合いを詰める。第三者から見れば、それはヒロが劣勢に立たされたかのような印象を与える光景だろう。しかし、彼の能力の真髄を知っているならば、予測される結末は逆転する。
(——燃えろ)
彼の意思に応じて、「ボアァァァッ!」と血が燃え上がった。彼の腕の断面から溢れる血、喉仏から溢れる血、触手に塗られた血、男が顔に浴びた血、その全てが、刺激を加えたニトロのように爆ぜた。
男たちに襲いかかるのは、その余波たる爆風。その数秒後に、果てしない激痛が彼らの神経を駆け巡る。
「「ギャアアッ!?」」
焼ける痛みが男を襲うが、その体に傷は見られない。無限の苦痛と無限の再生のコンボが、攻撃を受ける者の精神を凄まじい勢いですり減らしていく。それがヒロの、《スーサイド・フェニックス》を宿す男の戦い方。
「アンタらのその無謀さ……何十回って能力者を殺してきた俺に喧嘩を売る根性は、素直に尊敬するよ。さて、その尊敬に値するプレゼントを、俺は持ち合わせてたっけ……ああ、どうせ送るなら、『不殺人鬼』が送れる中で最上級のものがいい。例えば……二度目の死とか?」
「クソッ……アアアアアアアアッ!」
異形の触手を使う男が、耐えきれずに発狂した。無差別に肉が暴れ狂う。『不殺人鬼』は難なくそれらを剣で受け流し、時に受け止め、近づいていく。数発体の方に食らったとしても、彼の体に傷は残らない。それは瞬時に彼の体が治癒してしまうがためのことだった。
実は、二人の男の体にも、実は今まで目立った傷はない。ヒロの流す血液は、激痛を与えることはできても、傷を残すことはできない。不死の力が、相手にまで影響を及ぼしているのだ。全員が傷つけあうが、その結果が目に見えて訪れることは絶対にない、歪な戦場の姿。それは『不殺人鬼』の異常性、言い換えるならば「超常現象感」を、より強調していると言えるかもしれない。
彼は触手全てに剣を一度は入れ、その動きを鈍らせた。相対する二人は既に消耗して、足取りもおぼつかない。
(——もう、いいか)
ヒロはこの二人に情けをかけてやるために、剣を天に掲げた。
「死とは終着点にあらず。それは善き生の訪れの始動点。あるいは修羅の道を見据える崖の上。いずれにせよ、その旅路が意味を持つよう、現世の罪を断ち切るのが、我が血の、我が剣の、我が存在の意味と信ずる——」
大股に足を開き、剣先を下げ、力を込める。刀身の血管模様が激しく明滅する。炎が漏れ出し、周囲の空気は微かに、彼の生命力と同じ波長を宿しているような気を起こさせた。そして——
「——《血風・鳶》ッ!」
——ヒロは大きく、円を描くように剣を振った。それによって生まれた暴風に、剣から飛び散った血が乗る、血が燃え、炎の竜巻が渦を巻く。容赦なく引き裂かれる触手と、かき消される油の刃。そして竜巻は徐々に周囲の物体を巻き込み……男たちも、もれなく細切れにした。
断末魔すらあげる暇もなく、男たちだったものは炎を灯し、バラバラと床に転がる。血溜まりと、炎と、その中心に立つ剣を持つ少年が織りなす様相は、地獄絵図と呼ぶのがふさわしかった。
《5》
ヒロは自分の足元から半径五メートルほどまで続く、血溜まりを眺めた。ヒロ自身の緋色と、男たちの鮮烈な赤が混じった水たまりは、ところどころがメラメラと火を噴いている。その情景の中心に、「それら」は突き立っていた。……男たちの使っていた、《ジャンキー・ナイト》と《ザ・ピンク》が、元の色も分からないほど汚れて、地面に突き立っていた。
ヒロはあの男たちとは初めてであったが、これらの《ツインズ》を見るのは、初めてではない。どうやら同じ見た目同じ能力を有する《ツインズ》が、何かしらの未知のルートで「商品」として取引されているらしい。きっと武器の密売か何かをしているつもりなのだろうが、ヒロは《ツインズ》に意思があることを知っている。
ある程度の知識を持つヒロからすれば、それは碌に訓練もしていない子犬を軍用犬として死地に駆り出すような、とてもじゃないが正気の沙汰とは言えない現実と言えよう。
「はぁ……これで今回の仕事はしゅうりょ……うっ……コォっ……おェェっ……!?」
少年は突然、血の混じった胃酸を吐き出した。咄嗟に手で吐瀉物を受ける。口の中が酸と血の味に染め上げられ、ひたすらに不快だ。それをきっかけにして、全身に疲れが回っていく。手足は震え、立っているのもままならないような状態だ。
「ハァ……はぁ……ちょっと……無理しすぎ……た……かも……」
彼は思わず弱音を漏らしてしまった。ここまで追い詰められたのは久しぶりだ、などと思ってみる。いや、知らず知らずのうちにここまで溜め込んでいた、と言うのが正しい表現になるのだろうか。
よろよろとおぼつかない足取りで前進するヒロ、その脳内に話しかけてくる声が一つ。今は彼の手に握られた剣の姿をとる、《スーサイド・フェニックス》のものだ。
(——その様子じゃ歩くのも大変だろう。俺に代わるといい)
「うっ……今回ばかりはお前にに甘えることにするよ……。少し休んだらまた……」
ヒロが意識を手放す。フラリとよろける体を、彼の足はしっかりと支えて、その体をまっすぐ立たせた。それは、彼の体の主導権がフェニックスに握られたからに他ならない。
「よっと……これは、想像以上にひどいねぇ。今日はこれ以上の戦闘をこなすのは厳しそうだね……せっかく寝た後だったけど、また寝床を探すのが安泰だろう。……全く、最近のヒロは『故障』するスパンが短い気がしてならない。まあ、本人はまだ『不殺人鬼』であり続けるつもりらしいし、さっさとこの《ツインズ》を破壊して——」
ヒロの体を使って、フェニックスが立ち去ろうとした時。
「うわっ……」
そう遠くない場所で、声が聞こえた。フェニックスは思わず身を固めた。足元の血溜まり、そして散らばる肉片を見た。彼に目撃者がいたとしたなら、言い訳は通用しない。状況証拠は揃いすぎていた。
そっと、声の方を見る。そこに、少女の姿が一つ。
「……人……殺し…………?」
「しまっ——ッ!?」
フェニックスはすぐさま、足元に撒き散らされた血を全て炎上させた。ゴウッ! と音を立てて一瞬だけ火柱が上がり、彼の姿はどこかへ消えた。残ったのは、失神して転がる、男二人。それは男と認識できる状態になっていた。傷なんて、最初からなかったかのように。
「行っちゃっ——んんっ……どうやら、逃げられてしまったようだね」
少女は惨状を目の当たりにしたのにも関わらず、何故かもの惜しげな表情をして、証拠の一切が消された現場、人相の悪い男二人が倒れているだけの、その場所を見ていた。
やがて少女は小さく笑うと、
「この街もまだ捨てた物じゃ無いみたいだねぇ、モルフォ。特上のネタが、あちらから来てくれたようだ」
と、小脇に抱えていた、青い本に向かって言い放った。