6-41 願いの呪縛-3
「ひ、ひぃい! 助け……あぎゃ……」
何度かナイフを刺すと男は涙を、鼻水を、顔中から溢れさせた。
男の顔は、臭くてぬちゃっとしたものでぐちゃぐちゃになっちゃった。
ほら、やっぱりさっきまでの私はよくある事の一つなんだ。
こんなに顔をぐちゃぐちゃにして……でも何だろう?
何かいい匂いがして鼓動が早くなってきた。
何だろうこの感じ、高揚感?
私、興奮してる?
「もう一回、もう一回、あは、あはははは♡」
「あ、ごぼっ、たす、け……ごぼっ……」
「……いい匂い。おいしいかな? えいっ!」
よく分からないけど、衝動に駆られて私は男の首目掛けてかぶりついた。
あったかくてドロッとしたそれが私の中に流れ込んで来る。
どことない高揚感に、不幸な私が薄まっていくような気がした。それとも、私の中の何かが満ちていってる?
もしかして、これが幸せなのかな?
普通に近づけてるのかな?
「が……が……あ……」
「うん、初めて飲んだけど悪くないよ。ちょっと癖は強いけど、何かお腹の辺りがポカポカしてくる……あれ? おーい、あれ? ……動かなくなっちゃった。……まだ、足りないよ。もっと……そうだよ。私は不幸なんかじゃない。それならきっと、この世界にはもっとたくさんの絶望が溢れているはずだよね。私は不幸じゃないんだから……そうじゃないと、おかしいよね。もっと見つけなきゃ……平穏が壊れる瞬間を、その絶望を……私は、普通じゃないといけないんだ」
その時、扉が開いて二人の男が中に入って来た。
「おい、うるせぇぞ。聞こえないようにもう少し静かに……おい、何してんだガキ」
「おい、立ち止まってどうし……は、はぁ!? な、その口に付いてるの、この鉄臭い匂い、血? そいつに何をした!」
「ちっ、見りゃ分かんだろ! 殺されてる! こいつはこんなガキでも怪物だったって事だよ! さっさと武器を構えろ!」
「お、おう」
入ってきた二人は私を見るや斧を構えた。
その表情から緊張しているのが何となく分かった。
それを見ると、不思議と内から高揚感が湧いてきた。
「あは、見つけたぁ♡ ねぇ、もっと、もっと私を薄めて?」
「ひ、ひぃ!」
「狂ってやがる……! 死ねぇ!」
男は思いっ切り斧を振りかぶると私の首目掛けて振り下ろした。
衝撃に頭が揺れる。
しかし、私の首は切れることなく繋がっていた。
「な、こいつっ……切れねぇ!」
「ひ、あ、あ、あぁ……血が、浮いて、ば、化け物ぉ!」
気が付くと、そこには全身から血を流し顔をぐちゃぐちゃに歪めた男が二人倒れていた。
無意識に手に付いた血を舐めると、やはり鼓動が早くなる。
お腹がポカポカと温かくなってくる。
絶望感が、薄まっていく。
あぁ、こうしているとよく感じられる。
絶望が薄まって高揚感が私を満たしていく。
倒れた男達に嚙みつくと、より高揚感を得られた。
きっと、この感覚が幸せなんだ。
きっと私は今、普通に近付いて満ち足りているんだ。
私はこうして幸せも感じることが出来る。
私は今、幸せに生きることが出来ている。
でも、しばらくしてその高揚感はどんどん薄れていった。
それと共に訪れる虚脱感、不快感、絶望感。それ等はまだ、私を蝕んでいた。
どうして? 私は幸せに生きていられたはずなのに……。
その時、私はさっきの事を思い出していた。
ナイフを突き刺した時、他人の絶望で私の絶望感は薄まったように感じた。
血を舐めた時、高揚感が私を満たして、幸せを感じられた。
でも、時間が経ったらそれらは無くなってしまった。
……そうか、きっと足りないんだ。
もっと、もっと、見つけなきゃ。
私の絶望を薄めるんだ。
私は普通で、幸せになれるはずなんだから。
私をもっと幸せで満たすんだ。
私は、幸せにならないといけないんだから。
そして、少女は舌舐めずりをすると明るくなり始めた山を下り、町へとひたひた歩き出した。
まだ見ぬ、絶望と幸せを求めて……。
親の教えの意図とは異なり、子は間違った道を歩み出す。
親の願いは、子を縛る呪縛となって、その背をどこまでも押していく。
それは誰かが悪いのか、環境が、世界が悪いのか。
うーん、難しいですね。
リリアの過去については、キャラクター設定から逆行して考えたんですが、かなり重たい話になってしまいました。
もしかしたら、ただ幸せに暮らせた世界もあったかもしれませんね。
さて、次回「気付かずともそばにある」、お楽しみに!




