1-1 新任教師と編入生
ぼんやりとした夢。俺は子供で女の子を守ろうと叫んでいる。この子は誰だ? 顔がはっきりとしない。でも、どことなく懐かしいような……。
「いてっ! な、何だ!」
突然頭に走った痛みに俺は跳び起きた。そして、辺りを見回して状況を確認する。
ここは学校の教室で、クラスメイト達の視線が俺に集まっている? そして、何かを投げたような姿勢でこちらを見ている大人。知らない顔だけど教師か? 床にはチョークが転がっていた。これを投げられたのか。となるとこの状況は……。
「雷人思いっ切り寝てたよね。謝っといた方が良いと思うよ」
「ほんとほんと。二年生初日から寝るなんてな。第一印象が悪くなっちゃうぞー。もう遅いかもだけど」
前の席に座っている癖っ毛な銀髪の小柄な少年。幼馴染で親友の常盤空と後ろの席の茶髪で赤いヘアバンドを着けた少年。去年から同じクラスの友人、新島隼人がニヤニヤした顔で俺を見ていた。やはり寝てしまっていたらしい。俺の醜態を楽しんでいる二人には文句の一つも言ってやりたいところだが、言っていることは正論なので従っておこう。
「すみませんでした」
「……次は気を付けるようにお願いしますね」
俺が頭を下げるとその教師は構えていた第二射を投げるのを止めてくれた。うん、素直に謝るものだな。さて、改めて教師を見てみると爽やかで落ち着いた雰囲気の青年だった。
スラリとしていて高身長、さらさらしている黒色の髪に黒い眼鏡を掛けている。纏っている雰囲気はいかにも仕事の出来る好青年といった感じだ。うん、やっぱり知らない顔だ。新任だろうか?
周りの生徒達は(特に女子生徒達は)恐らく担任であろうその青年を見て、カッコいいだのイケメンだのと口々に賛辞の言葉をあげている。それをコホンと咳払い一つで静めると、教師は自己紹介を始めた。
「皆さん初めまして。今日から一年間、このクラスの担任をさせて頂きます。夕凪晴馬といいます。今年度からこの学校に勤める事になったので、まだこの学校について知らない事も多いです。色々迷惑をかける事もあると思いますが、宜しくお願いします。あと不真面目な生徒にはしっかりと注意をさせて頂きますので、よろしく」
担任の夕凪先生はそう言うとチョークをチラつかせながらこちらに視線を送ってきた。笑顔なのが怖い……俺はもう寝こけるまいと心の中で誓った。
「……それで早速ですが、私と同じように今年度から編入してきた生徒がいます。今日から君達と同じくこのクラスで学ぶ事になります。ぜひ仲良くしてあげて下さい。それでは中へどうぞ」
先生の挨拶を静かに聞いていた生徒達は編入生と聞くとたちまちざわつき始めた。
「編入生が来るのか! 俺編入生とか初めてだよ。どんな子だろ、可愛い子だといいなー」
「おいおいハードル上げてやるなよ。漫画じゃないんだからさ、冴えない奴だろ?」
「キャーイケメンだったらどうしよー」
「こういうのはやっぱり緊張しちゃうねー」
皆好き勝手に騒いでいるが、この雰囲気だと入り辛い事この上ないな。
編入生には同情するばかりだ。
するとようやく意を決したかのように教室の扉がガラッと開き、一人の少女がゆっくりと入ってきた。緊張しているのか若干表情は硬かったが、その歩く姿はどことなく洗練されているように感じられた。
「初めまして。今日から皆さんと一緒に学ばせてもらいます。朝賀唯と申します。分からないことばかりなので、色々教えてくれると嬉しいです。宜しくお願いします」
朝賀さんは実にお手本通りというべき挨拶と共ににっこりと笑って見せた。見た目はふわっとした肩くらいまでの長さの黒髪が特徴的で、大人しい感じの印象を受けた。
朝賀さんは控えめに言っても可愛らしく、満場一致で満点の挨拶をした編入生にクラスメイト達はどことなく浮足立っている様子だった。
まさかハードルを軽々と跳び越えて来るとはな。俺の同情は不要だったらしい。
「はいはい。気になるのは分かりますが騒がないで下さい。迷惑が掛からない程度に仲良くするようにお願いしますね。それで席は……そこですね。その空いてる席に座って下さい」
そう言って夕凪先生は俺の隣の席を指した。なぜ空いているのかと思ってはいたのだが、編入生が来るからだったのか。そして、朝賀さんはすたすたと歩いて来るとこちらを向いた。
「えっと、隣の席ですね。これから宜しくお願いします」
「あ、ああ、よろしく」
朝賀さんはにっこりと微笑んできたが、俺は返事をするとすぐに視線を逸らしてしまった。
普段あまり女子と話す事も無いので、ちょっと素っ気ない態度を取ってしまったのは仕方のない事だろう。だから前後の二人は俺を見てにやにやするな鬱陶しい。
「えーこの後は始業式が第一演習場で執り行われるので、これからそちらに向かいます。退屈でも寝ないようにお願いしますね。朝賀さんはその後にでも誰かに校舎を案内してもらって下さい。それでは、全員廊下に出て整列」
皆が先生の指示に従って外に出ていく中、俺も立ち上がって移動しようとすると朝賀さんが目の前に立ってこっちを見ているのに気付いた。なんだか何か言いたげだな。
何だろうかと見返していると、なんだか見つめ合っているみたいで恥ずかしい。
いつまでもそうしているわけにもいかないので、話しかけてみる事にした。
「えっと、何か用か?」
「えっと、その……、隣の席なのも何かの縁だと思いますし、すみませんが後で学校を案内して頂けませんか?」
朝賀さんは緊張しているのか少し視線が下を向いていて頬が赤くなっている。
さっきまでは非常に落ち着いた様子だったので、恥ずかしがっている様子は少し意外だ。
一応キョロキョロと見回してみるが、朝賀さんの向いてる方向で一番近いのは俺だ。
人違いということはまず無いだろう。
「えっと、そうだな。俺で良ければ案内するよ」
「ありがとうございます。それでは後で、お願いしますね」
そう言うと朝賀さんは小走りで廊下に出て行った。このくらいで浮かれるつもりはないが、仲良くなれるかもと思うとちょっと意識してしまうな。そんな心を見透かしたのか、後ろから空と隼人が背中を突いてきた。
「おっと雷人。早くも編入生に急接近なのか? 俺のデータによると朝賀さんは校内でもトップクラスに可愛いし、編入生だからいい感じの相手もいない。まさに狙い目、羨ましい限りだな」
「うーん、万年彼女なしの雷人にも遂に春が来たのかな? 親友の僕としても嬉しい限りだよ」
「おい、別に俺は彼女とかそんなこと思ってないからな。それにお前らだって万年彼女なしだろうが。……って言うか隼人、お前のデータって何だよ」
「ん? 何って、俺は学校一の情報通だぜ? 知らなかったのか? 一年も友達やってて薄情な奴だなぁ」
「ほんとかよ。そんなの初めて聞いたぞ」
「僕も知らなかったよ」
「マジ? じゃあ俺の事何だと思ってたんだよ?」
「万年彼女募集中のナンパ男」
「全弾不発のナンパ男」
「二人して辛辣過ぎない? っておわっ!」
隼人の叫びと同時に目の前を何かが通り過ぎ、教室の壁に当たって弾けた。もはや見るまでもないが、それが飛んで来た方を見ると怒ってますと言わんばかりの笑顔がそこにあった。
「そこの三人。仲良くするのはいいですが、話してないで早く並んで下さいね?」
「はいっ!」
俺達は良い返事をすると慌てて廊下に飛び出したのだった。