5-52 悪い魔女と春精霊
「それでは皆様扉を選ばれたみたいですので、早速アトラクションを開始したいと思います。それでは氷の迷宮へ、行ってらっしゃーい!」
係員のアナウンスと共に目の前の両開きの扉が開き、俺と唯は中へと進んだ。
するとそこはただの小さな部屋だった。見る限りは何もなさそうだが……。
その時、突然後ろの扉が勢いよく閉まった。
「きゃっ!」
「おわっ! びっくりした!」
扉の閉まった音もそうだが、それに驚いた唯に抱き着かれて俺の心臓は跳ねた。
み、水着だから余計に体温と柔らかい感触が……!
いや、待て待て待て。俺には心に決めた人がいるんだから動揺するな。平常心、平常心。
「あ、ごめんなさい雷人君」
「ぃや、大丈夫。俺もびっくりしたからさ。ははは」
唯は恥ずかしそうに顔を逸らすと、背を向けて俺から離れ、そのまま扉へと向かっていった。
「えっと、どうやら開きそうにありませんね」
「まぁ、そうだろうな。先に進むのが正解だろうから……って寒っ!」
「ひぅ、風が?」
突然の冷たい風に俺と唯が身を震わせると何やら声が響いた。
「んぅ? 私の工房に何か迷い込んだみたいだねぇ。いっひっひっ!」
何やら魔女を想起させる老婆のような声だ。
これがもし魔女なんだとしたら、このアトラクションは魔女から逃げる設定の脱出ゲームなのだろうか?
「それにしても久しぶりの客だねぇ。料理の準備をするから、そこで大人しく待ってるんだね! いっひっひっ! ……んぅ? この気配は、まさか!」
その時、何やら突然部屋の奥の壁の一部が崩れ落ちた。
それと同時に空中に何やら光る球のようなものが現れた。そして、さっきの魔女とは違った幼さの残る声が響いた。
「君達、こんな所に来ちゃ駄目だよ! ほら、早く逃げて、魔女に捕まったら鍋で煮て怪しい薬の材料にされちゃうよ!」
「この、忌々しい春精霊め! 懲りもせずにまた来たのかい! だけど私の工房からそう何度も逃げられるとは思わない事だね! いっひっひっ!」
「さあ! 二人とも早くこっちに来て! 僕が案内してあげる」
そう言うと光の球こと春精霊は崩れた壁に向かって飛んで行った。
「えっと、どうやらこの春精霊っていうのが案内役をしてくれるみたいだな」
「そうみたいですね。冬をイメージさせる氷の城から、春の案内で脱出ですか。なかなか良い設定ですね」
「確かに、分かりやすくていいな」
「ふふ、冒険が始まるみたいで楽しいですね」
そう言って唯は本当に楽しそうに笑った。
その笑顔を見ていると、俺も唯みたいに全力で楽しんでみるかと、そう思えた。
「あぁ、そうだな」
「それでは、行きましょうか」
俺達は春精霊に付いて、先へと進んだ。
氷の通路を道なりに進み、梯子を上って進んでいくと、四つん這いじゃないと通れないような狭い穴が現れた。
「さぁ、ここを潜って付いて来て」
春精霊は当然穴の中へと進むように指示し、その中へと入って行った。
それを見た唯は躊躇うことなくその穴に近付いて行く。
「結構狭いですが、問題なく通れそうですね。このまま進みましょう」
「あ、ちょっ、待て待て待て、俺が先に行くから」
「え? 雷人君。これはアトラクションですから、別に危険などはないと思いますよ」
唯は不思議そうな顔でこちらを見るが、今の格好を考えて欲しい。
「いや、俺は別に危険だからと言ってるわけじゃなくてだな。その、なんだ。唯が入って行ったらその後に俺も付いて行くわけだろ?」
「ええと、そうですね。それが……?」
何を当然の事を言っているんだとばかりにはてなを浮かべる唯。
あぁ、もう。本当に無警戒だな。
「いや、だから。こんな狭い場所じゃ嫌でも視界に入ってしまうというか」
「あっ……なるほど」
俺がそう言うと何が言いたいのかをようやく察したらしくお尻に手を当てる。
唯は少し顔を赤くしたが、特に目を背ける事もなく言った。
「雷人君の言いたい事はなんとなく分かりました。ですが、考え過ぎだと思います。私は水着とはいってもパレオを着ていますし、その下に着ているのは下着ではなく水着ですから」
……唯はそんな事を言うが、水着と下着ってそんなに違うものだろうかと正直思ってしまう。
確かに水着を着ている以上はある程度見られることも織り込み済みなのだろう。
でも、結局のところ布一枚なのは変わらないと思うのだが……。
「そうは言っても、やっぱり近くで見られるのは嫌だろ? 俺が先に行った方が心配しなくていいし、その方が良いと思うが」
もちろん俺に唯を辱めるつもりはないが、目の前にあればどうしても色々と考えてしまうと思う。唯の様に可愛い子が相手なら尚更だ。
俺はそういった思考を制御できるほど達観してはいないが、唯に不快な思いをさせたいわけじゃない。だからこうするのが最善なはず、そう思ったのだが、唯はなぜか俺の目を見つめながら言った。
「……いえ、やっぱり私が先に行きます」
「……え? 何で?」
俺はいまいち唯の考えが理解できずに一瞬フリーズした。
俺に見られたい……訳はないよな。え、何で? どうして?
そんな思考が顔に出ていたのか、唯は顔を背けながらぼそっと言った。
「そういった事を考えてしまうのは男の子だけではないんですよ? 雷人君は無防備すぎます」
……? え、は? そう言われて自分の水着を見る。
確かに男の水着も女子同様に下着と大差はないような気がする。でも、俺が着ているのはトランクス型の水着だ。
別にボクサー型みたいに輪郭が出やすい物を着ているわけでもないのに、これって無防備なのか?
よく分からないが、ちらりと見える唯の横顔は少し赤く見えた。
そして、俺が混乱している間に唯は穴の中へと入って行ってしまった。
えーと、あれだな。こうなったら少し待って入って行けばいいか。
そうすれば誰も傷つかずに済む。うん、それがいい——————。
「雷人君、気にしなくていいので早く付いて来て下さい。春精霊さんに置いて行かれてしまいますよ」
……これで入って行かなかったら滅茶苦茶意識してるみたいじゃん!
俺は一瞬躊躇ったが、唯が良いと言っているのに逃げるわけにもいかないかと意を決して追いかけた。
とはいえ、可能な限り見ないようにしようと目を背けて進んでいくと頭に何か柔らかいものが当たった。
「ひゃっ!」
「わっ! 悪い、前見てなくて」
頭に何が当たったか、など考えるまでもない。
俺は目を背けたまま後退って謝った。
「……別に見ていいって言ったじゃないですか」
「いや、そういう訳には……って、そういえばどうして止まってたんだ?」
「あ、そうですね。えっと、どうやらここから先に進めないようになっているみたいなんです」
「進めない? 案内されてきたのにか?」
「氷の壁にパズルがあるのでこれを解かなければならないんだと思います。簡単なものなのですぐに解けるはずです。ちょっと待っていて下さいね」
そう言われて耳を傾けて見ると、例の春精霊の声が聞こえた。
「悪い魔女が仕掛けた結界があって先に進めないよ! でも、ここにある氷板を順番通りに並べればきっと解けると思うんだ。僕には難しいけど、君達ならきっと解ける! 頑張って!」
「なるほど、こういう試練みたいなのが時々出てくるわけか。しかし、わざわざペアで参加なのに俺からは問題すら見えないとか設計ミスじゃないのか……?」
「あはは、確かにそうですね。あ、でももう解けますよ。よし」
そして唯がパズルを解いたその瞬間、どういうわけか床から氷の壁が迫り出して来て俺の進路を塞いだのだった。




