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AKANE  作者: 木と蜜柑
最終章 
62/63

      4話  扉の向こうへ

 最終話です。ここまで読んで下さった皆さん、本当にありがとうございました。

 ここまで書いてこれたのは皆様の応援があってこそです。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

 

 

 

 朱音は腕までを覆う滑らかな生地の手袋を、両手を広げまじまじと見つめていた。

「お綺麗でございます、アカネ様・・・」

 純白のドレスに身を包んだ少女は、平素とは違った特別なメイクが施され、ほんのりとその頬は桜色に染まっていた。真っ白のドレスに黒い髪が映え、神秘的な雰囲気を放っている。美しく着飾った少女は、少女というよりもいくらか大人びた女性のようにも見せていた。

 鏡越しに、まるで自分とは違う別人がそこに映っているかのように呆けている、少女の美しく纏め上げられた髪に、仕上げのティアラを据え置きながら、うっとりとした声で侍女であるエメが溢す。

「エメ、わたし、どうしよう、怖い・・・」

 不安げな声を上げる少女を慰めるように、エメは優しくその手を握った。

「大丈夫ですよ、アカネ様。国中の誰もがアカネ様を待ち望んでいます。それに、今ごろ陛下も・・・」

 強張った面持ちで、朱音は大きく息をついて立ち上がった。

「さ、そろそろ参りましょうか」

 エメの声に合わせ、朱音は床にまで広がる長くたおやかな純白のドレスを両手で持ち上げ、ゆっくりと部屋の扉へ向かった。

 一歩、一歩と慎重に足を進めてゆく。

 履き慣れない高いヒールの真っ白な靴。

 ずしりと重く、きらきらと散りばめられた宝石が光るドレス。 

 朱音は扉の前でもう一度大きく息を吸い込み、そして吐き出した。




 城の敷地内に存在する真っ青な空を映した湖。

 その畔で一人ぼんやり湖の水面を見つめる少年の姿を朱音は見つけた。

 霞ががかった茶の髪は、時折暖かく心地の良い風に吹かれ、さらさらと揺れる。そのどこか淋しそうな横顔に、朱音は胸の奥がツキリと痛んだ。

 懐かしく、そして大好きだったあの少年とそっくりな横顔。思わず「ルイ」と声を掛けそうになるけれど、その少年が振り向いたときそれが彼では無かったことを痛感し、そして悲しい現実へと引き戻されるのだ。

「なぜお前が泣く」

 うんざりしたように、少年が溜息混じりに言った。

「ロラン・・・」

 朱音は、滲んだ視界の中、霞みがかった茶の瞳を見つめ返した。

「僕に再会できて、そんなに嬉しいとはな」

 皮肉めいた口振りは相変わらずだが、それが彼の精一杯の照れ隠しだということは、朱音にもすぐにわかった。

 朱音がこの少年に最後に会ったのは、メトーリア港での闘いの時で、その時は彼自身クロウの中にいる朱音には気付いていなかった。

「うん。ロランに凄く会いたかった」

 素直な朱音の言葉に、戸惑った様子で視線をぷいと逸らすと、ロランはつっけんどんに言った。

「・・・悪かったな」

「へ・・・?」

 絶対に自分からは頭を下げたりしないこの少年が、一体何に対して謝っているのかと朱音はきょとりと瞬きを繰り返した。

「その・・・、お前を元の世界に返してやると約束しておきながら、結果的にこうなった・・・」

 朱音にとっては驚くべき事実であった。まさか、あれからロランがこのことをずっと思い悩んでいたなんて。

「ロラン、わたしは元の世界に帰ったんだよ。ただ、思いの外早く連れ戻されちゃったってだけ」

 目元を手の甲で拭い、朱音は努めて明るく返した。

「まあ、そうだが・・・。鏡の洞窟はもう力を失った。お前はもう・・・」

 ロランが全てを言い終わらないうちに、朱音は少年が何を言おうとしているのかを知っていた。

「うん、そだね。もう二度と帰れない」

 ルイとは色違いの大きな目が、僅かに細められた。

「俺を恨んでないのか」

 朱音はロランの隣にそっと腰を下ろした。湖の水面はきらきらと光を反射し、輝いている。

「なんでロランを恨まなきゃならないのよ。あなたは約束通りわたしを元の世界に送り返してくれたじゃない」

 ロランの視線が再び湖に戻された。

「もう、帰りたいとは言わないのか・・・?」

 無愛想を装ってはいるけれど、これが少年の精一杯の気遣いなのだ。

「正直すごく帰りたい。父さんや母さんや弟に会いたいって今でもそう思う。今までのが全部夢で、また目が覚めて元の日常に戻れたらって・・・」

 そう言ったきり、しばらく沈黙が訪れる。

 そよそよと揺れ、その音を朱音は心で聴いていた。

「・・・だけど、こうも思ってる。この世界に来られてよかったって」

 今度は湖を見つめる朱音の横顔をロランが見つめる。

「なぜだ?」

 ふっと唇を緩ませると、朱音は言った。

「だって、ロランに会えた」

 驚いたように少年はじっと朱音の横顔を見つめたまま僅かに息を吐いた。

「それに、フェルデンやヴィクトル陛下や、エメにも。サンタシの中だけじゃない、ゴーディアでもたくさんの素敵な人達と出会えた。だから・・・」

 朱音が言わんとしていることに、ロランはふんっと鼻を鳴らした。

「ほんっとお前は馬鹿だな。無理矢理拉致されて無理矢理故郷から引き離されたんだぞ!? どれだけお前はお人好しなんだ」

 腕組みをして、急にぷんすかと怒り始めた少年に、朱音は首を傾げる。

「なんでロランが怒るのよ」

「知るか。お前の心配なんかして損をした」

 そんな少年の優しさを内心で嬉しく思いながら、朱音はくすりと静かに笑った。

「でね、ロラン。あなたに渡さなきゃいけないものがあるんだ」

 今度はしっかりと身体ごと少年に向き直り、朱音は真面目な面持ちで伝えた。

 かちゃりと鎖の音をさせて、朱音は胸元にしまってあるあのペンダントを黙って握り締めた。意を決したようにそれを首から取り外し、自分よりも幼く見える術師の少年の手に握らせる。

「これは・・・」

「ルイのだよ」

 今まで冷静を装っていた少年の霞みがかった大きな茶の目が、一層大きく見開かれた。

「どうしてお前がこれを・・・?」

 すっかり気配りもできない程余裕を失くした少年が、思わず朱音の腕を強く掴む。

 朱音はそんな痛みに顔を(しか)めることなく言葉を続けた。

「アザエルに連れられてゴーディアへ渡った後、魔城であなたそっくりの子に出会ったんだ。初めは、ロラン、あなただと思った」

 そのときのことを懐かしむように、朱音は静かに目を閉じた。

「だけど、その子はルイと名乗った。彼はいつもわたしの側で助けてくれた。わたしは彼が大好きで、わたしたちはすぐに友達になった」

 あの心優しい少年の姿を思い出すと、今でも心が穏やかになる。

「ある日、ルイは自分とロランは双子だと話してくれた」

 しばらく魔城で生活していた朱音ならば、双子の兄であるルイを知っていたとしてもなんの不思議も無かった筈だ。けれど、ロランはなぜか嫌な予感がしていた。

「ルイは・・・、ルイはどうしてた?」

「あなたをすごく恋しがってた。離ればなれになってしまったことをすごく悔やんで、あなたに会いたがってたよ」

 ロランは受け取ったペンダントに視線を落とした。自らが肌身離さず首に下げているペンダントと対のそれは、ひどく懐かしい。

「今、ルイは・・・」

 ロランが重い口を開いたと同時に、朱音は静かに告げた。

「ルイはもういない・・・」

 確かに、少年の瞳が大きく揺らいだ。ペンダントを握る手が僅かに震えるのが朱音にも感じ取れた。

「い・・・ない・・・?」

「ごめんなさい。わたしは大切なあなたの弟を守れなかった・・・」

 ロランの嫌な予感は的中した。彼は魔族の血を半分引く自分達の長い寿命の中で、いつか分身でもある双子の兄とどこかで会えることを密かに期待していたのかもしれない。

「ルイが・・・、死・・・んだ?」

 朱音は黙ってロランの手に自らの手をそっと乗せた。その頬を伝って、幾粒の雫が二人の手の甲にぱたぱたと落ちてゆく。

「このペンダント、ルイがお母さんから貰ったとても大切なものだって話していたから、あなたに渡さなきゃって」

 ロランは朱音がつくり出した涙の雫を、瞬き一つすることなくじっと見つめている。

「・・・そうか・・・。このペンダントを見た瞬間、なんとなく嫌な予感がしてたんだ」

 掠れた少年の声は酷く切なげで、朱音はもう少年に掛ける言葉さえ見つからない。

 黙ったまましばらく少年の手を優しく包んでいた。

「アカネ、ルイの最期を訊いてもいいか・・・?」

 涙こそ見せないが、少年の哀しみが言葉では表せない程大きなものだということは、朱音にもよく分かっていた。

 朱音は知り得る全ての事を話した。

 どういう経緯で彼とともに旅に出ることとなり、自分達をどんな出来事が待ち受けていたのかということを。そして、あの日の地下道での恐ろしい悪夢を・・・。

「ルイは、自分の信念を貫き、お前を最期まで守りきったんだな・・・」

 全てを聞き終わると、ロランは呟いた。それは、とても切なく淋しそうな声だったが、双子の兄であるルイに対する誇りを感じさせるものであった。

「もう泣くな。お前は元々顔のつくりが繊細じゃないんだ。泣くと余計見窄らしい」

 唯一の肉親を失くしたロランが一番泣きたいだろうに、そんな皮肉を飛ばしながら、少年は笑った。

「あの気の大人しいルイに、お前を守りたいと本気させたんだ。光栄に思え」

 朱音は再び勢いよく涙が溢れ出した顔でロランにがばりと抱きついた。

「おっ、おい!」

 びっくりはしたものの、少年は朱音のしたいようにさせてやることにした。 


 しばらくして朱音がある程度落ち着いたところで、ロランは言った。

「お前が気に病むことなんてない。こう見えて僕たちはお前なんかよりも遙かに長く生きている。ルイもお前を守れたことに満足してる筈だ」

 半身を失ったとは信じられない程、少年の口調は落ち着いていた。

「って訳だ。そろそろ離れろ、馬鹿」

 突き放すような口調ではあるものの、それは明らかに照れ隠しであった。

「こんなところ、フェルデン陛下に見られでもしたら、僕はたちまち術師としての仕事を解任させられる」

 朱音がはたと涙を拭いながら少年を首を傾げて見返す。

「フェルデン陛下はお前に婚姻を申し込まれたのだろう?」

 それを聞いた途端、ぼっと顔を真っ赤にした朱音は口をぱくぱくさせて声を上擦らせた。

「な、何でそのこと・・・!」

 呆れたようにロランが溜息を吐く。

「当たり前だろう。一国の王がたかがそのへんの小娘に婚姻を申し込むなんてこと、噂にならない訳がないだろう」

 朱音は、自分の身体で覚醒して数日した後に起こった出来事を思い出して煙が出そうな程に顔を紅潮させていた。



『アカネ、君さえよければ、俺の側でずっと一緒にいてくれないか?』

 見慣れた真白い騎士服のフェルデンが、ベッドから出たり入ったりする、数日の休養生活を過ごしていた朱音に突然言った一言だった。

 よく言っている意味がわからないでいた朱音に、フェルデンがこう付け加えた。

『俺は君を后として迎えたい。君を本気で幸せにしたいんだ。少し、考えてみてはくれないか・・・?』

 まさか、こんなに若くして、誰かから求婚されるなんてことは、朱音自身予想だにしていなかった。それも、大国の王様にである。

 まだ、結婚なんてことは今の朱音にははっきり言ってぴんとこないものだった。



「で、どうする気だ?」

 すっかりいつもの調子に戻っている少年に、朱音はもごもごと口篭った。

「どうする気って言われても・・・、わたしまだ中学生だし。・・・って、もう結構日が経ってるから高校生か・・・」

 少年はイラついた調子でそれに返答する。

「まさか、断る気なんてないだろうな!? 陛下だぞ!? 王様だぞ!? 国王陛下に目を掛けて貰えることがどれだけ貴重且つ有り難いことなのか、お前わかって言っているのか!?」

 鼻息を荒くする少年に、朱音がしゅんとして俯く。

「うん・・・、そりゃあわかってるけどさ・・・」

 そんな朱音に、少年ははあともう一度溜息をついて付け足した。

「受けろ、アカネ。幸せになるべきだ、お前という女は」

 穏やかな口調の少年に、朱音はひどく安心感を覚えた。

「ん・・・」

 肉親を失ったことを知ったばかりのロランが、朱音に言い聞かせるような口調で続けた。

「お前はいろんなものを失いすぎた。このあたりで何か得ても罰はあたらないだろう・・・」

 ロランからは考えられもしない程優しいその目は、やはり朱音よりも何十年も年上の者のようだった。

 それに、朱音にはそれがルイの優しい眼差しと重なって見え、思わず呆けてまじまじと彼を見つめてしまう。

「それにだな、何よりフェルデン陛下に恥をかかせるなよ? お前みたいなド庶民の平凡な小娘に婚姻を申し込んだだけでも、陛下にとってはとんでもない不名誉なんだぞ」

 腕組みをして懇々と言い聞かせるルイそっくりな少年に、朱音はぼんやりとその表情を見つめ続けている。

「おい、人が真面目に話してやっているときに、ちゃんと聞いているのか!?」

 急に不機嫌になった少年の言葉にはっとして、朱音は申し訳なさそうに頭を下げた。

「んっとに、お前って女は・・・。これじゃあルイも苦労してただろうな」

 こうしてがみがみとロランに小言を言われるのは、朱音自身久しぶりのことで、とても新鮮なことだった。そして、彼の言うように、自分の年齢なんかを気にしていることが、あまりにちっぽけなことのようにも思えてきた。

今では、ここでのフェルデン無しでの暮らしはもう考えられない。正直に言えば、フェルデンともう二度と離ればなれになりたくないと朱音は感じていた。次に彼を失ったときは、今度こそ気がおかしくなってしまうかもしれないとまで考えるまでだ。

 この時、既に朱音の心の中は決まっていた。

 もう、誰も失いたくない。

 失う前に、あの若く賢い王の隣で、今度は自分から大切な人達を守ってゆきたい、と・・・。

 ロランはそんな朱音の姿を目にしながら、そっと握りしめていたペンダントを懐へしまった。

 遠く離れていた対のペンダントが今、再び同じ場所へと戻ってきた。その重みを感じながら、少年はこの異世界から来た一人の少女を今度こそ近くで見守ろうと静かに心に決めた。兄であるルイがそう決めたのと同じように・・・。

 ルイはロランの双子の兄であり、ロランにとってルイは切って離すことのできない程大切な半身で、そして大切な存在だった。それは、ルイにとってロランも当然ながら同じで、それはロラン自身よくわかっていた。

 故郷のミラクストーでは、魔族の血を半分受け継ぐ混血児である、ロランとルイへの迫害はあまりに酷いものであった。悪魔の子と呼ばれ、挙句は人間である母までが迫害を受けていた。心の優しすぎるルイは毎日泣いて暮らしていた。そしてそれは、母の死後にも続いていた。

 二人がゴーディアへと渡った後、ミラクストーの住民の手により母の墓は街外れの荒れた地へと無許可で移転させられていたのだ。そのことを知ったロランは、ルイには告げずに一人帰国して墓の場所を探し出したのだ。そして、戻った時のひどい有様を知り、ロランは愕然とした。住民達に憎しみすら抱き、そしてここへルイを連れて来なくて良かったとも思った。

 ロランは住民を懲らしめてやりたいと思い、ある行動に出た。

 街に結界を張ったのだ。街の外から結界を張り、住民が街の外に出ることを一切絶とうとしたのだ。外界から断絶され、孤立した街の人々は数日で焦り始めた。遣いを出そうにも遣いすら出すことさえ叶わない。ただ、見えない壁が立ち塞がり、恐怖した。

ロランはそれでも結界を張るのをやめなかった。ただ、母を父と出会ったこの地で安らかに眠らせてやりたかったのだ。住民が泣いて謝り、許しを請うまでは決してやめる気もなかった。

 そこへ、サンタシの新国王が現地視察の為たまたま訪れたのが、ロランとヴィクトル王との初めての出会いである。

 ヴィクトル王は、固くなに結界を解こうとしないロランを叱り切り捨てるなんてことはしなかった。

 ただ、彼はこう言ったのだ。


『君の怒りはも尤もだ。けれど、その力をもっと役立てる気はないか? わたしはまだ若く未熟だ。しかし、今よりももっとよい国にこのサンタシを変えてゆきたいと考えている。今はまだ無理だが、いずれ、この国の誰もが幸せに暮らせる世を創り上げてみせると約束する。どうだ、それまでわたしの元で術師として働かないか? 君の母上には、そんな世が訪れるまでは城の敷地内に仮住まいを用意しよう』


 少し吊り上ったブラウンの目は隙がなく、そしてとても利口そうだった。

 ロランはゴーディアに残してきたルイのことがひどく気にかかったが、それでもこのヴィクトルという若き国王に懸けてみたいとそう思った。

 ルイは負けん気の強いロランとは正反対で、とても気の大人しく優しい少年だった。だからこそ、魔族に対する迫害の強いこの街にルイを連れて帰りたくなかったというのがロランの本音だ。

その反面、ゴーディアならば混血児である二人への迫害はなかったし、そして何より、あの魔王の側近アザエルが二人の身元を引き受けてくれていたこともあり、とりあえずは居食住と安全は保障されていている。

 ロランはあえて半身から自ら離れて生きる道を選ぶことにした。それは、母の安らかな眠りと、心優しい双子の兄を守る為に選んだ道だったのだ。

 それがまさか、こんな形になろうとは、ロラン自身考えてもみなかった。いつか、真の平和が訪れたとき、二人はまた以前のように再会し、ともに暮らせる日が来ると思っていたのだから・・・。

(ルイ、お前は絶対に自ら危険には飛び込まないタイプだと思っていたんだが・・・)

 ロランはあの優しげに微笑む霞がかった灰の目を思い出していた。

 そして、どうやらやはり二人同じ大切な守りたいものを見つけてしまったことに呆れたような笑いを溢さずにはいられなかった。


 けれど、ロランがこの話を朱音に打ち明けるのは、まだずっと先の話である。





 開かれた扉を一歩、一歩と歩むその先に、輝ける太陽の光が差し込み祝福していた。

 ドクン、ドクン。

 高鳴る鼓動。

 緊張。恐れ。夢。希望。

 その全てがない交ぜになって、朱音の胸を焦がす。

 最初の一歩を扉の外に踏み出した途端、朱音は眩しい光に目がくらみ、白い手袋の左手を思わず目の上に翳した。


 『ワアアアアアアアアアアアアアアア』


 地が揺れる程の歓声と、喜びの声が降り注いだ。

 そこにいる誰もが大喝采し、朱音の登場を待ち望んでいた。

 驚きでゆっくりと周囲を見渡す。

 真っ赤な絨毯の道は扉から一本道に続き。その脇には多くの人々が大勢詰め掛けていた。大勢の兵士が、万全の警備の中その道を守るように立ち並んでいる。

 そして、その先には、真っ白な燕尾服に身を包んだ、完璧な青年が優雅に微笑んでいた。金の髪は美しく後ろに撫で上げられ、整った薄い唇が「アカネ」と呼んだ気がした。

 朱音はたおやかな純白のドレスをゆっくりと持ち上げると、真白い靴で彼の元へと向かって歩き始めた。吸い込まれそうなブラウンの瞳が、唯一人の少女だけを映していた。

 ここにいる誰もが神秘的な美しさを放つ朱音に釘付けになっていた。

 誰もが、心から若き国王と少女の幸せを、そしてサンタシの幸せを願っていた。

 そして、少し離れた場所からそれを見守る友人達の姿もそこにあった。

 アザエルは、いつも通りの変わらぬ無表情で同盟国の代表としてじっとそこに佇んでいた。碧く長い髪は左で緩やかに結われ、真っ黒な礼服の上で輝いている。

そのすぐ隣では、似合わない礼服を窮屈そうに身につけたディートハルトの姿が。その顔の傷はいつになく緩み引き攣れている。

そして、騎士としての職を全うしようと、いつも通りの騎士姿でにこにこと笑うユリウス。

礼服を着ているというよりは着られていると言った方が適切だろうロランが、にこりとはしないが霞がかった茶の目は、幸せそうな朱音に向けられていた。その胸には二対のペンダントが掛けられている。

一番奥にはこの戦で奇跡的に無傷だった老齢の医師フィルマンが、久しぶりに再会を果たしたフレゴリー医師と肩を並べ穏やかな表情で見守る。

ライシェルや他の黒の騎士の姿はここには見当たらなかったが、実を言えば、こっそり塔の上から見物していたのだ。


 『パサパサパサ』


 羽ばたきの音に、朱音がふと顔を上げる。

 真っ白な鳩が一羽朱音のすぐ上の青く晴れ上がった空を飛び去っていくところだった。


「クイックル・・・!」

 朱音はきょろきょろと周囲を見回した。

 けれど残念ながら、優しい紳士の姿は見つけることはできなかった。

「お姫様。誰かお探しかな?」

 いつの間にかすぐ近くまでやって来ていた美声が、朱音の耳の近くで小声で囁いた。

 真っ赤になった朱音の背を抱き込むように、フェルデンが彼女を受け止めた。

「フェルデン・・・」

 色鮮やかな花びらが舞う中で、遠くで塔の上の鐘が祝福の音を響かせている。

 鼻をくすぐるとてもいい香りに、朱音はそっと目を閉じて愛する青年の逞しい手をきゅっと握りしめた。

 二人は、世界の祝福の中で、新たな一歩を踏み出したのだ。




「貴女の幸せそうな姿が見られて、私もとても嬉しいですよ、アカネさん・・・」

 塔の上で、足を組んだタキシードの紳士が、フワリとハットを優雅に外した。その肩にちょこんと白い鳩がとまる。紳士は、満足げにハットを静かに被り直した。


 

 今、またここからレイシアの新しい歴史が刻まれていく・・・。







 最後に残った謎・・・、クロウの実のお母さんが誰だか分かったでしょうか? お話の中に何度かヒントがあったので、気付いた方もおられるかもしれません(^-^)

 

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