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AKANE  作者: 木と蜜柑
第4章  戦編
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    16話  黒幕


「あれだ!!」

フェルデンが馬の足を止めて見上げた。

その先では、赤い飛竜と黒い飛竜が空中戦を繰り広げている。王都から馬で一時間程離れたこの場所で、アザエルは朱音の願い通りファウストの足止め

に尽力していたようだ。

ファウストは飛竜の背で得意の炎弾をアザエルに放ち、アザエルは今までに

見たこともない攻撃を繰り出していた。彼の腕に蛇のように巻き付いた水は、意思に応じて自由に曲がりくねり、さまざまな方向へと攻撃の方向を瞬時に

変えることができる。それはまるで、変幻自在の鞭のようにも見え、先は鋭い

剣のように尖っていて、ときには同時に四方八方に枝分かれして攻撃を加えて

いた。

「どうやらやっとご到着らしいぜ」

ファウストはふんと鼻を鳴らすと、地上からこちらを見つめる二人の姿をア

ザエルに目配せした。

しかし、当のアザエルは、既に二人の存在があったことを知っていたかのように、目も向けず無反応なままファウストに新たな一撃を加えようとした。

「おっと、危ねえなあ! あんた、自分の主人との感動の再会だろう? ちっとは驚いたり動揺したりとか、なんかねぇのかよ」

 アザエルの止まない攻撃を寸での所でかわしたファウストは、呆れたような溜息をつき、美しい碧髪の男を見やった。

 無言のまま尚も攻撃の手を止めようとしないアザエルに、ファウストは“氷の男”と呼称されるだけはあると内心苦笑を漏らした。

「名残惜しいが、あんたの相手はここまでだ。クロウ王が追いつくまでに、俺はあんたを仕留めたかったんだが・・・。残念なことに、こっちも味方が到着しちまったみたいでな」

 ぐんと勢いよく赤い飛竜を反転させると、目にも止まらぬ速さでファウストは真上へ急上昇した。

 すぐに雲の上へと見えなくなってしまった赤い飛竜の姿を追おうとするが、スキュラは真横からの突然の強い突風に煽られ、それを妨害されてしまう。強く空中で揺すられ、スキュラは空中で数度回転しながらバランスをなんとか取り戻す。

 アザエルはその目まぐるしい中で視界の端に新たな人物の姿を捉えていた。

(ヘロルド・・・!!)

 じっと目を細め、アザエルは出現させていた蛇ような水を消失させる。碧く長い髪は、流れる水のようにたおやかに宙をひらひらと舞っていた。

 しかしその美しい顔はどこまでも冷たく、そして何もかもを見透かしたような眼に、朱音は思わずドキリとしてしまった。

 その直後である。わざとなのか、そうでないのか、アザエルの身体がすっと宙を回転し続けるスキュラの背から離れ、落下していった。

「アザエル!!!!」

 咄嗟に叫んでいた朱音だったが、アザエルは地面に直撃する直前に、多量の水を地に出現させたのだ。

 朱音が実際にこの術を目にしたのは、これで三回目になる。流れ出た水の上に、流されることなく自然に着地すると、アザエルは冷ややかな表情を相手に向けた。

 着地したアザエルのすぐ目の前に佇んでいたのは、ヘロルドその人であった。

 曲がった背に出っ張った頬骨。何度見ても虫唾の走るその姿に、朱音は思わず身震いする。

(あいつ、白亜城のあの高さから、落下して死んだんじゃなかったの・・・!?)

 朱音は状況を飲み込めず、眉を顰めた。あの時、確かにアザエルの出現させた水流にのまれ、城の下へと押し流されていったヘロルドの姿を朱音は目にしていたのだ。

「クロウ、あの男はアザエルに任せ、俺たちはファウストを追うぞ」

 フェルデンの声に我に戻された朱音は、こくりと頷いた。

『グルルル』

 軽やかにスキュラが朱音達の跨る馬の前に舞い降りた。まだ幼い飛竜は、主人がこの場にやってくることを心待ちにしていたかのように、大きくぐりぐりした目を嬉しそうに朱音へと向けた。その背は、もう今すぐにでも乗せられるようにと差し出されている。

「スキュラ、わたしが来るまで、よく今までファウストを足止めしてくれていたね。さ、今からもう一飛びするよ」

 馬から飛び降りた朱音は今にも目蓋の降りてきそうな眠い目をこすりながら、光沢のあるスキュラの背の鱗を優しく一撫でした。

「フェルデン、貴方のこの国を、きっと守ろうね!!」

 朱音はフェルデンをスキュラの背に誘った。

 幼い飛竜の子は羽を広げ、ぐんと空へと舞い上がった。二人の若き王をその背に乗せて・・・。




「なんの真似だ、ヘロルド」

 既にアザエルの口からは敬称さえも消え去っている。

「無礼であるぞ、たかが罪人ごとき身分の者が」

 鉤のような鼻に幾筋もの皺を寄せ、忌々しげにアザエルを睨んだ。

「無礼だと・・・? 一体なんの冗談だ。貴様のような卑しい反逆者に、なぜわたしが敬意を払わねばならぬ」

 確かに、アザエルにとっては、ゴーディアの王であるクロウを陥れ、王座を乗っ取ろうとしているこの男は、反逆者以外の何者でもなかった。

「何だと・・・!? さっきから聞いておれば、よくも・・・! この死に損ない目が!」

 ヘロルドは怒りを露にし、ぶるぶると骨ばった拳を握り締めた。

「まあ、反逆者を排除するのにちょうどいい機会だ。」

 アザエルは冷淡な微笑を浮かべると、手に水の剣を出現させる。

 驚きで目を見開いたヘロルドは、無意識に一歩後ろへ下がり、ごくりと鍔を飲み込んだ。

 しかし、懐に仕舞ってある重みに気付き、自らをいきり立たせた。

(何を怯えている・・・! わたしにはこれがあるではないか・・・! そうだ、わたしとて、この石さえあれば、奴と同等の魔力を携えていることに変わりは無いではないか・・・! わたしは最高司令官という地位に相応しい魔力を持っているのだ・・・!!)

 ヘロルドはくくくっと噛み殺した笑みを溢すと、鋭い眼光を放つ嫌らしい目をアザエルに向けた。

「何が可笑しい」

 アザエルの不機嫌な声に、ヘロルドは返した。

「排除だと・・・? 笑わせるな、死に損ない。本当にこのわたしをそう簡単に倒せると思っているのか。今や、ゴーディアで国王の次に強い魔力を持っているのだぞ。そう、お前を除いてな!!」

 そう言い終わらぬうちに、ヘロルドは節ばった両の指をアザエルに向けた。

「死ねえええええ!!!」

 それはまさに一瞬だった。

 アザエルは直感で危険を感じ飛び退いたが、それを完全に避けきることはできなかった。それはまるで目には見えない鋭く巨大な刃が飛んできたかのようであった。

 ぼたぼたと赤黒い血を垂らし、アザエルが肩口を押さえた。掠っただけのようだったが、傷口はぱっくりと割れ、深くまで到達したようだ。

「・・・」

 この攻撃を胴に受けたとしたら、さすがのアザエルも一溜まりも無い。アザエル自身、この男の力を見くびり過ぎていたのかもしれない。

「ふん、うまく避けたな。だが、次は外さぬぞ!!」

 自分の攻撃が、アザエルを掠めたことで、一時的な興奮状態になっているヘロルドは、瞬きすらも忘れてしまう程、異常な汗を噴き出している。

 再び風の刃を繰り出そうとするヘロルドから、アザエルは少し距離をとる必要を感じ取った。今まで、この男の魔力を目にする機会のなかった分、その力は未知数だ。無闇に近付きすぎると良くない。アザエルの肩口の傷がその証拠であった。

 アザエルは手に出現させていた水剣を消失させると、両の手を地に翳した。  

先程出現させた水流のせいで湿った地から、水が蒸気となって宙に上がり始めた。それは、すぐに真白い霧となり、ヘロルドの視界を遮る程までになる。

「小細工をっ・・・!」

 だがそれは、風使いを相手に通じる術ではなかった。ヘロルドは強風を起こし、あっという間に霧を吹き飛ばしてしまう。

 無論、アザエルもそのことを計算に入れてはいた。

 何も霧の中に身を隠そうなどという安価な考えではなく、単にこの男から間合いをとるだけの時間稼ぎをする為の策であった。お蔭で、アザエルはヘロルドから相手の魔力を伺いながら闘うだけの間合いをとることに成功していた。

「えらく逃げ腰ではないか、嘗ては魔王の側近と呼ばれたお前が・・・」

 ヘロルドの挑発するようなセリフに、アザエルは全く耳を貸そうとはせず、さてどうやって相手の弱点を見極めてやろうかと冷静に思考していた。

「だがな、俺からそんな距離をとったところで、お前には俺の攻撃は読めぬだろう」

 ヘロルドは構わずに腕を振り上げた。

 再び放たれた風の刃。目に見えぬ攻撃に、アザエルは勘を頼りに避けることしかできない。

 またもや、避けたと思われた攻撃は、僅かにアザエルの足の腿を掠めていった。

 ぱっくりと裂けた傷からは、また血が流れ出す。いくら致命傷ではないとは言え、このままこうした傷を受け続けるとなると、いずれ身動きが困難になる筈だ。

 ヘロルドは、またもや自らの攻撃がアザエルに命中したことに興奮を覚えていた。そして、自分がもしやこの碧髪の男よりも上なのではないか、という自信を感じ始めていた。

「次は胴と首を切り離してくれるわ!」

 ヘロルドが腕を振り上げた瞬間、アザエルは分厚い水の壁を作り上げた。

「そのような柔い盾など、わたしの風のや刃には通用せぬ!!」

 放たれた見えない風の刃は、びゅんっと横切り、アザエルの水の壁に勢いよくぶち当たった。

 いとも簡単に水の壁を通り抜けた風の刃だったが、なぜかアザエルに到達する前に、彼はすっとその攻撃を余裕有り気に回避していた。

 今度は、傷一つ見あたらない。

「な、何!?」

 アザエルはヘロルドの単純すぎる攻撃を完全に見切っていた。もうこの攻撃はアザエルには通用しない。

 風の刃が水にあたる瞬間に、アザエルはその進路を予測するという対抗手段を編み出したのだ。

(なるほど・・・。高い魔力を持つ割に、攻撃の工夫がなされていない・・・。闘いに対してはまるで素人か・・・)

 最近になって、初めて実戦に出たヘロルドの闘いでの経験はひどく浅く、未熟なものだった。更に、無駄な動きが多いことから、剣術が長けていないこともすぐに感じ取れたし、僅かな戦闘で荒い呼吸を繰り返していることからは、体力の低さも相当のものだ。

 即ち、この男は雑魚。アザエルの見解はこれだけで十分であった。 

 アザエルは比較的離れた距離でも攻撃可能な水針を放った。

 ヘロルドは、反撃されたことにひどく動揺していたようだったが、すぐに得意の突風でその水針を吹き飛ばすことに成功した。

 ヘロルドには、高い戦闘力も経験も技術も無い。しかし、厄介なことに、それに見合わない程の魔力を持っていた。

(不可解だ・・・。なぜこれ程に未熟な男にこれ程の魔力が備わっている・・・)

 腑に落ちず、アザエルは碧い目を静かに細め、ヘロルドの姿を見つめた。

「アザエルよ。このような攻撃が俺に通用すると思っておるのか?」

 ヘロルドの卑下た笑みに、不快さを露わにし、アザエルは珍しく口を開いた。

「貴様、それ程の魔力を持ちながら、なぜ今まで軍で名声を得なかった」

 実際、最高司令官の地位にあった時でさえ、この男の姿は軍で見たことは無かった。ただ、たかが元老院中の老人の一人息子ということもあり、魔城で数度見かけた程度である。

 今となっては、この男が軍に所属していたのかどうかも定かではない。もしいたとすれば、軍の最下層周辺にいたとしか考えられない。

 そう問われた瞬間、急に顔色の変わったヘロルドは、それを誤魔化そうとするかのように、口をへの字に曲げ、押し黙った。

 アザエルはふと考えを巡らせる。魔城で最後にこの男を見かけたのはいつだったかと・・・。

 思い起こせば、アザエルが罪人として魔城を出るまでの向こう数年間はこの男を魔城で見かけていなかったようにも思える。

「いや・・・。軍人でさえないという訳か・・・」

 そうなれば、ヘロルドは金と権力を傘に生きる、卑怯で脆弱なただの貴族階級の中の一人ということになる。そんなたかが貴族階級の無能な男が、数年の空白の後、クロウの復活とルシファー王の死去が知れた途端突如として帰国。そしてうまい具合にアザエルの後釜として最高指令官という地位におさまった。

 この男よりも、指令官補佐役を務めるライシェル・ギーが、全てにおいて勝っている上、地位的なものや信頼できる点からすれば、クロウの側近として相応しいのはライシェルだということは明らかだ。それなのに、その彼を差し置いてまでこのヘロルドは今の地位に就いた。これは、どう考えても裏があるとしか言いようが無い。

 ヘロルドは鋭いアザエルの読みにびくつき、焦りを覚えていた。一刻も早く叩き伏せてしまわなければ、自分の弱点を見抜かれてしまうのでは、と恐れていた。

「くそう!!」

 ヘロルドは、唾を撒き散らしながら、悪態をつくと、再び節張った手を構えた。

 直後、巻き起こった強風が渦を巻き始める。それがつい数刻前、王都を飲み込もうとしていた巨大竜巻と同様のものだということは、アザエルにもわかった。そして、それをみすみす作らせてしまえば、厄介なことになり兼ねないということも。

 アザエルは、兎に角ヘロルドの風を操る手元への集中を削ぐ為、先程自身の腕に巻きつけるようにして創り上げていた水の蛇を再形成した。凶暴な蛇は、すぐさま邪魔者を排除する為に勢いよく醜悪な男へと飛び掛かる。

『ビチャッ!!』

 しかしそれは、ヘロルドが放った風の刃にて叩き切られてしまう。

 落とされた蛇の頭は水滴となって地面へと落下していったが、直後には再び蒸気となって元の蛇の本体へと吸収され、すぐに元通りの姿へと戻る。そして、剣のように鋭く尖った蛇の頭は、今度は三つに分かれて首をもたげる。

 手元を狂わされたヘロルドは、再び巨大竜巻を創り始めるが、次に三方向から次々に攻撃を始めるアザエルの水の魔術に、咄嗟にその手を緩めて防御体勢をとった。動きの速い三つの蛇の頭を同時に風の刃で叩き落すことは難しく、攻撃の直前突風でそれを妨害するしか手立てがない。

 そのせいで、ヘロルドは仕方無く竜巻をつくることを一旦中断して守りを固めるのに気持ちを集中する他無くなってしまった。竜巻は、弱いつむじ風に変わり、ゆっくりと静かに消えた。

 それでも、アザエルは自分の攻撃がヘロルドに届くまではいかないことに苛立ち、一気に蛇の頭を十数個に増やした。

 十数個に増えた蛇はぐねぐねと曲がりくねり、またもや一度にヘロルドの首目指して飛び掛かる。少し怯んだかに見えたヘロルドであったが、その攻撃も見事突風で妨害して見せた。

 アザエルはじっと目を細め、無表情にその卑劣な男を見つめていた。

 ヘロルドの背に冷たいものが流れ落ちた。

(ひっ・・・!!)

 そのなんと無慈悲で冷たい眼差しに、ヘロルドは恐怖していた。

(こ、殺される・・・!!!)

 ぶるりと身震いした後、ヘロルドは青い顔でその恐怖をなんとか一掃しようと試みる。

(な、何を考えていた。殺されるだって・・・? そんな馬鹿な・・・。魔力の強さならば奴とさして違いは無い筈・・・! このわたしが殺られるなどあるまい!!)

 いつの間にか、アザエルの手に創り上げられていた水の蛇の姿が消えていた。

 ゆっくりと近付いてくる魔王の側近の右の手には、みるみる水が凝縮され、鋭く美しい剣へと形成されていく様を、ヘロルドは瞬きも忘れて見入っていた。

 “怖ろしい”

 この目の前にいる男は、まさしく魔王の側近に相応しい男だとヘロルドは今更ながら実感せずにはいられなかった。強い魔力に加えて、凄まじい程の威圧感。これは、長年の闘いで培われてきたもの。即席の魔光石の力などで今の地位を手に入れたヘロルドにはそもそも敵う相手では無かったのだ。

 最後の足掻きで、ヘロルドは懸命に風の刃を放ちまくった。持ちえるスピードと力を込めた攻撃は、剣を構えていない反対の手で、瞬時に作り出されていく水の膜にぶち当たると同時に、いとも簡単にその男に避けられてしまう。もう、アザエルは完全にヘロルドの考えを掌握していた。ワンパターンな攻撃に、少々イラついてすらいた程だ。

 あっという間に間合いを詰められてしまったヘロルドは、いつの間にかアザエルの剣が届く距離にいたことに驚き、腰を抜かした。

「・・・終わりだ」

 アザエルの呟くようなその声と同時に、水剣が真上から振り落とされる。

「ぐふっ」

 くぐもった呻き声を上げると、ヘロルドは自身を貫く水剣とその冷ややかな男を見上げた。

 一振りで命を絶つこともできたのに、アザエルの剣はヘロルドの急所をわざと外した右胸に深く突き刺さっていた。

 ヘロルドの苦しむ姿に気にした様子もなく、空いた手でヘロルドの服の腹部を弄り始めた。

「や・・・めろ・・・!」

 懸命にその手を払おうとするが、水剣をまた深く差し込まれ、痛みにその手を離してしまう。

「やはりな・・・。魔光石か。そんなことだろうと思っていた」

 見つけ出した赤黒い石の塊を手にすると、アザエルは口元に冷ややかな笑みを浮かべた。

「は、早く・・・殺せ・・・!」

「苦しいか? 生憎だが、貴様を楽に殺す気は無い。我主を陥れた罪、そう簡単に許されると思うな」

 アザエルは突き刺していた剣を一気にヘロルドから抜き去った。

「ぐああああああ!!!」

 あまりの痛みに白眼を剥き、痙攣するヘロルドをアザエルは靴の踵でぐいと転がした。

「貴様に聞きたいことがある。この石をいつどこで手に入れた」

 ヘロルドは口の端から血を垂れ流し、虚ろな眼でアザエルを見上げた。

 しかし、その口からは何も発せられない。

「そうか」

 水剣が再び落とされ。今度はヘロルドの左腿に深く突き刺さる。

「ぎあああああああああ!!!」

 悲鳴を上げるヘロルドに、アザエルは感情の篭らない声でもう一度問い掛ける。

「この石の出所はどこだ?」

 呻き続けるヘロルドを甚振るように、アザエルは突き刺さった剣先をゆっくりと抜いてゆく。

 この男を敵に回してしまった自らに深く後悔しながら、ヘロルドは痛みに声が嗄れる程叫んでいた。

「次は右脚だ。貴様が口を割らなければ、一本一本指を切り落としていくのもいい」

 これ以上の苦しみには、もうヘロルド自身堪えられそうに無かった。

「ベ・・・」

 何か言おうとして口を噤んてでしまったヘロルドに、アザエルは水剣の切っ先を右腿に見えるように宛がった。

 恐怖で震え上がりながら、ヘロルドは涙と血でぐしゃぐしゃになった顔を歪ませた。

「ベリアル・・・王妃・・・から戴いたもの・・・だ・・・」

 アザエルはほんの少し眉を動かした後、ヘロルドの右腿に容赦なく、水剣を突き刺した。

「がああああああああああ!!!!」

 またもや襲ってきた痛みに、ヘロルドは咽び泣いた。

「楽になりたければ全て話せ」

 アザエルの拷問は、ヘロルドが失血死するか、口を割るまで終わりそうには無かった。

 ヘロルドは、痛みに堪えながらも、この苦しみから解放されたい思いで、洗いざらい全てアザエルに口を割った。


 魔族の中でも貴族の家系に、しかも元老院の子として生まれたヘロルドであったが、その肉体には魔力はほんの僅かにも備わってはいなかった。

 容姿も父親によく似て、見た目も良く無い上、痩せ身で運動神経も良くない。更に悪いことに魔力も無いとなれば、親からもよく家の恥だと疎まれた。周囲からも、名ばかり貴族だと蔑まれ、無能な我が身を呪って日々を過ごすのみ。暴力こそしないが、まるで息子がそこにいないかのような父の扱いを受ける度に、いつか父を追い抜いて見返してやると、堪え忍んできた。

 そんな時、ヘロルドの手元に、あるパーティーの招待状が届いた。

 見るからに高級な紙に、高貴な者の主催であることは分かったのだが、奇妙なことに、差出人の名前は一切書かれていなかった。ただ、ヘロルドへの宛名のみ。そして、“貴殿に折り入ってお願いしたいことがある”というメッセージが添えられていたのだ。

 パーティーの開催場所は、大陸から離れた場所にある小さな島であった。

 他の者には一切届いていない様子の招待状。そして差出人も不明。

 もしかすれば、何か良からぬ者の手による、金絡みの犯罪行為かとも疑ったが、数週間後にはなんとその主催者は高級な馬車と案内人をヘロルドに寄越したのだ。

 ヘロルドはパーティーの招待を受けることにした。

 無力な自分に、何も失うものなど無いと開き直ったのだ。そして、これ程のことを為せる主催者とやらに、些かの興味が湧いた、というのもあったであろう。


「行ってみて、驚いた・・・。主催者は・・・、ゴーディアを追放された、あのベリアル王妃・・・だったのだ・・・」

 呻くようにそう話すと、ヘロルドは虚ろな眼をアザエルに向けた。

「そして・・・、王妃はこの魔光石を・・・下さった・・・。その代わりに、こうお願いされた・・・」


『ヘロルド、その石を貴方に差し上げる代わりに、ゴーディアの次期国王の座を手に入れることを誓っていただきたいの。そして・・・、その時はきっと、わたくしをあの城へと呼び戻してくださると約束して』


「お前のような、有能な男にはわかるまい・・・。ベリアル王妃が、どれだけこれまでお苦しみになってこられたか・・・」

 アザエルは冷たい眼を向けたまま、ヘロルドを見下ろしていた。

「だが・・・、もう全てが手遅れだ・・・。兵は放たれた・・・」

 水剣を静かに振り上げると、その切っ先はヘロルドの心臓を突き刺していた。

 事切れたヘロルドの眼から光が消え、それきり、男はぴくりとも動かなくなった。

 この二百年という歳月の中で、アザエルはベリアルの存在を忘れた日は無かった。しかし、再びその名を耳にする日が来るとは予想だにしていなかった。

 水剣を消失させると、アザエルは静かに地を濡らす血溜まりを見つめていた。






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