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AKANE  作者: 木と蜜柑
第4章  戦編
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    10話  託された意志


 巨大な影が覆い被さり、フェルデンはふと真上を見上げた。

「な、なんだ!?」

 アレクシが、驚き、思わず馬の足を止め、続いて他の騎士達も馬を静止させた。

 巨大な影は、気性の荒いことで有名な、あのゾーンであった。

 立ち塞がるようにして目の前に降り立とうとする巨大鳥に、フェルデンは剣を抜き構えた。この鳥に遭遇したときは、殺るか殺られるかだと、師であるディートハルトに幼いころから教わっていた。

「フェルデン殿下、お待ちを」

 ディートハルトの声と同時、その鳥の背に動く二つの影に目を留めた。

「ライシェル・ギー・・・、クロウ・・・!」

「殿下、これは一体どういうことでしょうか、確か、クロウ王は疲労で倒れていた筈じゃ・・・」

 確かに、昨日会ったときよりもはるかに顔色がいい様子で、少年王は、ひょいっとゾーンの背から飛び降り、礼儀正しくフェルデンの前で頭を下げた。

「フェルデン殿下、途中わたしが倒れてしまったそうで、遅れをとってしまい申し訳ありませんでした」

 フェルデンは、今、こうして目の前にいる少年王が一体何者なのかが分からなくなっていた。

 しかし、美しい黒曜石の目は、じっと真っ直ぐに見つめている。 

「クロウ陛下、御無事で何よりです。ライシェル指令官補佐、お戻りをお待ちしておりました」

 馬から下りた女騎士タリアは、すっと朱音とライシェルの前に(ひざまず)いた。

「タリア、留守の間ご苦労だったな」

 ライシェルもゾーンの背から飛び降り、そして朱音のすぐ脇に控えた。

「これはたまげた! 話を遮って悪いが、このゾーン、どうやって調達した・・・? わたしが知る限りでは、この鳥は誰一人として飼い慣らすことなどできない強暴な鳥の筈だが・・・」

 ディートハルトの当然の疑問に、タリアが口を挟んだ。

「ライシェル指令官補佐は、魔笛でどんな獣でさえ操ることができる魔力を持っておられるのです」

 そう言った直後、「いや」と、ライシェルがそれを否定した。

「俺ではない」

 ぎょっとして、他の騎士もライシェルを振り返った。

 魔笛使いのライシェルが手懐けたのでなければ、一体どうやってこんな強暴で頭の悪い鳥の背に乗るなどできたのか、と黒の騎士達は一斉に顔を見合わせた。

「俺は、一時的に笛の音で大人しくさせることはできても、この鳥だけはどうしても手懐けることができない。だが、陛下は違った。このゾーンは、陛下にのみ従う陛下だけの僕だ。俺は何もしていない」

 きょとんとした顔できょろきょろと他の騎士達の顔色を伺う朱音の姿は、なぜか年齢よりも幼くさえ見えてしまう。なのに、こんな少年王が、この巨大鳥を手懐けてしまうなど、その場にいた誰もに仰天させた。

「それでですね、わたしから提案なんですけど・・・、もしよかったら、“ノムラさん”の背中に乗っていきませんか?」

 一瞬その場の空気が凍りついた。

 “ノムラさん”は、朱音がつけたゾーンの名前である。

 どうして“ノムラさん”なのかと言うと、この禿げ上がったゾーンの頭が、ご近所の野村さんにそっくりだったからである。全くもって失礼な話だが、きっと一生野村さんは自分がこんな鳥の名前のモデルにされたことなどは知ることはないだろう。

 空中でしきりに“ノムラさん”とゾーンに向かって呼び続けている朱音に、ライシェルも実を言うと少し気にはなっていた。しかし、朱音は「野村さんによく似てるから」とだけしか答えなかったので、敢えてそれ以上突っ込まないことにしたのだ。

「ノ・・・、ノムラさん??」

 無言のままのフェルデンに代わり、アレクシが思わず聞き返した。

「あ、このおっきな鳥の名前です。ノムラさんて言います。因みにわたしがつけました」

 自信満々に言う朱音を、皆ぽかんと見つめるばかりだった。

「で、そのノムラさんに乗るとは?」

 突拍子もない提案に、フェルデンは聞き返した。

「えっと、実はこのノムラさん、こう見えてすっごくよく飛ぶんです。フェルデン殿下は早くヴィクトル陛下のところまで帰らないといけないでしょ? ノムラさんに乗れば、馬よりずっと早く着けるかな・・・って思ったんです。・・・って、ダメでしょうか?」

 フェルンデンは少し考えた後、さっと馬から降り立った。

「いや、いい案だ」

 アレクシががしりとフェルデンの手を掴んだ。

「フェルデン殿下、いいんですか? そんなに簡単に決めてしまって!」

 そして小声でこう付け足した。

「ひょっとしたら、クロウ王の罠かもしれませんよ? ここは時間は掛かるかもしれませんが、確実な方法で向かうべきです」

 ディートハルトがごほんと咳払いをして嗜めた。

「個人的な意見だが、わたしもクロウ陛下の提案は良案と思うが。先に殿下が到着すれば、その分勝算も上がる。

 賛成の言葉が、嘗ての剣の師のものであったこともあったが、なぜか、フェルデンはこの少年王がここに来てサンタシを裏切るようなことはしないという確信があった。

 いや、完全に裏切りへの不安を払拭しきれた訳ではなかったが、今は、フェルデン自身、このクロウという少年王が一体何者なのかという謎の手掛かりを得たかったのかもしれない。

 フェルデンは、構えていた剣を鞘におさめると、馬の背から飛び降り、獰猛な巨大鳥ゾーンの背に跨った。

 他の騎士達は目を丸くして驚いていたが、朱音はくるりと向き直ると、にこりと微笑んだ。そして、その笑顔はあまりに儚く、美しすぎるものであった。

「クロウ陛下」

 朱音にはライシェルが言いたいことはわかっていた。しかし、いくらこの鳥でも、大の男二人と少年王の重量を背負うとなると、かなりの体力を消耗する上に速度が落ちてしまうだろう。

「大丈夫、きっとヘロルドを止めてみせます。だけどきっと皆さんの力が必要になると思います。わたし達は白亜城に先に行って待っていますから」

 絶大なる魔力を持つ魔王ルシファーの息子クロウ。

 それなのに、どうしてか彼らにはそんな少年王が最後に残す言葉のように思えて仕方が無かった。それはまるで、戦場へ死にに向かう者のように・・・。

「どうか、ご無事で・・・」

 そう呟き、ライシェルは僅かに感じる湿気った空気に一抹の不安を抱いた。

(一雨くる・・・)

 彼の予報が当たらなかったことは嘗て一度もない。




 王都中が分厚い灰の雲に覆われ、どんよりとしていた。そのせいで、視界もひどく悪い。時折ぽつりぽつりと頬にあたる水滴は、雨の前兆だ。

「この積荷はなんだ」

 城門番が、馬車の積荷を指差して訊ねた。

「これは、国王様お達しで国中の腕のいい鍛冶職人から買い占めた武器でございます。」

 城門番の男は、ふむと考えながら、ちらりと馬車にかけられた布をめくりあげた。

「なんだ、箱ばかりじゃないか」

 武器商人は言った。

「ええ、なんせあちこちから取り寄せたものばかりですので、場所ごとに箱が違っているんです。ほら、ここに製造場所と、職人の名前が焼き付けられているでしょう? こっちはハンセン、それでこっちはミドルという職人の手によるものです」

 見ると、確かにしっかりとした木箱の側面に、地名人物名が見受けられる。箱の大きさはまちまちで、大きいものや、中くらいのもの、小さいものまでさまざまである。

「ちょっと中身を確認させてもらうぞ」

 城内に持ち込まれる物ということもあり、城門番は慎重になっている。

「ええ、構いませんとも」

 武器商人がそう言うので、城門番はいそいそと馬車の積荷置きへと乗り込んだ。

 その途端、馬車にかけられている布でさっと蓋をされ、中に暗闇が訪れた。暗闇にまだ目が慣れていない城門番は、慌ててきょろきょろと周囲を見回すが、何も見えない。

「おい、武器商人! 暗くてよく見えん! 布をあげろ」

 そういうが、武器商人は押し黙ったまま何も返事をしない。

 何かがおかしいと気付いたときには、暗闇の中でぎいと箱の蓋が次々に開き、そして城門番はいつの間にか周囲を囲まれていた。

 ぐいと羽交い絞めにされ、

「な、何をするっ!・・・ぐ・・・」

 そのまま手際良く首を刃物で掻っ切られていた。


 なかなか出て来ない城門番に、何らかの異変を感じ、門の近くで待機していた近衛兵二人が首を傾げながら馬車に近付いていく。

「えらく時間が掛かっているようだが、城門番はどうした?」

 馬車の前で顔を見合わせて不審がっている近衛兵に、

「いいえ、何でもございませんよ」

と、武器商人はにこやかに返答したが、近衛兵達はその直後、瞬時に顔色を変えた。馬車の積荷置きの中から、どす黒い血がたらたらと伝い落ちていたのだ。

「こ、これはどういうことだ・・・!?」

 近衛兵達が行動するよりも先に、中から数人の覆面の男達が勢いよく飛び出し、手際よく近衛兵をとっ捕まえると、ひょいと積荷置きの中に引き摺り込んだ。

 声を出す暇もなく、彼らは城門番同様に喉元を掻っ切られ、いとも簡単に絶命した。

 何事もなかったかのように、馬車は再び動き始める。城門を(くぐり)り、白亜城内の敷地へと・・・。

 しかし、この事態に誰も気付くことはできなかった。

 城の上からの見張りも、この視界の悪さにほんの先しか見通せない程だった。

 それに城内は、確かに人手が足りておらず、常時よりもはるかに少ない兵達が警備にあたっていたというせいもある。

 だが彼らは決して怠慢などでは無かった。ヴィクトル王の(めい)を受け、ましてやいつもより念入りな警備体制を敷ていた程だ。

 更に悪いことに、まさか城門番や見張りの近衛兵達も交代時間まではまだ幾らか時間があった。その為、彼らの姿が無いことさえ気付かなかった。


 皮肉なことに、白亜城に歓迎できない輩が入り込んだことにいち早く気付いたのは、魔王の側近であり、今はゴーディアの罪人アザエルその人であった。

「魔族の気配を感じる」

 主の命令通り、ヴィクトル王の傍から離れようとしないアザエルは何の表情も浮かべないままぽつりと溢した。

「何?」

 ヴィクトル王が聞き返そうとした瞬間、城内で悲鳴が響き渡った。

 まるで図ったかのように、雷鳴を轟かせ、突然窓の外が豪雨に見舞われる。バチンバチンと窓や屋根を叩きつける雨音は、その激しさを物語っていた。

「そのままの意味だ」

 冷たい碧い瞳がじっとヴィクトル王を見つめた。

 外に青白い閃光が走り、遅れて轟音が鳴り響いた。薄暗い王室の中を、雷光が点滅する明かりのように二人を不気味に照らし出す。 

 王室の窓からは、既に流れ落ちる雨水により外界の様子は全くといっていい程遮断されていた。

 王室の扉が開かれ、真っ青になった侍女が飛び込んで来た。

「陛下・・・! すぐにここからお逃げ下さい!!」

 本来ならば、こうして許可もなく王室に入るなどは無礼極まりない愚行であったが、それをも短縮せざるを得ない程、今の状況が切羽詰っていることが見て取れた。

「エメ、一体我が城に何が起こっておる!?」

 ヴィクトル王はがたりと椅子から立ち上がると、血相を変えた侍女に問うた。

「陛下、一体どうやったのかはわかりませんが、城内にゴーディア兵が入り込み、城内の兵や侍女を次々に切り捨てています・・・! きっとここへも直ぐ・・・」

 雨音と雷鳴に掻き消されながらも、城内で悲鳴が響き続けている。

「まさか・・・、一体どうやって・・・」

 フェルデンから連絡を受けてからは、より一層の警戒はしてきたつもりなのに、それはいとも簡単に打ち崩されてしまった。

 落城すれば、サンタシは魔族の手に渡ることになり、サンタシの民は魔族の手により不当の扱いを受けることは目に見えていた。

(やはり、クロウ王の裏切りなのか・・・!?)

 ちらと碧髪碧眼の男に視線やると、男はふっと冷笑を浮かべ言い放った。

「クロウ陛下をお疑い・・・か」

 ヴィクトル王は悔やんでいた。やはり、あの時少年王を信じディアーゼに向かわせたことは間違いだったのかもしれない、と。そして、もしそうであれば、今頃実の弟とその師の命はもう失われていることだろう、と。

「目論見通りか? アザエルよ。わたしをここで殺すか?」

 無言のままアザエルはヴィクトル王に近付き、小さく呟いた。

見縊(みくび)らないでいただきたい。我主はこのような下衆な真似はしない。愚王よ、まだ気付かないのか・・・? クロウ陛下がその気になれば、このような国ごとき、一瞬で消滅させてしまえるということを」

 エメは、背筋に走ったゾクリとした感覚で肩を震わせ、碧髪の美しい男に恐怖心を抱いた。

「では、なぜそなたはここでわたしを殺そうとしない」

 ヴィクトル王は重い口を開いた。

「愚問だな・・・。クロウ陛下はわたしに、“戻るまでヴィクトル王を守れ”と命じられた。ただそれだけのこと」

 アザエルからは微塵の殺気も感じられないことを悟ったヴィクトル王は、ふいと視線を逸らすと静かに椅子に腰を下ろした。

「信じた訳では無い。しかし、最後に賭けてみよう。そなたがそうまでして忠誠をつくす、クロウ王に。彼が再びこの城へ、我弟フェルデンを連れ帰り戻るということにな」

 ヴィクトル王の切り札はすでに尽きていた。しかし、“クロウ王”というジョーカーがどう化けるかというところに、最後の願いを託す他は無さそうだ。

「陛下、早くお逃げにならなければ、大変なことになります・・・!」

 エメの訴えにも関わらず、ヴィクトル王は羽ぺんを手にとり、

「いや・・・。わたしは逃げはしない」

と、そう口にした。

「な、なぜでございますか・・・!?」

 エメはヴィクトル王のデスクの前まで駆け寄った。

 ヴィクトル王はひらりと羊皮紙を一枚引き寄せると、さらさらとそこへペン先を走らせ始めた。

「民を見捨てて我が身可愛さだけに逃げることはできぬ。それが、わたしに課せられた国王としての務めだ」

 尚綴り続けるペンに、何度もインクを付け足しながら、ヴィクトル王は言った。

「でも、陛下。陛下がゴーディアの手に落ちてしまえば、サンタシはそれこそもうお終いです・・・! どうか、どうか、お考え直し下さい・・・!」

 エメは目に涙を浮かべながら懇願していた。

 エメ自身、この王がサンタシの民にとってどんなに良い王だったのかをよく知っていた。彼女自身、身分の低い家から能力を買われて城へと召し抱えられたのだ。そして、それは他の国ではどんなに難しいことなのかもよく分かっていた。彼は、身分差さえ廃絶してしまえる、そんな偉大な王だったのだ。

 そして、それはあのユリウスでさえ例外ではなかった。農家出身で、ただの馬番だった彼の能力と可能性に目を付け、弟と同じ師の下で剣術を学ばせ、そして騎士へと昇格させたのもこの王であった。

「何もみすみす魔族にやられてやろうという訳ではない。わたしとて、少しぐらいは剣の嗜みはある。わたしは諦めの悪い男でな、最後の最後まで立ち向かってみせる」

 そう言うと、ヴィクトル王は立ち上がると、重いデスクをぎいと引きずり押した。

 ふわふわの絨毯を巻き上げるようにして捲ると、そのその下から隠し扉が現れた。

「陛下、これは一体・・・?」

 ヴィクトル王は左の人差し指に嵌めこんでいた指輪を隠し扉の鍵穴に宛がうと、ゆっくりとそれを押し込んだ。

 すると、中でかちゃりという解錠した音が小さく響く。

「ここは、王族のみが知る隠し通路だ。王都の外れにある教会へと一本道で続いている」

 扉は錆びた鉄の音をさせながら、少しずつヴィクトル王の手により開かれた。

 薄暗い階段が扉の下に続いている。

 そして、王はその階段の脇に置かれた小箱に手を伸ばした。埃を被った薄汚い木でできたその箱の埃を吹き払うと、そっと大事にその中身を取り出した。

「代々国王にのみ伝えられる国璽(こくじ)だ」

 紅い上等な布に包まれたそれを開くと、美しく彫刻を施された印が姿を露になった。

 金のその印は、確かに国の象徴であり、王家の紋章でもあるリリーの華が彫刻されていた。

 ヴィクトル王は、デスクに広げたままの羊皮紙に、取り出した国璽に朱印をつけ、しっかりと押印した。

「エメ。わたしの代わりにこの文を持ち、必ずフェルデンに届けよ」

 くるくると羊皮紙を端から丸めると、きゅっと紐で縛る。そして布に包んだ国璽を添えて、エメに手渡した。

「そんなっ! 陛下が直接殿下にお渡しになるべきです!」

 ふるふると首を横に振り、エメは涙しながら訴えた。

 彼自身、もう後が無いことはよくわかっていた。そして、すぐに帰還すると文を寄越したフェルデンや騎士団達が、この時点で白亜城に辿り着くことなどできないはしないということも・・・。

「陛下!」

 そう言ったエメを、半分無理矢理押し込むような形で、ヴィクトル王はランプとともに隠し通路へと追いやった。

 相変わらずアザエルはと言えば、柱にもたれ掛かったままぴくりとも動こうとはしない。あくまでクロウの命令通り、ヴィクトル王に命の危険が迫らない限りは一切の手出しをしないつもりらしい。

 バタリと未だ懸命に訴え続けるエメを無視し隠し扉を閉じると、何事も無かったかのように絨毯とデスクを手際よく元の位置へと戻した。

 城内の悲鳴と叫び声は未だ響き続けている。恐らくは城内は悲惨な状況になっていることだろう。

 そして、この王室にゴーディア兵が辿り着くのも、ほぼ時間の問題と言えた。

(フェルデン、この状況を招いた馬鹿な兄を許せ・・・。そして、この国を・・・、サンタシを頼んだぞ・・・!)


 豪雨の中、ゾーンは朱音に従い、荒れ狂う空の上を左右に揺さぶられながらもひたすらに進み続けていた。

 速度のある分、ぶつかる雨粒が石のように痛い。青白い雷の閃光は、すぐ近くでぴしゃりと眩い光を放ち、恐ろしい威力で地へと落下していく。視界はゼロ。一寸先さえ何も見えはしない。

 ここで手を滑らせて落ちてしまえば最後、いくらクロウの肉体とはいえ、朱音には生きていられる自信はない。

 朱音はゾーンの背にしがみ付くような形で、懸命に堪えていた。そのすぐ背に、フェルデンの身体が密着している。そのことに、朱音はフェルデンが不快に感じてやしないかと心配になっていた。

「クロウ・・・。お前は俺を憎いとは思わないのか?」

 雨音の中、フェルデンが突如として口を開いた。ゾーンに乗ってからというもの、一度も言葉を交わすことなどなかったというのに。

「思いませんよ・・・?」

 どうしてそんなことを訊ねられたのか、朱音には全く理解できなかった。

「なぜ、こうまでして俺に手を貸そうとする? 俺は一度、お前を殺しかけたんだぞ」

 朱音は、“だって、わたしは朱音だから”と、喉元まで出掛かった言葉をなんとか押し止め、飲み込んだ。

 黙ったままの相手に、フェルデンは更に疑問をぶつけた。

「それに、お前は・・・、お前は一体何者なんだ・・・? 本当に、魔王ルシファーの息子なのか・・・?」

 その言葉に、朱音はびくりと身体を反応させた。

(フェルデンは・・・、何か勘付いてる・・・!)

 ふと真下にきらりと光るものが見えた。教会の鐘だ。

「あれは・・・」

 朱音がそう呟いた直後、フェルデンははっきりとこう口にした。

「サンタシの王都のはずれ、レイシアス教会だ」

 この “レイシアス”という言葉に、朱音は確かに聞き覚えがあった。レイシアはこの世界の名前であり、それと似通っていることもあったが、すぐに頭を過ぎったのは、鏡の洞窟で元の世界に戻る寸前にフェルデンに「ラ・レイシアス」という言葉を耳元で囁かれたことであった。

「レイシアス・・・?」

 フェルデンは何の気無しに答えた。

「ああ。レイシアスとは、すなわち“創造主”。サンタシの民が唯一信仰する神だ。そして、この世界の名前の由来にもなった。これは有名な話だろう」

 そんな当たり前のことを聞き返す朱音に不可解な顔をして、フェルデンは小首を傾げた。

「まさかとは思ったが、こんなに早く王都まで戻って来れたとはな・・・」

 それよりも、今は思っていた以上に早く帰還できたことにフェルデンは興奮していた。

「それじゃあ、“ラ・レイシアス”って・・・?」

 既に気が逸っているフェルデンはその質問の意図に全く気付くことなく、単純に答えた。


「レイシアスの別の意味は、“愛する人”。ラは、“たった一人の”を意味する。クロウ、そんなこと聞いてどうするつもりだ?」

 朱音は、驚きと、心に受けたあまりの衝撃で、放心してしまっていた。

 まさか、あの時、フェルデンも朱音と同じ気持ちでいてくれていたなどと、夢にも思わなかったのである。







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