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AKANE  作者: 木と蜜柑
第3章  旅編 
36/63

    16話  散りゆく華

 

 朱音は腕を後ろ手に拘束されていた。

 半ば引きずられるような形で地下への入り口を(くぐ)ると、地下の一室に放り込まれた。

 ここは、アストラの砂漠に隣接する茶色い岩山と岩壁に覆われた地域で、各国からも見捨てられた土地だった。一見何もないただの岩山に見えるが、隠された入り口を通ると中は巨大な地下道が広がっている。

 誰が一体何の為に作ったものなのかは一切不明であったが、今はドラコがアジトとして使用していることだけは明らかだ。もともとは通路だけだった地下のあちこちに、後からドラコの連中が部屋を増設したらしく、通路に比べると些か雑な壁づくりであることに朱音は気付いていた。

「お頭が来るまでここで大人しくしてな」

 ドラコの手下の一人が、ごつごつした岩壁に尻餅をついて目に涙を浮かべている朱音に、乱暴に言い放った。

 まるで、どこからか拾い集めてきた鉄屑をくっつけたような鉄の扉を勢いよく閉じられた後は、室内に薄暗闇が訪れた。岩壁に唯一設置された蝋燭立てには、すっかり短くなった蝋燭が一本揺らめきながら小さく燃えているだけだ。

「陛下・・・」

 突如部屋の隅から懐かしい聞き覚えのある少年の声が聞こえ、朱音は勢いよく振り返った。

 少しずつ暗闇に慣れ始めた朱音の目に、うっすらと霞がかった灰の髪が浮かび上がってくる。

ルイは手足を拘束され、身動きが取れない様子で蹲っている。

「ルイ!?」

 驚き、慌てて朱音はルイに擦り寄る。

「陛下、ご無事でしたか・・・!」

 ルイは心底安心したように、ほっと溜息を溢した。

「ルイこそ!」

 しかし、すぐにルイは悲しそうに俯いてしまった。

「申し訳ありませんでした、陛下・・・。陛下をこんな目に遭わせてしまった原因は全部僕のせいなんです。あの人の正体がまさかドラコの頭領だったなんて・・・。迂闊でした」

 薄暗闇の中でも、ルイの顔色が優れないことは朱音にもすぐわかった。

「ルイのせいじゃないよ! わたしだって、あの人が賊の頭領をしてるなんて知らなかったもん」

 寧ろ、朱音は自分がルイに謝らねばならない方だと考えていた。自分が魔城を抜け出そうなんて思いもしなければ、ルイはこんな目に遭わないで済んでいたのにと思うと、朱音は居た堪れない気持ちになるばかりだった。

「それに、こんな目に遭わせた点では根本はわたしが原因でしょ? そもそもわたしがルイを魔城から連れ出さなきゃ良かったんだよ・・・」

 ふるふると首を横に振り、ルイは灰色の大きな可愛らしい瞳で朱音を見つめた。

「それは違います、陛下。これは僕が望んでついて来た旅です。それに・・・、僕は陛下と一緒に来られたこと、すごく感謝しているんですよ」

 にこりと微笑むと、ルイは縛られた自らの手首を懸命に背中で捻り始めた。

「ルイ?」

 ここに連れて来られるまでにも、縄を外そうと何度も試みた朱音だったから、それがそう簡単には外れないことはよく分かっていた。無理に縄を外そうとすれば、縛られている方の手が擦れて怪我をするだけだからとルイに静止をかけようかと考えていたその時、

「よしっ! 外れた!」

 はらりとルイの手から縄が外れ落ち、すぐ様自由になった手で足の縄を解きにかかった。

 ルイの手には何か鋭利な刃物が握られているようだ。

「陛下、じっとしててください」

 今度は朱音の縄に手をかけると、ルイは手際よくそれを刃物で断ち切っていく。

「それ、船の上でも使っていたよね」

 朱音の視線が自らの手に握られている刃物に注がれていることに気付き、ルイはにこりと笑って頷いた。

「これは、僕とロランに母が与えてくれた果物ナイフなんです。普段はペンダントにして首からさげているんですが、必要なときにこうして開くと果物ナイフになるんですよ。持ち運びにも便利ですし、ずっと愛用しているんです」

 縛られた朱音の縄も断ち切ると、果物ナイフはぱたりと元のペンダントに戻され、その表面には美しい華の彫刻が施されていた。

 今まで気がつかなかったが、それはどうやらもう一つと対になっているようであった。もう片方はおそらく、ロランがまだ手元に持っているのだろう。

 どういう経緯があったにせよ、離ればなれになってしまった双子の兄弟をなんとしても再会させてやりたい、と朱音は心の中で思った。

 しかし、鏡の洞窟で最後に見た、ローブから血を滲ませるロランの姿は、未だ朱音の頭から離れずに胸を締め付けた。

「どうかしましたか? 陛下」

「なんでもないよ」

 心配そうに覗き込むルイにこれ以上不安を悟られないようにと、朱音はすっとその場から立ち上がった。

「そうだ・・・! 陛下、大変なんです。ヘロルドが・・・」

 このときはまだ朱音自身、サンタシやゴーディアでとんでもないことが起こり始めていることを知らなかった。

「陛下が城を留守にしているのをいいことに、ヘロルドはサンタシに宣戦布告をしたようです。戦争が・・・、再開されました・・・」

「え・・・?」

 悔しそうに唇を噛み締め、ルイはぎゅっと拳を握り締めている。

 朱音は放心した。

 一体今、ルイが何と口にしたのか理解できなかったのだ。

「あの卑劣な男め・・・! 戦争を再開させた罪を全て陛下に擦り付け、ゴーディアの王座を何がなんでも手に入れる気なんですよ!」

 放心状態から覚め、あの痩せた猫背の男が脳裏に蘇る。

 憎々しげに朱音を睨みつける頬骨に落ち窪んだぎょろりとした目や、魔女のような鉤鼻に皺を寄せ、大きな口をへの字に曲げたあのヘロルドの表情を思い出しただけで吐き気を催す。

 それと同時に、サンタシの王子フェルデンの凛とした横顔が横切った。

(フェルデン・・・!)

 サンタシの騎士団を率いる彼がゴーディアとの戦いで最前線で剣を振る姿が、ありありと目に浮かぶぶ。

「わたしが城を抜け出したせいだ・・・! 戦争をやめさせなきゃ!」

 朱音の頭は真っ白になった。

 彼を無事サンタシへと送り届けることを一番に願っていたというのに、まさかこんな形になってしまうとは。

「とにかく、ここから抜け出さないと!」

 そう言った瞬間、鉄の扉がぎいと音を立てて開かれた。

「どこに行くって?」

 炎のように真っ赤な髪。燃えるような緋の目がじっと二人を見据えている。

「ファウスト!」

「エフ!」

 二人は同時に叫び出していた。

「言っておくが、ここからお前達を出す気はさらさらねぇぜ」

 短い期間ではあったが、ルイは彼と行動をともにしてきた。大雑把で男気のある“エフ”という青年は、いつも快活な笑顔を見せていた。

 しかし、今目の前にいる彼は、今まで見てきたあの青年からは想像もつかない程の圧力を露にしている。緋色の目を見ていると、ルイの本能が“あいつは危険だ”と告げているのか、背筋がぞくぞくと凍るような思いがした。

 朱音ははっとした。

 “緋の眼の男が陛下を狙っています・・・”という、嵐の夜のアザエルの言葉を思い出したのである。 

(わたし、どうして今まで気付かなかったの・・・!?)

 しかし朱音がそのことに気付くのはあまりに遅すぎた。ファウストの目論見は全て順調に進み、今まさに仕上げの段階へと入る瞬間だったのだ。

「アカネ。いや・・・、クロウ陛下と呼んだ方がいいか?」

 驚きで目を見開き、ルイは咄嗟に朱音を庇うように前へと踏み出した。

「あなた、最初からそれを知っていたんですね!」

 きっと睨み上げるルイにまるで怯んだ様子も無く、ファウストは呆れたように肩を竦め鼻で笑った。

「ボウレドでアザエルを狙った時にお前らが一緒にいたのを近くで見てた、それだけだ。うまく女の振りして変装してはいるが、生憎、おれは魔王ルシファーの顔を拝んだことがあってな、すぐにぴんときたぜ」

 ファウストの口振りからすると、朱音がクロウ王だと知りながら、まるで知らぬ振りをしてルイにうまく近付き、そしてこの状況に持ち込んだということだろう。そのことにルイは腹立たしさを感じずにはいられなかった。ファウストに勿論怒りは感じたが、この男が怪しいと今まで気付きもしなかった自分の不甲斐無さに何より怒りを抑えることができなかったのだ。

 朱音はそんなルイの心情が感じ取れた。

 責任感が強く、そして優しいこの少年だからこそ自分を責めているに違いないと思ったのだ。

 無言のまま朱音はそっと後ろからルイの手を握った。突然手を握られたルイがぴくりと肩を揺らし反応したが、ファウストから決して目を離すことはしなかった。

「陛下に、何をするつもりですか!?」

 何があっても自分が朱音を守るとでも言うように、ルイはまた一歩朱音より前に踏み出した。 

「ルイ、俺が世の中で一番手に入れたいと願っているのは何だと思う?」

 ファウストは組んでいた腕を下ろし、自らも一歩進み出た。

 質問を質問で返され、ルイは顔を顰めて緋色の目をじっと見返す。

朱音の手が無意識に震え始める。何か恐ろしいことが起こりそうな予感がした。

「・・・・・・」

「言っておくが、俺が欲しいのは富や財宝なんてチンケなもんじゃねぇ」

 また一歩進み出るファウストに、朱音は思わずルイの手を握ったまま後退した。

「泣く子も黙るドラコの頭領です、僕はてっきりそうだと思っていましたけど」

 張り詰めた空気が漂い、瞬きをすることも憚られる。“ファウスト”という男がどれ程危険な男なのかということを身に沁みて感じた。

「俺がどんな手を使ってでも手に入れたいのは、“力”だ。この世の誰よりも強い力。それを得る為に俺は今までどんな犠牲も払ってきた」

 恐ろしい程の“力”への執着心に、二人は身震いした。

 ふっと口元を歪ませると、ファウストは朱音を指差す。

「クロウ王、お前の絶対的な魔力をいただく」

 そう言い放ったファウストの緋色の目を見ていると、朱音は恐怖のあまり金縛りにあったかのように身体が硬直して動かなくなった。

「!!!」

 突然ファウストがバランスを崩し、地面にドサリと尻餅をついた。 

 朱音は一瞬何が起こったのかはわからず、パニックになってその場に立ち竦んでいる。

「さ、陛下!」

 ぐいと手を引かれ、我に戻った朱音はルイに引かれるまま駆け出した。鉄の扉を抜け、地下通路を駆け抜ける。

「あのヤロウ! やりやがったな! くそっ」

 扉を蹴り開け、ファウストが胸を押さえながら二人の後を追った。一瞬の隙をついて、ルイがファウストの鳩尾に渾身の力を込めて頭突きしたのだ。

 非常事態に気付き、手下の者たちが次々と加わり、二人を追いかける足音は次第に増えていった。

「ハアハア・・・」

 どれだけ走って逃げて来たであろうか。どこまで続いているのかもわからない地下道は溝に流された油の上に火が灯り、ゆらゆらと足元をしっかりと照らしてくれている。

 しかし、二人の息は荒く、このままこうして逃げ続けるにはもう限界が近付いていた。

「陛下! 僕がここで彼らを足止めしますから、その間に少しでも遠くまで逃げてください!」

 握っていた手を振り解かれ、朱音は思わず足を止めた。

「ルイ、何言ってるの!?」

「このまま逃げ続けるなんて無理です! 大丈夫、結界を張った後必ず追いつきますから、陛下は先に!」

 追手の足音がすぐ近くまで近付いて来ている。

 ルイは上がった息を整えると、目を閉じ、両の手を追手の方角へ向けて精神を集中させ始めた。

 すぐさますうっと薄い壁のような膜が出現し始めた。しかし、呼吸の整わないせいか、ひどく不安定で、ゆらゆらとシャボンの表面のように揺らめいている。

「いたぞ!」

 追手達がとうとう二人に追いついてきた。

「陛下、お願いです。陛下はこのレイシアに必要な方なのです。今は逃げ、ゴーディアを・・・、サンタシをお救いください・・・!」

 懸命なルイの訴えに、朱音は従わざるを得なかった。きっとあのロランと同じ力を持つルイのことだ。そう簡単に結界が破られることはない筈だ。

「ルイ・・・! 絶対後から追いついてね。約束だから」

 ルイは首から提げていたペンダント型の果物ナイフを朱音の手に握らせた。

「ええ、約束です。それまで、それを陛下が大事に持っていてください」

 朱音は後ろ髪を引かれる思いだったが、意を決して再び通路を駆け出した。

 しかし、それはルイが追いつくまでのほんの僅かな孤独の筈だった。


「・・・結界術か・・・。ルイ、お前結界術が扱えたのか」

 不安定な結界を隔て、ファウストが面白い発見でもしたかのように愉快そうに笑っている。

「陛下には指一本触れさせない!」

 相当の距離を走ったせいもあり、体力の消耗が激しいのかルイの結界はなかなか安定しない。

「結界を解けって。お前を殺さずに生かしておいたのは、こんなことをする為じゃねえ。ルイ、お前なら俺達の仲間になれる、そう思ったからだ」

 ルイは結界を安定さえようと、懸命に精神を集中させようとする。

「僕にドラコの仲間に加われと? 馬鹿を言うのは止してください」

 ファウストの後から追いついた手下達も、息を切らしながら結界の向こうからじっとルイを見つめている。皆、あの黒く巻いた布は取っ払っていて、どれもまだ少年の域を出ない者や青年程度の顔ぶれである。

「俺を含め、ここに居るのは皆人間と魔族の合の子ばかり。ルイ、お前もそうなんじゃねぇか?」

 大きく動揺し、ぐにゃりと結界が大きく揺らぐ。

「この地下道のすぐ上の土地は、今はただの見捨てられた乾燥地帯だが、五十四年前、魔王ルシファーの手により滅ぼされるまでは“カサバテッラ”という小国だった」

 百三十年前のルイとロランが生まれた年、サンタシの愚王ロベール・フォン・ヴォルティーユが身動きのとれなくなったことを理由に、軍事国カサバテッラと手を組み、ゴーディアの民を脅かしたことはルイ自身よく知る史実であった。

 しかし、一時あれ程栄えていた軍事国家が、まさかこんな黄色い岩山と岩壁だけの土地に変貌しているなどとは想像だにしなかった。

「俺たちは軍事国家であるカサバテッラの政府が、より強い兵力を求めた結果生まれた、生まれながらの兵士だった。この兵士強化計画は、カサバテッラがサンタシと手を組む以前から密かに始まっていたが、俺達の成長はあまりに時間がかかりすぎた」

 魔族の血を引く者は人間の約十倍長く生きる。それ故、成長の速度も極めて遅い。そのことは、ルイも身をもって知っていた。

 しかし、衝撃の事実に、ルイは動揺を隠せなかった。

 精神的な動揺もあって、手元の結界は相変わらず不安定に揺らめき、今手を翳すのをやめればすぐさまそれは消失するであろうことは明らかであった。

「五十五年前、魔王ルシファーがカサバテッラを消滅させてしまったとき、俺達は命からがらこの地下道になんとか逃れた。ルイ、この通路が一体どこへ繋がっているか知ってるか?」

 ルイは答えなかった。

 どうしてこの青年がルイにこのような話を言って聞かせ始めたのかはわからなかったが、行動をともにする間、同じ人間と魔族の間に生まれた者同士、僅かながらも仲間意識を抱いてくれていたのかもれない。

 ルイは黙ったまま結界に手を翳し続ける。

(陛下・・・、今のうちに距離を稼いでおいてください・・・)

 次の瞬間、ルイはまたもや精神集中を大きく欠くこととなる。

「サンタシだ」

 驚き、思わず閉じていた目を見開き、揺れ動く結界の向こう側に悠々と立つ赤髪の青年を見た。

「今なんと!?」

「サンタシへと続いていると言った。サンタシのミラクストーという街にな」

 ミラクストーはルイとロランの生まれ故郷に違いなかった。しかし、ルイはまさかあの街とカサバテッラが地下道で繋がっているとは今まで知る由も無かった。

(陛下・・・!)

 無事地下道から脱出できたにせよ、敵国の領土内にたった一人で侵入するにはあまりに危険すぎる。

 一刻も早く結界を完全に安定させて、自分が主に追いつく他に方法は無い。

「ルイ、結界を解け。魔族と人間の間に生まれたお前ならわかる筈だ。俺達に居場所などどこにもねえ。迫害・・・、奇異の目・・・、疎外感・・・」

 ファウストの言うことは正しかった。

 ルイ自身、ミラクストーでロランとともに育ち、街の人間から数々の迫害を受けてきた。そのせいで母もルイもロランも、随分辛い思いをしていたのは確かだった。だからこそ母が亡くなった後、二人は父リュックを探し、ゴーディアへと渡ったのだ。

 しかし、ファウストのいうことに耳を貸すことなど、ルイにはできなかった。

「嫌です、結界は解きません。僕は陛下をお守りしなければならない。アザエル閣下に陛下をお守りするよう言われたんです。それに・・・、陛下は僕に生まれて初めて居場所をくださった」

 ルイの強い思いが急速に結界を安定させ始めた。

 ちぃと舌打ちした後、ファウストはぼそりと呟いた。

「なんでそこまでしてあの魔王の息子を助けようとする? 魔王ルシファーもあの息子も、お綺麗な人型の仮面を被った化け物じゃねぇか」

 ルイが安定し始めた結界から手を離し、ゆっくりと後退しながらその場を立ち去ろうとする。

「待て、ルイ。最後の忠告だ。俺はお前を殺りたくねえ。この結界を解け。俺はクロウ王を倒し、その力を手に入れ、必ずやこの世界を手に入れる。人間でも魔族でもねぇ俺達の真の居場所を得る為にな!」

 ファウストの声を無視し、ルイは結界に背を向けて駆け出した。

「後悔するなよ!」

 その声の直後、凄まじい程の熱気に、ルイは思わず足を止めて振り返る。

 結界に向けて、ファウストの翳した手から凄まじい炎が吹き付けていた。

 ときおり渦巻く炎の隙間から垣間見えるファウストの緋色の瞳と真っ赤な髪は、禍々しささえ感じる。安定させた筈の結界の膜は、表面がマグマのように赤く熱されていた。

(なんだ、この炎は・・・! これがファウストの魔力!?)

 このままだと、いくらもしないうちに結界は破られてしまうだろう。

 結界ごしに伝わってくる熱風に、ルイは蒸されるような急激な暑さを感じた。

(なんとか喰い止めなければ・・・!)

 つうと額から流れ落ちる汗を手の甲で拭い、ルイは熱を発する結界の前へと舞い戻った。

 手を翳し結界の崩壊を防ぐ為、再び精神を集中させる。しかし、呼吸もままらない程の暑さ。ルイの身体から流れ滴る汗は異常な程であった。

「無駄だ」

 ルイは感じていた。この男が、自分を遙かに凌ぐ魔力を持ち合わせているということを。

 そして、遠からず、この結界は消失するだろうということも・・・。



 朱音は胸騒ぎを感じた。

 しばらく経っても一向に追いついてくる気配の無いルイ。

 別れ際に必ず追いつくと約束して預かったペンダントをそっと指先で触れると、朱音はどういう訳かやはり元来た道を引き返さねばならないような気がしてならなかった。

(ルイ・・・!)

 朱音は踵を返して元来た道を懸命に走った。急がねばならない気がした。

(ルイ、やっぱりあなたを置いていけないよ・・・!)

 何か恐ろしいことが起こっている気がしてならなかった。

 ルイが足止めをすると言い出した時、無理矢理にでも彼を引っ張って連れて来るべきだったのかもしれない、と朱音は思い始めていた。

 どういうことか、途中から先程までは感じなかった蒸し暑さを感じ始めた。はじめは気のせいかと思った朱音だったが、異常な暑さに異変を察知した。

(ルイ!!)

 通路のずっと先で、何か赤いものがちらついているのが視界に入ってくる。

 ここは、先ほどルイと別れた筈の場所に間違いはなく、そして小さく見える人影はルイのものに違いなかった。

 そして、そのすぐ近くで何かとてつもないことが起こっていることも朱音には理解できた。

「ルイーーーー!!!」

 これだけ離れていてもこれ程の暑さだ、ルイが位置する場所だと恐ろしい暑さに違いない。

 朱音はこれまでに無い程に走った。

 ただ、ルイを救い出さねばならないという思いが、朱音の疲労しきった足をがむしゃらに動かしていた。

 少しずつルイの表情が見える程の距離へと近付くにつれ、辺りの温度が急激に上がっていくのがわかる。

 朱音に気付き、僅かに振り返ったルイの顔は、水につかったかのような異常な汗で滴り、皮膚から立ち昇る蒸気さえも見えた。

「陛下・・・! なぜ戻ってきたのですか!? もう結界が持ちません! 離れて!!」

 いつもは愛らしいルイの声は、本人のものとは思えない程に掠れ、朱音は驚き叫んでいた。

「ルイーーーーーーーーー!!!!!!」

『ゴオオオオオオオオオオ』

 朱音の叫び声とほぼ同時に、ルイを一瞬にして炎が飲み込み、そしてその炎は一層勢いを増しながら渦を巻き朱音に襲い掛かった。炎はまるで意志をもっているかのように燃えがる。

 しかし、朱音は次の瞬間、自分がまだ生きていることに気がついた。

 確かに炎に飲まれてはいるが、僅かに、朱音の周囲に薄い膜のような結界が張られ、燃え盛る炎から朱音の身体を防いでくれていたのだ。

 炎が次第におさまり、周囲の状況が見えてくると、少し離れた場所に赤髪のファウストがこちらに手を翳したまま仁王立ちしている姿が視界に入ってきた。

「悪運つえぇな。ルイの奴、最期の力で結界張りやがったか」

 ちっと舌打ちすると、後ろに控えていた手下の男達がにやりと笑いながらその場の様子を見つめている。

「ルイっ・・・?」

 朱音は何かがおかしいことに気付き、立ち上がりきょろきょろとルイの姿を探した。

 炎が二人に襲い掛かる直前、確かにルイは近くに存在した。すぐ近くで表情まで確認することもできたのだ。

 しかし、今、朱音の近くには彼の姿はどこにも見当たらない。

「ルイ? どこ・・・?」

 くくっと笑いを溢すと、ファウストはカツカツと朱音の近くへと歩み寄った。

「ルイはここだ」

 とんと黒い皮の靴で蹴飛ばされ、ふわりと何か粉のようなものが巻き上がった。理解できず、朱音はゆっくりとその粉に手を伸ばしその粉を手の平で掬い上げる。指の間からさらさらと零れおちていく粉。

 震える声で朱音は呟いていた。

「灰だ・・・」

 ルイの霞がかった灰の髪がふと朱音の記憶に蘇る。

「嘘・・・」 

恐ろしいことが起こってしまった。

 ぼたぼたと灰の上に雫が何雫も落ち、染みを作っていく。朱音の意志とは関係無く、涙がもの凄い勢いで溢れていく。

 朱音は救い上げた灰を自らの頬に擦りつけ、くしゃりと顔を歪ませた。心臓を抉り出されたかのような痛み。

 復活の儀式の痛みなど、今考えるとずっと大したことのない痛みのようにも思える。

 大好きだった気の優しい従者の少年は、跡形も無く朱音の前から消え去ってしまった。「陛下」と呼ぶ少年らしい声や、霞がかった綺麗な灰の目や髪を見ることはもう二度と叶わない。

 朱音は悲しみという感情を塞き止めることなど到底できはしなかった。

 ファウストは先程よりも確かに強い魔力を得ていた。自らの炎でルイを飲み込んだことで、心優しいあの少年の魔力さえも自らの力に変えてしまったのだ。

「さて、クロウ陛下。今度はあんたの番だ」

 朱音の頭上に手を翳し、声も無く只々泣き続ける朱音にファウストは言葉を落とした。







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