14話 王子の帰還
「兄上っ・・・!!」
フェルデンが王室に飛び込んだ。
「フェルデン! 帰ったか!」
ヴィクトル王が壇上の上の玉座から勢いよく立ち上がり、開いた扉から飛び込んで来た実弟の姿を見つめた。
フェルデンの後を追うように、ユリウスが早足で入室して来た。
「兄上、いえ、ヴィクトル陛下! 帰還が遅くなり申し訳ありませんでした」
玉座の前に佇むヴィクトル王の前に跪き、フェルデンは礼の形をとった。
金の髪はひどく乱れており、身に着けている旅装束はよれて随分汚れと綻びが目立つ。ユリウスもフェルデンの少し後ろで礼の形をとる。二人とも、額からは多量の汗を流していた。
リストアーニャを発った後、すぐ後にフェルデンとユリウスの二人の耳にも、サンタシとゴーディアの停戦が解かれたという噂が入ってきた。慌てた二人は、早馬を飛ばし、驚異的な速さでサンタシへと戻ってきたのである。
「いや、お前が無事戻ったことが何よりだ。それに、わたしには、そち達が急ぎ帰ったように見えるぞ」
ヴィクトル王はとんとフェルデンの肩に手を添えると、面を上げるように指示した。
「陛下、とんでもない事態になってしまったようですね」
ふむとヴィクトル王が難しい顔して頷いた。
「そち達がゴーディアを出立したという連絡を受けてすぐのことだ。どういう訳か、ゴーディアがあんなにも隠したがっていたルシファー王の逝去が大っぴらに公表されたという情報を受けた。それと同時、今までどこに雲隠れしておったかもわからぬルシファーの息子、クロウが即位したと言うではないか・・・?」
フェルデンは滴る汗を拭うことも忘れ、ヴィクトルの隙の無い目をしかと見つめた。
「それには、やはりアカネが大きく関わっています」
ヴィクトルがぴくりと眉を動かす。
「何、アカネが・・・?」
大きく頷くと、フェルデンは知り得た情報を包み隠さず話し始めた。
「おれ達がゴーディアに着いた頃、ちょうど“復活祭”と呼ばれる祭りが首都マルサスで行われていました。それに乗じて、城内で何やら不気味な儀式が行われた模様で、その儀式にアカネが贄として犠牲になりました。その儀式の直後です、クロウが突如ゴーディアの地に現れたのは・・・。しかし、なぜアカネが儀式の贄として選ばれたのかは未だ不明のままです」
ヴィクトルは玉座に腰を下ろし、フェルデンの報告に聞き入った。
「また、この頃のゴーディアは、我国との戦を望んではおりませんでした。魔王ルシファーの側近であるアザエルが、我国の領土内であるセレネの森に無断で立ち入り、悪行を働いた件を会談に持ち出すと、元老院はアザエルの行動は一切国とは関係しないと否定し、直様アザエルの身柄をサンタシに引渡すことを決めました」
途中訊ねたいことはあったヴィクトル王だったが、決してフェルデンの話の腰を折ることはしなかった。
「おれたちはその後、魔力を封じられたアザエルを連れ、帰路へ着きました。しかし、情けないことにおれの肩の傷が悪化し、急遽キケロ山脈からボウレドの街へ立ち寄り、一時休養をよる羽目に・・・。その後、遅れてメトーリアの港からリーベル号に乗船し、サンタシのディアーゼ港を目指しました。後は陛下もご存知の通り、滅多に見ない大嵐に見舞われ、船に航行困難な程のダメージを受けてしまい、それで、近くのリストアーニャの港に・・・」
数々の旅の困難に、ヴィクトル王はこの二人がよく無事で帰って来たものだと改めて感じていた。
「しかし、まだ陛下にお伝えしなければならないことがあります。帰還途中、幾度もゴーディアの元老院からアザエルに向けて刺客が向けられていました。それは、アザエルを通じてゴーディアの国家機密が我国に漏洩することを恐れたことからのようです。リーベル号での嵐の夜、何者かが確かに船内に潜み、事を起こしました。おれとユリウスの邪魔が入らぬよう、飲み物に睡眠薬を混入し・・・。おれは肝心なときに何も目撃していませんが、その後アザエルが船内から忽然と姿を消したのです・・・」
一通りのことを話し終えたフェルデンは、静かにヴィクトル王の反応を待った。
ヴィクトル王は、裏で何やら良くない者の手が回っていることを改めて感じることとなった。
「任務の報告、ご苦労だった・・・。予想以上に困難な旅となったようだな。アカネのこと、誠に残念であった・・・」
フェルデンはふっと視線を床に落とした。
「結局、おれはアカネを救うことができませんでした。ジゼルのように、彼女もまた魔族の手により犠牲となってしまった・・・」
哀れむように、ヴィクトル王は言った。
「お前のせいでは無い・・・。全ては憎むべき魔族、そしてゴーディアだ」
しかし、そう言った後、王はこう付け加えた。
なぜなら、まだ王には腑に落ちないことが一つ残っていたのだ。
「だがな、わたしにはどうしてもそのクロウという即位したばかりの国王の考えが理解できぬのだ。ゴーディアの元老院が、あれ程我国との戦を避けたがっていたにも関わらず、なぜこんなにも急に停戦条約を破り捨てた・・・! その、クロウ王とやらは一体何を企んでおる・・・!?」
ヴィクトル王は珍しく取り乱しているようであった。
何の罪もない商船の乗組員を殺すという卑怯なゴーディアのやり方と、苦労してやっとのことで漕ぎ着けた十年前の停戦条約を見事に破り捨てた新国王クロウにひどく立腹していた。
「陛下、実は・・・、まだ先程の話には続きがあるのです」
申してみよとでも言うように、ヴィクトル王は小さく頷いた。
「おれは新国王クロウと会いました。彼はまだ少年の域を出ない幼い王です。しかし、ルシファー王を生き移したかの容貌で、恐ろしく美しい王でした。おそらくは、父同様強大な魔力を内に秘めているのでしょう・・・」
フェルデンは直後、玉座の前で床に頭をついた。
「そちは一体何をしておるのだ・・・!?」
突然のフェルデンの行為に驚き、ヴィクトル王は思わず玉座から立ち上がった。
「陛下・・・、この戦、全てはこのおれに責任があるのです。取り返しがつかないことは分かっています。ですから、おれに適切な処分を・・・!」
長い旅を終え戻ってきたばかりの弟が、自らの前に平伏すという、予想だにしない行動を起こしたことで、ヴィクトル王は驚き戸惑った。ユリウスもじっと下を向いたまま跪いていたが、このときばかりは咄嗟に顔を上げてしまった。
「どういうことだ、フェルデン・・・?」
静かなヴィクトル王の声に、フェルデンは落ち着いた口調で返した。
「おれは、アカネの亡骸を見た後、悲しみの余り我を失いました。そのせいで、おれは取り返しのつかないことをしてしまった・・・」
フェルデンが何を話そうとしているのかに気付いた瞬間、ユリウスは叫び出していた。
「殿下、いけません!!」
ユリウスの声が聞こえていなかった訳ではないが、フェルデンは罪の意識から兄であるこの男に黙っていることなど出来なかったのだ。
「おれは、クロウ王の首を絞め、殺害しようとしたのです・・・」
「違います、あれは事故なんです! 陛下!」
ヴィクトル王は目を見開き、フェルデンを呆然と見下ろしていた。懸命なユリウスの言葉にも関わらず、フェルデンは首を横に振った。
「あれは事故などではありません。おれはあの時確かにアカネの命を引き換えに現れたあの少年王を心の底から憎いと思い、殺意を抱いた。陛下・・・。国家をこのような危機へと陥れた罪はあまりに大きい・・・。適切な処分を・・・」
信じられない事実を知ってしまい、ヴィクトル王は頭を抱え込んだ。
ユリウスも、やるせない思いで首を左右に振った。
「フェル・・・、頭を上げなさい・・・」
それでも頭を上げようとしないフェルデンに、ヴィクトルは構わず言葉を落とした。
「ゴーディアの突然の裏切りの理由はよく分かった・・・。そして、停戦中の国王の首に手を掛けてしまったそちの過ちも・・・」
フェルデンは、どんな処分も受けるつもりでいた。それがどんなに辛く苦しいものであったとしても。
「しかしだ、今はそうも言っておれぬ。ゴーディアからは既にこちらに軍が向けられておると情報が入っておる。我国もみすみすやられる訳にもいかぬのでな、準備でき次第こちらからも軍を出すつもりでいる。そちの指揮無しで騎士団は動くまい。処分を考えるのは全て片付いてからだ」
ユリウスは、ヴィクトル王の賢明な判断に唯々感謝した。
「それにな、本来は国王のわたしが言うべきことでは無いのかもれぬが、そもそもはアカネを我領土内から連れ去りその命を奪ったことや、我国からの使者に刺客を送り込み、飲み物に薬を混入させる等の所業を行ったのはゴーディア側ではないか。我国とて、我慢の範疇を超えておる。遅かれ早かれ、きっとこの戦は再開しておっただろう」
そうは言うものの、このような事態を招いたのが自分かもしれない、というフェルデンの罪悪感はどうにもならなかった。今はサンタシの為に、どこまで自分が働き、尽くせるかということだけが、唯一の罪滅ぼしへの道として残されていた。
「陛下、この先おれは陛下やサンタシの為ならば命を投げ売る覚悟です。おれの過ちは消えませんが、今一度おれを信じてください」
フェルデンは頭を下げたまま、力強い声で誓った。
「何を今更・・・。わたしがそちを疑ったことなど今まで一度たりともない。そちは、あのディートハルトが認めた男ではないか。今もこれからも、そちの働きに大いに期待しておる」
兄であるヴィクトル王の言葉を、フェルデンは静かに胸に叩き込んでいた。
フェルデンは朱音の存在を感じることについて、ヴィクトル王に話すことはしなかった。それは、あまりに信憑性に欠ける内容だったことにある。
ユリウスには話していたが、それをヴィクトル王に話したところで、空想や想像という不確定で曖昧なものを好まない彼はきっと信じないだろう、とフェルデンは思った。
「フェルデン殿下、どうしてあんなことを言ったりなんかしたんです!」
ユリウスがひどく不機嫌な顔でフェルデンに抗議した。
「どうした?」
あっけらかんと答えるフェルデンに、ユリウスは更に噛み付く。
「どうした? じゃありませんよ! クロウ王の首を絞めたことをどうして馬鹿正直に陛下に話したんです!? あれじゃあ誤解されても仕方ないじゃないですか!」
フェルデンが変わらぬ調子で返す。
「誤解も何も、全て本当のことだ。どうして陛下に隠す必要がある?」
返す言葉が見つからずに、ユリウスは足元に視線を落とした。
「じゃあ・・・」
ぽつりと零したユリウス。
「じゃあ、なんでアカネさんのことは話さなかったんです?」
少し黙った後、フェルデンは答えた。
「あのヴィクトル・フォン・ヴォルティーユ陛下が、死んだ筈のアカネが別の姿で生きていると話したところで信じると思うか? あの人は目に見えるものや確かな情報しか信じない、そうだろ?」
うっと言葉に詰まり、ユリウスはぽりぽりと鼻頭を小指で掻いた。
『コンコン』
外からのノックの音に、フェルデンが入室を許可する。
医療箱を手に入室してきたのは、高齢の王族直属の医師、フィルマンであった。
真っ白く長く生やした髭は、少し見ない間に少し伸びたように感じる。
「フェルデン殿下、肩の傷の具合を診に参りました」
ユリウスが気をきかせ、フェルデンの傷が診やすいようにと彼に場所を譲る。
フェルデンは、彼に診せる為に、上半身は巻かれた包帯を残して、着替えたばかりだった上着を全て脱衣した。
フィルマンは、その巻かれた包帯を丁寧にはずしてゆく。
「旅の道中、傷が悪化して一時生死をさ迷ったと伺いました。わたしには、あの深い傷で任務をこなされたこと自体不思議でなりません」
フィルマンは、その手を動かし続けながら話した。しかし、全ての包帯を取り去ると、驚きのあまりその手を思わずぴたりと止めた。
「これは・・・」
フィルマンの様子がいつもと違うことに気付き、ユリウスが背後から声を掛ける。
「どうかしたんですか?」
ごくりと唾を飲み込むと、フィルマンはユリウスを近くに呼び寄せ、フェルデンの肩の傷の説明を始めた。
「見なさい、それ程悪化した傷が今ではほぼ塞がっている。この処置からするに、おそらくは血抜きをしたのだろうが、その際のメスの跡がほとんどと言っていい程残っておらん・・・。この傷を診た医者とは、余程の名医だったのだろう」
ユリウスの脳裏にふとボウレドで出会った町医者、フレゴリーが横切った。
「フレゴリー・・・」
ほとんど無意識にユリウスが口走ったその名前を、フィルマンは聞き逃さなかった。
「フレゴリーが殿下の傷を!?」
きょとんとフェルデンがフィルマンの老いた顔を見返す。
「ええ・・・。フィルマン先生はフレゴリーを知っておられるんですか?」
ふむと小さく声を漏らすと、フィルマンはすっかり年老いた手で医療箱の蓋を開いた。
フィルマンは五十五年前の出来事を追思していた・・・。
「誰か! 医療班・・・! 」
今から二百年前、サンタシはゴーディアの仲間の裏切りを利用し、一時落城の危機にまで追い込んだ(マルサスの危機)のだが、魔王ルシファーの強大な魔力により、サンタシは勝利までのあと一歩を惜しくも逃していた。
しかし、その後サンタシで即位した、ロベール・フォン・ヴォルティーユ王の愚かな国政によりサンタシは国内から弱っていった。
それを見逃さなかった魔王ルシファーは、いよいよサンタシ国内へと勢力を伸ばし、ミラクストーをはじめとする武器生産の中心地を抑制していった。
身動きのとれなくなったロベール王は、軍事国カサバテッラと協定を結び、なんとか持ち直すことに成功。
百三十年前、こうしてカサバテッラ、サンタシの共同作戦が開始されたのであった。
そうして攻防を繰り返すうちに五十年の月日が流れ、今から五十五年前、カサバテッラ、サンタシによる史上最大の作戦“飛行撃砕作戦”が決行されたのだ。
カサバテッラが軽量開発して長時間の飛行を可能にした、ハングライダーでの飛行により、嘗て試されたことのない上空からの攻撃を計画したもので、この年、ゴーディアの上空では激戦が繰り広げられた。
「医療班! 誰か近くにいないのか!?」
ハングライダーの残骸があちこちに転がり、中には再起不可能な程に骨組みが捻じ曲がっていたり、折れてしまっているものも多数ある。
夜の明けない真っ暗な空は、上空で繰り広げられる激戦で、炎の色に染まっていた。
「頼むっ、誰か・・・!」
フィルマンは吹き出る脂汗を手の平で拭った。
十七歳という若い彼は、医師見習いの気の弱い青年であった。
岩の陰に隠れ、周りに別の医療班員がいないか懸命に目を凝らして探す。しかし、皆どこへ行ってしまったのか、この近くには医療班員はフィルマン一人しか見当たらなかった。
空にはまるで凧のようにハングライダーの影が弧を描いている。
バリスタによる鋭い槍に貫かれた者が、次々と上空から落下し、そのうちの一人がどさりとフィルマンのすぐ目の前に転がった。
「ひっ」
落ちた衝撃でぐしゃりと折れ曲がったハングライダーの羽。男はごぶりとどす黒い血液を口から溢れさせると、絶命した。
男の胸には太い槍が貫通していた。
フィルマンは今頃になって気付いたのだ。どうしてこの辺りに味方の医療班の者がいないのかを。
(皆、退避したんだ・・・!)
どっと噴出す汗。よく考えてみれば、上空作戦は、上空から街を破壊して深刻なダメージを与えることを狙いとしたもの。今から火の海と化す場に味方の兵を地上に留めておく訳が無い。
「誰か・・・、いないのか・・・?」
だんだん弱々しくなる、誰か知らない仲間の呼び声。
フィルマンは落下物に怯えながら、仕方無く声の主の元へと向かった。
「い、医療班の者です・・・」
力の入らない声で、フィルマンは声の主に言った。
男は地面の窪みに身を隠しながら、座り込んでいた。
「ああ・・・、誰もいないのかと思った・・・。悪い、ちょっと傷を診てくれないか」
男の息は荒く、ひどく顔色も悪い。
フィルマンは男の怪我に対処してやれる自信が無かった。知識はあったものの、このときの彼はまだ、ひどく経験が浅かったのだ。
「は、はい・・・」
男の左腿は血液でぐっしょりと染み渡り、地面にも血溜まりができている。
持っていた医療キットの中から鋏を取り出すと、フィルマンは震える手で、男の傷周りの衣服を切り裂いていく。
「ああ・・・、これは・・・」
ひどい出血だった。剣での切り傷であったが、今尚血はどくどくと溢れ出している。傷は動脈にまで達しているようだっだ。
「おれは助からないのか?」
男は青い顔で言った。フィルマンは、無言のまま腿の際をぎゅっときつく紐で縛り、止血を図る。しかし、一向に血は止まらない。
フィルマンは男を助けられないと思った。
「坊や、代わろう」
突然背後から別の男の声が降ってきたと思うと、男はフィルマンを押し退けるようにして窪みに飛び込んできた。
「動脈がいっちまったかな・・・」
傷を見るなり、男はフィルマンに指示を始めた。
「坊や。ちょっとこっち来て、ここんとこを人差し指で押さえててくんないか」
何者かわからぬ男の指示に、フィルマンは従順に従い、男の指示した通りにその部位を押さえる。
「出血が・・・」
明らかに出血量が少なくなった傷に驚き、フィルマンは男の顔を見上げた。
驚いたことに、その中年の男はゴーディアの医療部隊の制服を見につけていた。
「ま、一時的なもんだ。ちょっと痛むぞ」
そう言った途端、怪我を負った男が悲鳴を上げた。
一体何をしたのかと目を丸くしていると、傷口をアルコールで洗い流したようであった。
「悪かったな」
慣れた手つきで、男は布袋の中から白っぽい粉を摘みか取り出し、傷口にふりかけ始めた。
「な、何をふりかけているんです・・・?」
不安な声でフィルマンが訊ねると、男は一種の痺れ薬のようなものだと返事をした。
その後は急に痛みが引いたのか、怪我の男は静かに謎の男の治療を受け始める。この最悪な状況の中でさえ、目の前の謎の男は神業とも言える手つきで見事に縫合していく。
息を飲んで、フィルマンはじっと様子を見守っていた。
「おし、なんとか縫合が終わった。だが、出血量が多すぎる・・・、あまり状態は良くないな・・・。すこし体力を回復しておいてやろう」
そう言うと、手を翳し、何かをし始めた。途端、淡い光が手の平から放出され、怪我の男に吸収されていく。
「あ、あなた、魔族!?」
ふっと苦笑を漏らすと、男は言った。
「ああ・・・。悪いが、魔力と言っても怪我自体を治すことのできる力は無いに等しい。わしにできることは、こうして患者の体力を回復することぐらいだ」
この目の前の男が、どうして敵側の者の傷を治し、命を救ったのかフィルマンには理解できなかった。
「どうして・・・、敵の兵を助けたんです・・・?」
愚問だとでも言うように、男はフィルマンを呆れたように見た。
「医者が患者を助けて何が悪い。患者に敵も味方も無かろう?」
フィルマンは雷に打たれたような衝撃を受けた。
自分もいつか、この男のような医者になりたいと、強く思ったのだ。
「あなたの名前は・・・?」
「フレゴリーだ、坊や」
「そうだね、彼はわたしの人生の手本だ。あれから五十五年が経ち、わたしはすっかり老いぼれてしまったが、魔族のあの人は、まだあまり変わらぬ姿でいるのだろうな・・・」
フィルマンは懐かしそうに瞳を閉じ、そう呟いた。
「ええ、彼はとても元気そうでした」
「それは良かった」
ひどく安心したように、フィルマンはフェルデンの傷に、つんとする臭いの薬を塗りこんでいく。
「それはそうと、殿下。実は、もう一つお話したいことが・・・」
急に声を顰めたフィルマンに、フェルデンが頷いた。
「実は・・・、あのアカネという少女の亡骸を拝見させていただいたのですが・・・、なんと肉体はまだ完全に死んでいる訳では無いようです・・・」
フェルデンは驚きで目を見開き、咄嗟に薬を塗るフィルマンの手を掴んでいた。
「フィルマン、それは本当か!?」
嫌な顔一つせず、フィルマンは静かに答えた。
「ええ。少女の胸には確かに短剣が深く突き刺さり、心臓を貫いている。しかし、不思議なことに、彼女の身体は仮死状態のまま維持されています・・・」
衝撃の事実に、ユリウスとフェルデンは思わず互いに顔を見合わせた。