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AKANE  作者: 木と蜜柑
第3章  旅編 
31/63

    11話  奇禍遭遇

 

 日が傾き、薄暗くなりつつある部屋の中、朱音はじっと死人のように動かないアザエルの傍で時間を過ごした。

クリストフは、水の力でアザエルは自然と回復すると話していたが、アザエルの美しく整った顔は昨晩と変わらず蒼白で、皮膚は氷のように冷たいままだ。

 朱音はひょっとしてこの男は既に死んでしまっているのではないか、と何度も疑った。

 この死人のように冷たい男は、朱音の当たり前だった日常から見知らぬ世界レイシアに連れ去った挙句、朱音の全てを奪い、何度も朱音を絶望のどん底へと突き落とした。家族も、友達も、夢も希望も、そしてやっと気付いた愛さえも失くした朱音はこの男をひどく憎むことで辛うじて生き存えていた。

 しかし、ここへ来てその憎しみという感情のやり場を失ってしまったことに、朱音の心は大きく揺れ動いていた。

 冷たく恐ろしい海にのまれ流されたときに見た、遠い日の記憶。それは、まるで夢のように不安定でありながら、ひどく懐かしい確かなクロウの思い出だった。

「アザエル・・・、クロウにとって、あなたは一体どんな存在だったの・・・?」

 ぽつりと呟いた朱音の声はひどく憂いを帯びていた。

『ガチャリ』

 開いたドアからクリストフが姿を現す。その肩には白い鳩がとまっている。

「どうしました、明かりもつけないで」

 すっかり暗くなってしまった部屋に、クリストフは皮のベストのポケットからマッチを取り出すと、部屋のランプに火を灯した。

「クイックルが戻ってたんだね」

 立ち上がりクリストフの肩に手を伸ばすと、白鳩は嬉しそうにちょんと朱音の手の上に飛び乗った。

「おかえり、今度は何を見てきてくれたの?」

 にこりと微笑むと、クイックルは身体を朱音の頬に擦り寄らせた。

「彼女はルイの様子を見てきてくれました。彼は変わらず無事だそうです。それに、誰か信用できる者を見つけたようで、その者と一緒にこちらへ向かっているみたいですよ」

 ほっと安心したように、朱音は胸を撫で下ろした。

 海に投げ出された後、はぐれてしまったルイのことをひどく心配していた朱音だったが、どういう訳かクリストフが彼は無事に生きていると話したので、朱音はそれを信じていた。

 気を失っていた朱音が翌朝目を覚ました時には、既にこの宿のベッドの上だった。

 そしてクリストフは目覚めたばかりの朱音にまず謝罪したのだ。

“貴女を危険な目に遭わせたこと、本当にすみませんでした”

と。そして、あの荒れた海の上で、クリストフは目にしたものを朱音に丁寧に話して聞かせた。

 クリストフが折れたマストとともに海に流された後、海に投げ出されたルイと朱音が見えたこと。助けに行こうとしたところへ、リーベル号の甲板から乗り組み員の一人が飛び込み、流されたルイをうまくマストの残骸の上に引っ張りあげる瞬間を目にしたことを。そして朱音はアザエルの手で岩場へと引き上げられたことも。

 しかし、謝らねばならなかったのは朱音の方だった。

 あれ程客室を出るなと釘を刺されていたにも関わらず、朱音は自分勝手にも部屋を出てしまった。そのせいでクリストフやルイがこんな危険な目に遭ったことを考えると、償っても償いきれない思いでいっぱいになった。

 クリストフは一度も怒らなかった。

 こんなにも危険な目に遭わされたというのに、何の見返りもない朱音の旅に、友達だからという理由で付き合い続けてくれている。

「ルイが無事で本当に良かった・・・。クイックル、ありがとうね」

 白鳩はホロホロと嬉しそうに喉を鳴らすと、バサバサと翼を開く仕草をした。

「クリストフさん、あなたはひょっとして、もう何もかもを知ってるんじゃない? わたしが一体誰なのかということも、この旅を続けている本当の理由も・・・」

 朱音は気付いていた。ふとした瞬間に感じる、彼の朱音に対する態度や言葉の僅かな違和感に。

 そしてそれは昨晩の出来事で確信へと変わった。暗闇の中でクリストフがフェルデンに向けて言った、

“貴方は悲しみのあまり、あまりに盲目になりすぎている。もっと心の目で物事を見てみてください。そうすれば…真実が自ずと見えてくる筈です”

という言葉は、朱音の境遇を全て理解していることに他ならない。

 クリストフはじっと朱音の黒曜石の瞳を見つめた。

「さて、どうでしょうか」

 彫りの深い濃げ茶の目は、別段焦った様子も無く普段同様にほんの少しの笑みさえ含んでいる。

「けれど、この旅はアカネさんが自分探しの為に始めた旅な筈です。例えわたしが全てを知っていたにせよ、最終的に答えを出すのは貴女です。わたしにそれを決める権利はどこにもありません」

 なぜこうも、クリストフは知らない振りをし続けようとしているのか、朱音にはわからなかった。

 クリストフの言おうとしている意味を、難しい顔で考え込む朱音に、クリストフはあっけらかんとした声で言った。

「そんなことより! そろそろ彼がやって来る頃ですよ」

 誰が、と朱音が聞き返そうとした瞬間、部屋の扉のすぐ後ろでぎゃっという悲鳴が聞こえてきた。

(???)

 不審に思って恐る恐る扉を開くと、廊下一面に果物の入った袋をぶちまけてひっくり返っているボリスの姿がそこにあった。

「あれ、ボリス?」

 くすくすと笑いながら、クリストフが朱音の後ろから声を掛けた。

「わたしが彼にちょいとお遣いを頼んだんですよ。そう、安全性の高い食料の調達と、それから旅に必要な道具、それから・・・」

 まだまだ続くだろうクリストフの羅列していく物の多さに、朱音は笑いを(こら)えることができなかった。

「とまあ、ちょっと頼みすぎたかもしれませんね。ハハハ」

 クリストフの悪気の無い悪戯は、ちょっとした彼のユーモアの一種だった。からかわれたボリスは尻餅をついたまま目尻に涙を浮かべている。

 クリストフが居るだけで、朱音は本当に心強かった。

 思い起こせば、初めてクリストフに出会い、魔城で髪を切ってもらったときだって、ちょっとした悪戯心で手に握らされた紙の切れ端にどれだけ心救われ、励まされたことか。

 彼は朱音にとって、本物の救世主だった。



リストアーニャへ来て三日が経った。

 クイックルが度々得てくる情報によると、ルイは着実にリストアーニャへと近付き、そして運のいいことにあのリーベル号が修理の為にこの港へと停泊しているということが分かった。

 クリストフの提案で、ルイがこちらに合流するまではここで動かず待つこととなり、朱音は退屈ながらも宿の一室で眠ったままのアザエルと、お喋りなボリスと過ごしていた。

「アカネ嬢、この人、本当は死んでんじゃないか?」

 ボリスがつんつんと骨ばった小指でアザエルの頬を突く。

「止めなよ! 生きてるよ、ちゃんと息してるでしょ」

 ボリスの手をパチンと叩くと、朱音はきっと睨みつけた。

 そうは言うものの、朱音自身アザエルが生きているのか死んでいるのかはっきりとわからず、相変わら蒼白で冷たいままのアザエルを見て不安を抱かずにはいられなかった。

「そうかあ~~? あっしには息してるようには見えねえけどなあ・・・」

 ぼそりと呟いたボリスの頭をべちっと叩くと、

「っで!! ひでえな、アカネ嬢は」

と、涙目でボリュームの少ないぺたりとした髪を(さす)る。

(大丈夫、アザエルは死んでない! 死んでたら今頃腐敗が始まってる筈! 死んでないったら死んでない!)

 朱音はそう何度も自分に言い聞かせていた。

 しかし、まだこの後に訪れる奇禍を予想だにしていなかった。


 その晩、ほんの少し様子を見てくると言って宿を出て行ったクリストフが、遅くなっても戻って来なかったのだ。

「アカネ嬢、旦那、遅いっすね・・・」

 ボリスが夕食に食べていた肉の骨をしゃぶりながら、退屈そうに言った。

「うん・・・」

 度々こっそりと部屋を抜け出すことはあったクリストフだったが、一度出て行ったきり戻らないことは今まで一度も無かった。

「もしかして、街で何かあったんじゃ・・・。旦那、いい服着てっから・・・」

 あのクリストフに限って、とは思うものの、ボリスの碌でもない一言が朱音の不安心を揺すぶる。

「変なこと言わないで。きっと、何か別に用事ができたんだよ」

 とは言いつつも、朱音の夕食のパンと骨つき肉は、ほとんど形を残したまま机の上に載っかっていた。

「ありゃ、食べないんすか?」

 朱音は、溜息をついてボリスに自分の分の骨付き肉を突き出す。

「ほんなら、お言葉に甘えて!」

 こんなときにも食欲旺盛なボリスに、朱音は呆れると同時に羨ましいとまで感じた。

「そだ。アカネ嬢、あっしで良ければ外の様子を見てきましょうか?」

 思ってもみないボリスの申し出に、朱音は藁にもすがる思いで頷いた。風を操ることのできるクリストフが何か事件に巻き込まれるなんて有り得ないとは思うものの、何かしらの不安が拭い去れなかった。

 ボリスが部屋を出て行って間もなく、窓の外が何やら騒がしくなり始めた。

 けたたましい男の怒鳴り声と、悲鳴。尋常ではない外の様子に、朱音は閉めていたカーテンから僅かに窓の外を覗き見た。

 ちょうど朱音達が宿泊する向かいの宿から、大男が二人の子どもを無理矢理引きずり出しているところだった。

「身元不明のガキどもだ! 儲けもんだぜ!」

 男達は泣き叫ぶ子ども達をひょいとネズミか何かでも摘まみ上げるかのようにして、荷馬車の檻に放り込んだ。

 朱音は数日前に(いち)で見かけた売りに出される子ども達の姿を思い出した。

(孤児や身元のわからない子どもを探してるんだ・・・!)

 朱音の心臓が危険信号を知らせている。嫌な予感がした。

「この近辺にまだ隠れてる筈だ! くまなく探せ! 逃がすなよ!」

 男達の声が響くと同時、朱音の嫌な予感は的中した。朱音の宿泊している宿にまで男達が踏み込んできたのだ。

 宿主は気のいい年寄り夫婦で、あの大男たちには手も足も出なかった。次々と乱暴に客室に入っては、身分証の無い子どもを片っ端から荷馬車へ詰め込んで行く。

 身分証を発行してもらうには、ある一定の税金を支払わなければならない。しかし、この国にはまだまだ貧しい商人もたくさんいて、中には身分証を持たない子どももたくさんいるとボリスが話していた。

 たった今囚われた子ども達は、きっとそうした事情を抱えているのだろう。

(どうしよう・・・!)

 嫌な汗が背中を伝った。もうこの部屋に男達がやってくるのも時間の問題だ。

 はっとして朱音はアザエルを見た。あの男達がこの部屋に来て、動かないアザエルを見れば、どういう行動に出るのかは何となく想像できた。

 子どもを平気で掻っ攫い、売り飛ばす者達だ。死体であれなんであれ、売り飛ばして金目にしようとするに違いない。

 朱音は横たわったままのアザエルの足を持ち上げると、ぐいと引っ張った。意識のある人間と違い、ぐったりと脱力した大人の身体は思うように動かせない。

 男達の足音はすぐ近くまで迫っていた。

(お願い! 間に合って!)

 顔を真っ赤にしながら、なんとかアザエルの身体をベッドから引きずり降ろすと、お尻をつかって全体重をかけてその身体をベッドの下へ押し込んだ。

『バンッ!』

 アザエルの身体をなんとかベッド下に押し込むことに成功したと同時に、部屋の扉が蹴破られた。

「おっと、お嬢ちゃん、こんばんは」

 片目に眼帯をした大男がにやりとベッドの脇でへたり込んでいる朱音に言った。

「こんな時間にこの部屋で一人かな?」

 恐ろしさのあまり、朱音はがたがたと震え始めた。

「身分証を見せな」

 ずかずかと近付いてきた男に、朱音ははっきりと答えた。

「わたしは旅の者です。だから身分証なんて持ってないです」

 男はぶっと吹き出すと、

「どの子どもも皆同じ言い訳をするのさ。それなら、出身を証明できるようなもんを提示してみな」

と、朱音を見下ろした。

 朱音は必死に考えを巡らせた。

(今の身体はクロウのものだから、ゴーディアの出身だよね・・・?! でもよく考えたら、わたし何も証明になるもの持って来てない・・・!)

 男の言葉に黙り込んでしまった朱音の姿を見て、男はふんと鼻を鳴らした。

「悪く思うなよ、これも商売、金の為だ」

 咄嗟に身を翻して逃げようとする朱音の腕をぐいと掴むと、朱音はいとも簡単に男の手に捕えられてしまった。こんなときに限って、ボリスは戻らない。ひょっとしたら、このおぞましい出来事を近くで震えながら見ているいるのかもしれない。嫌、見つかることを恐れて逃げ遂せたのかもしれなかった。

 でも、もしボリスがこの光景を見ていたのなら、クリストフに伝えてくれることを今は願うしか無かった。

 乱暴に投げ込まれた檻の中は暗く、既に何人もの子ども達が震え、啜り泣いていた。

「ふぇっ・・・、わたしは孤児なんかじゃないのに・・・、家族だっているのよ・・・」

 暗がりの中で、朱音のすぐ傍の少女が懸命に訴えかけていた。

「ぼ、僕だって・・・! 父ちゃんの出稼ぎにくっついて来ただけなんだ!」

 その声につられて、子ども達が一斉に声を上げて泣き始めた。荷馬車の周りでも、大人達の咽び泣く声が聞こえる。きっと、身分証を持たない子ども達の家族や親や親戚達だった。

 朱音は気を緩めると、ついつい零れそうになる涙をぐっと堪えた。他の子ども達よりもいくつか年上だろう自分がしっかりしなくては、と思ったのだ。

 朱音自身、今は家族と引き離される子ども達の気持ちが痛いほどよくわかった。レイシアへ来て、天涯孤独の身を知った朱音にとって、ここにいる子ども達はまるで自分を見ているようであった。

 やがて動き始めた荷馬車に揺られながら、悲しみに暮れる子ども達に朱音は囁いた。

「大丈夫、心配しないで。 きっと家族の元に帰れるよ。 きっと皆を逃がしてあげるから・・・」




 すっかり帰りが遅くなってしまったクリストフは、早足で朱音の待つ宿場へと道を急いでいた。

 しかし、街外れまでやって来ると、おかしな空気に気が付く。

 深夜だというのに、屋外でがっくりと項垂れた者や啜り泣く者がちらほらと見受けられたからだ。

 妙な胸騒ぎがして、クリストフは駆け出した。

 宿泊している宿に着くと、入口の辺りで、宿を営んでいる老夫婦が手をとり合ってしゃがみ込んでいた。

「何かあったのですか?」

 ただ事ではない雰囲気に、クリストフは老夫婦に訊ねた。

「ああ・・・、ついさっき奴隷売りの奴らがやって来てね、身分証を持たないここらの子ども達を皆、掻っ攫ってっちまったんだ・・・」

 嫌な予感がした。

 しかし、慌てて駆けつけた宿泊部屋の前で、クリストフは嫌な予感が的中してしまったことを知る。

 部屋の扉は既に蹴破られており、部屋の中には食べかけのパンと肉の骨が机の上に置いてあるだけで、朱音とボリスの姿はどこにも見当たらなかった。

「一足遅かったですか・・・。しかし、リストアーニャの治安がここまで落ち込んでいるとは・・・」

 着ているシャツの衿元のボタンを緩めながら、クリストフは溜息を零した。

 その瞬間、クリストフはベッドの下から僅かに見える灰色のローブに気が付く。

 ゆっくりと屈んでベッドの下を覗き込んでみると、アザエルがそこに横たわっていた。

「ふ・・・、アカネさん、貴女という人は・・・。自分がどんな窮地に立たされていても、人助けを優先してしまう・・・」

 苦笑を漏らしながら、クリストフは呟いた。

 いつの間に戻って来ていたのか、部屋の窓の外からにクイックルがちょこんと顔を覗かせていた。

 クリストフは窓を開けて白鳩を部屋へと招き入れた。

「さて、君にまた頼みごとをしなくては・・・。君の名付け親が一体どこへ連れて行かれたのかを探してきて欲しいんです」

 クイックルはバサバサと翼を広げ、クリストフに合図を送った。

 リガルトナッツの入った袋からいくつかナッツを取り出すと、クリストフは白鳩にそれを食べさせてやる。美味しそうに平らげたクイックルは、ぴょんとクリストフの手から窓枠へと飛び降りると、一度だけクリストフを振り返り、さっと闇夜の空へと飛び去った。

 だんだん小さくなる真っ白いクイックルの姿を見つめながら、クリストフは心の中でこう呟いた。

(でも、気をつけて下さい。君のように珍しい羽色の鳩は、リストアーニャではどこへ売り飛ばされるかわかりませんからね・・・)

 

 リストアーニャの夜は更けていく。

 商売の国として栄える反面、暗い一面を残して。









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