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AKANE  作者: 木と蜜柑
第3章  旅編 
26/63

     6話  リーベル号

 

「あの人達は・・・?」

 出航を直前に控えたリーベル号の甲板は忙しない船乗り達の往来でごった返している。

 その中で、一人の船乗りが不思議そうな面持ちで、この船に唯一の客室に案内される三人連れの者達を見つめていた。

「ああ、なんでも・・・、あの旦那はアルノ船長の古い友人だそうだ」

 最後の荷を運び込みながら、もう一人の船乗りが言った。

「あの紳士が? へえ!」

 客室に繋がる階段に消えていく三人の後ろ姿を見つめながら、男は腕組みをした。

「なんか匂うんだよな」

 縄で編まれた荷を肩の上で担ぎ直すと、男は目を細めて言った。

「なにが?」

「お前、あの旦那の後ろを歩くお嬢さんを見たか? (つば)のでけえ帽子と日除けのベールでよくは見えなかったが、ありゃあ相当の別嬪さんだ。着ているドレスも地味なものを選んではいるが、上物と見た! 横にくっ付いている坊やはきっと御付きの者だぜ!」

 腕組みをした男が驚いたように口をあんぐり開けた。

「ってえとなると・・・、あれはどっかの貴族の娘さんかなんかか?」

 荷物が肩からずれ落ちそうになるのを、何度か修正しながらも、男は鼻を鳴らして笑った。

「察しが悪ぃな、バカ! 俺ぁ、あのお嬢さんはどっかの姫さんと見たぜ」

「えっ! あの旦那の娘じゃねえのか!?」

 他の者が仕事をさぼっている二人にばつの悪い視線を向け始めたので、荷を載せた男は困り顔で再び足を動かし始めた。

「さあな。お忍びで国を渡らなきゃなんねぇ理由かなんかあるんじゃねぇか? じゃ、俺ぁそろそろ仕事に戻る」

 男達はそそくさと再び忙しない甲板の船乗り達の往来の中に紛れ込んでいった。


「ああ、もう我慢できない!」

 朱音は客室に入った途端、頭と顔を覆う大きな帽子を脱ぎ払ってベッドの上に放り投げた。

「このドレス、苦しすぎるよ! 息もできない! 貴族の人たちってほんとに毎日こんなドレス着てるの?」 

 灰のハットを優雅に外すと、ふっとクリストフが笑みを漏らした。

「お洒落には多少の我慢は必要なものですよ、アカネさん」

 苦しそうに胸に手を当てる朱音の顔色は少し青くなっている。

「陛下・・・、とてもお美しいです・・・」

 ルイがうっとりとした表情で朱音を見つめる。

 それにうんざりして、朱音はベッドにどさりと腰を下ろした。

「だけど、本当にこんな変装が必要なの? こんな立派なドレスまで調達してきちゃって」

 クリストフは満足気に頷いた。

「勿論ですとも。旅を続けるには変装が欠かせません。知っていますか? 今、この国のどの街にも貴方を探す政府の犬が潜んでいるということを。彼らが求めているのは“蒼黒の髪、黒曜石の瞳の少年”の姿です。ですから、これを敢えて変えてやることで、カムフラージュになるという訳です」

 もっともらしいクリストフの言葉だがどうも納得がいかず、朱音は膨れっ面でぷいと船窓から覗く海に目をやった。

「そんなこと言っちゃってさ、自分のデザインしたドレスを単にわたしに着せたかっただけじゃないの?」

「あ、ばれてました?」

 肩を竦めながらクリストフは変装の為に口元に糊付けした口髭をちょんと摘む仕草をすると、にこりと微笑んだ。

「それより・・・、貴方、本当に何者なんです!? 僕は、貴方はこの国一の美容師クリストフと認識していましたが、行く先々で呼ばれる名も対応もそれぞれ・・・。クリストフにエリック、先程はロジャー、貴方は一体いくつ名を持っているんですか!?」

 ルイがぐいとクリストフに詰めより、きっと鋭く下から見据えた。

「えー、まあ、そうですね・・・」

 困ったようにぽりぽりと頭を掻くと、クリストフは窓の外を指差した。

「クイックル!!」

 窓の外でぱたぱたと羽ばたく白鳩に歓喜の声を上げ、朱音は慌てて窓を開けて小さな友を船の客室に招き入れた。

「一体どこに行ってたの? 心配してたんだよ」

 ちょんと朱音の肩に飛び乗った白鳩の首を優しく指で撫でてやると、ホロホロと気持ち良さそうに喉を鳴らした。

「彼女には、魔城での様子を見てくるようお願いしていたんですよ」

 この白い友達は、三人がボウレドに滞在している間中一度も朱音の前に姿を現してはいなかった。

 クリストフが懐から麻の袋を取り出すと、中から小さな実を手の平に取り出し載せた。それを見たクイックルは、目を輝かせてその手にパサパサと飛び乗った。

「その実はなに?」

 好奇心旺盛な目で、朱音はベッドから立ち上がりクリストフの元へと歩み寄ると、クリストフの手にある実の一つを摘んでまじまじと見つめる。

「リガルトナッツですよ。彼女の大好物なんです。酒のあてとしてもよく出されるんですよ。」

 細長く丸い形をした小麦色のナッツを、クイックルは器用に小さな嘴を使って啄ばんでいる。

「まさか、この世界でリガルトナッツを知らない人がいるとは知りませんでした。魔城ではこのような俗世の食べ物が出されないのですか?」

 ぎくりとしてルイが慌ててフォローを挟む。

「陛下はほんの少し以前にこのゴーディアの地に降臨されたばかりです。知らない食べ物があったってそう不思議はありません」

 うまく逃げ切ったつもりでいルイだったが、次の瞬間思わず言葉を噤んでしまった。

「そのことなんですが、以前から少し気になっていたんです。クロウ陛下が降臨されたということはこの世界の誰もが既に知っています。けれど、一体どこから降臨されたんです?」

 硬直して顔を引きつらせるルイに気付いてか気付かないでか、クリストフは手の平のナッツを全て食べ終えてしまったクイックルを静かにテーブルの上に降ろすと、言葉を続けた。

「それに、わたしにはどうしてか貴方がただの少女に見えてしまう」

 朱音に向き直ったクリストフから、朱音はぱっと顔を背けた。

「確かに亡きルシファー王の血を色濃く受け継ぐ美しい容貌・・・、ですが貴方を見ていると、わたしにはただの可憐な少女としか思えないのですよ。貴方こそ一体・・・」

 トクトクと早鳴る鼓動に、朱音はぎゅっと拳を握って平静を装う。

 まだここでクリストフに全てを話してしまう訳にはいかない、なぜかそう思った。

「・・・というのが実際のところわたしの疑問です。ですが、以前話したようにわたしは決してその答えを無理には聞き出そうとは思いません。貴方が自分探しの旅を続けて答えを見つけるというのならば、わたしは決して貴方を裏切ることをしないと約束しましょう」

 朱音は驚きに満ちた顔でクリストフの彫りの深い目を見つめた。 

 そこへルイが疑り深い声で水を差す。

「クリストフ、貴方こそなぜそうまでして陛下に関わろうとするんです? 僕は、それが不思議でなりません」

 ふっと困ったように微笑むと、クリストフはルイに視線をやった。

「さて・・・。実のところ、わたし自身もそれが不思議なんです。おそらく、直感で感じたんでしょう。わたしとクロウ陛下は同じ匂いがする・・・、と」

 机の上に乗せられたクイックルは翼をバサバサと鳴らして、クリストフを呼んでいるようだ。

「クリストフとクロウ陛下が同じ・・・?」

 ルイは意味深なクリストフの言葉に顔を顰める。

「ルイ、君は先程わたしに何者かと尋ねましたね? でも今はお話できません。しかしいつかその全てをお二人に明かす時がくるでしょう。その時まで、例え何があろうとわたしを信じていただけないでしょうか?」

 なかなかクリストフが来てくれないのに、クイックルは少しばかり不機嫌に羽をバタつかせている。

「冗談でしょう? どこからどう見ても不審な点ばかりの貴方を一体どう信じろと・・・」

「わかった。わたし、クリストフさんを信じるよ」

 ルイの言葉を遮るようにして、朱音が決意を固めた声で言った。

 信じられないというように、ルイは朱音の曇りの無い横顔を振り返る。

「ありがとう」

 にこりと微笑むと、クリストフは羽をばたつかせるクイックルに手を伸ばした。クイックルは大人しくその手にちょこんと乗ると、ぱちくりと数回瞬きをした。

「待たせて悪かったね」

 白鳩に優しく言葉を掛けると、クリストフは客室の扉へと向かった。いつものごとく、クイックルから偵察の情報を受け取りにいくのだ。

 一体この言葉を話せない鳩からどうやって情報を得るのかは謎だったが、クリストフは決してその際に朱音やルイを立ち合わせようとはしなかった。

「そうだ、言い忘れていたけれど、この部屋からは無闇に出ないこと。いくら変装しているとは言え、アカネさんの神がかった美しさは目立ちすぎる。半月程退屈すると思いますが、辛抱してください」

 部屋から出しなにクリストフは好奇心旺盛な朱音に釘を刺しておいた。放って置くと、あちこち船中を歩き回り兼ねない。

「わかってるってば」

 口を尖らせながら、朱音は締め付ける息苦しいドレスの胸を擦った。

 ルイ自身クリストフという男を信用することに抵抗はあるが、この男が確かに朱音の性質をよく理解してることだけは認めた。

「それと・・・。友の手助けをするのに理由なんて必要なんでしょうか? わたしは、ここにいるのは“クロウ陛下”ではなく、“アカネさん”だと認識していますが・・・」

 パタリと閉じられたドアの手前でポツリと残された、美しいドレスに身を包んだ朱音。そしてその従者ルイは、目を見合わせたまましばし静止していた。

 二人は直感的に、やはりあの男は何か勘付いているのでは、っとそう思ったのである。




 揺れる船内。

 積荷を入れた船室に一人、フェルデンは静かに佇んでいた。

 出航してから最初の夜がきていた。比較的に波は安定し、揺れも左程酷くはない。

 蝋燭の火を頼りに、フェルデンは木箱にそっと手を触れた。

「こんな薄暗いところに居させてすまない・・・」

 木箱にはぐるぐると頑丈に縄が巻きつけられていて、簡単には解けそうにない。その中身は、あの美しく彫刻された黒い棺であった。そしてその中には、未だ温かみの残る少女が眠っている。

 フェルデンは暫く木箱の淵を指で触れた後、その一室から出た。

 部屋の外は船の甲板で、小波の音が聞こえる。天気も良く、今晩は二つの月も大きくくっきりと群青の空に浮かび上がっていた。

「それほどまでに愛しいか」

 フェルデンは溜息を漏らした。マストの脇で背をもたせて座るその人物が、ユリウスであることをこんなにも切に願ったことはない。

「なんのことだ」

 蝋燭を吹き消すと、フェルデンは諦めて男に視線をやった。

「またあの人間の小娘の屍に会いに行っていたのだろう」

 風に棚引く碧い髪は隠し隔てもなく、月明かりの下で異様な輝きを放っていた。

 フェルデンは自分が意識を無くした後、この男とユリウスの間に何かがあったことに勘付いていた。以前は縄で拘束されていたアザエルの手首は、今は縄が外されており、腰元には剣の鞘が収まっている。ユリウスは警戒しているのか、この男とは一定の距離を置き、フェルデンでさえこの男に接触することをさせないように神経を尖らせているようであった。その癖アザエルは当然のことのようにフェルデンとユリウスの帰路に同行し、ついて来ている。理由を尋ねてもユリウスは珍しく口を割らないし、フェルデン自身考えあぐねていたのだ。

「お前には関係無い」

 フェルデンはきっと男を睨みつけると、言葉を撥ね付けた。

「まあ、そうだな。ヴォルティーユの坊やがどこぞの屍に執着していようが、わたしには全く関係の無いこと」

 フェルデンは(はらわた)が煮えくり返るような思いがした。手元に確かにあった可憐な少女の温もりや、確かに存在した幸せな一時は、ここにいる碧髪碧眼の男アザエルの手により掠め取られ、永遠に失われてしまったのだった。

 フェルデンは剣を鞘から抜き去りながら、つかつかと男の元に歩み寄り、その首に切っ先を宛がった。 そんな状況にも関わらず、変わらぬ無表情のまま、アザエルはじっと動かず帯刀した剣を抜く気配は微塵も感じられない。

「アザエル、おれが気を失っている間に一体何があった。貴様、ユリウスに何かしたのか!?」

 その返答によれば、フェルデンは剣の切っ先をアザエルの首深く突き刺してしまいそうだった。

「おや、サンタシの王子はお気楽なものだな。まだ気付いていなかったのか」

「なんだと!?」

 気のせいか、月明かりで照らされたアザエルの表情にはほんの僅かに疲労の色が見えた。

「このところ毎夜魔城からの刺客が訪れている。言っておくが、これはクロウ陛下のご命令ではない、元老院どもの差し金だ」

 驚きでフェルデンは思わず剣を床に置き、アザエルの肩に掴みかかった。

「どういうことだ!?」

 アザエルは疎ましいものでも見るかのように、フェルデンの手を払いのけようとした。

「わたしの存在がサンタシ側に渡ることを恐れてのことだろう。安心しろ、わたしから離れていればお前達に危害が及ぶことはない」

 フェルデンは脱力した。

 ユリウスがアザエルから距離を置き始めたのはいざこざに巻き込まれまいとした理由からだと悟ったのだ。

 しかしアザエルはもう一つの事実を話そうとはしなかった。

 クロウ王が城を抜け出し、フェルデンを追ってきたことを。そして、それを阻止する為にアザエルがユリウスを手に掛けようとしたことを。

  明かしてしまえば、それでなくとも不安定なフェルデンの心を掻き乱し、たちまちこの青年の冷静さを断ち切ってしまうだろうことは安易に予想できた。

 フェルデンは朱音を奪ったアザエルをひどく憎んでいた。しかし、それと同じく朱音の命と引き換えに覚醒したクロウをも憎んでいた。

 まだ記憶と力の戻らないクロウ王は強がってはいても、自らを守る術を知らない。ましてや、今のクロウ王は朱音の記憶のみで動いている。

 フェルデンが自らを殺そうとするならば、クロウ王は喜んで慕う者の為にその命を差し出すだろう。

 ユリウスとアザエルはあの夜以来一度も言葉を交わしてはいないが、ユリウスも恐らくは同じことを案じ、敢えてフェルデンにその事実を伏せているようであった。

「船の上は陸地と違い逃げ場はない。念の為忠告しておくが、ここでは安心して眠ろうなどと考えない方がいい」

 掴んでいたアザエルの肩から手を離し立ち上がると、フェルデンはじっと目を細めて碧髪の男を見下ろした。 

 このところ碌に睡眠をとっていないのだろう、アザエルの眼の下はうっすらと黒ずんでいた。

「いっそのこと、今ここで私を殺してしまうというのはどうだ? そうすれば厄介事を片付けることもできる」

 皮肉を込めた笑みを口元に浮かべ、アザエルは麗しい長い髪を掻き揚げた。

「罪人を手にかけて自分の手を汚したくは無い。それに、俺はヴィクトル陛下を裏切るような真似はしない。そう思うならば自分で自分の首を掻っ切ったらどうだ?」

 踵を返すと、フェルデンは剣を鞘に納めその場を後にした。

「・・・はっ・・・、このわたしが自ら殺られてやると申し出ているというのに。もうこんな好機は二度と巡っては来ぬかもしれんぞ。後悔するな、フェルデン・フォン・ヴォルティーユ」










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