5話 旅は道連れ
「やるじゃねえの」
藍色の布を頭から足首までを覆い隠す布を被った男が、木の上からぴょんと軽やかに飛び降りた。
降りしきった雨はいつの間にか小雨へと変わっている。
「けど、さすがにこいつらじゃ相手にもならなかったか・・・」
地面に転がる四体の残骸をごろんと蹴飛ばすと、ぺっと唾を吐き捨てた。
男は被った布の下でくくくっと笑いをこぼした。予想外の面白い展開に笑いを堪えることができなかったのである。
(しっかしまあ、こんな場所にクロウ国王が登場するとはなあ・・・。それに、あの横にいた男・・・。風を操ってやがった。面白いじゃねえの・・・)
くくくっと再び笑いを零すと、男は何かを思いついたようにピタリと笑いを止めると、ひゅうと一つ口笛を吹いた。
「気がつきましたか」
ユリウスが丸椅子から立ち上がると、まだ夢うつつにぼうっと天井を見つめるフェルデンに歩み寄った。
フェルデンの顔色は随分血行を取り戻し、熱も微熱程度に落ち着いてきているようであった。
「アカネに会った・・・」
天井を見上げたフェルデンの横顔は、ひどく落ち着いていた。
ユリウスは口を開きかけたが、言葉を口にするのはやめておくことにした。
「ユリ、ここは・・・?」
「ボウレドの街医者、フレゴリーの診療所です」
ユリウスは一呼吸置いてから言った。
フェルデンは驚いた表情を浮かべて天井からユリウスへと視線を泳がせた。
「ボウレドだと?」
こくりと頷くと、ユリウスはフェルデンに頭を下げた。
「貴方の指示に従わず、すみませんでした。でも、あのままメトーリアに向かっていたら、貴方は死んでいたかもしれない。おれは部下である以前に貴方の友でもあります。貴方を助けるという義務がある、わかってください。」
フェルデンは、解顔して目を閉じた。
サンタシを出立する前、信頼の置ける部下を一人供として連れて行けと、といったディートハルトの言葉の意図がやっと今になってわかった気がした。今ここにユリウスが供として居てくれることに、心から感謝した。
「いや、おれこそお前に謝らなければ。おれは正気を失っていた・・・。ありがとう」
怒りを買うとばかり思っていたユリウスだったが、想いの他返ってきた謝罪と感謝の言葉に困惑し、照れた笑みを浮かべた。
「まだ二、三日は安静にしておいてください。本当ならまだ一週間はベッドに縛り付けておきたい程だとフレゴリーは言ってましたが、急ぎの用があると話したら、熱が下がれば特別に許すと言ってくれました」
観念したように、フェルデンは頷いた。
「わかった。お前の言う通りにするよ」
「はい、安心してください。アザエルが荷馬車の荷を見張ってくれています。もう少し眠ってください」
何か言いたげな目を向けるフェルデンだったが、何も言わないまま再び瞼を閉じた。
穏やかな寝息が聞こえ始めると、ユリウスはほっとして丸椅子に腰掛けた。
昨晩、ゴーディアの元老院から送られてきた刺客に襲われたことは、まだフェルデンに話すのはやめておくことにした。そのことを知れば、この人はきっとまた無理をしてベッドから起き出そうとするに違いない。
“アカネに会った”と言ったフェルデンの言葉が妙にユリウスの心に引っかかった。昨晩この青年に付きっきりで看病していたのは、誰でもない敵国の王、クロウに他ならなかったからだ。
やっと落ち着きを取り戻しつつあるフェルデンに、その事実を知らせる訳にはいかず、ユリウスは沈黙を守ることに決めていた。
「フェルデン殿下、貴方にとって、そのアカネという人は本当に大切な人だったんですね。いつも冷静な貴方の正気をも失わせる程に・・・」
ボウレドの街外れにある小さな店で、朱音は出されたスープとパンを口にしていた。
今はクリストフは買出しに行って二人の傍を離れており、テーブルにはルイと朱音の二人きりであった。
「陛下、今更こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、僕はやっぱりあのクリストフという男が信用できません。それに、アザエル閣下も言っていたように、城をあまり長く空けるのは僕も良くないと思うんです・・・」
言いにくそうに俯いたままぼそぼそと話すルイの話を全く気にしていない様子で、朱音は明るい口調で言った。
「ルイ、このスープ飲んでみなよ。なかなかいけるよ」
すすっていたスープの皿をルイに差し出すと、にこりと微笑んだ。
「いえ、僕は結構です・・・。それより、そろそろ城へ戻りませんか・・・?」
朱音は相変わらず気に留めた様子もないまま、パンを頬張った。
「なんでかなあ、城の料理って美味しい筈なんだけど、こうしてお城の外で食べる質素な食べ物の方が美味しく感じるんだよね、不思議だよね」
朱音はもぐもぐと口を動かしながら、ルイにパンも差し出した。
ふるふると首を横に振られて残念そうな顔をしながらも、朱音はぱくぱくと残りのパンも平らげてしまう。
「それってさ、どうしてか分かる?」
じっとルイの顔を見つめた後、朱音は少し悲しげに目を伏せた。
ルイははっとして顔を上げた。
「あのお城にはわたしの居場所がないからだよ。ここにいるわたしはクロウであって、クロウじゃない。そんな誰でもない国王が、力の無い人間がお城に戻ったところで、何の役に立つと思う? きっとただの飾りでしかないんだよ」
ルイは何も理解できていなかった自分に気付き、恥じ入った。目の前の年若き国王は、未だ大きな苦しみを抱えていた。それも、その苦しみを決して外へと出さないまま。
「陛下・・・、無神経なことを言ってしまいました。お許しください」
ルイは椅子から立ち上がると、テーブルに頭がつく程に腰を折った。
「こらこら、ルイったら! こんなところでそんなことしないでってば。それに、陛下はなしだよ。誰かに聞かれでもしたらどうするつもり?」
慌てて立ち上がり、朱音は頭を下げるルイを制止させながら小声で言った。
「は、はい・・・! 申し訳ありません・・・!」
あわあわと狼狽するルイをなんとか椅子に押し戻すと、朱音はくすりと微笑んだ。
「お城の外では陛下じゃなくて朱音って呼んで? ね?」
戸惑ったようにこくりと頷くと、ルイは再び俯いてしまった。
「ルイの心配はわかってるつもりだよ。わたしがお城を空けていることが他の国にばれたら、戦争が起こることだってありえるんでしょう? でもさ、わたしも自分が一体誰なのかわかんないままゴーディアの王になんてなれない・・・。あともう少し、あともう少しだけわたしの旅に付き合ってくれないかな?」
先程、王都マルサスから来た商人が店のカウンターで主人と話している声が二人の耳にも入っていた。しかし、国王クロウが城を抜け出したことは話題には上がっておらず、それよりも先日公表された先王である魔王ルシファーの死去で持ち切りだった。
ここの主人はなかなか読みが深く、クロウ陛下が即位するよりも以前に、実はルシファー王は既に亡くなっていたんじゃないかという予想まで立てていた。
商人は、強大な魔力を持ったルシファー王がこの世を去ってしまったことで混乱が起きなくて済んでいるのは、魔力をを受け継ぐクロウ陛下がいるからに他ならないな、と得意げに話をしていた。
そんな中でもしもクロウ王が不在だと知れたら、国内は間違い無く混乱するだろう。
元老院達は今のところうまくその事実を隠し通しているようだ。恐らく慌てた元老院達は、アザエル暗殺の為の刺客のみならず、クロウ国王を早急に連れ戻す為の人員を既に各地へと放っている筈だ。
「水を・・・、水のおかわりを貰ってきますね」
ルイは空いたグラスを手に、テーブルを離れた。
こうしている間にも、この街ボウレドにもクロウ王を探す使者が潜んでいるかもしれない。そう考えると、ルイはこのように自由に旅を続けられるのも残り僅かな時間のようにも思えた。
(どうせ連れ戻されるのなら、せめて、陛下の気が済むように・・・)
テーブルの上に載った残った飲みかけのスープを見つめたまま、朱音ははあと溜息を漏らした。
ルイが怒るのも当然だった。
相談も無く勝手に城の外へと連れ出してきた上に、あちこち連れまわした挙句、ゴーディアを危険に晒している。友達だと都合のいいことばかり言って、彼には迷惑を掛け通しだった。
「どうした? うかない顔して」
突如掛けられた見知らぬ男の声に驚いて、朱音はびっくりして俯けていた顔を上げた。
いつの間にかルイが先程腰掛けていた席に見知らぬ青年が座り、朱音の顔を覗き込んでいる。
深く被った紐を編んだような風変わりの帽子に、健康的な褐色の肌。両耳には大きな石のついた飾りをしていて、燃えるような紅い眼はとても印象的だった。
「たまげた! あんた、相当の美人だな!」
「だ、誰・・・?」
警戒心の強い口調で、朱音は訊ねた。
「俺か? 俺はエフ! メトーリアの港で停泊中の船乗りだ。あんたは?」
悪意の無い笑みでニカリと笑うと、突然手を差し出してきた。
どうやら握手を求めているらしい。
「朱音です・・・。あの、連れがいますので」
悪い青年のようには見えなかったが、今の朱音はどうもこの青年と和気藹々と会話をする気にはなれそうになかった為、差し出された手を握り返すことはしなかった。
「そっか、残念。こんな美人が一人な訳ねえもんな! ま、なんか落ち込んでるみたいだけど、元気出せよ! 長い人生のうちに悪いことばっかじゃねえよ」
握り返すことをしてくれなかった朱音に対して別段気分を害した様子も無く、青年は案外すんなりと席を立った。
「そうですね、ありがとう」
苦笑いを浮かべるとエフは親指を立ててニカッと再び笑って店を出て行った。
「また会おうぜ! アカネ!」
と、去り際にこう言い残して。
「お待たせしました、遅くなってしまって」
水を持って帰ってきたルイが朱音にグラスを手渡しながら首を傾げる。
「えと、陛・・・じゃなかった、アカネ様、どうかなさいました?」
呆気にとられたように店の入り口を見つめる朱音を不思議そうな顔でルイが問い掛ける。
「ううん、なんでもないよ」
受け取った水を手にしたまま、朱音はぷっと突然吹き出してくすくすと笑い始めた。
「そうだよ、彼の言う通り、きっと長い人生の中で悪いことばっかりじゃない」
ルイはいまいち状況が理解できないではいたが、なんだか可笑しそうに笑う朱音の姿を見ていると、この旅も決して悪いものではないような気がしてきた。
「そうですね! 僕もそう思います。アザエル閣下のことも気に掛かりますし、それに、サンタシにいるロランのことも気に掛かります。もう少しこのまま旅を続けてみましょうか」
朱音は嬉しそうに微笑むと、ぎゅっとルイの肩を抱き寄せた。
「ルイ・・・!」
ルイは頬を紅く染めながら、照れくさそうに頭をぽりぽりと掻いた。
「きっとまたすぐに会えるぜ・・・。アカネ・・・!」
店の表でくるりと一度店を振り返り、エフは小さくそう呟いた。