4話 懺悔の夜
「今日はなんたって突然の来訪者が多い日だ・・・」
フレゴリーはふうと溜め息を一つつくと、横目で隣室にいる二人を見つめた。
朱音はベッドに横たわる痛々しい程の包帯に巻かれたフェルデンの手を優しく握り締めていた。
高い熱のせいか、玉のような汗を額に滲ませ、フェルデンは荒く呼吸を繰り返していた。きつく閉じられた瞳からは、あの透けるようなブラウンは垣間見ることさえできない。この瞼の下の美しい瞳を、朱音はどんなにか見たいと願っていたのに。
「フェルデン、ごめんね」
俯いた儚く悲しげな黒髪の少年が、じっとベッドの上の青年を見つめている姿を見ると、フレゴリーは事情をを察し、診療所の入り口に佇むもう一人の人物を見やった。
「エリック、あの子は一体・・・」
意味深な笑いを口元に浮かべ、クリストフは近くの長椅子に腰掛けた。
「わたしの友だちのアカネです」
ふむと小首を傾げると、フレゴリーは疑わしげな目でクリストフにじっと目線をやった。
「見たところ、あのお嬢さんはどこぞの貴族の娘のようにも見えるが・・・。まさかお前さん・・・」
クリストフはしっと小指を唇にあてて静止を促すと、そのままにこにこしたまま何も話さなくなってしまった。
「んっとに、お前さんって奴は・・・」
呆れたように苦笑を洩らすと、フレゴリーは私室へと引き返していった。
朱音は包帯の下の傷を知っていた。
あの夜、鏡の洞窟でフェルデンがアザエルに受けた攻撃は、今でも目を閉じれば鮮明に思い出される。アザエルの手から発されたどす黒く尖った無数の釘のようなもの。
行くな、と自分に言ったフェルデンの悲痛な声は、まだ耳に木霊している。
朱音は、傷ついたフェルデンをあの洞窟の前に置き去りにし、敵国へと自ら去ってしまった。
「奴に会ってどうするおつもりですか。貴方は、サンタシにとって今や脅威でしかない。貴方は奴をあの森で見捨て、自らの意思で私とともにこの地へと来たではありませんか。そんな裏切り者を奴が歓迎するなどと甘い考えはお捨てなさい」
アザエルが言った冷たい言葉は、朱音の胸に深く突き刺さっていた。
今目の前にいる青年が、どれだけ自分を大切に思い、助けようとしてくれていたことか。そんな恩人をも裏切り、こうしてアザエルとともにゴーディアへとやって来てしまった自分は、ただの裏切り者以外の何者でもなかった。
儀式での苦しみや朱音自身の肉体を失ってしまったことは、その罰なのだと、朱音は自らに言い聞かせた。
「貴方をこんなに苦しめてしまって、ほんとにごめんなさい・・・」
朱音は、今は力無いフェルデンの逞しい手をぎゅっと握り締めると、項垂れた額をすり寄せた。つうと長く黒い睫の下からつうと一筋流れた涙は、ぽとりとベッドの白いシーツに染みをつくった。
「せめて、貴方が無事にサンタシに着くまでは、今度はわたしが貴方を守ってみせるから・・・」
フェルデンは夢を見ていた。
温かい手の温もり。
懐かしいチチルの実の甘い香り。
「きっと良くなるから・・・」
耳元で囁く優しい少女の声。
(アカネ・・・、戻って来てくれたのか・・・)
一度は亡くしたと思った無垢で愛しい少女の存在を、確かにすぐ傍で感じていた。
(良かった・・・、無事だったんだな・・・)
眠ったフェルデンの表情がほんの少し穏やかになった気がした。
朱音は水の入った桶の中で濡れた布をぎゅっと絞ると、そっと汗ばんだフェルデンの額の汗を拭ってやる。
「そう、きっと良くなる・・・」
その行為は、明け方にフェルデンが目を覚ます少し前まで、繰り返し繰り返し続いた。
「陛下、彼が目を覚ますまで傍にいなくていいんですか?」
ルイが心配そうに朱音の顔を覗き込んだ。
「ううん、いいの」
朱音はくるりと診療所の奥から姿を現したフレゴリーを振り返った。
「結局今までついていたのか」
呆れたように言うと、フレゴリーは持っていた薪を足元へと積み上げた。
「お邪魔しました。その・・・、彼には、わたしがここへ来たということは黙っていて貰えませんか・・・?」
美しい顔に不安そうな色を見え隠れさせた朱音の姿に、フレゴリーは小さく頷いた。
「何か事情があるんだろう、わかった」
フレゴリーの返事にほっとした表情を浮かべると、朱音はふっとクリストフに向き直った。
「フレゴリー、突然訪ねて来てしまって申し訳なかったですね。わたし達はそろそろお暇します」
お茶でも一杯どうだとフレゴリーが勧めたが、三人は静かに首を横に振ると、音も立てずに診療所を後にしていった。
ユリウスは診療所の脇で毛布に包まり、じっと夜明けを待っていた。
昨晩の出来事の後、おちおち眠りになどつける筈もなかった。
なぜかあの少年王の懸命な姿に負けてしまい、フェルデンの居場所を教えてしまったことに直後はひどく後悔したが、一晩中フェルデンの眠る部屋の明かりが灯っていたことや、時折窓越しに聞こえてくる少年王の懺悔の言葉に、戸惑いを覚えた。
いくら待てども寝首を搔こうとする気配も無く、ひたすらに明け方まで少年王の看病は続き、日が明けきる前には少年王を含む三人は静かに診療所から去っていった。
(あの少年王、一体何者なんだ・・・? フェルデン殿下とはどんな関わりが・・・)
ユリウスは冷えた外気にぶるっと一つ身震いすると、もう一度毛布に深く身体を潜らせた。そして昨晩の出来事を目を閉じて思い出していた。
ビュンッと風を切る音。
ユリウスはさっと身を翻して刃を逃れた。
小雨が降り始めたせいで、仕方なく宿を探すユリウスと護送中の罪人アザエルは、闇と同化する藍色の衣に身を包んだ謎の覆面の三人組みに囲まれていた。
降りしきる雨で視界が悪く、服は水を吸ってひどく重い。
この者達は、雨の音に紛れて突如二人の前に姿を現したのであった。
「何者だ・・・!」
湾曲した剣士らしからぬ短い刀身に、見慣れぬ上下の境目のわからぬ衣装。
三人の身のこなしは軽く、常人ではないことはすぐにユリウスにもわかった。
ユリウスの投げかけに反応を示すこともなく、三人は容赦なく刃を繰り出す。
『ドッ』という鈍い音とともに、一人が後方に背中から転がった。未だ手を拘束されたままのアザエルが、片足で蹴りを溝落ちに食らわせたのだ。
「元老院の犬か・・・」
降りしきる雨の中、ぽたぽたと水滴が碧い髪を滴り、水を含んだその髪は、いつもよりも僅かに落ち着いた色を放つ。
すぐさま別の者がアザエルにブンと刃を振り降ろし、もう一人が渾身の力を込めてユリウスに飛びかかった。
『ガキイン!』
刃と刃のぶつかり合うするどい音。
ユリウスは覆面の者の刃を剣でもって制していた。
アザエルはさっと身体を反らせると、目にも留まらぬ速さで敵の背後に回りこみ、拘束された手で相手の首を羽交い絞めにした。
首を強く締め付けられ、僅かに緩んだ手から剣を取り上げると、アザエルは慣れた手つきで男の首を搔き切った。
「ぐう・・・!」
男はくぐもった呻き声を洩らし、喉もとから赤黒い血を滴らせながら、バサリと地面にくず折れた。
「くそっ!」
腹を蹴られたもう一人が勢いよくアザエルに刃を向け走り出した。
そのすぐ近くで、ユリウスと覆面の別の男が剣を何度もぶつけ合う激しい音が鳴り響く。
ぬかるんだ足元には先程首を搔き切られた男が倒れ、紅い水たまりをつくっていた。
アザエルが奪い取った刃で手首の縄を切り外し、ぱらりと縄がばらけて落ちていく。それとほぼ同時に、男の向けた切っ先が僅かにアザエルの碧い髪を掠めた。
『シュッ』
一瞬のことであった。
覆面の男が些か眼を見開くと、無言のまま前のめりに砂利の上に豪快に倒れ込んだ。
「ぐああ!!」
ユリウスとやり合っていた男が、額からだらだらと血を滴らせ、バランスを崩して後退していた。
「誰の差し金だ? 狙いはなんだ」
ユリウスは、剣の切っ先を男の首に押しつけ、問い掛けた。男は何も言わず苦しげに血の流れていない方の目でユリウスを睨み上げた。
「答えろ!」
覆面の男は、ぱっくりと口を開けた額の傷を両手で押さえながら、ちっと舌打ちをする。ちらりと横目で倒れた仲間の近くに転がっている剣のありかを確認すると、男は隙をついてその剣に手を伸ばした。
しかしユリウスはそれを逃さなかった。男の胴にざくりと剣を突き立てると、男は身体を硬直させてどっと道へ倒れた。
ユリウスはふうと息をついて碧髪の男を振り返った。拘束していた縄は断ち切られ、湾曲した剣が握られている。
はっとして慌てて剣を構えたユリウスを他所に、アザエルは持っていた剣をぽいと無関心に放り捨てた。
「閣下!」
ザアアアと降り付ける強い雨の中、ここでは聞く筈のない少年の声が響いた。
アザエルが物静かに振り向いた先に、灰色の髪の少年の姿。黒く曇った空の下では、不思議とその色は銀にも見えた。
「なぜお前がここにいる・・・」
じっと目を細めた冷たいアザエルの声。灰色の髪の少年ルイは、物言いたげに少し口をぱくつかせると、しゅんと下を向いてしまった。
「わたしが連れて来たんだよ」
ルイの背後から真っ黒な髪の少年がすっと現れた。ユリウスは驚きであっと声を上げる。
そこにいたのは即位パーティーの夜に見たあの、世にも美しい魔王の息子、クロウに違いなかった。
「どういうことだ、ルイ。殺されたいか」
アザエルは凍りつくような碧い目をルイに向けると、その首を片手で締め付けた。
「す、すみません・・・、閣下・・・、全て、僕の不注意です・・・」
「アザエル!! 違う! ルイのせいじゃない!」
朱音はルイの首にかけられたアザエルの手を引っ張った。
「こんなことやめて! 悪いのは全部わたしなんだから!」
目に涙を浮かべながら懇願する少年王の姿に、ユリウスは戸惑いを隠せなかった。先程まで自分達を襲っていた謎の男達は、この少年王の差し金に違いないと思っていたのだ。
「陛下のお望みならば・・・」
アザエルは意外にもすんなりとルイの首から手を離すと、すっと朱音の前に居直り、礼の形をとった。
ルイが咳き込みながら呼吸を取り戻す。
「陛下、失礼ながらお聞かせください。なぜこのようなところへ来たのです」
感情の篭らないアザエルの言葉は、いつになく冷たさを放っている。不機嫌な時程この男は、より丁寧な口調で冷たく話をすることを朱音は知っていた。
「元老院があんたをサンタシに渡すまいと刺客を送ったからだよ」
ユリウスは剣を鞘に納めると、少年王の言葉に耳を傾けた。
「でも勘違いしないで。わたしはあんたを助けに来た訳じゃない。フェルデンを無事に国へ送り返す為に来たんだから」
魔王の側近がクロウに忠誠を誓っていることは、傍目から見ても明白だった。しかし、王たる少年はこの男を信頼しているという訳では無さそうである。ユリウスはこの二人の不可解な関係についてどうもしっくりこない思いに囚われていた。
「今すぐ城へお帰りください。王が城を空けるとは言語道断。国の混乱を招くおつもりですか」
冷たく射放たれた視線は、ぐっと朱音の言葉を詰まらせた。また儀式の前と同様の有無を言わせないあの目だった。
「わたしだってなりたくてなったんじゃない・・・! あんなとこへなんか絶対戻らないから」
唇をきつく結び、朱音は握り締めた拳を震わせながら抗議する。
「そうはいきません。陛下がそう仰るのであれば、わたしも当初の約束を破らざるを得ない」
すっと立ち上がったアザエルは、ゆっくりと小柄の騎士ユリウスを振り返った。
その氷のような目に、ユリウスはごくり空気を飲んだ。
「その者をここで殺してしまいましょうか?」
朱音は咄嗟にアザエルの服を引っ張った。
「なにするつもり!? 何もしないって言ってたじゃない!」
水を滴らせながらふっとアザエルは不適な笑みを浮かべた。
「サンタシの使者を二人とも殺してしまえば、陛下がこのようなところへ足を運ばずともよいではないですか」
これにはルイも驚きを隠せず、
「閣下!」
と、叫び出していた。
この冷徹な男ならば、本当に二人を殺してしまいかねない。
「そんなことしたら、サンタシと戦争になるよ!?」
朱音が必死になって止めようとするにも関わらず、アザエルは落ち着いた表情のまま、先程放り投げた湾曲した剣に手を伸ばす。
ユリウスは、魔力を封じられてはいても、相当の腕の持ち主であろうアザエルの攻撃に備えて、剣の柄に手を掛けた。
「確かに・・・。しかし、国が国王を失うのであれば、国は滅びたも同じこと」
手にとった剣を片手に持つと、その湾曲した刃についた血を指先で絡め取る。
暗くなり、雨が降って視界が良くなかった為、今まであまり気が付かなかったが、この辺りには鉄臭い血の匂いが充満していた。足元に転がる屍は、元の世界で見た親戚の葬式できれいに飾られた死体とは比べものにならなかった。
(こいつ、一体何を考えているんだ!?)
ユリウスは、考えの読めない魔王の側近がゆっくりと自分に向かって近付いてくる姿を見つめ、真意を見抜こうとするが、その表情は氷のように冷たく、何も感情を映し出してはいない。
どうやらここで戦闘は免れないらしい。
ユリウスの剣の腕はサンタシでも有数のものだったが、魔王ルシファーに長く仕え、ゴーディアの軍事司令官を務めた経歴のあるこの男に、その腕がどこまで通じるのかは実のところわからない。いくら腕の立つユリウスでも、この男相手に互角に渡り合えるとは考えにくい。
「悪く思うな」
アザエルがぴたりと歩みを止めると、ユリウスに剣先を向けた。
(ならば、先に仕掛けるまで・・・!)
ユリウスはアザエルの間合いに飛び込むと同時に、剣を鞘から抜き取った。
『ガキイン!』
ユリウスの一撃をアザエルが剣で薙ぎ払う。
すぐさま胴を狙う攻撃に切り替え、ユリウスはさらにアザエルの間合いに踏み込んでいく。
『ガキイン!』
再び起こった刃と刃のぶつかり合い。
小柄なユリウスは果敢に魔王の側近に攻め入った。
「やめて!! アザエル!!」
「閣下!!」
朱音とルイの必死の呼び止めにも関わらず、ものともしない。
初めは圧しているようにも見えたユリウスだったが、形勢は逆転し、いつの間にかアザエルによって後ろへと追いやられる形になっていた。
「くそっ」
その瞬間、ユリウスの剣がアザエルの剣に薙ぎ払われ、ぶんぶんと音を立てて宙を舞うと、カランと地面に落とされた。
「若いが、なかなかいい腕をしている。殺すには惜しいが・・・。これも陛下の為だ」
アザエルは丸腰になったユリウスに剣を振り下ろした。
「やめてーーーー!!!!」
朱音が叫んだと同時に、
「そうはさせませんよ」
という声が降り、ごうっと音を立てて空から叩きつけるような風が巻き起こった。
吹き飛ばされそうな程の突風に、ユリウスもアザエルも地から足が離れぬように必死に耐えた。
アザエルの手から剣が離れ、少し離れた場所へとカラカラと吹き飛ばされた。
「魔族か!」
すっと突風がやむと、アザエルは忌々しげに上を睨んだ。
「何者だ・・・!」
今まで気配を感じさせなかった男の存在に、ユリウスは寒気を覚えずにはいられなかった。
すたりと地面に舞い降りた男は、にこりと朗らかに微笑んだ。こんな緊迫した状況に不似合いな笑みを浮かべ、男はなんともないような口調で話し始めた。
「申し遅れました、わたしはクリストフ・ブレロ。この方の友であり、しがない美容師です。わたしはクロウ陛下の旅を手助けする契りを交わしました。ですから、その約束を果たす為に、ここでサンタシの使者殿をみすみす殺させる訳にはいかないのですよ」
アザエルは、じっと目の前に現れた男を見つめた。
綺麗に整えられた髪、紳士的な身なりに口調、到底しがない美容師というのは信用ならない。
「ルイ、この男は何者だ」
ルイが慌てて口を開く。
「はい、えっとこの人は、王都マルサスで近頃名の知れる腕利きの美容師です。魔城にも何度も彼を呼びつけ、クロウ陛下の衣装のデザインや整髪にも関わっていました」
ニコリと微笑むと、濡れた髪を掻き上げ、後ろへなで上げると、クリストフは優雅に頭を下げた。
「笑わせるな。ただの美容師だと? 貴様程の魔力を持つ美容師がいる筈などない。貴様、軍の出だな・・・」
クリストフはアザエルの言葉に返事はせず、肩を竦ませる程度におさえた。
「閣下、おっと、元閣下でしたか。今はわたしをどうにかしようなどと考えるのはよしてください。貴方は今魔術を封じられているでしょう? 普段の貴方ならばわたしなど捻り潰すことは容易いですが、今の貴方はわたしに敵わない」
クリストフの言動に、アザエルは冷ややかなな視線を送った。
「何が望みだ」
気がつくと、赤音はアザエルに向けて駆け寄っていた。
アザエルを見上げ、その胸のローブを掴んで無我夢中で揺さ振っていた。
「フェルデンはどこ!? 彼はどこにいるの!?」
無表情のままアザエルは何か呟くと、朱音は目を見開き、揺さ振る手を止めた。何か相当ショックを受けることを言われたようであった。
「クロウ陛下。フェルデン殿下は街医者フレゴリーの診療所です。以前に受けた傷が悪化し、あまり状態がよくない」
驚いたことに、そう口にしたのは誰でもない、ユリウス自身だった。
少年王はひどく焦ったようにクリストフを見返していた。謎の美容師も、こくりと一つ頷いている。おそらく、すぐにでも診療所に駆けつけるつもりであろう。
ここにいる少年王が、ひょっとするとフェルデンの寝首を搔くつもりかもしれないのに、なぜかフェルデンの居場所をこの少年王に教えてしまった自分にひどく驚いていた。
「アザエル、わたし、やっぱり行かなきゃ。彼には絶対に顔を合わせないようにするから・・・」
「止めたところで、陛下は行ってしまわれるのでしょう」
呆れたように溜め息をつくと、アザエルはくるりと背を向けて歩み出した。
「おい! どこへ行く気だ!」
ユリウスが立ち去る碧髪の魔王の側近の後姿に投げかけると、彼は嘲るようにこう返答した。
「案ずるな。わたしは荷馬車に戻る。荷台の荷をこのまま放置するのに気が引ける。お前はお前で好きにすればいい」
荷馬車に積んだ四角い箱が一体何なのか、ユリウスは知っていた。フェルデンの容態に気をとられ、今まですっかり忘れていた荷の存在に、ユリウスはあっと声を出した。大切な荷を、確かにこれ以上放っておくことはできない。
かと言って、先程自分に牙を向けてきたこのこの魔王の側近と、一晩中荷馬車で夜を過ごす気にもなれなかった。
恐らく、アザエルは逃げる気はないだろう。魔術などなくても、あれだけの剣の腕があればその気があれば今までだっていつでも逃げおおせた筈だ。
「わかった・・・。クロウ陛下、おれが診療所へ案内します」
ユリウスは地面に転がった剣を拾い上げると、そっと静かに鞘に納めた。
一夜にしてとんでもない状況に陥ってしまった帰途。
ユリウスにとって、敵国の王クロウとフェルデンとの関係に、新たな疑問と謎が浮かび上がった夜となった。