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AKANE  作者: 木と蜜柑
第2章  ゴーディア編
19/63

    12話  不穏な画策

 

 ヘロルドは嫌な男だった。

 年齢不詳のこの男は、ひどく姿勢が悪くひょろひょろとした身体でいつも前屈みに歩いている。こけた頬骨に落ち窪んだ黒っぽいぎょろりとした目。魔女のように尖った鼻にやたらと大きい口が浮かべる下卑た笑みを見る度に朱音はぞっとした。

「クロウ陛下、お話が」

 アザエルの後釜にこの男が収まったことに朱音は疑念を抱かずにはいられなかった。

「なに?」

 朱音はヘロルドと極力目を合わせないようにしながら言った。

 この男は、隙あらば自分が王と成代わろうとしている魂胆が見え見えだった。

 魔王ルシファーの死去が公にされたのは、アザエルが発ったあの日のことである。恐らく、長年の間国王の座を狙っていたヘロルドだったが、入れ替わるようにしてこの地へ舞い戻ってきた王の息子にその座を掠め取られ、さぞ悔しがったに違いない。そんなヘロルドがこの美しい少年王を良く思っていないことはルイも勘付いていたし、彼にまだ魔力が戻っていないことを絶対に悟られる訳にはいかない。

「陛下、よくお聞き下さい。あまり大きな声では言えないのですが、元老院の年寄どもが、どうも裏で画策しているようです」

 痩せた男は、黄色い歯をちらつかせながら、朱音の傍へ近付いた。

「あまり陛下に近寄らないでください。陛下は人に触れられるのが好きではないのです」

 いつもはおっとりとしたルイが珍しく強い口調で釘を刺した。

「ああ、これは失礼を・・・。しかし、これは本当なのです。偶然にも、わたしは父マルティンの話を聞いてしまったのです」

 朱音は、なぜこのような男がアザエルの後釜におさまったのか、不思議でならなかった。

ヘロルドの父マルティンは元老院の一人で、その息子だということから優遇されたのかもしれないし、何より、ヘロルドは風を操る魔術に長けているらしく、その点から抜擢されたのかもしれない。しかし、今やその権限はアザエルがいた頃よりも劣り、元老院の下に位置するものと化していた。無論、朱音の信頼を得ていない時点で、“新王陛下の側近”という立場は既に無いに等しい。

 朱音はつまらなさそうに執務室のデスクに肘をつき、すっかり溜まってしまった書類にぼんやりと視線を落とした。

 国王としてのデスクワークは以前、全てアザエルがこなしていた。それを、何もわからない朱音がルイに相談しながら進めるしかない今の状態に、朱音自身疲れ切っていた。

 半端ない量の検討資料、政策。ただの受験生だった朱音にはどれも難しすぎるものばかりだ。

 それでも、こうして仕事に費やしている時間だけは、サンタシの美しく優しい騎士のことを思い出さずに済み、いくらか朱音は救われていた。何もしないでじっとしていたら、朱音は今頃おかしくなっていたに違いない。それこそ、儀式の前のように窓から身を投げてしまっていたかもしれない。

「元老院の年寄りどもは、陛下に黙って罪人アザエルを暗殺する為に幾人かの腕利きの刺客を放ったようです」

 朱音はぴくりと身体を反応させた。

 ヘロルドは、その様子を目にし、しめたというような笑みを浮かべた。

「それは本当ですか・・・!?」

 ルイは信じられない思いで、痩せた男のぎょろぎょろした目を見つめた。

「はい。魔王陛下の側近を務める男が敵国に渡ったとなれば、こちらの不利な情報が漏れるかもしれません。元老院はそれを恐れたのでしょう」

 朱音は急に早鐘のように高鳴り始めた心臓を左の手で押さえた。

 アザエルの手首に嵌められた手枷が脳裏に蘇る。今や魔術を封じられたアザエルや、剣の腕の立つフェルデン、小柄な騎士ユリウスの三人が、ゴーディアの刺客に襲撃される様を想像しただけで、朱音はどうしようもない不安に苛まれた。

「しかし、国家の最高権力であるクロウ陛下に相談も無くそのような行動を起こすなんて、一体どういうおつもりでしょう?」

 ルイは納得のいかない顔で腕組みをして言った。

「失礼ながら・・・、クロウ陛下がお目覚めになってからはまだ時間がそれほど経過していません。それに、まだ体調も万全ではないようですし、元老院もそれを念頭に置いたのではと・・・」

 遠まわしな言い方ではあったが、ヘロルドが言っているのは少年王の魔力についてのことであった。少年王の身体から魔力が感じられないことに、城の中の者達も薄々勘付き始めていた。

「なんですって!? 陛下の魔力をお疑いですか!?」

 ルイは憤慨した。

「そういう訳では・・・」

 顔色を伺うかのように、姿勢をますます屈めて、痩せた男は数回瞬きした。

「では、どういう意味です?」

 ルイの強い口調に、ヘロルドは再び下品な笑いを浮かべた。

「物分かりの悪い元老院の年寄りどもに、クロウ陛下の強大な魔力を見せ付けてやるというのはどうです? さすれば、怖れ慄き、陛下の偉大さを改めて認識するでしょう」

 ヘロルドの狙いはまさにここであった。魔力の存在を感じられない少年王に、疑惑を感じ始めていたのだ。

「それはできません」

 返答に困る朱音の横から、ルイがはっきりと言い放った。

「陛下は来たるべきときに備え、今は魔力を最小限に抑え、温存しておられるのです。それに、こんな内輪で揉めるなど、持っての他です!」

 この従者の少年は、見た目は愛らしい少年のようだったが、アザエルが朱音の隣につけただけのことはある。なかなかの器であった。

「ほお・・・。ただの従者の割にえらく大きな口を叩くではないか! しかし、少し位の魔力なら問題はないでしょう。ここでこの国の最高権力者が誰なのかをはっきりさせておかねば、苦しくなるのは陛下です」

 よくもまあ思ってもいないことをこうも次々と詰まらずに言えたものだ、とルイは感心せざるを得なかった。

「あなたにそのようなことを言われる筋合いはありません。それに、アザエルがいない今、わたしの側近はこのルイです。いくらあなたであっても、わたしの側近にそんな口をきくなんてゆるさないから」

 朱音は強い口調の嫌な男を睨んだ。

 ヘロルドはプライドをいたく傷つけられ、尖った鼻に皺を寄せ、大きな口をへの字に曲げた。

「もう部屋を出ていってくれない? 見てわからないの? わたし、忙しいんです」

 朱音は痩せた男も見もしないで、書類の束に羽ペンを走らせ始めた。ヘロルドはきっと黒髪の主を鋭く睨みつけると、執務室から退室していった。


「ふう・・・」

 男の出て行った部屋で、朱音は机に突っ伏した。強がっては見たものの、今の朱音には魔力の“ま”の字さえない。

「陛下、お見事でした」

 ルイは柔らかな笑みを朱音に向けた。その笑みを浮かべた頬は、なぜかほんのりと赤い。

「僕なんかを側近と言ってくださるなんて、僕、もう死んでもいいです」

 霞がかった灰色の瞳はきらきらと潤んでいる。

「何言ってんの、そんなことで死なないで! それに、わたしはルイを側近だなんて思ってないよ?」

 朱音は呆れたように突っ伏したままルイを見上げた。

「え〜〜?」

 ひどく残念そうに口を尖らせるルイに、朱音はぷっと吹き出した。

「だって、ルイはわたしの友達でしょ? だから側近なんて思ってないよ」

 ルイの顔が一瞬きょとんとしたかと思うと、耳まで真っ赤に染まった。

「そんなことより・・・、どうしよう、元老院の放った刺客っていうのは・・・」

 朱音はぐしゃぐしゃと艶やかな黒い髪を掻き乱す。朱音が気が気でないのは、誰でもないフェルデンの安否だった。深く心に傷を負った優しいサンタシの騎士に、憎まれようとも嫌われようとも、彼にはこれ以上の苦しみを味合わせたくはないし、どんな形であれ、生き延びていて欲しかった。

 そしてその彼と親しいようであったあの小柄の騎士、ユリウスにも無事にサンタシへと辿り着いて欲しいと心から思った。彼ならば、傷ついたフェルデンを支えてくれる、なぜかそんな気がしたからだ。

 それなのに、なぜか憎くて大嫌いな氷の男、アザエルの姿が頭をちらついて仕方がない。あの男のことだ、簡単にはやられてくれまい。しかし、魔力を封じられた今、腕利きの刺客とやり合うとなれば、只では済むまい。

(あんなやつなんて、死んでしまったってどうってことないのに!)

「ねえ、ルイ。友達なら、わたしを信じてくれる?」

 朱音は乱れてしまった頭を起こして、ぎゅっとルイの手を握った。

 驚いた顔で従者の少年はこくりと頷いた。

「ぼくは一度だってクロウ陛下を疑ったことなんてありません。陛下がおっしゃるなら、なんでも信じます」

 朗らかな笑みに安心し、朱音は一つ息を吐き出すと静かに話し始めた。

「あのね、前にも少し話したことがあったけれど、わたしはクロウじゃなくて朱音という人間なの・・・」

 ルイには話していなかった、自分がもともとはアースにいたただの人間の少女だったという事実。

 ある日突然アザエルの手によって攫われ、鏡の洞窟の力を利用してできた時空の扉からレイシアに連れて来られたということ。連れ去られたその晩、セレネの森でサンタシの騎士団に保護され、一ヵ月程そこで匿われていたこと。一度は元の世界に戻ったにも関わらず、再びアザエルに引き戻されたこと。そして朱音とクロウの切り離せない魂の関係性。

 何もかもを包み隠さずに話した。

 ルイの表情は思いの他落ち着いていて、朱音は少年がどんな反応を返してくるのかを不安に思いながら、じっと可愛らしい灰の瞳を見つめた。

「大変な目に遭われたのですね・・・。僕はそうとも知らず、クロウ陛下の傍にお仕えすることができることに舞い上がっていて・・・。馬鹿な従者です」

 しょんぼりと項垂れるルイの頭を、朱音はいつか白亜の城でフェルデンがしてくれたように優しく撫でた。

「でも、陛下の魂が誰であろうと、陛下は陛下です。僕はこの先もずっと陛下の傍にいます」

 照れたように、ルイは恥ずかしそうに微笑んだ。

「ありがとう・・・」

 朱音はこの愛らしい少年に全てを打ち明け、随分心が軽くなったような気がした。

「陛下がなぜアザエル閣下をああまで憎んでいるのかがやっとわかりました。でも・・・、閣下は本当はとてもいい方なんです。氷の男だと呼ばれることもありますが、誰よりも亡き魔王ルシファー陛下に忠義を尽くし、ゴーディアの民を愛しておられます。きっと、ルシファー陛下の最期のお望みを叶える為、この国の安泰を維持し続ける為に躍起になっておられたのでしょう・・・」

 お世辞にもあの男がいい人だとは思えそうにはないが、この国の危うい現状を知った今、アザエルが捨て身で起こした数々のことを理解できないこともなかった。

「だけど、やっぱりわたしはあの人を許せない。どんな理由があったにしても、わたしの全てを奪ってしまったあの人を・・・」

 ルイは悲しそうな表情を落とした。

「だけど・・・、わたしはフェルデンやユリウスさんが心配だし、なんとかして二人を助けたい。ルイも協力してくれる?」



 執務室を追い出されたヘロルドは、廊下に出て地団駄を踏んだ。

「くっそう、あの糞餓鬼どもめ・・・! 見た目こそルシファー陛下にそっくりだが、魔力など微塵も感じぬではないか! 今に見ていろ・・・! おれを虚仮にしたこと、しかと後悔させてやる・・・!」

 痩せた男は、不気味な笑みを浮かべ、不穏な計画を練り始めるのであった。







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