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AKANE  作者: 木と蜜柑
第2章  ゴーディア編
18/63

    11話  別れ

 

 その昔、創造主は世界に天上界と地上界の二つの世界を創った。

 地上には豊かな創造力を持つ人間を、天上には神に最も近い力を持つ天上人をを住まわせた。

 非力な人間は、天上人を時として神と崇め、崇拝し、この世の災いや苦しみから逃れる為に神として彼らを讃えた。


 あるとき、自由な天上人ルシフェルが退屈な毎日にうんざりし、悪戯心で人間に化け、地上へと降り立った。その際に美しい人間の娘と恋に落ち、天上界では禁忌とされていた肉欲、愛欲に溺れてしまう。 

 天上で最も創造主に愛されていたルシフェルは、禁忌を破ったことで創造主の怒りを買い、エルの称号を失って、永久に地上界へと追放されてしまったのである。 

 このとき、創造主はルシフェルの力を全て奪ってしまう筈だったのだが、既にルシフェルは神とさして相違ない程の圧倒的な力を持ってしまっており、反発するルシフェルを前に、創造主はそれを奪い去ることが出来なかった。皮肉なことに、創造主はルシフェルを愛するがあまり、強い力を与えすぎてしまっていたのだ。

 天上界を追放されてしまったものの、力を失わずに済んだルシフェルは、魔王ルシファーとして地上界に君臨し、自らの魔力を特定の人間達に分け与え、その者達に子孫を残させることで、魔力を持つ者達を増大させていった。

 それが魔族の起源である。

 魔族達は、魔王ルシファーのもと、長い年月の間平和に暮らしていたが、欲深く非力な人間達は、生まれながらに不思議な魔力を持っている魔族を脅威と感じるようになった。いつか、魔族に人間が滅ぼされるのではないかと恐怖し始めたのだ。

 力を持たない人間達は、なんとか魔族の力に対抗しようと、さまざまな行動に出始めた。創造主に与えられた豊かな創造力を駆使し、さまざまな武器や兵器を開発し、魔族に攻撃を開始したのだ。

 魔王ルシファーは、初めはそうした人間の攻撃をいとも容易く退けてきたのだが、あるとき人間が神をも冒涜するような恐ろしい武器を作り出したのだ。

 “魔光石”である。

 その人工的に作られた石は、魔族の人々を攫っては殺し、その血液を収集、凝縮し、結晶化した特殊な石である。

 魔力を秘めたその石を身につけることで、人間であっても自由に魔力を操ることができるようになった。

 しかし、魔光石一つ作るのに、数十人から数百人分もの魔族の血を必要とした。その為、多くの罪無き魔族の民が犠牲となり、人身売買や裏取引に利用されることも少なくなくなった。

 魔王ルシファーは何としても魔族の民を守ろうと、自らの魔力を惜し気もなく使い続けていくことになったのである。


 朱音はルイが少しでも気が紛れるようにと持ってきた歴史本をぱたりと閉じた。

 昨晩のことが頭を過ぎり、ちっとも内容に集中できないでいた。

 習いもしない文字が読めることや、いつの間にかアザエルの魔術なしでもレイシアの人びとと話を交わすことができるようになっていることに、朱音自身奇妙な感覚を持っていた。これはおそらく、クロウの身体が記憶しているもの。

 しかし、今はそんなことを考える余裕など更々無い程に、朱音は苦しんでいた。未だフェルデンの手の冷たさと強い締め付けの感覚が残った首筋に、自らの指を這わせる。





「誰にやられたのです」

 足元のおぼつかない朱音に肩を貸し、フェルデンの部下である小柄な青年が、アザエルの執務室に連れ帰ったとき、人の気配を察して部屋から出てきたアザエルとばったりと顔を合わしてしまったのだ。

 碧い目が鋭く見つめていたのは、朱音の首にくっきり紅く浮かび上がった痣。朱音は今にも泣き出しそうな顔で、顔を逸らすと、唇をきつく結んだままじっと床を見つめた。

「クロウ陛下、首のそれは誰にやられたのですか」

 アザエルの瞳が珍しくも怒りの色を帯び、朱音をサンタシの使者の腕から引き剥がすと、その痣を確かめた。

 それでも何も言おうとしない少年王の様子に、ユリウスは戸惑いを隠せなかった。きっと、この少年王はこの男の前で包み隠さずに事の成り行きを話すだろうと思っていたからだ。

(どうして話さない・・・? 自分がサンタシのフェルデン・フォン・ヴォルティーユの手に掛かり、殺されかけたことを・・・!)

 そんなことが発覚すれば、裏切りと見なされ、フェルデンも自分も良くても監禁、最悪は殺され兼ねない。

 最悪の場合には、なんとか隙を見てフェルデンだけはうまく逃がさなければならない、とユリウスは逃亡計画まで立てていた。

 しかしうまく逃げおおせても、ゴーディアとサンタシの戦争再開は免れないだろう。

「陛下が何も仰らないのなら、こやつに聞きましょう。サンタシの使者、クロウ陛下に何があった」

 ユリウスは重苦しい空気の中、ゆっくりと口を開いた。

「貴方がお考えの通りです。クロウ陛下は・・・」

「首を絞められて殺されかけた」

 ユリウスの話を遮るように、朱音ははっきりとした口調で言い切った。

「だけど、誰にやられたのかはわからない。暗くて、よく顔が見えなかったから」

 月明かりが差し込むあの廊下で、少年音が相手の顔を見ていない筈は無かった。それにユリウスは、駆けつけた際に確かにフェルデンに向けて「殿下」と呼んだことを覚えている。例え暗がりで顔が見えなかったにせよ、自分を殺そうとした相手がサンタシの王子であることは少年王でもすぐに分かることである。

「この人は、わたしが襲われているときに助けてくれただけだよ」

 このまだ幼さの残る少年王が、フェルデンを庇っていることは明らかだった。

 魔王の側近は目を細めると、じっと小柄な騎士を疑わしい目つきで見つめた。

 勘の鋭いこの男は、既に誰が犯人なのかを心中で察しているようだった。

「ほう、我が国の王を救ってくださった恩人とはそれは失礼を。この国の祝い事に紛れて招かざる客が紛れ込んでいるようですね。直ぐに兵に命じて捜索させましょう」

 気まずそうに下を向くと、朱音はちらりと小柄な騎士を盗み見た。モスグリーンの優しげな瞳は、戸惑ったように朱音の黒曜石の瞳を見返してきた。

「きっともうこの城にはいないと思う。この人が来てくれたとき、驚いて窓から逃げてったから・・・」

 アザエルは全てを知っているかのようにふっと口元を緩めると、

「そうですか・・・」

と一言言うと、それきりそのことについて触れてくることはなかった。



「ねえ、クイックル」

 窓の外からちょんと部屋の中へ入ってきた真っ白な鳩がきょとんとした目で首を傾げる。

「わたしは一体誰だと思う?」

 砕いたクッキーを手の平に載せて差し出してやると、小さな白い友達は、嘴でそれを上手に啄ばみ始めた。

「あの人に殺したい程嫌われてしまって、わたしはどうして生きていったらいい? あの人に会えないのなら、もう生きている意味なんてないのに・・・」

 朱音は気が緩めば滲む目尻の涙を、黒い服の袖でごしごしと擦った。 

 ルイが言うには、黒はこの国で最も高貴な色で、その色を身につけることが許されているのは国王とその親類だけだということだ。

 考えて見れば、あの魔王ルシファーの側近であるアザエルでさえ、黒に限りなく近い藍の衣服を着ているところしか見たことがない。

 コンコンというノックの音で、いつもの従者服に身を包んだルイが顔を覗かせた。

「クロウ陛下! 起きてらっしゃったんですね!」

 ひどくほっとした顔で、ルイが朱音の元へと駆け寄ってきた。昨晩、大広間から突然抜け出して消えてしまった朱音を必死で追いかけ探したにも関わらず、結局ルイは見つけ出すことができなかった。

 その上、アザエルによって部屋へと運ばれてきた朱音の首には、明らかに何者かによって締め付けられたような痣がくっきりと残っていたのだ。

「わたしは何があってもこの方から目を離すなと言っておいた筈だが」

 冷ややかな氷のような目がルイを見据え、ルイは霞んだ灰の瞳を見開いた。

 そのときに自らが仕える主に何が起こったのかを、そして自分が犯した失態を瞬時に悟ったのだ。

 そんなことがあった為、ルイはひどく心配性になっていて、ほんの少しの朱音の言動にも敏感だった。

「ルイ・・・。心配かけてごめんね。わたしが昨日勝手に飛び出してったせいで、きっとあいつに怒られたんでしょ?」

 ルイは目を見張って扉を後ろ手に閉めた。

「いえ、違うんです・・・。全てはクロウ陛下から離れた僕の責任なんです」

 すっかり意気消沈してしまっているルイに朱音は同情した。

 見た目はクロウだか魔王の息子だか、何だか知らないが、中身は平凡な中学生“朱音”だというのに、そんな自分の為に尽くそうとするルイに申し訳ない思いを抱かずにはいられない。

「えっと、そんなことより、大変なんです! 元老院が、アザエル閣下の地位を剥奪し、サンタシにその身柄を引き渡すことを今朝決めたそうです!」

 ルイはひどく興奮して、朱音に縋るような目を向けてきた。

「ふうん・・・、あいつ、何したの?」

 朱音はさして興味も無さそうに、クイックルにクッキーをやる手を止めないまま言った。

「僕にも真偽がわからないんですが、アザエル閣下がこの城を留守にしていた間、閣下はサンタシの領土内に入って、地を荒らし兵を斬ったとか・・・」

 朱音はぱらぱらと手の中のクッキーの粉を零すと、従者の少年に詰め寄った。

「それって、どうゆうこと!?」

 急に服の袖口を掴まれて、まごついたルイは、美貌の主を見つめ返した。

「えっと、つまりは国の許可なしに勝手な行動をした謀反者だと元老院は話しているそうです」

 アザエルがサンタシの領土内に入ったことや、兵を斬ったことは事実であった。

 しかし、それは朱音をアースから鏡の洞窟の力を使ってこちら側の世界レイシアに連れて来る為にしたことで、勝手な行動などではなく、列記とした国王ルシファーの命の元に動いた結果である。

「僕が思うに、アザエル閣下は賢いお方です。決して何もないのにそんな軽薄な行動はとられない筈・・・。きっと何か重要な理由があったに決まっています」

 ぎゅっと握り締めた拳を震わせて、ルイは訴えかけるように朱音の目を見つめる。

 一体過去に何があったのかは知らないが、この少年がアザエルに恩義があり、敬意を抱いていることは明らかだった。

 でも、そんなルイには悪いと思いながらも、憎いあの男がそうなることを自業自得だと思い、ざまあみろと思う心を止められなかった。

「あいつなんか、どうとでもなればいいよ。こっちはいなくなって清々する」

 ルイの悲しげな目が大きく揺れた。

 朱音はルイのその目に罪悪感を抱き、白い鳩に再び視線を戻した。

「閣下はひどく陛下のことを気に掛けておられました。こんな弱輩者の僕を陛下のお傍に仕えさせる時点で、こうなることを予測していたのかもしれません」

 灰色の髪はいつもよりひどく乱れている。身だしなみを整えるのを忘れる程、従者の少年はアザエルに下りた判定に取り乱したのだろう。

 アザエルにそのような判定が下りたことから察するに、フェルデンが昨晩のことを咎められずに、そして誰にもその出来事を知られることなく朝を迎えたということも意味していた。

「サンタシの遣いは今日の午前中にアザエル閣下とともに魔城を発つそうです・・・」

 朱音はフェルデンが無事に帰路に着くことができるとこにひどく安堵した。

 ルイはもう一度朱音に助けを求めようとはしなかった。この主がアザエルのことを酷く嫌い、その話題を出すことを嫌がっていることを知っていたのだ。そして昨晩の事件以来、開きかけていた主の心が再び固く閉ざされてしまったことに、ルイは気付いていた。

「陛下の嫌いな話をして申し訳ありませんでした」

 ペコリと頭を下げると、ルイは下がろうとした。

「ねえルイ、アザエル達はいつ発つ?」

 シンプルな黒の詰襟の服の主は、魔城の見晴らしのよい窓を開け放し、切なげにじっと入り口を見下ろしていた。

 魔城から出てきた旅装束の三人の男。一人は長身、もう一人は小柄。そしてもう一人は、深く被ったフードから僅かに碧い髪が見える。

(昨日、あのまま死んでいればよかったのに・・・)

と、朱音は生き延びてしまった自分の運命を呪った。

 もう、あの優しい笑顔を、優しいブラウンの瞳を見つめることも、大きく男らしい手で髪を撫でられることも二度と叶わないだろう。今朱音に向けられるのは冷たく恐ろしい程の憎悪のみ。彼に愛された朱音はもうどこにもいない。

 城の中から従者達が箱のようなものを運び出し、それを荷馬車の荷台に括り付けている。ぼんやりとその光景を眺めていると、ふと見上げたアザエルの視線が朱音のものとかち合った。

「!!」

 碧い瞳はじっと朱音を見つめている。なぜかその目に釘付けになり、朱音は目を逸らせずにいた。

(なに・・・? 王の次に偉い筈のあなたが、なんで素直について行くの? もしかして、途中でフェルデンやユリウスさんを殺して逃げるつもりなんじゃ・・・)

 突然冷やりとした感覚を覚え、朱音は駆け出した。

(あいつを、フェルデン達と一緒に行かせちゃ駄目・・・!!)

 出発までもう時間がない。

 朱音は縺れる足で何度も転びそうになりながら、城の入り口までこぎつけた。

箱を積んだ荷馬車が、今にも歩み出そうとしていた。

 フェルデンが、息を切らして城から飛び出してきた美しい少年王に気がつき、目を丸くした。詰襟の下に隠されてはいるが、その隙間からは紅く変色した痣がちらりと見える。昨晩我を失ったフェルデンが犯した罪の跡は、はっきりと少年王の首に印を残していたのだ。

「陛下、罪人の見送りにでも来てくれたのですか?」

 深く被ったフードの下から、アザエルが微笑を浮かべて言った。

「本当はあんたの顔なんて見たくもないよ。でも、あんた、今度は一体何を企んでるの?」

 額に薄く汗を滲ませながら、朱音はつかつかと魔王の側近に近付いていった。

フェルデンとユリウスは不可解そうに二人の様子を見ている。

 ユリウスは、少年王がここにいる魔王の側近を快く思っていないという事実に少々驚いていた。

「サンタシへ向かう途中二人を殺して逃げるつもり? それとも、二人を人質にとってサンタシに先制攻撃でも始めるとか?」

 大きく黒い瞳に怒りの色を見え隠れさせて、朱音はアザエルをきっと下から睨み上げた。

「ふ・・・、どこまでもわたしは信用されていないようですね」

 アザエルはほとんど変わらない表情のまま、くすりと鼻で笑った。

「あんたが諸悪の根源だってことはわたしでもわかる!」

「陛下〜!」

 後ろから灰の髪を揺らしながら、従者の少年がぱたぱたと駆け寄ってくるのが見える。

「酷い言われようですね。でも、今回は本当に素直に身柄を引き渡されますよ。わたしとて、ルシファー陛下が御自分の命と引き換えに守ったゴーディアを、危険に陥れることなどしたくはありませんからね」

 淡々と話すアザエルは、自分の手首に嵌められた枷を朱音に見せた。美しく彫刻された一見腕輪のようにも見える金の枷は、女性のように美しいアザエルの手首にしっかりと嵌っている。

「それにこれがある限り、わたしは魔術を使用できないですし」

 アザエルの背後で、小柄の騎士ユリウスが口を開いた。

「その手枷は、魔力を無効化する特殊なものです。魔族の罪人を護送する際に使います」

 朱音は不意打ちを食らったような顔をして、その金の手枷に触れる。得意の魔術を封じられ、自分自らサンタシに行こうとするアザエルの真意が全く読めない。

 朱音に追い付いたルイは、事の成り行きを解せず、息を切らせながら心配そうにその様子を見守っていた。

「さて、いよいよお別れでしょうか。ルシファー陛下のお望みを叶え、貴方をこの国へ連れ帰り、貴方のお姿を拝見できたこと、光栄でした」

 柄にもなく、アザエルはもう二度とここへ戻ってくることがないような口振りで言った。

「クロウ陛下、貴方にまだ魔力が戻っていないことを、決してそこにいるルイ以外の者に洩らしてはなりませんよ。周りは全て敵だとお思い下さい・・・」

 そっと朱音の耳元でそう囁くと、アザエルは二人のサンタシの使者に向き直った。

「アザエル閣下・・・!」

 ルイが思わず声をあげた。

「わたしが留守の間、陛下を頼んだぞ」

 振り向きもせず、アザエルは荷馬車に乗り込んだ。フェルデンがぴしりと馬に鞭打つと、ゆっくりと荷馬車は動き始めた。

 結局最後まで金の髪の青年を直視できなかった。まだ見る度に痛む胸を押さえながら、もう二度とその腕の温もりを感じることはできないだろうと、朱音は遠ざかる馬車をいつまでもじっと見つめる。

 そして、世界で一番憎い筈のあの碧髪碧眼の男が、少しずつ遠ざかっていくというのに、なぜかツキリと胸が痛んだ。

 




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