神殿 18
バーソローは、帝都の外にある。
近いとはいえ、遠い。
早馬で半日とはいえ、普通に馬車で行けば二日の距離だ。
だが、朱雀離宮には、帝国全土に行ける転移陣の用意された部屋がある。
もっとも、陣のある場所は、バーソローから少し離れているため、どうやっても半日以上はかかってしまうのは、仕方がない。
今回は本当にバーソローの神殿で間違いないのか、サーシャが確認する必要がある。
病み上がりのサーシャを早馬で連れて行くと言う、無謀な真似をするほどレオンは非情ではない。
もちろん、サーシャやリズモンドの腕をもってすれば、転移陣を新たに作ることもできるが、転移陣は、あくまで、術者がよく知っている場所でなければいけない。
少なくともサーシャは、実家の領地と、帝都の中以外に行ったことはない。それどころか、帝都の中でも、塔と宮殿の他は、あまり知らないくらいだ。
リズモンドはサーシャよりは、社交的だから多少、知っている場所は多いだろうが、おそらく似たようなものだろう。
それに個人で張る陣はあくまで簡易のもので、移動できるのは本人だけだ。固定されている転移陣ほど安定もしていない。
ちなみに朱雀離宮の転移陣は、レオンがここに住むようになってから作られたものだ。
新たに親衛隊用に増築した建物の地下に作られている。
これだけ多くの転移陣は、皇帝の住む宮殿にもない。
ただし、この転移陣を作るにあたって、かならず皇族の人間が一緒にいないと働かない制限がつけられている。
つまり、親衛隊の人間がこれを使うためには、いちいちレオンが同行する必要があるのだ。
それくらいの制限がなければ、許可されなかったということだろう。
転移陣は十名近い人数を一度に輸送できることから、親衛隊の機動力を支えるものだ。
もっとも、転移陣での移動は、体に負担がかかるため、一日に五回が限界とされている。
つまり、レオン一人で大軍を一気に動かすことはできないのだ。
ちなみに、宮殿に行ける陣はない。反乱などを疑われる要素を排するためだ。
というわけで、早朝から、サーシャはレオンとカリドを含め数人の親衛隊とともに、転移陣に入った。
転移陣からバーソローまで、馬車で半日。
普通に向かうよりはよほど短縮したとはいえ、それでも半日も馬車に揺られるのは、さすがにサーシャが病み上がりでなかったとしても、かなりしんどい。
とはいえ、早馬を使わず、馬車で向かうのは、サーシャのためだ。
文句を言うつもりはないが、疲れてしまうことは、どうしようもない。
とはいえ、今回、サーシャ自身が確認すべきだ。
それに、サーシャを弾いた『結界』がどのようなものかという、好奇心もある。
サーシャは宮廷を守る側なので、いまだかつて、宮廷の結界に立ち向かうようなことはしていない。
だから弾かれるという体験をしたのは初めてだった。
「田舎の神殿にそこまで経費をかけるとは、不自然ですよね……」
バーソローに近づくにつれ、森が深くなってきた。
街道は整備されているものの、人通りはほぼない。とにかく田舎だ。
「中央が必要と思ったからこその、結界だろう。魔物のためか、それとも野心のためかはわからないが」
四人掛けの馬車にはす向かいに座っているレオンが書類を繰りながら、サーシャのひとりごとに答える。
「……そうですよね。神殿の資産表は、国が管理していないのですよね?」
「そうだな。予算はもちろん設けられているが、あくまで献金として処理される」
「通常、国の部署の場合は、会計処理が義務付けられるのに、神殿は、金をもらうだけということですか……」
神殿は神を祀る場所だ。そこに経済活動があるにしても、利益に対しての税金はない。
むしろ、国が金を渡している。
『神に承認された』皇帝であるという『建前』を作るためだ。
神に認められた人間だからこそ、帝国の頂点に立てる。
正直、サーシャから見れば帝政を実際に支えているのは、官僚たちであり、騎士団や魔術師だ。
民が国に従うのは、魔物からの脅威や、他国からの侵略にそなえ、社会生活に必要な法を執行しているためである。
あえていうなら神殿の活動は、民の心の支えとなるためのものだ。
「しかし、朱雀離宮を襲う理由は、『民の心の安寧』とはまったく関係なさそうです」
「それはそうだろう。あれはおそらく『警告』だ」
レオンは書類の束から目を離し、サーシャと目を合わせる。
「ちょうど、孤児院の問題が持ち上がってすぐだ。間違いなく、『手を出すな』という警告だろう」
「いつでも結界を壊し、殿下を殺すことができるというデモンストレーションですか……」
「まあ、そうだな。実際には、結局結界は保たれたままだったし、術は返されたわけだが」
レオンは大きく息をつく。
「彼奴等は焦っている。なりふり構わなくなる可能性がある。私を陥れようと動く可能性があると、兄上から忠告された」
「しかし、殿下は皇族です」
「方法はいくらでもある。『反乱』を企てたとか、『兄上』の暗殺とか」
「……そこまでするでしょうか」
サーシャは首を傾げる。
レオンは、清廉潔白が服を着て歩いているような人間で、神殿と言えども簡単に手を出すことのできない皇族だ。継承権も、マルスに次いで二番目でもある。
「そこまでするからこそ、宮殿に匹敵するような結界を持つ建物を作るのだろう?」
「それはそうですね」
森を抜けると、バーソローの村が見えてきた。
のどかな牧歌的な田園風景が広がっている。
良くも悪くも、人の姿の少ない田舎の風景だった。
──こんなところに。
サーシャはにわかには信じられない気持ちで車窓を眺めていた。