神殿 15
サーシャが目を覚ますと、茜色の光が窓から差し込んでいた。
ここはサーシャが泊まることになっていた部屋だ。
「おや、お目覚めになりましたか」
部屋の隅で何かしていた女性がサーシャに声をかけた。
朱雀離宮の数少ない女性の使用人で、かなり高齢のマーサだ。
「あの、私はどれだけ眠っていたのでしょう?」
夜中に襲撃があって、術を追いかけ、意識を失ったのだった。
「二日めの夕刻です」
「そんなに!」
サーシャは飛び起きようとして、頭を抱えた。
動いた途端、ずきんとした痛みが走った。
「急に起き上がられては、いけません。医者の話ですと、かなり体に負担がかかっているようですから」
「ですが」
「まずはお薬をお飲みくださいませ」
サーシャは、マーサに手助けしてもらいながら、薬を飲んだ。
そして、再びベッドに横になる。
「お食事をお持ちいたしましょうか?」
「お願いします」
サーシャは頭を下げた。
頭痛はまだするが、とにかく腹に物を入れなければいけない。
マーサが出ていくのを目で見送ると、サーシャは、気を失う前の記憶を思い出す。
──見たことのない神殿だったな。
サーシャはもともと信仰に厚い方ではない。
それに帝都にいれば、大神殿に行けばいいわけで、地方にあるこまごまとした神殿に行く用事はなく、神殿の建物だけ見て、どこにあるかは全く判別ができない。
小さい神殿のようだったから、帝都の外の可能性もある。
それに神殿の建物は白いことが多いので、何の手掛かりにもならない。
──完全に失態だ。
サーシャは魔術で失敗することなど、ほとんど経験がない。術勝負でも、負けたことなど数えるほどしかないのだ。
宮廷魔術師でも、サーシャより確実に実力が上なのは、ルーカス・ハダルくらいのものだ。
リズモンド・ガナックは、かなりの実力者だが、魔力や目のよさでは、サーシャに敵わない。
そんなサーシャが、明らかに弾かれた。
──たぶん、あらかじめ張ってあった結界にぶつかったのだろうけれど。
その場でかける術より、魔石による結界のほうが強いのは当然だ。
だが、宮廷でもない場所で、それほど強い結界はふつう張られない。
「アルカイドさま。入ってもよろしいですか?」
マーサの声がした。
「どうぞ」
サーシャが返事をすると、扉が開く。
マーサだけでなく、レオンとリズモンドが入ってきた。
「アルカイド君。大丈夫か?」
心配そうな声色の割には、レオンの顔の表情はほとんど変わっていない。
相変わらず表情筋は仕事していないようだった。
「はい。まだ少し頭が痛いです」
サーシャは頷いた。
「何があった?」
「結界に弾かれたのだと思います」
レオンの問いに、サーシャは素直に答えた。
「いつものサーシャならよけられたと思いますが、他人の魔力を背負っていると、術のコントロールが難しいのです」
脇からリズモンドが説明をする。
「とはいえ、サーシャを弾くとなると、宮殿並みの結界です」
「宮殿なのか?」
レオンが驚きの声を上げる。
「いえ。神殿だと思います」
サーシャは自分の見た光景を話す。
「どこの神殿かは全く分かりませんが」
複数の術者が集まっているにしてはずいぶん小さな神殿だった。
それを聞いたレオンが顎に手を当てて、考え込む。
「アルカイド君やガナック君が二人がかりで苦労するほどの人数を集めるとなるとそれだけで目立つはずだ。そんな小さな神殿に何十人も集まれば、田舎にしろ街中にしろ、注目を浴びる気がする」
「それはそうですね」
リズモンドが頷く。
「帝都の大神殿ならともかく、通常の神殿には、多くて五人ほど。五人で、オレとサーシャに勝てるとしたら、それは宮廷魔術師クラスです」
「ああ」
レオンは頷く。
「あの魔術の色は、十人以上の集合魔力です。間違いありません」
サーシャは断言する。
サーシャの目には、あの魔力は濁って見えた。
五人くらいの魔力なら、サーシャには色は鮮明に分かれて見えるはずだ。濁ったように見えるのはいくつもの魔力が絡み合っていたからだ。
「殿下。できるだけ隊員を集めてもらえませんか?」
「おい、サーシャ、まさか」
リズモンドが慌てる。
「はい。映視を行います」
サーシャは頭痛を無視して、起き上がった。
「しかし、お前はまだ本調子ではないだろう?」
「そんなことを言っている場合ではありません」
サーシャは首を振った。
「いつ本調子になるかわからないのです。私の持っている情報は既に二日前のもの。古くなればなるほど、価値がなくなります」
「しかし、医師はしばらく安静にしてろと言っているんだぞ!」
「ガナック君。アルカイド君はいったい何をする気なのか、説明してくれないか」
レオンがコホンと咳払いをする。
「サーシャは、自分の見たものを、幻影として見せる術を使うつもりです。普段のサーシャならそれほど大技ではありませんが……」
「魔力に問題はありません。記憶は薄れていくものでもあります。やらせてください、殿下」
サーシャは、レオンの目を見つめる。
「わかった」
「殿下、しかし」
「アルカイド君は言い出したら聞かないだろう。それに、確かに情報は早ければ早い方がいい」
止めようとするリズモンドを、レオンは目で制する。
レオンに言われてはリズモンドとしても、それ以上何も言えない。
「ただ、アルカイド君には一つ言っておきたいことがある」
「何でしょうか」
「二度と私の前で倒れないと約束してくれ。次に倒れたら、君を塔に返す」
「殿下?」
思いがけない言葉にサーシャは驚く。
「アルカイド君が倒れた時、私が何も思わなかったと思うのかい?」
レオンはため息をつく。
「私だけではない。ガナック君など、気も狂わんばかりに」
「殿下! 余計なことは言わなくていいのです!」
レオンの言葉をリズモンドが慌てて遮る。
リズモンドの顔は真っ赤だ。
「まさか、心配してくださったのですか?」
サーシャは驚く。
「私のこと、お嫌いでしたよね?」
「べ、別に嫌いじゃない。同じ宮廷魔術師だし」
リズモンドは慌ててそう言ってからレオンを睨んだ。
「殿下のほうが、よほど心配していましたよね? 一晩、看病しておられましたし」
「え? 殿下が?」
思わずレオンの顔を見る。
「屋敷から絶対出るなと、ガナック君がうるさかったからだ」
結界を崩された現場に飛び出していきそうなレオンを、リズモンドが止めたからだと、レオンは言う。
「……殿下も素直じゃない」
リズモンドがため息をつく。
「ええと。ありがとうございました」
とりあえず、自分が心配をかけたことにようやく気付いたサーシャは、頭を下げる。
リズモンドが自分を心配したと言うのも信じがたいが、レオンが看病をしてくれたというのも、非常に申し訳ない。
「御恩は、仕事できちんとお返しいたします。もう二度と倒れるなんて、失態は致しません」
サーシャはこぶしを握り締める。
「いや、もう、お前、本当にわかってない……」
リズモンドが呆れたように呟いた。




