念糸 18
塔に戻ったサーシャは、会議の前にルーカス・ハダルのもとへと急いだ。もちろん、ロイド・マーベリックに会うレオンに随行する許可をもらうためだ。
報告のため、サーシャとともに来たリズモンドは、不満というより半ば諦めたような顔をしている。
本当はサーシャを止めたいのだろうが、チーム行動をとって、得をしたことがないというサーシャの感覚はリズモンドが作ったようなものだ。今更、リズモンド自身が何を言っても空々しく響くことは、リズモンド自身もわかっている。
もっとも、サーシャはリズモンドに嫌がらせをされようが、されまいが、好奇心をさそう仕事以外は、手を抜こうとは思わないが、熱心に意見を述べるつもりもない。
今回の事件に関しての興味はあるが、それは真相についてだ。施されている術式に関しての議論なら興味はある。が、それについては、もう結論済みなのだ。おそらく今日の会議の内容は、親衛隊での出張研究の報告と、今後の対応策が中心になる。正直言って、サーシャの興味は薄い。それよりは、レオンと行動するほうが楽しそうだ。ジム・ゼールについては、おそらくは患者についての報告だから、特に新しい情報はなさそうだが、ロイド・マーベリックの話には、新しい何かがあるかもしれない。
相変わらず、ルーカス・ハダルは忙しいが、なんとか彼の研究室にいるところを捕まえることができ、サーシャはほっとした。会議の時間前にあえたのは、僥倖だった。
「サーシャも来るとは珍しいな」
リズモンドから報告書の束を受け取りながら、ハダルはサーシャに目をやった。
「はい。お願いがありまして」
「事件が終わるまで、親衛隊に出張したいという話か?」
「へ?」
思ってもみない言葉に、サーシャは目を見開く。
「おや、違うのかい?」
「違いませんけれど、違います」
サーシャは慌てて口を開く。
「実は、会議を欠席して、レオン殿下の調査に同行する許可をいただきに上がったのです」
サーシャは素直に説明をする。
「まあ、いいだろう。どうせ、今後の対策の話ができる状態ではないしな」
「ハダルさま?」
リズモンドは意外そうだ。
「今日の全体会議の前に、宮廷魔術師の意見をまとめておくだけの意味しかないものだ。それよりも、サーシャが同行すれば、その目が殿下のお役に立つこともあるだろう」
「それは……そうですが」
不満そうなリズモンドに、ハダルは苦笑する。
「わざわざ許可を取りに来たということは、殿下の指示があったのだろう? そうでなければ、サーシャのことだから、リズモンドに押し付けて、勝手に会議を欠席してしまうだろうから」
「ええと、すみません」
さすがのサーシャもこれには頭を下げるしかない。
「サーシャに甘くないですか?」
「私は別にサーシャに甘くしているつもりはないさ。皇族に忖度はしているけれど」
にやりとハダルは口の端を上げる。
「私の許可を取って来いということは、こちらに配慮してくださっているというだけのこと。殿下の本音は透けて見えている」
「……どういう意味でしょうか?」
ハダルが何を言いたいのかわからず、サーシャは首をかしげる。
「お前はどう思う? リズモンド」
「ハダルさまのご推察通りとは存じます」
仕方ない、というようにリズモンドはため息をつく。
「まあ、そうだろうねえ」
ハダルは珍しくにやにやとした笑いを浮かべる。
「あの、ハダルさま、それなら私は出かけてもよろしいでしょうか?」
レオンに許可が取れたなら、財務局のほうに顔を出せと言われている。ジム・ゼールとの会談は財務局の隣のカフェで行うとも聞いた。
診療所の医師からの情報で、念糸の事件が解決に進むことはないが、もともと帝都の安全全体を守るのが親衛隊の仕事だ。臨時の診療所の閉鎖時期などの相談などもあると思われる。
「ああ、かまわん。ただ、アーネストには声をかけて行け。ずっとお前のフォローをしていてくれたのだから」
「承知いたしました。では失礼いたします」
塔に来ていなかったサーシャの代わりを務めてくれた同僚に礼を述べるのは当然だ。
サーシャは頭を下げた。
「やあ、アルカイド君。本当に来たんだね」
財務局の入り口に行くと、レオンが待っていた。
「ひょっとしてお待たせしてしまいましたか?」
「いや、今来たところだ。君ではなく、マーベリックを待っていたところだ」
レオンの隣にいるマーダンの肩が少しだけ震えている。
ひょっとしたら、そうはいっても待っていてくれたのかもしれない。
「ルーカスに怒られはしなかったか?」
「特には。私の目がお役に立つこともあるだろうとは、言われました」
「ルーカスには、借りっぱなしだな」
レオンはため息をつく。
「君がいないと、宮廷魔術師の業務も滞るだろうに」
「それが、そうでもないのですよね」
サーシャは苦笑する。
サーシャでなければ困るという仕事は、実はあまりない。
当然同僚の仕事負担は増えるだろうから、迷惑はかけている気はするが。
「殿下、お待たせをしました」
声に振り替えれば、ロイド・マーベリックだった。
以前からひょろ長い印象はあったが、さらに痩せたようだ。
祭司のローブでなくて、ベストとズボンにジャケット姿のせいか、ずいぶんと印象が違う。
態度も声の調子も、前のような自信たっぷりな雰囲気はなくなって、腰が低い。
罪を犯し、神殿から追放され、しかもまだ保護観察処分中だ。若くして祭司を務めていたころと同じではおかしいが、やはり別人のように見える。
「財務局の会議室を借りております。そちらへまいりましょう」
マーダンが先導し、レオンとサーシャ、マーベリックと部屋に入った。
役所の会議室なので、実に簡素なつくりだ。木の机といすが並んでいるだけで、装飾品の類は何もない。
レオンは全員に座るように言ったが、マーダンだけは、扉の前にそっと立った。
念のため、窓は閉め、魔道灯をつける。サーシャはマーダンと目配せをして、部屋に軽く結界を張った。
盗み聞きされる危険と、安全を考えてのことだ。
レオンもさることながら、場合によっては、マーベリックが狙われる可能性も否定できない。
「それで、私に何をお聞きになりたいのでしょう?」
マーベリックが口を開く。
「まず、神殿の人間で、黒魔術の研究などを行っているという噂を聞いたことはないか?」
「黒魔術ですか」
マーベリックの顔に嫌悪の色が浮かぶ。その表情は、聖職者としての気持ちがまだ残っている感じがした。もっとも、彼は信仰を捨てて、追放されたわけではない。
「ご存じの通り、黒魔術は禁忌ですが、我ら神殿では、その魔術に対抗できるのは、『神の力』にしかないと言いはる一派が少なからずおりました」
「具体的に名前を言えるか?」
「あくまで、噂ですが、ルクセイド・ハックマン祭司はかなり、研究しているという話でした」
マーベリックはほんの少しだけ声を低くする。
大祭司の一派の一人だ。もっとも最大の主流派ではない。
「ただ、研究しているから悪いというものでもありません。研究しなくては、何かあったときに対応できないのは事実ですから」
脇からサーシャは口をはさむ。
「塔の資料は、ほぼ禁書扱いで、普段読むことがかないません。そのせいで即座に対応できる宮廷魔術師がいないのも事実です」
「難しい話だな」
レオンはわずかに肩をすくめる。
「ところで、君が、アリア・ソグラン嬢が聖女になることを反対していた理由だが、巫女への同情だけだったのだろうか?」
「そのお話は、何度も」
マーベリックは困ったように目を伏せる。
「君は、神殿に追放された。義理立てする必要はもうないのではないか?」
レオンはマーベリックの顔を覗き込む。
「義理立てでも、大きな理由があるわけでもありません。ただ、私はソグラン家に莫大な金が流れるのが嫌だっただけです」
マーベリックは、大きくため息をついた。




