念糸 17
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
(レオン視点です)
アリア・ソグランが婚約者候補に名乗りを上げたのは、ここ最近の話だ。
それまで、マルス皇太子の婚約者は文書化こそされていないものの、ラビニア・エドン公女だと誰もが信じていた。
そもそも、ソグラン家は由緒こそ正しいものの、現在は斜陽気味の伯爵家だ。
アリアが光の聖女に選ばれてから、多少持ち直しはしたが、それでも、伯爵家として考えるとそれほど裕福とは言えない。
先代のトマス・ソグランが事業に失敗し、領地の一部を失ったせいで、税収などもかなり少なくなっているはずだ。
逆に、だからこそ、ソグラン伯爵家としては、皇太子マルスとの婚約にしがみつこうとするのだろう。
皇太子妃に選ばれれば、ソグラン家への支援は当然ある。
領地経営こそ持ち直しているようだが、目減りしているぶん、現在の税収だけでは伯爵家の体裁を守るのはかなりたいへんなのだ。
伯爵家は経済的にかなり神殿に助けられている。
経済的な数字をみる限り、ソグラン家は神殿に否とは言えぬ立場だろう。
マーダンの持ってきた報告書を見ながら、レオンはため息をつく。
アリアが聖女に選ばれたのは、二年前。
巫女見習いだったアリアは、大祭司のグレック・ゲイルブに見いだされた。
ただ、その前から、かなり注目を浴びてはいたらしい。
光の魔術を使うというのはかなりレアであり、魔力もかなり大きく。寄付金のわりには巫女としての待遇はよかった。
急に神殿がアリアを婚約者に推しだしたのは、来年には皇帝が譲位し、マルスが結婚とともに皇帝の座に就くと発表されてからだ。
エドン公爵家の娘が皇妃になれば、大貴族の力は安泰となる。
──とはいえ、兄上ほど信仰が厚ければ、神殿そのものは問題ないだろうに。
マルスは幼い時から、光の神フレイシアの教えに傾倒していた。
信仰ゆえに、物事を見失ってしまうほどではないが、アリア・ソグランを婚約者候補にねじ込まれたというのは、マルスが神殿の意見に弱いことを露呈している。
だからこそ、マルスの相手はラビニアでなければいけないと、レオンは思う。
「殿下、そろそろご移動を」
「わかっている」
今日は、皇太子を交えての会議ということで、離宮ではなく宮廷で夜、捜査会議が行われる。
マルス皇太子のほかに、ルーカス・ハダル主席宮廷魔術師も加わる予定だ。
それだけでなく、会議の前に会っておきたい人物との約束もある。
「今日で、宮廷魔術師のお二人は、引き上げですかね」
マーダンが名残惜しそうに息を吐く。
「そうなるだろうな」
レオンは頷く。
もともと念糸の術式を公正な状態で調べるために、臨時で親衛隊の朱雀離宮に来ていたにすぎないサーシャとリズモンドの仕事は、すでに終わったといえる。
今回の念糸で術者そのものを割り出すのは、奇跡的にトムという男は確定となったけれども、ほぼ不可能だし、術者そのものを割り出したところで、あまり大きな意味はない。
「二人も優秀な宮廷魔術師を借りっぱなしにするわけにはいかない」
「それはそうですが」
マーダンは何か言いたげだ。
「あ、殿下!」
外に出ると、サーシャが頭を下げた。ちょうど、リズモンドと二人で馬車に持ってきた資材などを積んでいたらしい。
「片づけはすんだのか?」
「はい。おかげさまで」
「殿下は、もうご出発ですか?」
サーシャの後ろからリズモンドが顔をのぞかせる。
思えば、リズモンドの態度も前回に比べるとずいぶんと変化した。彼自身が、変わろうと努力している結果なのかもしれない。
「いろいろ雑用が多くてね」
レオンはわずかに肩をすくめる。
「会議の前に、ジム・ゼールとロイド・マーベリックに会っておく必要があるから」
「マーベリックって、祭司のですか?」
サーシャが目を丸くする。
診療所の責任者のジム・ゼールより、ロイド・マーベリックの名に興味をひかれたらしい。
「もう祭司ではないが。現在は、財務局で働いている」
「財務局?」
「もともと商会の長男だったから、数字に強い。才能ある男だ。罪を犯したのは事実だが」
アリア・ソグランが鳳凰劇場の階段から落とされた事件では、かなり重要な位置にいたロイド・マーベリックだが、暗躍していた影狼は別として、それほど大きな罪に問えたわけではない。
なんといっても、アリアは無傷だったのだから。
ただ、マーベリックは、祭司の座から追われ、神殿からは事実上追放された。
神殿の推す聖女を害そうとしたのだから、それは当然だろう。
本人は国外でのやり直しを希望していたが、レオンの意向で財務局に勤めることになった。
レオンとしては、影狼が今後接触してくる可能性を鑑みて、目の届くところに置いておきたかっただけだったのだが。思った以上に、マーベリックは才覚を生かし、財務局で重宝されているらしい。
もともと優秀さでのし上がった男だ。
「私もご一緒してもよろしいですか?」
好奇心を隠せない様子で、サーシャがレオンを見る。
「アルカイド君は、塔で会議があるのではないのか?」
「大丈夫です」
「お、おい、サーシャ」
間髪入れずに答えたサーシャをリズモンドが抗議する。
「塔で報告会がありますが、私がいなくてもリズモンドが出れば済むこと。問題ないです」
「問題ないって、お前な」
リズモンドは大きくため息をつく。
「どうせ報告のほとんどは、リズモンドがするのです。私などいてもいなくても同じですから」
「アルカイド君、さすがにそれは」
さすがのレオンも、リズモンドが気の毒になる。
実際、細かい報告のほとんどはリズモンドが行うことは間違いなさそうだが、だからといって、サーシャがいなくてもいいというものではない。
「ルーカスの許可がなければ、さすがにいいとは言えない」
「わかりました。ハダルさまの許可があればいいのですね」
微笑むサーシャの横で、リズモンドが顔に手をあてている。
「アルカイド君は、本当に自由だな」
この調子なら、ルーカスも許可を出さざる得ないだろう。そんなエネルギーに満ちている。
「自由、ですか?」
サーシャは首をかしげる。少し心外そうだ。
「そもそもすでに書面で出したものの報告会など不要です。無駄が多いのですよ。魔術師は」
「おい、サーシャ」
「当番を決めるといっても、私の意見が通ることはめったにないですし」
「その点は俺もいろいろ反省している」
リズモンドがうつむく。
つまり。サーシャの意見を取り入れようとせずに勝手にいろいろしていたのは、リズモンドもその一人だということなのだろう。
サーシャはまだ若い。加えて、自分が正しいと思ったら、絶対に折れないタイプだ。
実力があり、ルーカス・ハダルに気に入られている点でも、年配者から見れば、妬みを買いやすい。
「アルカイド君。前にも言ったが、君を貶める人間があまりにも多いというのなら、格は落ちるだろうが、親衛隊はいつでも君の席を用意しよう。とは言っても、そんな理由で君が、うちに来てくれるとはとても思えないが、私はいつでも待っている」
宮廷魔術師の仕事はサーシャにとっては天職だろう。
親衛隊では魔術そのものの謎を追求するようなことはできない。
ちらりと、マーダンに目をやると、『そこはもっと強く言うところだ』と言いたそうな顔をしているし、リズモンドのほうは、幾分顔が青ざめている。
「ありがとうございます」
頭を下げたサーシャの耳は若干赤い。
慌ててそむけた横顔は、やや上気しており、少女の表情だった。
思わず目で追ってしまったレオンは、マーダンの視線で我に返る。
「行くぞ」
レオンはマーダンを促す。
「あと一押し、頑張ってくださいよ」
ため息交じりのマーダンの声をレオンは聞こえないふりをして、馬車に乗り込んだ。




