念糸 15
短め。ご容赦を
レオン視点
キンブル製糸商会は、商工会に加盟して間もない商会だった。
もともとデイバーの商工会は堅気の商売をしていると言い難い店が多い。
一応、商工会は国からの補助金をもらい、簡易宿舎などを経営している関係で、比較的まともにみえるけれども、仕事の斡旋料は暴利と言われており、一度デイバーに堕ちたら二度と表通りに戻れないと言われている元凶でもある。
マーダンの話によれば、キンブル製糸商会は、神官の紹介で入って来たらしい。
商工会の加盟費用も、即金。作業場の小屋の家賃は、来月まで支払い済み。書類上では、デイバー通りで始める仕事にしては、綺麗すぎるほどだ。
作業場は、トムの言ったとおり、簡易宿泊所の隣。
作業時間は、ほぼ日中だけ。日当は日払い。多少、悪臭があるかもしれないという事前申告は、商工会にはあったそうで、その分をふくめて、近隣には色を付けた挨拶料を支払っているとのことだ。
「とにかく、評判はすこぶるいいですね」
マーダンの報告を聞きながら、レオンはため息をついた。
レオンの執務机に積まれた書類は膨大で、読むだけでも一仕事だ。だが、こうした報告書一つ一つから、新事実が発見されることもあるため、気が抜けない。
「近隣の下水溝の水は採取したか?」
「はい。鑑識にやらせています。毒物は魔術製品ではないので、うちの人間でなんとかなりそうです」
「そうか」
レオンは頷いた。
「それで、キンブル製糸商会の責任者は?」
「現在、事務所があったと思われる場所はもぬけの殻でした。作業場を撤収した時点で、全部引き上げたのだと思われます」
「こんなに近くに答えがあったのに、迂闊だった」
レオンは書類の束を見つめため息をつく。
疫病が流行してすぐとはいわないまでも、親衛隊にグランドールが助けを求めてきた時に捜査していれば、もっと話は早かっただろう。
「しかし、ガナック氏が随分と協力的で、助かっています」
マーダンが苦笑する。
「アルハラの毒を検出する試薬なども、塔からこちらに頂けるよう、手配してくださったようで」
「彼はもともと優秀な男だ。細かいところに目が届くとルーカスも言っていた」
ルーカス・ハダルの次席は、サーシャ・アルカイドか、リズモンド・ガナックなのかは評価が分かれるところらしい。
魔眼を持ち、膨大な魔力を持つサーシャは誰もが認める規格外な『天才』だが、リズモンドの器用さ、知識の豊富さは、魔術師として必要なものでもある。
「アルカイドさんにいいところを見せたいだけなのかもしれませんが」
「彼はアルカイド君に頼られたくて、色々間違えたのだろうから」
ふうと、レオンは肩をすくめる。
最初に来た時に比べると、サーシャのリズモンドに対する態度は随分と軟化しているようだった。
それは『上司』として考えれば、望ましい変化ではあるのだが、レオンの心中はいささかもやもやしたようなものがある。
その感情がなんであるのか、レオンにはわからない。
「それはそれとして、アルカイドさんを本気で親衛隊にスカウトする気はないのですか?」
マーダンの口調は、どこかからかっているようだ。
「宮廷魔術師であるアルカイド君にとって、親衛隊への移籍は、降格でしかない。給料も下がるし、彼女の望む研究も満足にできなくなるし、何より、ルーカスが手放さないさ」
「ルーカス・ハダルさまがどう思われるかはともかく、アルカイドさんは、殿下が是非にと頼み込めば、行ける気がするのですけれどね」
マーダンは残念そうだ。
「魔眼の能力はもちろん、あの方の規格外の魔力と判断力は、現場に向いていますし、たぶん殿下と同じで、謎を解くことに夢中な方ですから」
「適性はあるだろうけれど、宮廷魔術師としても彼女は逸材だ。彼女だからこそ、兄上の部屋の異変に気付いたのは間違いないのだから」
「それはそうですけれど」
マーダンは息を吐く。
「仕事面だけではありません。あれほど、殿下の本質を見抜き、殿下と気の合う女性はめったに見つからないので、後悔なさらないようにすべきかと」
「マーダン、お前、何が言いたい?」
「いえ、別に。殿下がすべて承知なさっているのであれば、私が口を出すことではありませんので」
マーダンは首を振る。
「午後には、塔から術の最終報告があると伺っております」
「わかった。キンブル製糸商会を紹介した神官についてと、商会の行方を引き続き追ってくれ」
「承知いたしました」
頭を下げて執務室を出ていくマーダンを見送り、レオンは手元の書類に目を落とす。
「殿下、お疲れなのでは? もう少し人を増やされた方が良いと思いますよ」
サーシャの言葉がよみがえる。
──まあ、アルカイド君に言われたくはないがね。
どちらがより、仕事中毒なのかと問われたら、レオンもサーシャも相手を指さすであろう。
それを想像したレオンは、ひそかに笑みがこぼれるのを意識した。




