念糸 13
相変らず炊き出しには長い列ができている。
一人一度という制限はつけられているが、何回も並ぶ者もいるらしい。
だからと言って、よほど目に余るわけでなければ、大目にみることになっている。
中には、動けない家族の分を持って帰る者もいるからだ。
それに、ここの炊き出しは施しだけを目的にしていない。
薬ではないものの、呼吸器官を丈夫にする香草などを材料に使っており、予防効果を期待したものだ。
また、炊き出しに参加したものは、必ず最近の体調や、周囲の様子などを報告するようになっている。
「予算は親衛隊から出ているのですか?」
「半分は医務局、親衛隊は二割。残りは殿下の私財ですね」
責任者のジム・ゼールがレオンへの挨拶にやって来たので、サーシャはマーダンとともに炊き出しの見学に行くことにした。
正直に言えば、中身のない社交辞令の応酬に飽きたからだ。
それに今回の仕事に関しては、サーシャのできることは全部終わったように感じている。
「殿下の私財まで?」
「ここで、恩を売ることは様々な犯罪捜査の役に立つとの判断ですよ」
そこまで言ってしまうと身もふたもないが、そういうのは大事なのだろう。
犯罪の捜査を円滑にするには、親衛隊そのものへの信頼や好感度も大切だ。
威圧するだけでは反発を買ってしまう。
「調査の様子を見てもかまいませんか?」
サーシャが訊ねる、マーダンがくすりと笑った。
「アルカイドさんもお仕事がお好きですね。てっきり、お偉いさん同士のお話がつまらなくて出てきたのかと思いましたが」
「ええと。それも事実です」
言い当てられて、サーシャは頭を掻く。
「昔から、どうにも苦手なので」
「そうでしょうねえ」
マーダンは肩を震わせている。
「あれだけ殿下に気に入られているのに、それを利用しようとも思ってもいないようですし」
「私、殿下に気に入られているのですか? その割には、私の魔術に関して信用がないように思いますが」
「まさか、あの光魔術の件で拗ねているのですか?」
マーダンは噴き出した。
「別に、そういうわけでは」
サーシャはさすがに否定する。
「まあ、でもアルカイドさんの魔術はいつだって規格外ですからね」
「お役には立てているはずですが」
笑うマーダンにサーシャは不満を感じる。
確かに、川を凍らせたり、船を沈めてしまったりとやりすぎた記憶はあるが、どれも他に方法がなかった場面でのことだ。
「もちろん。そうです。アルカイドさんは、我々のレベルではできないことをやってのける。私も魔術師としてはそこそこ自信がありましたが、さすがに宮廷魔術師とはレベルが違うと思いましたから。ええと、どうぞこちらに」
マーダンが手招きした天幕に入ると、そこで、親衛隊の聞き取り調査と医師の診察が行われていた。
最初に親衛隊がお話を聞いて、それから必要な場合は医師が診察するというスタイルらしい。
魔道灯がついていて、昼間のように明るく、それでいて、プライバシーが守られるような感じで区切られている。
少しだけ、すえたような臭いがした。
炊き出しに来る人々は、入浴の習慣のあまりない人たちだ。夏ならば、水浴びもしようが、冬だとそうもいかない。
服も下手をすれば洗い替えすら持たないのだから、しかたのないことだろう。
サーシャは反射で思わず顔をしかめかけたが、理性で平静を装った。
そもそも医療の現場は綺麗とはいいがたいことくらい、知っている。
「私も回復してまいりまして、おかげさまで身内に病人はいなくなりました」
親衛隊と話している男の声が聞こえてきた。
話と時折せき込むところを見ると、病み上がりなのだろう。
「ただ、商工会で紹介していただいていた仕事場が閉鎖されてしまったようです。なかなかに疲れるしごとではありましたが、あんなに金払いの良い仕事は他にはなかなかなくて、つらいですね」
「それはどのような仕事なのですか?」
きわめて事務的に、親衛隊の隊員が尋ねる。
「植物から、糸をつむぐ作業をしておりました」
「待って! ひょっとして、その仕事に就く前に、魔力テストを受けたのでは?」
思わず身を乗り出したサーシャに、隊員も話をしていた男性もびくりとした。
「作業中にツンとした臭いとかしませんでしたか? それから作業をすると魔力切れを起こしたりしませんでしたか?」
「アルカイドさん、落ち着いて」
マーダンに言われ、サーシャは思わず男性に詰め寄るように問いかけていたことに気づいた。
「失礼いたしました」
サーシャは慌てて、姿勢を正し、ゆっくりと眼鏡を外す。
男はおそらく中流の下といったくらいの魔力を保有している。育ちは悪くないのだろう。魔力の基礎訓練はしているようだ。
そして、比較的判別できた『魔素』のひとつによく似た魔力の色。
──きっとそうだ。
サーシャは、マーダンに頷いて見せる。
「あ、あの」
男は事態が呑み込めず、戸惑いの表情を見せる。
「その仕事場についてすべて話してくれれば、報奨金を親衛隊から出そう。悪いようにはしない」
声に驚いてそちらをみれば、レオンとリズモンドがいつの間にか立っていた。
「レオン殿下」
話を聞いていた隊員は慌てて立ち上がり、敬礼をする。
その一瞬に、男は椅子を蹴飛ばして逃げようとした。サーシャは反射で、その腕をつかむ。
「眠れ」
サーシャの言葉とともに、男の身体が崩れ落ちた。
そしてそのまま、男は寝息を立て始める。
「何やってんだ! 逃げる男の腕をつかむなんて、魔術を使うにしろ短慮だろ? 何かあったらどうする気だよ!」
リズモンドがサーシャをしかりつける。
「逃げられたら厄介じゃないですか。大丈夫ですよ、揺り動かせば、すぐ目覚めます」
リズモンドに悪意はないことはわかっていたが、納得できず、サーシャは反論した。
サーシャの反応が遅れたら、男はパニックになって大騒ぎになった可能性もあるし、そうでなくても逃げ出してしまったかもしれない。
一度逃げ出したら、たぶん、二度と自分からここに来ることはなさそうだ。
使った魔術も『眠り』の魔術で、相手を害するものではない。
「アルカイド君の言うとおりだ。私の配慮が足りなかった」
レオンは頷く。
「親衛隊が興味を持つ仕事となれば、怪しい仕事だったと考えるに違いない。話すメリットより、話さないメリットの方が大きいこともある。逃げだしたのはそのあたりだろう」
「突然、皇族に話しかけられて、驚いただけという気もしますけれどね」
レオンの横でリズモンドが苦笑する。
「なんにせよ、アルカイド君の瞬発力に助けられた。ただ、今後は簡単に相手の身体に触れるのはやめた方がいい。魔術を封じられる可能性はゼロではないのだから」
レオンはサーシャを労いつつも、眉間に皺をよせた。
「承知いたしました」
サーシャは丁寧に頭を下げる。
──リズモンドには反発してしまうのに、どうしてレオンだと素直に聞けるのだろう。
その疑念は、リズモンドの方も抱いているようで、彼は恨めしそうにサーシャの方を見ていた。




