念糸 8
レオン視点
バルック子爵の件があってから、レオンは神殿に対して警戒心を高めている。
最近の神殿は野心が強い。
そもそも、兄、マルスの婚約者は幼いころからラビニア・エドンという暗黙の了解があった。
文書化こそされていなかったものの、誰もがそう信じていたのだ。
そこに強引に『聖女』を押し込んできたのは、神殿である。
マルスとラビニアの関係は政略的なものがあるとはいえ、幼馴染として、良い関係を築いていた。相思相愛、よき夫婦になるだろうと予想されていたのだ。
そこに、アリア・ソグランが現れた。
兄、マルスが、アリアに心変わりしたのであれば、それもまた、仕方のないことだろうが、レオンが見ている限りはそんなことはない。
ただ、皇太子として、神殿勢力を無視して、ラビニアを選ぶことができないのだろう。
マルスは、昔から信仰心に厚いところがあった。
神殿に軽んじられ、信仰そのものに疑問を持っているレオンにとっては、共感できないところだ。
神殿が強引に割り込まなければ、ダン・バルック子爵が、エドランの密命を受けていようが、つけこまれることはなかっただろう。
現在の分断の危機は、神殿の野心にある。
「もし、殿下の想像なさるとおり、神殿がからんでいるとすれば、大問題です。施されている術は、この国では禁忌の黒魔術なのですから」
リズモンド・ガナックが指摘する。
「可能性がないと言えるのかい?」
レオンの言葉にリズモンドは大きく首を振った。
「そうではありません。神殿が絡んでいるとすれば、それは神殿の存続を揺るがすほどの事件だと申し上げているのです」
「つまり、より慎重に捜査すべきだと、ガナック氏はおっしゃっているのかと」
マーダンが口を添える。
「そうだな。わかっている。すまない」
レオンは大きく息を吐いた。
神殿に捜査の手を入れるということは、親衛隊の隊員にとっても、神経を使うことだ。
誰もがみな、レオンのように信仰が薄いわけではない。
離反や造反、情報漏れの危険もある。
「ですが、普通に怪しいと思いますよ。私は」
「おい、サーシャ」
さらりと言うサーシャをリズモンドがたしなめる。
「たくさんの人間が絡んで作っているということは、少なくとも制作したのは『組織』ということです。ただ、闇の商売の組織の仕事にしては、術の完成度が低すぎます。皇太子の寝室に置くというのは、かなりのリスクを伴う行為ですが、件の花瓶敷の完成度は、おそらくプロに依頼したものではありません」
サーシャは軽く肩をすくめて見せた。
「そもそも皇太子殿下を操ろうとしているのなら、怪しいのは神殿派か大貴族派のどちらかです。現在、殿下の寝室に入ることができる人間をより確保が簡単なのは、神殿の方ではありませんか?」
「お前な、そんなことはここにいる人間は、みんなわかっているんだ」
リズモンドが大きく息を吐く。
「加えて言うなら、この国で黒魔術に詳しいのは、『塔』の次に『神殿』だ。『塔』が噛んでいないのであれば、間違いなく『神殿』だ。だが、それはオレたち宮廷魔術師が主張すべきではない」
「……失礼いたしました」
サーシャは、諦めたように頭を下げる。
どうやらレオンが思っているより、リズモンドはレオンの考えに同意しているようだ。
だが、その考えに、リズモンドやサーシャが『誘導した』と思われるようなことは避けたいのだろう。
現在、ルーカス・ハダルが言ったように、一番、犯行の可能性が高いのは『宮廷魔術師』だ。
ただし、サーシャの言うとおり、花瓶敷を作った術者は、多人数にわたり、しかもすべてが中級以下の魔術師である。
サーシャをはじめとする宮廷魔術師の捜査に関しては、時折、親衛隊の魔術師も同席しており、不正はないことを確認済みだ。
レオン自身は、宮廷魔術師は、少なくともサーシャは絶対に無実だと信じている。
その信頼が、冷静な人物評価なのか、サーシャ本人への好意ゆえのものなのか、レオン自身にも判別がつかないでいるが。
「とりあえず、引き続き、神官への聞き取りを続けよう」
レオンはそう結論付けた。
「いずれにせよ、早急な結論は出すべきではないな。私が悪かった」
神殿に対する不信感から、つい結論を急いでしまった。
「殿下、ひょっとしてお疲れなのでは?」
サーシャがレオンの方を気づかわし気に見る。
薬草を摘んでいるところを見られたことで、余計な心配をかけてしまったのかもしれない。
レオンにとっては、本当にただの趣味みたいなものなのだが。
「前にも申し上げましたが、もう少し人を増やされた方がいいですよ」
「休んでいるよ、アルカイド君。薬草摘みは本当に、私の趣味なのだから」
レオンは思わず苦笑する。
「薬草摘み?」
リズモンドが不思議そうに首をかしげる。
レオンが薬草の世話をすることは、親衛隊の人間には当たり前の光景だが、サーシャやリズモンドには意外に映るのだろう。
「デイバー通りで毒物騒ぎがおこっておりましてね。必要なフラルの葉が、この離宮にあるのですよ」
マーダンがリズモンドの説明をする。
「フラルの葉……呼吸器の疾患に使われる薬草ですか」
リズモンドがその名を聞きとがめる。
「ああ。よく知っているな」
宮廷魔術師は薬草も扱うから、詳しくても不思議はない。
「ひょっとして、その毒は、地域限定の可能性はありませんか?」
リズモンドの目が鋭くなった。
「確かに。環境由来の可能性は高いと思われます。患者をデイバー通りから移動させると、回復が早くなると言われておりますので」
カリドが口をはさむ。
「アルハラの糸だ」
リズモンドが呟く。
「なんだね、それは?」
「アルハラの糸は念糸の材料ですよ。一番魔力がなじむとされております」
サーシャが横から口を出すと、リズモンドがこほんと咳払いをした。
「アルハラの糸は、アルハラの茎を煮込む必要があります。ただ、アルハラには揮発性の毒があり、大量に煮込めば、当然、高濃度の毒が大気に放出されます。加えて、煮込んだ廃液も毒があります。作業が大変危険なので、他の糸で代用しようと試みられたこともありますが、どうにもうまくいかず、念糸の研究が活発にされないのはそこに原因があります」
リズモンドが息を継ぐ。
「アルハラの毒を吸うと、呼吸器に異常をきたします」
「……つまり、現在の毒物さわぎは、アルハラの糸の製造段階でおきているものだということか?」
「左様です、殿下」
リズモンドが頷く。
「よし。デイバー通りに行くぞ。マーダン、馬車の用意を。ガナック君とアルカイド君も来てくれ」
レオンは立ち上がる。
「そちらの事件については馬車の中で話そう」
「承知いたしました」
一瞬、サーシャの目が「休めばいいのに」と言っている気がしたが、レオンは気づかないふりをすることにする。
おそらく神殿への不信感から決めつけようとしたレオンに、疲れを見ているのだろう。
──疲れていないと言ったら、嘘になる。
仕事の多さは問題ではない。
兄、マルスの婚約騒ぎで国が割れていくという恐れと、焦り。
この焦燥感を誰かに知られれば、レオン自身を政治の表舞台へと引っ張り上げようとする勢力も現れるだろう。
レオンは政治に全く興味がないし、向いているとも思っていない。
政争の危険を避けるなら、それこそどこかの貴族に婿入りするか、神殿で神官になるのが良いとわかってもいる。
だからといって、自分がこの仕事を放棄したら、誰がこの国の闇にメスを入れられるのか。
──いや、私はただ、謎を解きたいだけだな。
その性分こそが、レオンをこの仕事に駆り立てている。
そのことを理解しているからこそ、先入観で神殿と決めつけたレオンを『疲れている』とサーシャは評したのであろう。
「アルカイド君には、かなわないな」
「は?」
レオンのつぶやきに、サーシャは意味が分からないという顔をした。




