鳳凰劇場 13
遅刻。すみません。
伯爵令嬢が落ちた階段を上る。念のため、もう一度サーシャは眼鏡を外したが、魔素は前に来た時よりさらに薄れていて、新しい発見はなかった。
アリア・ソグランと侍女のマーサの証言を改めて現場で確認する。
アリアが開いていたと話した扉のボックス席は、アリアが立っていた場所へ視線が通る場所だった。魔素から推測した場所とも一致する。
扉で姿を隠しながら魔術を唱えれば、確実に階段の下から目撃されることはない。しかも、遠い位置からなので、アリア本人に気づかれる確率はかなり少ない。
「このボックス席は、当日どうなっていたのですか?」
「ここはシーズン席ではないので、チケットを手に入れた貴族が入っていたはずですね」
マーダンはポケットからメモ帳を取り出して、ページを繰る。
「ええと。ナリル伯爵とその妹君が来ていたようですね」
「二人だけで?」
「こちらは、劇場に確認しチケットの販売先のことなので、同行者についてはわかりません。ナリル伯爵は事件の前に帰ってしまわれたようなので」
「……そうですか」
サーシャは顎に手を当てた。
事件の前に帰ってしまったのであれば、このボックス席の扉に隠れて、アリア・ソグランを階段から落とそうとした犯人は、ナリル伯爵とその同行者ではないだろう。既に空になったボックス席なら、誰に見つかることも無い。また出入りするところを見られても、従業員の格好をしていれば、誰も不審に思わないだろう。
「ふむ。それにしても犯人はよくこのボックス席がすでに空だとわかったな」
レオンが首をひねる。
ボックス席は退出前と退出後で見分ける何かがあるわけではない。
「たまたま気づいたのか、それとも最初から知っていたのか」
「……つまり、共犯者の可能性があるということですね」
サーシャはボックス席に入り、辺りを見回す。
ボックス席は基本二人がゆったり座れるようになっているが、護衛や侍女が同席するのはあたりまえだから、かなり広いスペースがあった。
残念ながら魔道灯の魔素以外は、感じられない。既に何度も清掃されているから、何か物的証拠が残っているということも残念ながらないだろう。
「従業員の階段の方にご案内します」
マーダンに促され、サーシャ達はその後に続く。
三階へと向かう観客用の階段から少し離れた位置には、お手洗いがあり、その横に簡素な扉があった。従業員以外立ち入り禁止の札がかかっているものの、鍵はかかっていないようだ。先程のボックス席からは少し遠い。
「あの、お手洗いは、三階にもあるのですか?」
「いや、手洗いは二階にしかないです。三階の客の方が上客ではあるが、構造上の問題で作れなかったらしいです」
マーダンが答える。
「すみません。ちょっとお手洗によってもよろしいでしょうか?」
「ああ」
サーシャはレオンに断って、女性用のお手洗いに入った。
モリア・セリン子爵令嬢が長時間お手洗いに行っていたということを思い出して、気になったからだ。
正直に言わなかったのは、既に捜査をしたはずのマーダンに配慮したからである。魔素に関係しない現場をほじくり返すのは、サーシャとしても、気が咎めた。
トイレは綺麗に清掃されており、当日に何かあったとしても、もはや何も残っていないように思える。
──考えすぎかしら。
モリアが仮に犯人だとたら、ここで着替えたという可能性はある。コルセットのない簡易ドレスだった場合に限るけれど。
「念には念をってね」
サーシャは呟き、眼鏡を外した。
こんなところに魔素があるとしたら、魔道灯からのもののはずで期待はしていなかった。
「嘘」
エーテルの流れの中に、きらりと見えたのは魔道灯のものでない魔素があった。目くらましの術を使う時に出るものだ。
──どこかしら?
慎重にサーシャは調べていく。
わずかにこぼれている魔素をたどると、奥の掃除道具入れからだった。
サーシャは注意深く扉を開ける。大きなモップ、デッキブラシ。それらの入った掃除道具の上部は棚になっていて、バケツなどが置かれている。
その奥に、ぼんやりと目くらましの術を感じた。
「解除」
サーシャは術を解いた。
他人の術を解くには、相手の魔力を上回る必要があるが、この術をかけた人間はサーシャの敵ではない。
ぐにゃりと、空気が歪むと、そこには麻布に包まれたものがあった。
「劇場のものではなさそうね」
サーシャは慎重に手を伸ばす。
それは柔らかで、軽かった。
「殿下!」
ゆっくりと包みを解いたサーシャは、大声でレオンを呼んだ。
包みの中には、劇場の制服が入っていた。




