終章
最終話です。
皇太子の婚約式が終わって、十日ほど過ぎたある日。
サーシャは皇帝に呼び出された。サーシャも宮廷魔術師であるから、皇帝と面識はある。ただ、出世に興味のないサーシャは特に皇帝と接点を持つような仕事を望まなかったこともあって、会話を交わしたことなど数えるほどしかない。
ゆえに名指しで呼び出しを受けるなどというのは初めてで、しかも心当たりもない。
いつになく緊張しつつ、おとないをいれ、サーシャは皇帝の執務室の扉を開けた。皇帝の執務室は、一人で書類仕事をするには、あまりに広い部屋だ。謁見室のような派手さはないものの、調度品は美しい装飾がほどこされている。美しいレースのカーテンが掛けられたガラス窓から、やわらかい陽光が差し込んでいて、部屋の中はとても明るい。
「やあ、来たね」
気安い口調で、皇帝が執務机の向こうからサーシャに声をかけてきた。皇帝の傍にはルーカス・ハダルが控えている。そして、サーシャと同じく呼び出されたのか、レオンもいた。
「マルスの婚約式で、レオンのパートナーだったのは、君だね?」
「はい」
なぜそんなことをきかれるのだろうと思いつつ、サーシャは頷く。
「父上、あの時はやむを得ぬ事情があったからで」
レオンが慌てて口をはさむ。
「何を言っている。お前は女性に恥をかかせるつもりか?」
皇帝はレオンに問うた。
「公式の行事の場でパートナーを伴うということは、婚約者または、限りなくその立場に近い女性だと宣言するということだ」
「それはあくまで慣例です。それに公式の場といっても、参列者の数は少なく、噂になることはまずないのではないかと思われます」
レオンは淡々と反論する。
皇太子の婚約式は、あくまでも皇族と大臣クラスしか参列者はいない。
「レオン、お前が思うほど皆が口が堅いわけではない。今まで女性の影すらなかった男のパートナーとなれば、皆が注目して当然だろう。そこで何もないでは、アルカイド嬢の今後の縁談に差しさわりが出る」
皇帝の言いたいことはサーシャにも理解できた。パートナーは、ほぼ婚約者扱いだ。つまりここで『何もない』となれば、サーシャは一度婚約解消をしたも同然になる。もっともだからどうだということもない。サーシャは既にアルカイド家の令嬢として嫁ぐことは期待されていないし、結婚に興味がないのだから。
「それは──」
レオンはさすがに返答に困っているようだ。
「念の為アルカイド家に許可はとった。結婚しなさい。これは命令だ」
「は?」
突然の皇帝の命令にサーシャもレオンもあっけにとられる。なぜそうなるのか理解に苦しむ。
「レオン殿下もサーシャも結婚に興味がないのは承知しています。ですが二人ともこの国の重要な人間です。こんなことで経歴に傷がつくのは我々としても避けたいところです」
呆けた二人を見かねてか、ハダルが口をはさんだ。
「ですので。とりあえず婚約をしましょう。そして二年間のうちに他に好きな人物が現れれば解消すればいいのです」
妥協点をこのあたりでつけようとハダルはしているようだが、たいして譲歩していないのではないかとサーシャは思う。
「現れなければ、そのまま結婚しなさい」
ぴしゃりと、皇帝は言い放つ。
「他の選択肢はないのですか?」
「ない。お前も皇族なら聞き分けろ。どのみち相手が誰であろうと、お前は二年後に結婚するのだ」
不満をにじませるレオンに、皇帝は譲歩する気はないらしい。とにかくレオンは誰かと結婚しなければならないようだ。それはもう、サーシャのためでもなんでもない。
「あの。私は皇族ではないのですが」
サーシャは首を振る。そもそもサーシャは結婚が遠のいたところでなんともないのだから、こんな条件を吹っ掛けられるのはおかしい。皇族のレオンが結婚しなければならないというのは理解できるが、サーシャは別に結婚などしたくないのだ。
「サーシャも貴族の令嬢だろう? ご両親はかなり乗り気だと聞いている」
くすりとハダルは笑う。
「乗り気も何も、子爵家に拒否権ないですよね」
ハダルに言い返したものの、サーシャは自分の両親は本当に喜んでいそうだなと思った。アルカイド家は子爵家だ。皇族との縁談など夢もまた夢で、絵にかいたような玉の輿である。ただ、サーシャの父親が果たしてレオンの義父になる覚悟があるかどうかは疑問だ。
「アルカイド君、本当にすまない」
レオンは申し訳なさそうに頭を下げる。
「殿下が本当に好きな人を見つければ私は問題ないですから」
レオンが別の女性を見つければ、サーシャとの縁は切れる。そうなれば、サーシャは、今まで通りだ。
「私よりアルカイド君がその気になれば、きっと相手は見つかる。そうすれば少なくとも私と結婚する必要はない」
レオンは苦笑する。
「そんなこと……」
「私はアルカイド君なら構わないんだが、君はそうではないだろう?」
「え?」
サーシャは驚いてレオンの方を見る。レオンの表情はいつもと変わらず無表情だが、わずかに声が震えている。そのことに気づいてサーシャの胸は激しく動き出した。
「まあ、とりあえず、婚約式は一年後、結婚式は二年後に予定しておくから、二人ともそのつもりでいるように」
動揺する二人に気づいているのかいないのか、皇帝は強引に締めくくった。
大祭司グレック・ゲイルブの事件があってから二年後。
アリア・ソグランは大祭司の任期を終え、神殿の仕事から退いた。エリラーク・ザバンアントと間もなく結婚することになっている。
大祭司の役職はロイド・マーベリックが引き継いだ。
ラビニアと皇太子マルスは一年前に結婚し、もうすぐ子供が生まれる。
そして、サーシャとレオンは結局、皇帝に命じられるままに結婚した。周囲から見ると甘さが一つもない夫婦だったが、本人たちに燃え上がるような恋情はなかったものの、静かな愛情を育んでいった。
やがて、二人の間に生まれた子供は、帝国最強と呼ばれる魔術師になるのだが、それはまた別の話である。
《了》
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
最初は恋愛ものとして考えていたので、予定通りの感じで締めました。少し違和感があったら申し訳ありません。とはいえ、これが恋愛なのか謎です。レオンもサーシャもおそらく恋愛のドキドキを一生しないのではないかという危惧を私が感じてしまって(汗)の精一杯のラストでした。
基本的にはサーシャが無双する、なんちゃって推理ものですが、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
2024/5/15 秋月忍