神殿 43
遅刻、すみません。
皇太子マルスと、ラビニア・エドン公女の婚約式は大きな行事とはいえ、参加者は皇族と大臣クラスの貴族だけだ。問題は会場が神殿のため宮殿に比べるとどうしたって、警備が難しい。神殿の改革が行われたため、以前よりやりやすくなったとはいえ、それでも警備は大変だ。
レオンの話ではまだ捕まっていない裏組織の一部が不穏な動きを見せているらしい。今日はおそらく朱雀離宮の警備が一番薄い日だ。狙われているのであれば、そちらの警備に人を回せばいいのだが、レオンはあえてそのままにしている。おとりにするということだろう。
サーシャのドレス姿をみたレオンはほんの少しだけ驚いた顔をして、似合っていると褒めたが、すぐに仕事の話をはじめた。皇族の儀式でパートナーを務めるのはたいていは婚約者、もしくはそれに類する人物であることが多いが、今回はそれに該当はしないのだと、サーシャはほっとした。
レオンは白地に金糸の入った礼服で、まるで彫像のように美しい。目つきが鋭いのは相変わらずだが、令嬢たちが遠巻きで騒ぐのも理解できる。
──あ、やだな。
馬車から降りたサーシャは、神殿の入り口を見張る同僚に気づいた。同僚はサーシャの方を見て、目を丸くしている。
今日のサーシャは薄紅色の流行のドレスだ。普段のローブ姿と違うから、そういう目で見られても仕方がないが、さすがに嫌な気分だ。
「どうした? アルカイド君」
「なんでもないです」
サーシャは辺りに気を配りながらレオンとともに貴賓席に座った。いつもなら少し離れた場所で立っているべき立場なので、まるでさぼっているかのような気持ちになる。
それにサーシャのすぐそばに皇帝と皇后がいるのも落ち着かない。宮廷魔術師であるから、皇族の傍にいることもあるが、少なくとも隣に座ったりはしないのだ。
会場に座ってしばらくたったころ、マーダンがそっとレオンに近づいた。
「グレック・ゲイルブが脱獄しました」
「わかった。追跡は続けろ」
指示するレオンの言葉が耳に入って、サーシャはレオンの顔を見る。
「大丈夫だ。アルカイド君。想定済みだから」
レオンは口の端をわずかに上げる。
「囚人は、魔術封じと、追跡の魔道具をつけている。簡単に外せるものではない」
「ということは、残った裏組織の人間を捕まえるためということでしょうか?」
「まあ、本当にやるとは思っていなかったけれど」
レオンは苦笑する。
「ひょっとして、婚約式を邪魔しにきますか?」
「たぶん。あの男は、プライドの高い男だから」
「まさか……」
脱獄に関してはサーシャにも理解できる。が、婚約式を邪魔したり、レオンを傷つけたところで、彼の罪が消えるわけはない。普通に考えたらあり得ない。
「あの男は泥水をすすってでも生き延びようとするタイプではない。むしろ失ったものに固執し、復讐に走るタイプだ」
「非生産的な考えかたですね」
異国に逃げ込むことができれば、さすがに親衛隊としても手が出せなくなる。何としても逃げ延びて、自由を手にしようとする者の方が圧倒的に多いだろう。復讐をしたとしても、彼自身が得るものはおそらくない。
「……なるほど。それで、私をパートナーにということだったのですね」
レオンは最初からあの男が脱獄するであろうと予想していた。サーシャがレオンのすぐそばにいれば、いざというときに動きやすいということだろう。ハダルがパートナーになれれば一番よかったのだろうが、そういうわけにもいかない。
「何事もなければ、こしたことはない」
レオンが呟く。
やがて、マルス皇太子とラビニア公女、それから大祭司であるアリア・ソグランが現れた。
──不思議な光景だわ。
サーシャは肩をすくめた。アリアとラビニアは少し前まで、皇太子の婚約者の座を争っていた二人だ。おそらく二人とも、今日この場で一緒にいることの不思議さを感じているに違いない。
「それではマルス皇太子殿下と、エドン公女の婚約式を始めたいと思います」
朗々とした声で、アリアが宣言する。
婚約式は結婚式と違って、特に誓ったりすることはない。神の御前で、婚約同意書に署名して、それを受け取った大祭司が祝福をして終わる。
祝福をしているちょうどその時だった。突然、大きな物音がして、祭壇の横の壁が開いて、黒ずくめの人間が三人出てきた。
「え?」
一番傍にいたアリアが驚いて後ずさる。マルスはラビニアをかばうように背に隠した。
「グレック・ゲイルブ」
その中の一人を見たアリアが呟く。三人の手に抜き身の刃物が光る。
「我の怒りを思い知ればいい!」
ゲイルブは叫び、貴賓席に向かって走ってきた。魔術師たちが呪文の詠唱を始める。
「眠れ!」
サーシャが叫ぶと、三人はバタバタと床に倒れた。
「……相変わらず容赦ないな」
「手っ取り早いですから」
呆れるレオンにサーシャは苦笑する。
「お前の呪文、滅茶苦茶早いな」
三人を取り押さえるのを手伝いに来たリズモンドが感心する。
「攻撃系より、眠りの呪文の方が詠唱が短いだけですよ」
サーシャは別段、早口というわけではない。咄嗟の時に一番早い効果的なものを使用しているだけだ。
「婚約式の続きをするから、早く片付けてください」
アリアが急かす。
「まだ何かあるのですか?」
サーシャは首を傾げた。署名はもう済んだように見えていたが、まだ何か残っていたのだろうか。
「祝福の途中です。こういうのは、形式が大事なのです」
アリアがため息をつく。
「祝福ね……あなたにされるのもおかしな感じだけど」
ラビニアが首を振る。
「では、速く片付けてね。レオン。それから、魔術師さん、今日はドレスなのね。つまりそういうことよね? まさかそう来るとは思わなかったわ」
「そうくる?」
ラビニアが何を言っているのかわからず、サーシャは首を傾げたのだった。