神殿 38
普通の陣であれば、魔力が描いた術者より、呪術解除の術をかけた術者のほうが魔力が大きければ簡単に無効化できるのだが、黒魔術の場合はいささか手順が異なる。
今回のように贄を要求するタイプの場合は、まず贄を引き寄せる力を遮断し、それから陣を無効化しなければいけない。
ハダルが無効化できない陣はまずないが、無効化させるには時間がかかってしまうため、サーシャとリズモンドで結界を張る。
ハダルが扉を開くと、赤い陣が床に描かれていた。辺りには血臭が漂っている。サーシャが思ったよりも陣からの圧力が強い。もっとも、リズモンドと協力している地点で、まったく問題はないのだが。
──これだけの陣を作るのは、この国にそんなにいるはずがない。
みたところ、陣を構成している魔素は一人だけのもののようだ。
──宮廷魔術師に匹敵する力だわ。
ルーカス・ハダルやサーシャ達と並んでも遜色ないほどだ。
「リズモンド、一人で結界を維持できるか?」
術を組み立てながら、ハダルが叫ぶ。
「できます!」
リズモンドが叫び返す。
「サーシャ、私が術を返すタイミングで、特大の雷を頼む」
「はい」
サーシャは頷き、ハダルの隣に立った。陣に巨大な穴が開いているかのように、エーテルがどんどん吸い込まれていくのが、見て取れる。
サーシャはハダルの無効化の呪文が完成するのを待った。
この陣は厳密にはまだ召喚の術を完成させていないため、術を返したところで何も起こらない。だから、攻撃魔術と一緒に返すのだ。
陣に描かれた文字がハダルの魔力で書き換えられていくのを、サーシャはじっと見守った。いとも簡単にやっているようだが、その作業は膨大な魔力と技術を要する。魔力量そのものはサーシャもハダルに並ぶが、この繊細な技術力は遠く及ばない。
──さすがハダルさまだわ。
サーシャは感嘆する。その術は美しささえ感じさせた。
やがてすべての文字が反転し、陣が淡く発光した。
「雷撃!」
サーシャの放った雷が陣の中へと吸い込まれる。
やがて陣の放っていた光は消えると、エーテルの流れは止まり、静寂が訪れた。
陣が消えたとハダルが告げると、レオンは部屋の中に入った。床の陣の跡を避けながら辺りを見回す。以前入ったマーベリックの部屋よりずいぶん広いし調度品も豪華だ。装飾過多なのは個人の趣味なのか、単純にそういう仕様なのかはわからない。
執務机の上には乱雑に本が置かれ、メモのようなものが散らばっている。誰かが手を付けたような雰囲気はない。入り口から見えない位置に、血液の入ったツボと筆があった。おそらく陣を描くために使ったのだろう。
引き出しには鍵がかかっておらず、中には帳簿と研究ノートが入っていた。
「これ見よがしな、証拠が多すぎるな」
レオンは口の端をわずかに上げた。
もし、部屋の陣を描いたのがメルダー祭司でないなら、その術者はなぜ、この証拠を隠滅しなかったのか。もちろんメルダー祭司自身が描いたものであるなら話は違ってくる。いずれにしろ魔素を解析すればわかることだ。メルダー祭司はこちらの手にあるのだから。
「殿下、サーシャの術が返った奴はおそらくこの神殿におります」
ハダルは目を閉じて、自分の返した術の方角を辿る。
「南の方角、ここより上の階です」
「わかった。マーダン、ここの調査を続行してくれ」
「わかりました」
マーダンが頷き、他の騎士たちと作業を続ける。
「殿下、私はここに残ります。他に術が仕掛けられているかもしれませんので。痕跡は、サーシャとリズモンドに追わせます」
「わかった」
ハダルの意見を聞き入れ、レオンはサーシャとリズモンドのほかに、マーベリックを連れて通路に出た。
「この上の階というのは?」
「大祭司の祈りの場があるところです」
マーベリックが答える。
「他の人間が入ることはできるのか?」
「まずないですね」
掃除などで入ることはあっても、年に数回の話らしい。
「扉が魔力でロックされていて、大祭司の許可なく勝手に入ることはできないのです」
「なるほど」
階段を上ると、マーベリックの言った通り扉があった。
「本人以外は開けられないやつです」
一見して、サーシャが答える。
本人以外がどうやっても開くことが出来ないようにロックがかかっている。とはいえ、術そのものは複雑に展開しているせいなのか全体的に弱い。
「開けられないのか?」
「いえ、私なら開けられますよ」
レオンに問われて、サーシャは解錠の呪文をとなえた。