神殿 32
ラナス広場は午前中は市が立ち並ぶ、帝都で一番賑やかな場所だ。広場からは七本の道が放射状に延びている。遮蔽物はあまりなく視界は通るものの、常に人であふれかえっている場所だ。現在、通行を規制をしているものの、それでも交通の要所でもあるため、規制線の外の人の流れは絶えない。人ごみを利用して襲ってくる危険があるため親衛隊が警備をしているが、目の届かないところはおそらくあるだろう。油断は禁物だ。
朱雀離宮へ向かうとなると広場を横断する形になるため、広場のほとんどが制限区域になる。とはいえ、簡易式にロープを張っただけのものだ。パレードでもなんでもないため、見物客は基本いないはずだが、それでも突然の規制に興味をひかれた者たちが人だかりを作っている。
レオンは馬車を先導する形で、広場に入った。
規制線を張ってあるので、進行に特に問題はない。
レオンはこの広場こそ、襲撃される危険が最も多いと予想している。人が多いせいで、思い切った行動ができない場所だからだ。遠距離の魔術については、どこにいても同じだが、そちらに関しては、サーシャ達に任せておけばいい。もっとも、朱雀離宮を攻撃してきたような魔術は、バーソローの神殿を奴らが放棄した時点でないだろう。むろん、他の場所も用意している可能性も捨てきれないため油断は禁物だが、サーシャ・アルカイドとリズモンド・ガナックがいる以上、後れを取ることはないだろう。
レオンが警戒すべきは、魔術以外の攻撃だ。
「キャー」
突然左脇で悲鳴が上がった。後ろから押し出されたらしく野次馬が雪崩れて規制線を越える。パニックが起こった。警備をしていた親衛隊の隊員にも動揺が走り、馬車を引いていた馬たちも動揺する。
「落ち着け!」
レオンが声を上げたその時、先程とは反対側から火矢が飛来し、馬車のほろに向かって飛んできた。次々に射かけられた火矢は、馬車にかけてあった防護用の術に弾かれて地面に落ちる。それ自体はたいしたことはないのだが、あちこちで悲鳴が上がり、群衆のパニックがさらに広がって馬車に迫ってきた。
「眠れ!」
鋭い声がした。サーシャだ。
そのとたんに、周囲の群衆がぱたぱたと倒れていく。かなり広い範囲の魔術だが、騎士たちを器用に避けている。よく見れば広場の向こうにいた人間まで倒れて眠っているようだ。パニックがおきたのは、故意なのか偶然なのかわからないが、あのままではけが人が続出しただろう。
これ以上ないパニックの治め方なのかもしれないが、多少やりすぎ感が否めない。とはいえ、サーシャとしてはたいしたことではないのだろう。
「危険物を持っている人間は確保しろ。怪我をしている者には応急手当を。それから赤い屋根のあの建物に矢を射かけた人物がいるはずだ。マーダン、早急に取り囲め」
レオンは戸惑っている隊員たちに指示を与える。
「アルカイド君、この術はどれくらい持つんだ?」
「夕刻くらいまでは持つと思いますので、嫌疑の晴れた人から解除すべきでしょうね」
さすがに街中でこれだけ多くの人が眠っている状態は危険だ。早急に交通の邪魔にならないところに移動させる必要があるが、みたところ百人近い人間が倒れている。簡単ではないだろう。
「遮蔽物があれば術はかかりませんので、屋内にいる人は気にしなくていいでしょう。窓が開いていてそばにいれば別ですが」
「……それはよかった」
屋内にいる人間まで寝てしまっては、火の始末などいろいろ問題がおこる可能性がある。
「アルカイド君の判断は適切だとは思うが、相変わらず規格外だな。解除は普通の術者に可能だろうか?」
「あまり加減をしなかったのでどうでしょう? まあ、放っておいても目が覚めますから」
サーシャは首を傾げる。魔術の解除はたいていの場合、術者が、元の魔術の術者より魔力で上回らなければ解除できない。サーシャの術を上回れる人間は、この国でもわずかだ。
「朱雀離宮まで伯爵を送り届けたら、解除しますよ」
「まあ、そうだな。カリド」
レオンは傍に控えていたカリドに声をかけた。
「ここの指揮を頼む」
「──はい。グランドール医師をお借りしても?」
「そうだな。やむ得ないがそうするべきだな」
けが人の中には、踏みつけられて大怪我をした者もいそうだ。広場の石畳に血が滲んでもいる。今は眠っているが、目が覚めれば激痛を覚える者も多いだろう。
レオンはグランドールに治療を依頼して、進行方向で倒れている人間を移動させる。
「もう一度来ますかね」
馬車を念のため点検したミラルがレオンに尋ねた。
「どうだろうな」
レオンは肩をすくめる。
火矢を放った者がいるところから見て、それなりに相手が仕掛けてきたのは間違いないが、どの程度、本気だったのかわからない。あのパニックが故意であったなら、どさくさに紛れて馬車を襲うつもりだったのかもしれないが。
──アルカイド君のおかげで助かったな。
少々やりすぎな気はするが、加減を気にするのは彼女らしくない。
やりすぎだと小言をリズモンドに言われているサーシャを見ながら、レオンはわずかに口の端をあげ、微笑んだ。