神殿31
大変お待たせしました。連載再開です。
ほろのついた軍用の馬車が一台、騎兵が二十騎でブリックス伯爵を搬送することにした。
グランドール医師の医院のある通りは閑静な高級住宅街なので、かなり人目をひくが、だからといって野次馬が出てくるようなこともない。
──これなら、確かに襲いにくいわね。
馬車の中から外を見ていたサーシャは、日中に搬送すべきだと主張したレオンが正しかったと感じる。
この辺りは人ごみに紛れて接近することは難しそうだ。もちろん、道沿いの民家から狙えなくもないが、明るいため警戒もしやすい。それに人通りこそ少ないが、親衛隊が重々しく警備をしている状態なので、人の目がある。逃走も難しくなっているはずだ。一点、心配なことは魔術の遠距離攻撃であるが、それもサーシャとリズモンドが最大の警戒をしているため、簡単ではない。
ただ、朱雀離宮までの距離はそれなりにあり、人の多い通りもある。
油断は禁物だ。
「サーシャ、そちらは終わったか?」
「もう少しです」
敷地内の結界の強化のため、サーシャとリズモンドは、新たに陣を描く。
伯爵を搬送しても、医院が狙われる可能性はあるので、結界と護衛は残していくことになっている。
「それにしても、彼奴等はグランドール医師を狙うのでしょうか?」
「狙われる可能性はほぼないだろうが、念のためだ」
リズモンドが肩をすくめてみせた。
「殿下が白昼堂々と搬送に踏み切ったのは、伯爵がここから移動するということを知らしめるためでもある。伯爵さえいなければ、医院を狙う必要はないとは思う。思うが、万が一ということはあるだろう」
「私から見れば、グランドール医師を狙うのは戦力の無駄遣いだと思います。あまりにも非効率的すぎではないかと」
ブリックス伯爵を狙うのは理解できるが、グランドール医師を狙うことは全く意味がない。
彼が治療する過程で得た情報は、すでに親衛隊に報告されている。
「それはそうだが、敵さんが合理的な判断をするとは限らない」
リズモンドは苦笑する。
「人間はいつも正しいことを選べるわけじゃない。そもそも敵さんは既に間違った道を歩いている。常識は通じないと考えるべきだ」
「なるほど」
既に相手は犯罪行為に手を染めている。リズモンドの言う通り、合理的な考えで動くことを期待するのは無理だろう。
「アルカイドさん、ガナックさん、そろそろお願いします」
マーダンが奥から声をかけてきた。
「もう終わります」
サーシャは最後の仕上げにかかる。使われることがおそらくない術になるが、しっかりと念を入れた。
「相変わらず容赦ないな」
リズモンドがサーシャの描いた陣を見て苦笑する。
「よほどのことがない限り、十年くらいは守れそうだ」
「絶対ないという保証はありませんから」
「そうだな」
朱雀離宮の結界が破られたのだ。絶対はない。
一人一人が突出した魔術を持っていなかったにせよ、集団でかかれば、リズモンドやサーシャでさえ苦労する。
とはいえ、もともとサーシャは仕事によって力を出し惜しみするようなことはしていなかったが、むしろ器用なリズモンドの方が、その傾向があったのかもしれない。
「終わりました」
「じゃあ、行くぞ」
「はい」
サーシャは頷き、輸送用の馬車へと向かった。
馬車に乗るのは、サーシャとリズモンドの二人と、ブリックス伯爵、それからグランドール医師だ。御者は親衛隊の魔術師であるミラルである。
魔術師で固めているのは、ひとえに遠距離対策だ。
ブリックス伯爵は薬で眠っているため、兵士は同席していない。眠らせた理由は、逃走防止という面もあるが、何よりまだ安静が必要で、痛み止めを兼ねてということだそうだ。
サーシャは御者のミラルの隣に座り、眼鏡を外す。視力は出なくなるが、エーテルの流れがよく見える。あくまで、サーシャの視野範囲内だけだが、前方からの魔術なら対処できるだろう。
「彼奴等は来るでしょうか?」
馬車を走らせながら、ミラルがサーシャに問う。
「どうでしょう。正気の相手なら、来ないでしょうけど。来るとしたら、かなり追い詰められていそうでやっかいですね」
日中、しかもかなり厳重な警備のなか攻撃を仕掛けるのは、かなり成功率が低くなる。相手がそれこそ同じだけの人数で襲ってくれば成功率はあがるだろうが、それ以前に目立つ。どう考えても現実的ではない。ただ、ここでブリックスが朱雀離宮に移動してまえば、外部から始末することは難しい。彼は神殿の内部にかなり食い込んでおり、彼らが孤児院で魔術師などを養成していたことも知っているだろう。殺すのなら今しかない。たとえこの後にチャンスがあったとしても秘密を話してしまってからでは遅いのだ。
「確率としては八割ってところかしら」
サーシャは呟く。
たとえ常軌を逸していても、秘密の露呈を防ぐ方向に働く気がする。そうなると、ここから朱雀離宮へ向かう道で一番可能性の高い場所は、人通りの多いラナス広場が、もしくは人の少ない小さな雑木林のどちらかだ。
「……できれば人のいないところでお願いしたいわね」
関係のない人間がいなければ、魔術をぶっ放して終わりにすることもできるが、人の多いところではそんなわけにはいかない。
「そろそろラナス広場だ」
レオンが騎乗したまま声をあげた。
「そろそろね」
馬車は住宅街を走り抜け、市が開かれる広場に入ろうとしていた。
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