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13話

 天正十年 五月 安土城


「じいさまぁっ! …………ちちうえっ!!! 」

 薄暗い部屋の中で、微動だにせず床に伏せる二人を見て、俺は一目散に駆け寄った。

 胸の中では、最悪の想像が渦巻いていたが、近くへ行くと細く弱々しいがちゃんと息をしている事が分かり、ホッと安堵の息をつく。

「三法師様に、ございますね? 」

 不意にかけられた声に振り向くと、そこには白い着物を着た老人が座っていた。彼の佇まいから察するに、おそらく医者だろう。

「いかにも。そなたは、いしゃか? 」

「はっ! 左様にございます」

「じいさまと、ちちうえはどうなのだ? 」

「…………上様は、全身に軽い火傷を負っておりました。ですが、火傷そのものは大した事は無く、時間をかければ治るでしょう。問題は、その時に毒を吸ってしまったようで、意識を取り戻さないことでございます」

「……めざめるのか? 」

「…………最善を尽くしますが、如何せん厳しい状況でして、神仏の御加護次第かと」

「……………………」

 一酸化炭素中毒……そんな言葉が、脳裏を巡る。詳しい事は分からないが、火事の時一番多いのは一酸化炭素中毒での死亡だった筈だ。

 俺は、包帯に巻かれた手をそっと握る。

 温かい……この温もりこそが、じいさんの生きている証だ。きっと大丈夫。いつまでも、ずっとずっと待ち続けるよ。


「そして、岐阜中将様ですが、右肩に銃弾を受けてしまったようで、酷い熱に浮かされておりましたが、今は安定しておりじきに目覚めることでしょう。弾丸が、後少しでも左に逸れていたなら御命は無かったことでしょう。蒲生様の槍に当たった事が、不幸中の幸いでございました。」

「そうか……ちゅうざぶろうのおかげか……」

「はっ! 代わりに、蒲生様の右肩が骨折してしまいましたが、安静にしていれば治るでしょう」

「いのちにべつじょうは、ないのだな?」

「はっ! 脈も安定しております故、問題無いかと存じます」

「そうか……ならばよい」

 俺は、そっと視線を下に向ける。静かに眠る親父は、苦しい表情を浮かべておらず、どこか落ち着いた雰囲気を漂わせている。右肩の怪我は心配だが、この調子ならば大丈夫だろう。

「ちちうえ…………」

 早く目覚めて欲しい……そんな風に思っていると、不意に親父の瞼が開き、俺と目が合った。

「……案……ずる……な…………三……法師……」

「ちちうえっ!? めがさめたのですか!? 」

「つい……先程……な」

「よかった……よかったぁぁ……」

 涙が溢れそうなのを、グッと堪える。せっかく目覚めてくれたのだ。俺の涙で心配させる訳にはいかない。

 親父の声が聞けた……優しい微笑みが見れた……ただそれだけで、心が軽くなっていくようだった。


 その後、先生の診断を終えた親父は、また静かに眠りについた。先生曰く、峠を越えたが未だ安静が必要みたいだ。

 ……明智光秀との戦いは、まだ終わっていない。むしろ、ここからが本番だろう。これから集まってくる家臣達の指揮は、俺がとらねばならぬ。

 俺は、決意を胸に秘め部屋を後にする。


 ――俺が、二人を守ってみせる。



 部屋を後にした俺は、次に負傷者達のところへ顔を出すことにした。安土城へ帰還した者は、じいさん達を入れて僅か十四名。内訳は勝蔵・忠三郎・久太郎・桜と、才蔵等赤鬼隊出身者だ。

 それ以外の者達は、どうなったのか分からない。

 俺の策が、どれだけ甘っちょろいモノだったのかを、思い知らされた気分だ。


 彼等は、襖を無理矢理取っぱらって作られた大広間に寝かされていた。部屋の中では、多くの医者や女中が忙しなく動き回り、ことの緊迫さが伝わってくる。

 医者達の邪魔をしないように彼等の様子を見ると、勝蔵や忠三郎達は眠りについており、比較的安定しているようだ。

 そんな彼等の様子に安堵の息をつくと、一人の女中が申し訳無さそうに近付いてきた。

「……若様、申し訳ございませんが……」

「あぁ、すまないね。すぐにいくよ」

 これ以上此処に居ても、治療の邪魔になるだけだな。俺は、医者達に激励の言葉を送ってから退出しようとすると、不意に隣から声が聞こえてきた。

「ぅ…………ねぇ……さ…………ま」

「さくら……」

 声の主は桜だった。本能寺からじいさんを救い出し、見事安土城まで守り通してみせた彼女には、もう頭が上がらないな。

 ……彼女の過去の事は知っている。毎晩、うなされている事も……。亡くなった姉の願いを叶える為に、血反吐を吐く努力をしている事も。

 俺は、桜の前髪をそっと撫でて呟いた。

「おねえさんも、きっとよろこんでいるよ。よくがんばったね…………おやすみ……さくら」



 その後、夕餉を済ませた俺は、自室にて白百合隊の報告を受けていた。目の前には、簡単な日本地図が描かれており、碁石で敵と味方を表している。

「では、きないのだいみょうは、どちらにつくかきめかねている……と」

「はっ! 上様並びに岐阜中将様の御生存を、未だ真実か判断しかねているのかと」

「うむ……」

 細川藤孝・筒井順慶・高山右近・中川清秀。この四名の決断が、戦の勝敗を左右するな。

 左近・権六・藤の援軍さえ来れば、充分勝ちの目はある。それまで、この安土城を守らねばならない。

「きないのだいみょうたちへ、ふみをおくる。みな、よろしくたのむ」

『ははっ! 』


 彼女達の報告は続き、遂に戦死者の報告に入る。

「本能寺・二条城の戦いにおいて、およそ三千の犠牲が出ました。脱走兵の数も多く、特に徴兵された農民が殆どかと」

「名のある方々では、森蘭丸様、弥助様、蒲生賢秀様、村井貞勝様、村井貞成様、蜂屋頼隆様がお亡くなりになられました」

「そうか………………」

 脱走兵は致し方ない。彼等は、主君に忠誠を誓った武士では無いのだ。命を懸けて戦えと言っても、無理なことだろう。

 しかし、三千に蘭丸達も……か。

 これは、俺が殺した人達だ。殺してしまった人達だ。……すまないっ皆。俺が、俺が不甲斐ないばっかりに! 本能寺の変が史実通りに起きると! 光秀が謀反を起こす訳が無いとっ! そんな決めつけが招いた油断が、俺の責だ。

 俺は、強く強く裾を握り締めた。


「白百合隊にも、犠牲が出ております。亀山付近に配置していた十九名が死亡。京へと向かう道沿いに居た者を、集中的に狙われたことから情報が漏れていた可能性が高いです。……一重に、私の責任でございます。大変申し訳ございませんでしたっ」

 鈴蘭は、懐から血染めの簪を差し出し、深々と平伏した。しかし、鈴蘭を責めることは出来ない。明智包囲網は、かなり大掛かりな仕掛けだ。それだけのモノを、隠し通すことは極めて難しいと思う。

 俺の考えが浅はかだっただけだ。

「すずらん。おぬしはわるくない。むしろ、あたいせんきんのかつやくじゃ。おぬしらのけんしんなくば、わたしはここにおるまい」

「いえ、そのような事は……」

 俺は、鈴蘭の言葉を遮るように簪を手に取る。一目見て気付いていた。これは、海の物だ。海は鈴蘭の妹分であり、鈴蘭自身が選んで彼女へ送っていたものだ。

 明るく……活発な子だった…………。

「うみは……いってしまったのか……」

「と、殿……お名前をご存知だったのですね……」

「……かのじょたちの、いひんだけでもあつめてほしい。きちんと、まいそうしたい」

「……っ! ははっ! 」

 その場で、彼女へ黙祷を捧げる。

 口には、薄い血の味が広がった。



 報告が終わり皆が退出する中、梅だけがその場に残った。どうしたのかと、梅の元へ近付くと悲痛な表情を浮かべた彼女の姿があった。

「うめ、なにがあったのだ? 」

「……最後に、蜂屋様から殿へ遺言がございます。『約束を果たせず、申し訳ございません』っと、申しておりましたっ」

「やく……そく………………」

 その瞬間、脳裏にあの日の光景が広がった。


『若様が初陣をなさる時は、是非とも某に先陣をきらせてくだされ! 』


「あの……ばかものがっ! ほかに、ほかにもっというべきことがあるじゃろう! なぜっ! なぜっ! おぬしのような、ぜんりょうなものからしなねばならんのだ! ぅぅ……ぅぅぅ…………ぅわぁぁあああああああああぁぁぁっ!!! 」

 俺は、もう限界だった。溢れる涙を止める事が出来なかった。滴る涙もそのままに、崩れ落ちる他無かった。

 蜂屋は、あの日の些細な事を律儀に覚えていた……。ずっとずっと、俺のことを思っていてくれたんだ。

 最後の言葉として、ソレを残すくらいに。


 ――その夜は、土砂降りの雨であった。




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[良い点] 勝蔵、忠三郎が生きてて良かったね [気になる点] 「大広間に安置」って遺体じゃ無いから!!普通に寝かされてたで良いでしょう。 [一言] 各地への連絡が家康によって遮断されてるかも、特に北条…
[一言] 既にこちらでは家康が黒幕ということは確定してるから明智軍に勝ったとしても、光秀を捕縛して 尋問なり拷問でそれを吐かせることができりゃ御の字なんだけど。 そこまで持っていけるかどうか・・・。 …
[良い点] 更新、お疲れさまです。 [一言] 明智家の処遇は、一族及び家臣等も含めて族滅となると、父が明智家臣である、春日局ことお福さんも対象ですね。可哀想だけど、見せしめすることで、謀叛の抑止になる…
2021/01/16 13:27 退会済み
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