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9話

 天正十年 五月 二条城 蒲生忠三郎


『明智軍襲来』その一報を聞いた途端、飛び跳ねるようにして立ち上がると、すぐさま行動を開始した。

「岐阜中将様っ! 」

「うむ、行くぞ! 」

 一言……ただ、それだけで意図を察した私は、上様を背負って裏口へ走る。父上と交わした約束を守る為に、己が責務を果たす為にっ!


 ――命懸けの逃亡戦が、幕を開けた。



 外に出ると、まず飛び込んで来たのは、おびただしい数の人の群れ。明智軍一万と言う大軍は、父上達千五百を相手取っても尚、裏手に兵を回せる余力があった。

「居たぞっ! 決して逃がすなぁぁっ!!! 」

『手柄じゃぁぁぁあああっ!!! 』

 まるで蜜に群がる蟲のように、私達へと殺到する敵兵。口々に己が欲望を曝け出すその様は、何とも浅ましく卑しい。

 斯様な雑兵如きに討ち取られるなど、末代までの恥。ましてや、主君が害されようものなら死んでも死にきれまいっ!

 だが、こちらは二百の小勢に対して、目測ではあるが二千近くの敵兵が向かって来ている。多勢に無勢…………数多の犠牲を払っても、道を切り開くしかあるまい!

 私は、上様を三法師様の忍びである桜殿に預けると、勇ましく最前線へと立った。

「死中に活有りっ! 忠義に生きる勇敢なる戦士達よっ! 今こそ、その武勇をもって正義を示さんっ! 私に続けぇぇぇぇぇぇえええっ!!! 」

『ぅぅぅぅぉぉぉぉおおおおおっ!!! 』



 ……一体、どれ程の時が経ったであろうか。進めども、進めども前へ進んでいる気がしない。いつまでもいつまでも、その場で足踏みしているような感覚を覚えてならないのだ。

 人の数は、そのまま壁の厚みと同義だ。こちらが、いくら果敢に特攻しようとも、目の前の壁を超えても直ぐに新しい壁がそびえ立つ。

 いつまでも経っても変わらない光景に、いつしか足取りは重くなり士気は下がっていく。

 ……万事休すかっ! そんな思いが脳裏を過ぎ、膝を突きそうになった……その時! 敵勢を、何者かが横から薙ぎ払ってみせたのだ!


 凄まじい風切り音と共に、戦場に響き渡る悲痛な叫び。『一体誰が……』そんな素朴な疑問は、直ぐにでも解消されることになる。

 鶴丸の旗印を空に掲げ、身に纏うは紅の鎧兜。その武勇は千里を駆け巡り、主家に仇なす悪鬼を薙ぎ払らわんと朱槍を振るう。

 ――その英雄の名は。

「勝蔵っ!!! 」

「すまん、遅れた。だが……もう心配はいらない。共に道を切り開くぞっ!!! 」

「……っ! あぁ! 勿論だとも!!! 」

『はぁぁぁぁああああああああっ!!! 』

 勝蔵と横並びに戦場を駆ける。右に一振すれば首が飛び、左に振るえば腕が飛ぶ。縦横無尽に突き進むその様子は、まるで自分が伝説の英雄になったかのような高揚感を与える。

 何故だろうか……先程までとは打って変わって、力が無限に湧き出てくる。

 …………否、本当は分かっていた。『共に……』そう言ってくれたことが、何よりも嬉しくて、私に力を与えてくれるのだ!

「行くぞ勝蔵っ! 」

「おうっ! 」



 私達は、勢いそのまま敵陣を中央突破する。先程から味方の士気が、前に進む事に高まっていくのが良くわかる。

 やはり、織田家が誇る若き英雄にして、私の唯一無二の親友である勝蔵の出現は、味方に歓喜に湧かせ、敵に絶望を与えるのだろう。

「森様じゃ〜っ! 赤鬼様じゃ〜っ! 」

「勝てるっ! 勝てるぞ!!! 」

『蒲生様に続けぇっ! 赤鬼様に続けぇぇぇぇっ!!! 』

「ば、化け物じゃぁぁぁ」

「あんなモノ、勝てるかぁぁぁ」

『ひぃぃぃっ!!! 来るなぁぁぁぁぁ!!! 』

 敵兵が私達の勢いにたじろぎ、その包囲網に一筋の綻びが見える。まるで、光の線のように真っ直ぐと指し示す勝利への道。

『行っけぇぇぇぇぇぇええええええええっ!!! 』

 ただひたすらに駆け続け、遂に私達は敵陣から抜けることが出来た。後は、安土城へ向かうのみ!


「逃がすなぁぁっ!!! 追えぇぇぇぇっ!!! 」

 後ろから敵将の罵声が聞こえる中、私達は前へ前へと駆ける。後ろを振り返れば、多くの仲間達が敵勢の足止めをしており、安土城へ向かう者達は三十にも満たなかった。

「……っ! 皆の者っ…………」

 思わず止まりそうになる足を、握り拳で叩いて制する。分かっていた事では無いかっ! 何かを得ようとするならば、何かを失わなければならない事はっ!

 目尻に浮かぶ雫を拭い去り、一歩……また一歩と進む度に、脳裏に父上の言葉が過ぎる。


『良いか、お主は上様と岐阜中将様のことだけを考えよ。例え、途中で誰が死のうとも、決して足を止めるな!!! 』


 ……っ! 父上っ!!! 拭いきれぬ涙と共に、父上との思い出が次々と脳裏に映る。

 時に厳しく、時に優しく接してくれた父上。頑固者で直ぐに手を上げ、酒に弱いくせに酒が大好きだった父上。

 親子喧嘩も沢山したし、政務に対する意見の衝突は日常茶飯事。だけど……だけど、そんな父上が大好きだったっ。

『最後に、一目だけでも……』そんな思いで振り返りそうになった私を、鋭い怒号が貫いた。

「振り返るなっ!!! 」

「か、勝蔵……」

「蜂屋様も蒲生様も……皆、死を覚悟して明智軍の足止めをしているのだ。刹那の気の迷いも致命傷になり得る今、足を止める事こそ彼等への最大の侮辱と知れっ!!! 」

「……っ! すまない」

 強い口調で激を飛ばす勝蔵。その言葉だけを聞いたならば、強く勇ましく……どこか冷徹な印象を受けるだろう。私とて、最初はそう思ってしまったくらいだ。

 しかし、勝蔵の瞳から流れる一筋の光を見たならば、瞬時にそのような印象は消え去るだろう。

 そして……周囲へ耳をすませば、薄らと聞こえてくる啜り声が、これから逝く仲間を憂いて嘆く、悲痛な叫びを表していた。

 私は、なんて愚かなのだろうかっ。仲間を、家族を置き去りにする事に嘆いているのは、私だけでは無いだろうにっ! 誰も彼もが、歯を食いしばって耐えているのだ。

 私は、どこまで甘ったれているのか! このままでは、父上に合わす顔も無いでは無いか!

 ……もう、迷わない。彼等への精一杯の誠意は、彼等の死を意味有るモノへとする事だ。そんな決意を胸に秘め、私達は前へと足を踏み出した。



 野を駆け、山を越え、ひたすら進む私達の前に、遂に安土城が見えてきた。あぁ……何て遠く険しい道のりだっただろうか、数多の襲撃を乗り越え、仲間達の屍を越えて、遂に使命を成し遂げる時が来たのだ。

 胸から溢れる想いの丈は、何事にも変えられない格別なモノであった。

 …………このまま、何事も無く終わってくれたらのなら、どんなに良いだろうか。

 しかし、世界はいつだって気まぐれに私達を絶望の淵へと叩き落とすのだ。堕ちれば二度と戻れぬ、果てしない漆黒の闇へと。


 ――ズドンッ!!!


 そんな、重苦しい一発の銃声が響き渡った。







 忠三郎達が京を抜ける頃、一人の武将がその生涯を終えようとしていた。鎧の隙間から溢れる血潮が、全てを真っ赤に塗りつぶし、切り飛ばされた右腕はあるべきところに無く、既に左眼には光が灯っていない。

『何かを得ようとするならば、何かを失わなければならない』

 彼は、忠三郎達を逃がす為に、文字通りその命の全てを投げ打ったのだ。

 そんな彼に近付く影が一つ。

「蜂屋様っ! お気を確かに! 蜂屋様っ! 」

 涙を流しながら、少女は必死に声をかけ続ける。『どうか、目覚めて欲しい……』そんな、想いを胸に秘めて。


 真摯に慕う彼女の想いは、確かに彼の胸へ届いた。薄らと瞼を開けるその姿は、まさに奇跡と言えよう。

「……なんだぁ……梅の嬢ちゃんか…………」

「蜂屋様っ! い、今、医者を…………」

 医者を呼ぶ為に、慌てて立ち上がろうとする彼女を、蜂屋はゆっくりと手で制す。それはまるで、自らの死期を悟っているかのようであった。

「嬢ちゃん……俺は、もう助からない。薬の無駄遣いだ」

「そ、そんな…………」

 弱々しく崩れ落ちる彼女に、彼は優しく手を重ねる。

「どうか、三法師様に伝えて欲しい。約束を果たせず、申し訳ございません……と」

「……っ! はい、必ずやお伝え致しますっ! 」

「…………そうか。…………よかっ…………た」

「は、蜂屋様? そ、そんな…………蜂屋様ぁぁあああっ!!! 」

 瀕死の重症を負っているとは思えない程、彼はどこまでも優しい微笑みを浮かべながら、黄泉の国へ旅立って行った。



 二条城の戦い 終結


 明智軍 損害千五百


 蒲生・蜂屋軍 壊滅


 主な戦死者

 蒲生賢秀

 村井貞勝

 村井貞成

 蜂屋頼隆

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― 新着の感想 ―
[一言] 明智討伐戦は三法師の初陣。蜂谷様は一番槍ですよ。って言ってあげたくなる最後でした。 この後言ってたらすみません。
[一言] 毎日更新を楽しみにしてます。
[気になる点] 明智軍の戦死の数少ないのでは? [一言] 足止めの軍が4千から5千人の間として割合的に千五百人は少ないと思います。仮に足止めの為に人数が少ないのだとしても三割前後しか削れていない事にな…
2021/01/12 13:59 退会済み
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