74話
天正十年 五月 岐阜城
じいさんから報せがあった通り、五月八日に徳川家が、五月十日に北条家が岐阜城に到着。親父先導の元、安土城へ向かった。
三日三晩続く宴に、料理人達が心配になってくるのだが、先日行われた花見の影響か多種多様の料理を披露して見せ、家康もお義父さん達も大満足だった。
泣きながら試行錯誤した甲斐があったんだな。怪我の功名とは、まさにこのことだね。
お義父さん達の様子は相変わらずと言うか、ちょっと浮き足立っているようだった。やはり、官位を貰うことは特別なことらしく、その日の為に正装を新調したそうだ。
確か、氏直お義父さんが相模守、氏政お義父さんが、少将位を貰う予定だとか。
親父が中将だったから、その一個下かな? じいさんも、それだけお義父さん達を評価しているってことだろう。
俺の場合、北条家は藤姫の実家だから、じいさん達と仲が良いのにこしたことは無い。それに、両者が争うところなんて、想像したくも無い。
じいさんと親父は、ちょっと怖いところもあるけど面白くて優しい人だ。根は善良な人なんだと思う。
お義父さん達だってそうだ。俺と藤姫、甲斐姫が仲睦まじくやっていると聞くと、満面の笑みで喜んでくれた。
両者共に、優しくて良い人達なんだ。みんなで、いつまでも仲良くやっていけたら……そう、願わずにはいられなかった。
その為にも、家康の動向には細心の注意が必要だ。あの夜、じいさんが最も危険視していると語ったのもあるが、俺は最初から疑いの目を向けていた。
徳川家康……最終的に、天下を治めた男。本能寺の変黒幕説の一人。数々の後暗い噂を持つ男。
先日の宴でも、隙を見計らって家康の一挙一動隈無く観察していたのだが、表面上は何も問題は無いように思えた。
だが、その瞳の奥に黒い炎が、ゆらゆらと灯っているように思えてならんのだ。
……油断のならぬ相手だ。更に、動きを封じなければならない。
家康封じの第二手、それはヘイトコントロール。武田家を生かしたのも、この為だった。家康にとって恨みを持つ家を増やすことで、織田家への恨みを分散させる狙いだった。
政治家とかで、わざと暴言吐いて国民の目から、総理を外させるアレだね。
俺にとって嬉しい誤算だったのは、北条家が駿河国を取ったことだ。これは、家康からしたら恨みを持つ充分な動機になる。
つまり、今の家康からしたら織田家・武田家・北条家と、矛を向ける対象が増えたことになる。
怒りが分散し、恨みを抱えながらも織田家・北条家・武田家の連合軍相手では、勝ち目が無いと諦めてくれたら最善だ。
じいさんも言っていたが、家康は慎重な男だ。必勝の機が来るまで、ひたすら牙を磨くタイプ。
表には出ず、裏で策謀を凝らし勝利を収めるやり方を好む。
故に、大丈夫だと思うが……やはり、あの言葉が気になって仕方がない。
そう……『本能寺』と言う言葉が……。
時は、少し巻きもどる。
あの夜、じいさんが語った本能寺での茶会。それを聞いた瞬間、胸に溜まった激情をなりふり構わず放出してしまった。
「だめですっ!!! ほんのうじだけは、ぜったいだめですっ!!! 」
子供特有の甲高い声が、部屋中に響き渡る。俺は、荒々しく息を吐きながら、身体を震わせる。『そこだけは、駄目なのだ』と、ありったけの声量で叫ぶ。
そんな、普段では見せない姿に、じいさんも親父も目に見えて戸惑っていた。
「一体どうしたのだ、三法師!? 」
「ほんのうじだけは、やめてください! あそこは、きけんなのです! 」
「はっはっはっ! そう、心配するでない。京は、余の支配下にあるのだぞ? それに、本能寺は幾度も改築を重ね、余が使うに相応しい場所になっておる。そうそう、大事は起こるまいて」
「し、しかし……」
心配するなと言わんばかりに、荒々しく頭を撫でられる。じいさんと親父の目には、慢心や油断といった色は感じられない。本当に、安全だと確信しているのだろう。
だが、俺の気分は晴れず俯いてしまう。じいさん達を信じたい……だけど、俺にとって『本能寺』は看過できない言葉なのだ。
俺が転生した結果、おそらく史実とは異なる歴史を歩んでいる筈だ。もしかしたら、本能寺の変は起こらないかもしれない。
だが、良く聞く『歴史の修正力』が本当にあるとしたら、どんなに小さなところで歴史を変えようとしても、歴史の転換期と言える重大な出来事は変わらないかもしれない。
もし、俺の懸念が正しいのならば、今後の日ノ本を左右する本能寺の変は起こってしまうかもしれないのだ。
であれば、じいさんと親父は本能寺付近に居て欲しくない。少しでも、足掻ける要素があるならば、俺は最後まで足掻き続ける。
俺は、俯かせていた顔を上げると、じいさんを見上げるように詰め寄った。
「おじいさま。ちゃかいは、あずちじょうでも、いいのではないでしょうか? なにも、ほんのうじにこだわるひつようは、ないでしょう? 」
「むっ……うむ……いや、しかしなぁ」
「いや……父上、これは名案かもしれませぬよ? 武田家を取り込み、織田家として新たな転換期が向かえております。あえて安土城で行うことで、主従関係の強化を天下に示せましょう」
「……余は、家康の胸の内を知りたいのだ。安土城では、人目があり過ぎる」
じいさんは、少しだけ考える素振りを見せるも、親父の提案を却下してしまった。
このままでは、予定通り本能寺でじいさんが殺されてしまう! 何とかしなければ……。
必死に考え、そして一つの案が浮かんだ。
「それでは、あずちじょうでちゃかいをしたあと、べっしつにてはなしあわれては、どうでしょうか? やはり、あずちじょうでしたら、てきしゅうもなく、たちをあずかれますのであんぜんかと」
「……三法師は、敵襲の心配をしているのか? 奴が、そんな危険を犯すとは考えられんが……」
「おじいさまは、しょうしょうぶようじんです。せんじつも、ちちうえに、しかられたばかりではありませんか」
「むぅ…………」
痛いところを突かれたとばかりに、じいさんは顔を歪める。じいさんが、あのことに少しでも罪悪感を感じているならば、攻めどころはここしか無い!
「まぁ、確かに父上は不用心が過ぎますな。ここは、祖父を心配する孫の気持ちを汲んで、安土城にて茶会を開くのが宜しいのでは? 」
「………………はぁ……。分かった。茶会は、安土城にて行う。公卿や氏政等も、誘うとしよう。日程は六月上旬、奇妙は予定通り堺にて家康の接待をせよ」
「ははっ! 」
じいさん達が部屋を出て行くと同時に、どっと疲れが押し寄せた。重々しく溜息をつくと、満足そうに天井を見る。
これで、親父は堺にじいさんは安土城に居ることになる。後は本能寺付近に、近付かせないようにしたら、歴史は変わるかもしれないぞ!
そんな考えが頭に浮かぶと、ようやく肩の荷がおりた感じがした。
はぁ……とりあえず第一段階クリア……と。
しかし、そんな俺を嘲笑うかのように、一通の報せが舞い込んで来た。
ある日の朝方、未だ太陽が昇り始めた薄暗い時間に、寝室に誰かが転がり込んできた。
「な、なにものじゃ! 」
声を荒げて侵入者の方を向くと、そこには白百合隊第七席鈴蘭の姿があった。鈴蘭には、桜の補佐を任せていたのだが、一体どうしたのか?
「す、すずらんか? なにがあった? 」
鈴蘭は、必死に息を整えると、一息に話し始めた。それは……絶望への開幕を告げるモノであった。
「報告っ! 昨夜、本能寺に宿泊中の上様を、一万の軍勢が襲撃! 掲げる旗には、桔梗紋! 明智日向守、謀反にございますっ!!! 」
鈴蘭の言葉が、脳裏を駆け回る。何故だ、何故光秀なのだ、家康では無いのか……。何で、じいさんが本能寺に居るのだ!
様々な考えがぐるぐると、頭の中で渦巻いて思考が追い付かない。
「みぃぃぃつぅぅぅひぃぃぃぃぃぃぃでぇぇえぇぇぇぇええええっ!!!!! 」
天正十年五月二十八日、本能寺の変勃発。
これにて、第一章完結とさせていただきます。
登場人物紹介をさせていただいた後に、第二章開幕となります。
今作を投稿してから、二ヶ月が経過致しました。これ程までに、多くの皆様に閲覧いただける等、恐悦至極でございます。
来年も、どうぞ宜しくお願い致します。
それでは皆様、良いお年を。