73話
天正十年 四月 岐阜城
四月下旬、桜も散り始め季節の変わり目を感じさせる今日この頃。武田征伐後、甲斐国から東海道を通って富士山見物をしていたじいさんが、遂に岐阜城までやってきた。
武田征伐に行く時は、五万程の大軍を率いていたのに、城門まで迎えに行ったら五百程度に数を減らしていたのにはびっくりした。
それも、武田征伐に参加した重臣数十名で、後は小姓等の世話役ばかり。あまりにも、大胆不敵な行動に親父も頭を抱えている。
「ちょっ!? ち、父上!? 何故軍勢を解いたのですか! 襲撃を受けたら、一体どうするつもりだったのですか! 」
「むぅ……」
「むぅ……ではありません! むぅ……では! その都合が悪くなると口を噤む癖は、直すように散々言いましたよね!!! 」
般若の如く捲し立てる親父に、重臣達も何も言えずオロオロするばかり。せっかく、朝早くから出迎えに集まったと言うのに、未だに挨拶すら出来ていないのは、ちょっとした異常事態だ。
まぁ、親父の気持ちもよく分かる。
今回、じいさんが通ったルートである。駿河国は北条家、三河・遠江国は徳川家の領地だ。
幾ら同盟国って言うか、織田家傘下の家って言っても他領なのだし、当然自領より危険が付き纏うものだ。つい最近まで、敵対していた旧武田領なら、尚更である。
それを、重臣以外ろくに戦えない世話役しか連れないで通るなど、前代未聞だ。もしも、そこを襲われてじいさん並びに、重臣達が死ぬようなことがあったら織田家は壊滅してしまう。
故に、親父がこんなにも怒るのは、実に尤もだと言う事だ! だから、そんな目で俺を見るんじゃない! じいさんあんた何歳だ! 捨てられた子犬の目なんてするな馬鹿!
思わずプイっと顔を逸らすと、じいさんの顔が漫画みたいに固まってしまった。正直、自業自得だと思う。
「今日という今日は、絶対許しませんからね! 御自身の立場って言うものを、しっかり理解して貰います! 良いですね、父上っ!!! 」
「…………………………うむ」
親父は、俺達のことが頭から抜けてしまったのか、じいさんの右腕を掴みながら、ノシノシと鼻息荒く去って行く。
残された俺達のことを、もうちょい考えて欲しい。
とりあえず、重臣達をこんなところで放置する訳にもいかない……よな。
俺は、重臣達の方を向き直すと、代表として先頭に立つ光秀に話しかけた。
「みなさま。こよいは、たけだせいばつのせいこうをしゅくしまして、うたげのよういをすませております。どうぞ、このぎふじょうにて、こころゆくまま、おたのしみくださいませ」
「これは忝ない。御好意、痛み入りまする」
深々と頭を下げる光秀に倣うように、重臣達も一斉に頭を下げる。心做しか、重臣達の間にホッとした雰囲気が漂っている。
「しんごろう」
「はっ」
「みなさまを、ていちょうにごあんないせよ」
「ははっ! ……それでは、皆様こちらへどうぞ」
新五郎に連れられて、無事に重臣達は城内へ入っていった。はぁ……全く、朝から疲れるなぁ。
さて、残った小姓達にも指示を出さないとな。
そう思った矢先、歳若い美女が俺の元へ駆け寄ってきた。切れ長の瞳、薄いピンク色の唇に華奢な体付き。左目の下にある泣きボクロがチャーミングな、絶世の美女であった。
大層浴衣が似合いそうだなと見惚れていたら、目ん玉が飛び出る程の衝撃発言をかました。
「三法師様、お初にお目にかかります。私、堀久太郎と申します。以後、よしなにお願い致します。そして、是非とも私共も宴の準備を、お手伝いさせていただきたく……」
「う、うむ。それはありがたい」
「ふふっ、ありがとうございます三法師様。直ぐに手配致しますね。…………それと、私は男でございますよ? 」
「……………………へっ? 」
ボソボソッと耳元で囁かれたソレは、俺の思考を真っ白にするのに充分な威力をほこっていた。
口元を上品に隠して微笑む様は、まさに大和撫子そのものだと言うのに、『男』だ。
チラッと見えるうなじの色気は、数多の男の視線を惹き付けてやまないと言うのに、『男』だ。
その声は、魔性の如く男を操り、一国の王であっても抗うことは難しい。まさに傾国の美女……だが、『男』だ。『男』なのだ。
――世界はいつだって、理不尽に溢れている。
久太郎ショックから五時間後、無事に宴を終了することが出来た。正直、奇跡と言っても過言では無いだろう。
と言うのも、俺は前半まで半ば意識は無く、ほとんど久太郎と新五郎が手配してくれたのだ。
幾ら前準備は済んでいたからとしても、じいさん・親父・俺の三人が使いものにならん状況だったのに、大したものだよ。二人には、頭が上がらないな。
ただ、俺の反応を面白がった久太郎が、ずっと傍で控えていたのが、色んな意味で心臓に悪かった。
特に、女性陣の反応が……ね。藤姫と甲斐姫の背後に、龍と虎が見えたからね。みんな見て見ぬふりをしてたしね。まぁ……天井から感じる圧の方が、段違いにヤバかったけど。
まぁ、多少のハプニングはあったものの、無事に宴を終わらすことが出来たのは良いことだ。重臣達も、満足そうにしていたから大成功だろう。
じいさん達も、途中から参加出来たしね。
まぁ、相当絞られたのか、げっそりしてたけど。
そんなこんなで、夜も深まりそろそろ寝ようかと思っていたら、じいさんから呼び出しを受けてしまった。
一体何の用かと部屋に出向くと、じいさんと親父が座っていた。
「来たか。ここへ座りなさい」
「……しつれいします」
いつに無く真剣な雰囲気に、少し二の足を踏んでしまうも、気を取り直して親父の横に座った。
じいさんは、暫く周囲の様子を探った後に、誰もいないことを確認すると静かに語り始めた。
「五月上旬、安土城に家康並びに氏政・氏直を招くつもりだ。勿論、織田家の名に恥じぬ盛大な饗応を用意して……な」
「して、その狙いは……」
「表向きは、此度の富士山見物において、素晴らしい歓待を用意してくれた礼だな。そして、氏政と氏直は、官位授与の為に朝廷に赴く為もある」
なるほど。駿河国は北条家が、遠江・三河国では徳川家がそれぞれ歓待を用意したのだろう。その礼として、安土城に招くのも理解は出来る。
お義父さん達も、朝廷にて官位を貰えるならこれ以上無い栄誉だろう。相模からでは、そうそう縁のある場所じゃ無いしな。
ただ、表向き……か。
「しんのもくてきは、べつにあるのですね」
「左様」
じいさんは、俺の問いかけに静かに頷くと、ピリッとした空気が流れた。
「家康を、見極めねばならない。織田家にとって、仇なす者なのか否か……をな。饗応役は十兵衛に任せるが、奇妙。そなたにも接待役を任せるぞ」
「御意」
「この岐阜城にて、両者の歓待を済ませた後、共に安土城まで来るのだ。家康は、堺に興味があったようだから、堺見物なども良いだろう」
「直ぐに、手配致します」
「堺見物が終わり次第、茶会に招こうと思う。一度、腹を割って話さねばいかん」
「では、準備が出来次第、私が徳川殿を連れて参りましょう」
「うむ。頼んだぞ」
じいさんによって次々と、計画が定まっていく。先程から心臓が、痛いくらいに脈打っている。背中には冷たい汗が流れ、うるさい程の耳鳴りがする。
嫌だ、止めてくれ、言わないで……。
「場所は、本能寺が良かろう」