71話
天正十年 四月 岐阜城
ようやく泣き終わった俺達が城内へ入ると、そこでは既に宴会が行われていた。
酔いが回りながら踊り狂うおっさん達の様子に、俺達は一瞬呆気にとられてしまったが、何だか色々思い悩んでいたことが馬鹿らしくなり笑顔で混ざって行った。
俺も、親父の隣へ座り宴を楽しんでいると、不意に親父の大きな掌が頭を撫でる。ゴツゴツしたその感触が何だかむず痒くて、スっと親父の方を見上げると、親父は柔らかな微笑みを浮かべていた。
その温かな視線は、まるで全てを悟っているように思えてしまい、思わず目を逸らしてしまったのだが、親父はそんな俺の様子など気にせず、優しく語りかけてきた。
「皆とは、話せたか? 」
「はい……」
「俺も、三法師と同じ想いを抱いたことがある」
「……えっ? 」
いつもは見せない親父の寂しそうな横顔に、思わず視線が吸い寄せられた。
勇猛果敢、才色兼備、天下人の後継者……そんな偉大な父の素顔。それは、己の無力さを思い知り挫折を経験した男の顔でもあった。
「俺の幼少期は、まさに織田家の激動期であった。四つの時に、今川義元との桶狭間の戦いがあり、十一の時に美濃を平定した。その七年間に多くの戦があり、多くの人々が死んでいった」
そこで一度話しを区切ると、盃に酒を注ぎ口に含んだ。何かを噛み締めるように、何かを飲み干すようにも見えた。
酒の力を借りねば話せないこと……苦い記憶を、俺の為に語ろうとしてくれているのだ。それは、一重に同じ道を通った先人故……だからであろう。
「桶狭間の戦いの時は、幼かった故に良く分かっておらんかった。ただ、母や家中の者達が悲しそうに嘆いていたのを、良く覚えている。俺は、それをただ呆然と眺めていた」
桶狭間の戦い……じいさんが、歴史の表舞台に駆け上がった戦い。詳しくは知らないが、じいさんは、圧倒的不利な状況から勝利を掴み取ったのだ。
まさに英雄足らん活躍。後世にまで語られる英雄譚であろう。だけど、回りの人達は……大切な家族は、そんな一見無謀にも思える戦いを挑んだじいさんのことを、一体どんな風に思っていたのだろうか……。
「美濃の平定。簡単に言うが……その実、生半可な道では無かった。父上は、幾度も戦を仕掛けるも負け続け、来る日も来る日もボロボロになって帰ってきていた。家中の者達が次々と死んでいく中、俺はそれを見守ることしか……戦に出る者達を、鼓舞することしか俺に出来ることは無かったのだ。それが、どれ程悔しかったかっ」
力強く握り締められた裾は、大きな皺を作り。盃に映る顔は、悔しさに歪んでいた。
しかし、それも一瞬で消え去ると、柔らかな微笑みを浮かべて、俺を抱き寄せた。
「良いか、三法師。その胸に抱く気持ちを、忘れてはならぬぞ。己の無力さに苛まれ、他者を憂いて涙を流すその想いを、決して忘れてはならぬ。その美しい想いが胸に宿る限り、そなたは決して道を踏み外さぬだろう」
「はいっ! ちちうえ! 」
「ふふっ……さてと、そろそろ宴に戻ろうかの」
親父は、もう一度俺の頭を撫でると、宴の方へ歩いて行った。
新五郎が、赤鬼隊の皆が、親父が俺の心を肯定してくれた。儚く脆い……そんな心を、清く美しい心だと褒めてくれた。
そんな彼等の想いを、俺は裏切りたくは無い。
皆が皆、笑い溢れる日常を……当たり前の幸せが溢れる日常をおくって欲しい。『天下泰平』の世を、俺は必ず築いてみせる。
宴も終わり、部屋に戻ろうとする俺を親父が引き止めた。
何でも、合わせたい者達がいるとのことで、渋々親父の部屋まで行くと二人の男が座っていた。親子だろうか? どことなく顔の造形が似ている二人だった。
右手側は三十後半、左手側は十代半ばと言ったところか。
「三法師、この二人は元武田家臣であり、人質として岐阜に住むことになった真田である。父上も、その才覚を認めており将来有望な男だ。顔を覚えておいて、損は無かろう」
「お初にお目にかかります。真田喜兵衛昌幸と、申します。以後、よしなに御頼み申す」
「喜兵衛が次男、源二郎と申します」
二人は、中々鋭い眼光をしており、人質の立場ではあるが堂々たる態度を保っていた。
そうか……彼等が文に書いてあった元武田家重臣か。じいさんの命令によって、長男は強制的に家督を継がせ五郎左の与力へ。自分自身は、次男と共に岐阜城で人質生活をおくることになった。
……戦に敗れ、若き息子に家督を譲り敵方へ。中々、壮絶な人生である。
そんな二人が、俺に対して深く深く平伏する様に、思わず同情心が芽生えてしまう。やはり、人質という言葉はなんか嫌な感じがするな。……仕方がないことだってのは、分かってるけどさ。
「ふたりともよくきたな。わたしが、さんぼうしだ。なれないとちゆえ、さいしょはくろうするやもしれぬが、そのときはわたしにそうだんするといい」
『ははっ!!! 有り難き御言葉、恐悦至極にございます! 』
今日は、本当に顔見せ程度だったらしく、二人は直ぐに退室して行った。
未だに、屋敷の準備が整っていない故に、客間へ通される二人の後ろ姿を見ていると、どうしてかモヤモヤした気分になる。
何か……忘れているような?
うぅぅぅむ………………あっ! 真田って、もしかして真田幸村か!
何か大河で話題になってたよな? 日本最強だとか言われてた。
しかし……あの二人は違うんじゃないかな? 関ヶ原が千六百年なのは、ギリギリ覚えている。大阪の戦いが、その十年後くらいか?
そうなると、今から三十年は先の話しになる。その戦いで活躍したのなら、幸村は二十代な気がするよな。
そもそも名前違うし、源二郎の息子が幸村なのかもしれないな!
そういうことなら話しは早い。早速、源二郎を赤鬼隊に編成しなくちゃな!
――この時、三法師は幸村の父親を手に入れるつもりが、本人を手に入れていた等、夢にも思わなかった。
喜兵衛も暇だろうし、新五郎の雑務を手伝わせようかな。うん、ナイスアイディアッ!
翌日、俺はとある男の見送りに城門まで来ていた。日もまだ昇り始めたばかりで、少し肌寒い朝だった。
「では、殿。行ってまいります」
「うん。たっしゃでな……かつぞう」
そう……今日、岐阜から旅立つのは勝蔵だ。武田征伐の報酬として若狭国を与えられた勝蔵は、これから五郎左と共に引き継ぎの為、若狭国に出発するのだ。
安土城で初めて会った時は、自信を喪失しながらも己の道を不器用ながらも突き進む。そんな、頭でっかちな青年だったな。
何度も何度も辛い修練に耐え、その先に栄光を掴んでみせたのだ。なんて、素晴らしいことだろうか!
確かに、寂しいとは思う。だけど、せっかく掴んだチャンスを逃して欲しくない。
だから、俺は笑ってさよならを言わなければならないんだ。男の門出に、涙は無粋だからな。
「かつぞう。いまや、そなたは『おだのしんそう』と、うたわれるおとこになった。わたしは、それがなによりもほこらしくおもう。わかさのくにへいっても、たっしゃでくらすのだぞ」
「……っ! と、とのぉぉぉ……某! 某、この御恩は生涯忘れませぬっ!!! う……うぅぅぅ……」
「…………おろかものめ。せっかくのかどでに、なくやつがいるか……」
掌で顔を覆うように泣き崩れる姿に、せっかく我慢していた俺まで涙が溢れてくる。
その涙と共に、今までの思い出が込み上げてくる。経った一年程度だったけど、勝蔵と過ごす日々は俺にとってかけがえの無い宝物だ。
「殿……もしも、殿が窮地に陥った時は、某がいの一番に駆け付けて、御救い致します! 」
「あぁ……きたいしているよ。かつぞう」
こうして、勝蔵は若狭国へ出発した。
勝蔵の門出を祝うかのように、どこまでも透き通った青空が広がる春のことだった。
……勝蔵、頑張れ。




