表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/353

70話

 天正十年 四月 岐阜城


 俺は、岐阜城に残っていた家臣達と共に、城門前にて親父の帰りを今か今かと待ち侘びていた。

 武田征伐が遂に決着し、後始末を終えた親父が軍勢を率いて帰ってくるのだ。

 五日前に届いた先触れから、必死に宴の準備を進めたのは記憶に新しい。随分急な話ではあったが、家臣達は皆一言も文句を言わず笑顔で準備に邁進していた。

 勿論、織田家の勝利を祝う気持ちもあっただろうが、それ以上に親父への忠義故のことだろう。

 こんなにも、家臣達から慕われている親父がちょっと誇らしく思う。いつか、俺もこんな風に家臣達に慕われる男にならなきゃな。

 因みに、じいさんの方は甲斐国から駿河国に渡り、富士山を見ながら安土城に帰るらしい。

 なので、じいさんが来るのはおそらく二週間後であろう。その時も、また宴の準備をしないとな。


 そして、遂にその時が来た。

 遠目からでも分かる大軍に、その背に掲げる織田木瓜。親父率いる総勢一万に及ぶ美濃勢だ。

 煌びやかな鎧に身を包み、意気揚々と大軍を率いるその様は、まさに凱旋に相応しい風格を醸し出していた。

 後ろをついていく家臣達の表情も、どこか晴れ晴れとしていて、自信に満ち溢れているように見える。

 その中でも、やはり赤鬼隊は目立つ。日の光に照らされ、紅蓮のように輝く赤備えの装いは味方に活力を、敵に畏怖を与えること間違いなし! ちょっと高かったけど、じいさんに無理言って作って貰った甲斐があったものだな!

 そんな俺は、パッと見る限り出発した時と何ら変わらない顔触れに、人知れずホッと胸を撫で下ろした。

 幾ら策を弄して有利な状況を作っても、戦は戦だ。当たり前だが、人は死ぬ。この命の軽い乱世において、絶対に命を落とさない保証等ありはしないのだから……。

 だから、こうして元気な姿を見せてくれた親父を見ていると、涙が溢れそうで必死に堪えた。勝利を祝うこの場では、涙はあまりにも不釣り合いだから……。


「おかえりなさいませ! ちちうえ!!! 」

『お帰りなさいませっ!!! 』

 ゆっくりと俺達の前に現れた親父に対し、誰一人として乱れぬことの無い完璧な掛け声をもって礼を尽くす。一日三時間かけて練習した甲斐があったな。

 そんな一糸乱れぬ俺達の様子に、親父は満足そうに頷いた。

「三法師、そして皆の衆……留守番ご苦労であった。そなたらが城を守っていた故に、俺達は武田征伐に集中することが出来た。此度の功績は、この場にいる皆で勝ち取ったモノである。……者共ぉっ! 今一度、勝鬨を上げよ! 織田家の勝利であるっ!!! 」

『えい、えい、おぉっ!!! えい、えい、おおぉっ!!! えい、えい、おおぉぉぉっ!!! 』

 国中に轟くように吠えるその様は、まさに織田家の栄光を称える象徴的な一場面であった。



 それから暫くして、親父は家臣達と共に城に戻って行き、この場にはもう俺と赤鬼隊の面々しか残っていない。

 本来であれば、親父と共に宴に行かねばならなかったのだが、俺の心情を察してくれたのか何も言わずにいてくれた。

 涼やかな空気が流れる中、代表として新五郎が俺の前に出ると静かに平伏した。

「若様、お約束通り五体満足で帰還致しました。赤鬼隊の者達も、一人も欠けることは無く素晴らしい功績を挙げました」

「うむ。ちちうえからも、おぬしらをほめたたえるようにいわれておる。まことに、すばらしいはたらきであった。……たいぎである」

『ははっ! 有り難き幸せ! 』

 そう……誰一人欠けることは無かったのだ。最後の高遠城の戦いは、凄まじい激戦だったと言うのに怪我はあれど死ぬことは無かった。

 それが、どれだけ嬉しかったかっ!

「よくぞ、わたしのやくそくをまもりいきてかえってきてくれた! そなたたちが、ぶじであったというしらせが、わたしにとってなによりのきっぽうであった! ありがとうっ……ほんとうに、よくぞ……よくぞもどってっ! う……ぅぅぅ……」

 想いを綴っているうちに、視界はボヤけ瞳から溢れる想いを抑えられなくなった。俺にとって、初めて戦場に向かう人を見送ったのだ。何時死んでも可笑しくない……そんな死地に。

 辛かった。何も出来ない自分が……言葉を綴ることしか出来ぬ自分が、悔しくて悔しくてたまらなかったのだ。


 出来ることなら俺も戦いたかった。だけど、本当は分かっているのだ。己の効率的な使い方を。

 そして……それは、残酷なまでに他人任せになるであろうことも。

 即ち、鼓舞。戦場へ向かう家臣達の士気を上げること。勇気付け、さあ再び行くがよいと叱咤激励すること……ただそれだけ。


 それだけしか……出来ない。


 下手に前世の記憶があるからか、子供だから仕方がないと思えない。いや、それは関係無いか。

 きっと、俺は大人になっても槍や刀を振るい、果敢に敵陣に攻めることなんて無いだろう。

 俺は、人を殺せない……きっと、これからも。

 自分の手で人を殺すなんて、出来るわけが無い。血に濡れた手を想像するだけで、恐ろしくて震えが止まらないんだ。

 だから、俺は家臣達に命令するんだ。

『殺してこい』『首を晒せ』『死んでこい』

 上座に呑気に座りながら、ただソレを眺めるだけの俺が……自らの手を汚さない卑怯な俺が……堪らなく……嫌いだ………………。



 蹲るように泣く俺と、新五郎は視線を合わせるようにしゃがんみこんだ。

「どうして、泣いていらっしゃるのですか? 」

 その一言で、胸に堰き止めていた想いが溢れてしまった。もう、俺自身では止められなかった。


 ――わたしは、何も出来ない。


 ――新五郎達が危険に晒されている中、安全な城で待つことしか出来ない。


 ――わたしに出来るのは、精々声をかけてあげることだけ……。頑張ってね、君たちなら出来る。ただ……それだけしか、言葉を紡ぐことしか出来ない。


 ――そんな自分自身が、情けなくて仕方がない。わたしは……わたし自身が、一番嫌いだ。


 ……新五郎は、ただただ黙って聞いてくれた。

 きっと……凱旋して来た家臣達に、褒めるどころか泣き言を言ってしまう情けない主の姿に、嫌気をさしてしまったのだろう。

 そんな風に思っていると、不意に新五郎に抱き締められた。耳をすませば、鼓動が聞こえてくる。どくん……どくん……と一定の間隔で刻まれるその音に乱れは無い。

 その温かさは、悲しみに嘆く心を癒す様だった。

「何も出来ないだなんて、そんなこと言わないでくださいませ。私達の身を案じて涙を流すその御姿に、どれ程私達が勇気を貰ったかっ! 」

「しんごろう……」

「そうですよ殿っ! 私達は、貴方様がいるから頑張れるのです! 」

「戦場で、もう駄目だ……って時に、殿の御言葉を思い出し踏ん張れました! 」

「私もです! 」「俺も……」「某も……」

「みんな……」

 新五郎を皮切りに、赤鬼隊の皆からも熱い想いが溢れてくる。なんで……なんでこんな俺に……。

 そんな弱気な心を、新五郎は一息に吹き飛ばしてくれたんだ。

「あらゆる重荷を一身に受け止めて、年端もいかない幼い子供が、その身を震わせながら果敢に鼓舞しているのです。それに応えたいと思うことは、そんなにもおかしなことなのですか? 」

「それは……」

「もっと自信を持ってくださいませ。若様は充分、私達の役に立っております。貴方様の想いは、私達の胸に宿り共に戦っているのです。戦場は、一つではございません。貴方様は、貴方様の戦場で戦ったのです。それを、どうか誇りに思ってくださいませ! 」

 ――あぁ、そうだったのか。

 俺は、新五郎のその言葉に救われた。

「ありがとうっ……ありがとう、しんごろうっ! 」


 人は一人では生きていけない。

 当たり前のようで、俺はまるで理解していなかったのだ。

 彼等にとって、俺の言葉がどれほど有り難かったのかを、どれほど心の支えになっていたのかを。

 俺は、確かに彼等の力になっていたのだ。

 それが、堪らなく嬉しかった。

 刀を待てなくても、槍を振るえなくても、言葉を紡ぐことしか出来なくても良い。その言葉が、彼等を支えることが出来るのなら、これ以上無い喜びじゃないか。


 ――俺は、少しだけ自分自身のことが好きになれそうだ。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] えっ、信長公、東海道ルートで帰るの?! 家康さん、爆発寸前ですし、既に歴史が変わってますし、一体どうなるのでしょう。 フラグ建てまくってましたので、どう回収するのか。とても楽しみです。 …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ