69話
天正十年 三月 甲斐 織田信長
さて、初めは奇妙からだな。木曾谷の戦いは、まさに見事の一言に尽きる。高遠城の戦いでも、巧みに軍勢を指揮し、武田軍を圧倒した。
此度の戦いで、より一層その武勇が広まったであろう。実に、喜ばしい限りだ。
しかし、褒美となると難しいな。余の後を継ぐならば、領土をやっても意味が無い。
であれば、奇妙の配下を旧武田領に配置して、影響力を高めた方が良いな。
「奇妙……前に出よ」
「はっ」
奇妙は短く返事をすると、自信に満ち溢れた表情を浮かべながら、余の前に平伏する。その姿は、若かりし頃の余にあまりにも似ていて、自然と頬が緩んでしまう。
「奇妙、此度の働き……誠に見事であった。余の後継者として申し分無し。そなたの名は、より一層諸国へ轟いたであろう。東の抑えは、奇妙に任せる。期待しておるぞ」
「ははっ! 」
旧武田領、広大な北条領、越後国の上杉に関東の豪族共、時代に取り残された奥州勢……未だ、織田家の支配が行き渡っていない東を抑えるのは、簡単なことでは無い。
だが、お主なら出来る。期待しておるぞ。
さて、次は旧武田領の分配だな。これを決めねば、先へ進めんからな。
「これより、信濃国・上野国の分配を決める。万千代、彦右衛門……前に出よ」
『ははっ! 』
「まずは、信濃国。これを彦右衛門に任せる。木曾谷に関しては、手筈通り木曾義昌に任せるが、信濃一国は彦右衛門が統括せよ。木曾と河尻、毛利を与力に付ける故、権六と共に対上杉の支度をせよ」
「は、ははっ! 」
「そして、此度の武田征伐の功績を称え、珠光小茄子を贈ろう。信濃国は、奇妙が治める岐阜に程近い。未だ若い奇妙を、そなたが支えてやれ」
「あ、有り難き幸せにございますっ! この身を賭して、若殿を支えてみせまする! 」
感涙にむせぶ彦右衛門は、何度も何度も感謝を述べながら額を地面に擦り付けている。
珠光小茄子は、忠三郎も欲しがっていたが……奴はまだ若い。ここは、我慢して貰おう。
彦右衛門の忠義は疑いようも無いが、これでより一層織田家に……奇妙に忠義を尽くしてくれよう。
これで、奇妙の影響力は信濃国にまで及ぶ。北条家は、三法師の為に奇妙を支えるであろうし、その地盤はより一層固くなった。
順風満帆とは、まさにこの事よな。
「そして、万千代には上野国を与える。関東御取次役を命じる故、今後は関東・奥州の交渉を任せる。北条家と共に、事に当たるように」
「……はっ」
万千代の顔には、僅かな戸惑いの色が見えた。万千代には、既に若狭国を任せている。その何倍とも言える大領、それも京から遠い飛び地だ。戸惑うのも、致し方ないであろう。
しかし、万千代以外に適任がおらんのも事実。下手な者では、北条家に取り込まれてしまう。
「万千代……そなたが、余の傍を離れたくないのは分かっている。だが、未だ不安定な関東を任せられる者はそなたしかおらんのだ。若狭国から上野国へ転封という形になるが、どうか余の為、織田家の為に受け入れて欲しい」
……万千代は、暫く顔を伏せていたが、不意に顔を上げると柔らかく微笑んだ。
「上様の御申し出、謹んで拝領仕ります。北条殿と共に奇妙様を支え、関東・奥州の抑えとなりましょう」
戸惑う心を抑え、余の為に全てを受け入れてくれた。これ程の忠臣は、他におらん。万千代ならば、奇妙を任せられる……頼んだぞ。
旧武田領の分配も終わり、続いて主立って武功を挙げた者達に褒美をやらねばな。
此度の武田征伐において、前田慶次郎及び森勝蔵の働きは、まさに一騎当千のモノであった。
であれば、その功績に報いねばならぬ。
「前田慶次郎……前に出よ」
「はっ」
ひと目で逸材と分かる類稀な上背に、天下人たる余を前にしても、堂々たる姿勢を保つ胆力。三法師が京にて拾ったと聞いたが、中々どうして大した目利きでは無いか。
「そなたは、木曾谷の戦いにおいて仁科盛信を討ち取る武功を挙げた。高遠城の戦いでも、その武勇で味方の士気を上げ、勝利に貢献した。その功績を称え、美濃前田家を興すことを許す。知行は一万石とする。これからも、三法師を支えると良い」
「ははっ! 」
深く深く平伏しながらも、滲み出る覇気を抑えられていない。なんとも頼もしいものだ。
この様子であれば、余にとっての権六のように、三法師を支えてくれよう。
さて、次は勝蔵だな。可成が死に、若くして森家を継いでから良く織田家に尽くしてくれた。
近頃、思い悩んでいる様子だったが、此度の戦いでその才が花開いたな。可成も、喜んでいよう。
「森勝蔵……前に出よ」
「はっ」
「此度の戦い、実に見事であった。武田信豊並びに土屋昌恒を討ち、常に最前線でその武勇を示した。まさに、武士の誉れである。これを称え、朱槍を持つことを許す。その武勇をもって、織田家の栄光を支えよ」
「ははっ! 」
「そして、此度の功績及びこれまでの森家の献身から、勝蔵には若狭国を任せる。万千代から引き継ぎが終わり次第、国主として統治せよ」
『…………は? 』
余の言葉に、一同騒然としている。十万石に満たないとはいえ、一国だ。余の重臣達でも、国持ちは数少ない。勝蔵の年齢を考えれば、前代未聞であろう。
だが、これから益々増える領地を治める人材が、織田家には足りていない。年中人材不足に悩まされておるのだ。
次世代を担う勝蔵、そして忠三郎には将来的に多くの領地を治めて貰わねばならない。万千代が治めていただけあり、比較的若狭国は安定しておる。試金石には、まさにもってこいなのだ。
「勝蔵、そなたは若いがこれからは最前線に立つだけでは無く、将として土地を治める能力も磨かねばならない。それが、余の為、織田家の為、引いては三法師の為になるのだ。弟達と協力し、国主としての力を磨くと良い」
「……有り難き幸せにございます! 見事若狭国を治め、上様の御期待に応えてみせまする! 」
「うむ。期待しておるぞ」
「ははっ! 」
その後も、論功行賞は滞りなく進み二刻程で終了した。これにて、武田征伐は完了した。織田家の威光は更に高まり、天下統一まで十年もいらないであろう。
残す大敵は上杉に毛利……だが、その前に見極めねばならない者がいる。
…………徳川家康。旧知の仲とはいえ、油断の出来ない男よ。




