66話
天正十年 三月 高遠城 森勝蔵長可
「我が名は、土屋惣蔵昌恒。ここから先は、一兵足りとも通さぬ!!! 」
威風堂々と某の前に立ち塞がるその姿は、まさに地獄の番人に相応しい風格であった。彼の横には、おびただしい死体の山が築かれており、無謀にも彼に挑んだ者の末路を示していた。
「土屋昌恒……聞いたことがある。武田二十四将の一人、土屋昌続の実弟であり武田勝頼の側近だな」
「あぁ、その通りだ! 殿に仇なす者は、死あるのみ。その首、貰い受ける!!! 」
槍を向けられた途端、肌を刺すような濃厚な殺気が辺りを支配する。思わず、槍を握る手に力が入り、身体は震え始める。
あぁ、この男は本物だ。間違いなく至高の領域に立つ、真の強者だ。もしかしたら、慶次殿・本多殿・一刀斎殿より強いかもしれない。
某と、差程歳が変わらないと言うのにこの強さ、天才……というものなのだろう。
某は、凡人だ。どこまでも不器用で、一つの道しか進めない。そんな某が、この天才と戦っても勝機は薄いかもしれない。
だが、それがどうした。勝機が薄い? 相手は天才? ……笑止! 某は、貴様等を越える為に修練を積んだのだ!!!
一歩、また一歩前に進む。大地を踏み締める度に、力が湧いてくる。土屋昌恒も、そんな某を見て一層笑みを深める。
あぁ、そうだ。某を見ろ! ここに、貴様の敵がいるぞ!!!
「カッカッカッ! 背中は俺達に任せろやぁ! 勝蔵は、其奴をぶっ潰しちまいなぁ! 」
「森様! 微力ながら、私も戦いまする! 決して、森様の元に敵兵を向かわせませぬ故、御存分に御戦いくださいませ! 」
慶次殿、才蔵…………忝ないっ!
某の背に構えるように、赤鬼隊が陣を敷く。某が勝つことを信じて疑わないその姿、勝って報いるしかあるまい!
某は、また一歩前に出て槍を空に掲げる。
「某は、織田家家臣森勝蔵長可! この槍は、三法師様に捧げられしモノ。この槍は、平和な世を切り開く為のモノ。上様が築かんとする天下泰平の世を壊し、乱世に巻き戻そうとする武田勝頼は、決して許すことは出来ん! 貴様を倒し、武田勝頼の首を貰い受ける!!! 」
そんな、某の名乗りを聞いた土屋昌恒は、槍を構え凄まじい闘気を放った。
「良くぞ吠えた! 我が名は土屋惣蔵昌恒、我が前に躍り出て生きて帰った者は無し! 幕府を滅ぼし、罪なき民を惨殺し、帝までも操らんとするその所業まさに悪鬼の如し! 織田信長は決して許さん! 貴様のその首、奴の墓前に添えてやろうぞ!!! 」
『いざ、尋常に……参るっ!!! 』
後に、伝説の死闘と語られる戦いが今始まった。
両者が繰り出した右払いが、空中で交差する。凄まじい轟音と共に、衝撃が全身に伝わり思わず槍が手から零れそうになる。
なんという剛力か! 某とて力には自信があると言うのに、押し込まれそうになる!
……ならばっ!
「うぉぉぉぉおおおっ!!! 」
「ぬっ! 」
全身の力を振り絞り、一気に相手の槍を押し返す。そんな某の攻撃が想定外だったのか、土屋昌恒が一瞬たたらを踏んだ。
その一瞬の隙を突くように、槍を短く持ち替えて突進する。体勢はこちらが有利、あそこからでは追撃も無し! その首、貰った!!!
――っ!?
突進しようとした刹那、首元に凄まじい殺気を感じ、形振り構わず一目散に後ろに下がる。
次の瞬間、ビュオッと鋭い風切り音と共に、穂先が先程まで某の首があった場所を通る。
「……くっ! 」
無理に重心を変えたせいか、右足首に鋭い痛みが走り顔を顰める。だが、某の判断は正しかった。あのまま進んでいれば、間違いなく首を落とされていた。
鋭い視線を向けると、そこには顔を伏せゆらゆらと揺れる土屋昌恒の姿がある。不規則に揺れながら、どんどん殺気を高めている。
一見隙だらけに見えるのに、突っ込んだら最後、某が死ぬ未来しか見えん! 悔しいが、付け入る隙が見当たらん!
すると、突然揺れるのを止め、ゆっくり顔を上げた。……真っ黒な顔だった。まるで、殺意の塊のような顔だ。
「お前ぇ……良いなぁ? 」
「……っ! 」
ぞわりとした寒気と共に、槍を構えるも土屋昌恒の攻撃の方が早く、左腕を切られてしまった。
流れる血もそのままに、一度後退し体勢を立て直す。
チラリと左腕を見ると、比較的浅い怪我であった。これならば、まだやれる。
今一度、集中して敵を見据える。
実に、厄介だな。全身を脱力させた状態から繰り出される、柔らかくも鋭い払い。槍自体をもしならせている故に、下手に受けると攻撃がそのまま某の身体にいってしまう。
……ならばっ!
またもや降り注ぐ攻撃に対し、的確に穂先を狙って叩き落とす。右肩、右足、左手、眉間……何合にも渡る槍のぶつかり合い、火花散り合う僅か十尺の死地。
『ぬぅぅぅううぉぉぉぉぉぉおおおおお!!! 』
奴の動きをもっと見るんだ! 呼吸、視線、足の向き、手の動き……瞬きすら許さぬせめぎ合いの最中、不意に脳裏にあの日の風景が流れた。
そう、一刀斎殿に稽古をつけて頂いた時、もう少しで一本を取れそうな最中のこと。
一刀斎殿が足で泥を飛ばし、それに怯んだ某の頭部へ木刀が叩き込まれた。
「一本! そこまで! 」
雪殿の声が響き渡り、へたり込んだ某は、思わず愚痴を零してしまった。
「……つっ! 一刀斎殿? あれは反則では? 」
恨み気に睨むと、一刀斎殿は馬鹿にしたように鼻で笑った。まるで、負け犬の遠吠えだと言わんばかりだ。
「はっ! あまっちょろいこと、言ってんじゃねぇよぉ。戦場じゃあ勝ちゃ良いんだ。負けたら、そこでお終いよ。勝負ってのは、最後まで足掻いた奴に勝ちが転ぶもんさ」
「むぅ……」
理解は出来るが、納得は出来ん。そんな風に座り込んでいると、見兼ねた雪殿が助言をしてくれた。
「でしたら、攻撃の動作に組み入れてはどうでしょうか? こう川の流れのように…………」
…………あぁ、そうだ思い出した。
せめぎ合いの最中に思い出したソレは、僅かな勝利への道筋であった。
――今日一番の速度で、穂先が迫る。だが、何故だろうか……某には、はっきりと軌道が見えていたのだ。
穂先の横につける様に槍を置き、一回転させる。無駄な力はいらない。ただただ力の流れに乗るんだ。そう、川の流れのように……。
――森流槍術 大車輪
そのまま槍を一回転させると、泥が宙を舞った。
泥は、ばら撒かれるように土屋昌恒の目元へ向かい、それに思わず目を瞑った刹那、低く低く地に潜り込み視覚から外れる。
今だ! ここで、突きを繰り出せ!!!
一つしか出来ないなら、それを極めてみせろ! 集中の使い分け……この一瞬に、全てをかけろっ!!!
「あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!! 」
――森流槍術 滝登り
腰の捻りを加えられたその突きは、まるで龍へと至る鯉の滝登りのように、凄まじい勢いで土屋昌恒の喉元へ突き刺さった。
刹那、おびただしい血の雨が降り注ぎ、某の身体を真紅に染め上げた。
倒れ伏す土屋昌恒へ、ゆっくりと近付き生死を確認する。
だが、もう息は無く若き豪傑は死に絶えていた。
強者の誇り高き最後に、静かに黙祷を捧げる。
そして、勝利の証として既に事切れた土屋昌恒の首を落とし、ゆっくりと空へ捧げると、声高々に吠えた。
「土屋昌恒は、この森勝蔵長可が討ち取った!!! 織田家の勝ちだっ!!! 」
一瞬の空白、誰も彼もが某に注目する。そして、事態を理解すると、一気に感情を爆発させた。
『おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!! 』
あぁ、殿。某はやりました。遂に、天才を乗り越えてみせましたよ! 今までの努力は、決して無駄では無かったっ!
この両者の死闘は、軍勢の士気に繋がり武田軍の兵士達は、次々と討ち取られていった。
日に照らされ、おびただしい返り血を浴びながらも悠々と立つその姿は、新たな英雄の出現として日ノ本に知れ渡ることになる。
まさに、雲蒸竜変。
紅の鬼神、その槍術神仏に至る。
その両者の死闘は、直ぐに武田勝頼の元に届き、そして……。
「そうか……惣蔵が逝ったか……」
「殿……」
「喜兵衛、手筈通りに頼む。……我等の負けだ」
「…………貴方様にお仕え出来たこと、生涯忘れませぬ。……お世話になり申したっ」
天正十年三月四日未の刻、武田勝頼降伏。




