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63話

 天正十年 二月 岐阜城


 家中の者達が、武田征伐により出払っている中、俺は自分の出来る範囲で策謀を張り巡らせていた。勿論、俺自身は動けないので実行して貰うのは、白百合隊のみんなになるけど。


 二月の半ば頃、定期報告にやってきた松から遂に待望の報せが入った。

「そうか……かったか」

「はっ! 敵勢は壊滅、およそ半数以上の者を討ち取ったとのこと。岐阜中将様の軍勢の被害は、百程度……御味方大勝利にございます! 」

 そう言って、松は親父からの文を差し出す。そこには、主立って功績を挙げた者達の名が記されていた。

 その中には、勝蔵や慶次……赤鬼隊の面々の名もあり、自然と頬が緩くなる。特に、敵方の総大将武田信豊を討ち取った勝蔵が武功一番と称されており、今までの努力を知っていた分、涙が零れそうになってくる。

 俺は、その文を宝物のように懐に仕舞うと、平伏している松に感謝を伝える。この子達の活躍も、間違いなく勝利の一因だからね。

「こたびのいくさ、そなたらのはたらきなくば、ここまでのしょうりはなかっただろう。じつに、たいぎであった。みなにも、そうつたえてほしい」

「……っ! は、ははっ!!! 」

 身体を震わせながら、感涙にむせぶ松の頭をそっと撫でて、俺は部屋を出た。松にとっても、この武田征伐は特別なモノだったのだろう。

 今は、一人にさせておこうかな……頑張ったね、松。


 部屋を出た俺は、岐阜の景色が一望出来るお気に入りの場所に来ていた。……親父達がいるのは、あの辺だろうか。

 俺は、ここからでは決して見えぬ戦場に思いを馳せる。何千という罪無き民が死んだ……いや、俺が殺した戦場を。


 武田信豊率いる七千の軍勢、まともにぶつかり合えば敵味方関係無く大勢の死者が出る。それ故に、俺は策を講じた。

 初めに武田信豊に報告に行った者、あれは俺の手の者だ。敵勢がいる……それも、簡単に討ち取れる程容易いモノ。

 普段の武田信豊であれば、罠の類いを疑ったであろう。だが、彼は冷静では無かった。強いストレスを感じていた故に、冷静さを失い怒りに身を任せ突撃したのだ。

 これは、明らかな愚策だ。人間は、一度感情を昂らせたらそうそう落ち着けない。戦争ならば、余計にそうなってしまう。

 目的地である木曾谷まで、まだまだ距離があるのに無駄に進軍速度を上げ疲労を溜める。

 そして、拍子抜けする程容易く目的を成し遂げてしまった故に、気の緩みを招いたのだ。

『戦に勝つということは、五分を上とし、七分を中とし、十分を下とする』……俺のもう一人の祖父である武田信玄の言葉だ。信玄に鍛えられた猛将達が、その信玄の言葉を忘れ破滅に向かった。なんとも皮肉なモノだ……。


 だが、それも致し方無いことだったかも……しれないな。家中は割れ、誰が敵かも分からぬ日々。武田信豊は、疑心暗鬼に陥ってしまっていたのだ。指示を出したのは俺だが、なんとも惨いモノだと思う。

 それでも、何とか家中を纏めようとした矢先に、親族衆である木曾義昌の裏切り。過度に与えられていたストレスは、この一件で爆発した。

 とにかく、裏切り者である木曾義昌を討つ。それしか、頭に無かったのだろう。


 もしも、彼が冷静だったのなら罠にかかることは無かったと思う。たった一晩……そんな気の緩みが、生死を別けたのだ。

 家が無事だったのは、兵士を分散させる為、七千もいるのだ一つの館には入らん。家の中を探れば、忍ばせてあった酒や食料を見つける。後は、予想通り宴が始まってしまうのだ。

 酒が回り、眠り込んだ者達を奇襲する。単純だが、その効果は絶大だ。討ち取った者達の殆どが、火事による一酸化炭素中毒が死因だろう。


 勿論、毒は仕掛けていない。では、何故こうも容易く罠にかかったのか……。それは、今までの事が全て噛み合った故の結果だ。

 見当たらぬ敵勢、過度なストレス、昂らせた感情、そして疲労。その全てが、一晩だけの気の緩みを生んだのだ。その宴を先導させたのは、俺の手の者だとも知らずに……な。



 俺は、そっと戦場の方角に向けて黙祷を捧げた。これは、偽善であろう。策を講じたのは俺だ。彼等を殺したのは俺なのだ。そんな俺が、一体どの面下げて犠牲者に黙祷を捧げると言うのか。

 だが、それでも俺は黙祷を捧げるのを止めないだろう。偽善なのは分かっている……実に傲慢であり、自己中心的なモノだろう。

 この思いが、この涙が彼等に届くことは無い。それでも、彼等に誓わなくてはならない。

 その命、決して無駄にはしない……と。



「三法師……こんなところに居たのか」

「じいさま……」

 不意に後ろから聞こえてきた声を頼りに振り返ると、そこにはじいさんの姿があった。じいさん達が来たのは、ほんの三日前のこと。武田家との決着をつける為、五万の軍勢を率いてやってきたのだ。

 じいさんは、ドカッと俺の横に座ると懐から一通の文を取り出した。おそらく、俺が受け取った物と同じであろう。

「総大将武田信豊並びに、数多の武将の首級を上げ、こちらの損害は百程度。これ程の成果は、聞いたことが無い。実に天晴れである」

 そう言って、乱暴に頭を撫でられるも俺の気分はうかないままだった。

「いえ、これはおししょーのさくですから」

「……北条幻庵……か。あの妖怪爺、未だ生きておったとはな。浅間山の噴火も、あの爺ならば予見していたのでは無いか? アレのせいで、武田家の足並みは揃っておらぬ」

 じいさんは、ブツブツと独り言を呟いていたが、不意に俺の様子がおかしいことに気付いたのか、じっとこちらを見てきた。

「何かあったか? 」

「いえ……」

 俺は、そんな視線に耐えられず俯いてしまうと、不意に大きな手が頭に乗っかった。

「大方、先の戦で死んだ者達のことを、考えていたのであろう」

「……………………」

「その心を忘れるで無いぞ」

「えっ? 」

 てっきり叱られると思っていた俺は、思わず顔を上げると、じいさんは穏やかな微笑みを浮かべていた。

「亡くなった者達を嘆いて、一体何が悪いと言うのだ。それは、人として当たり前の感情だ。千の死者が出たとして、死んでいった者達に心を痛めることはその者の美点だ。……死者を数でしか見れなくなった時は、もう人でなしよな……」

 どこか寂しげに語る横顔は、懺悔しているように思えた。そんなじいさんは、ニカッとイタズラに笑うと立ち上がり去っていってしまった。ただ一言『俺のようには、なるな』そう、小さく零して……。




 天正十年二月二十五日、信濃国伊那郡に位置する高遠城に、武田勝頼率いる一万の軍勢が入城した。駿河国では、北条家・徳川家が侵攻を仕掛けており、武田家は後には引けない事態にまで追い詰められていたのだ。

 天正十年二月二十八日、織田信長本隊と合流した織田信忠軍は、総勢六万五千にまで膨れ上がり高遠城に進軍していた。

 武田家との、決着は近い。

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