61話
天正十年 二月 岐阜城
岐阜へ帰って来てから、一ヶ月が経過した。武田家との決戦に備え、俺の出来る限りの準備をしていたら、あっという間に時は過ぎ去り……。
天正十年二月一日武田家に木曾義昌謀反の報せが流れた。信玄の娘を娶り、親族衆でもあった木曾義昌の裏切りは、武田家中に多大な影響を与える結果になった。
こちらの思惑通りというか、反織田家派の者達は怒り狂い、直ちに木曾義昌討伐軍の編成を願い出る結果になったのだ。
白百合隊の報告によれば、総大将武田信豊が率いる総勢七千の兵士達が、木曾谷へ進軍中とのこと。武将の中には、小山田兄弟に仁科盛信の姿も有り、想定より若干兵数が多く感じる。
武田家挙兵の報告は、直ぐにじいさんの元に届き、第一陣として親父達の出陣が決まった。
天正十年二月三日、親父達は数々の修羅場を潜り抜けてきた愛用の鎧に身を包み、木曾谷へ出陣の準備をしていた。
俺は、準備中の皆に一言かけようかと悩んでいると、煌びやかな鎧を纏った親父が近付いてきた。
その表情はいつになく真剣なモノで、戦とは命懸けのモノだと言うことを再認識させられた。
そう、例えどんなに策を講じようとも、人は死ぬ時はあっさりと死んでしまうのだ。どんなに強くても、どんなに大事な人でも、死神の鎌は平等に振るわれる。
世界はいつだって、理不尽に溢れている。
「三法師、此度の戦は織田家の命運を計る重要なモノだ。決着がつくまで、岐阜には帰れん。俺が戻るまで、そなたが主として皆を守るのだ」
「はい! 」
元気良く返事をすると、親父は微笑みを浮かべながら強く抱き締めてきた。
「必ず生きて帰る。……留守は任せたぞ」
「……っ! ち、ちちうえ……わかりました。ちちうえがもどるまで、このしろはわたしがまもります! だから、だからちちうえも、どうかごぶじで! 」
親父はクシャりと顔を崩すと、俺の頭を何度も撫でて陣の方へ去って行った。
……どうか、ご武運を。
次は、新五郎達がやって来た。新五郎は親父の副将としての参戦だが、勝蔵・慶次が率いる赤鬼隊は先鋒の誉れを賜った。
ギリギリで間に合った真紅の鎧に身を包み、等間隔で整列する様子は、精鋭集団赤鬼隊の名に恥じぬ立派な装いである。
「若様、暫しのお別れでございます。されど、必ずや御身の前に帰還致します故」
「しんごろう。そなたは、だれよりもてきかくなはんだんをくだせる。そのえいちで、しょうりをつかんでくるのじゃ」
「はっ! 」
片膝を立て、勝利を誓う様は誰よりも誇らしく、頼りになる男を表していた。新五郎ならば、必ずや織田家に勝利を呼び込む。そう、確信した。
次は、慶次に目を合わせる。赤鬼隊最強の男、それを体現するかの如く真紅に燃える鎧兜に、巨大な朱槍を身に纏う。彼とやり合える強者は、日ノ本に三指と居ないだろう。
「んじゃあ……行って来るぜ小童。俺らが居なくても、泣くんじゃねぇぞ? 」
ニヤニヤとイジらしく笑う慶次に、俺は背後に居る一刀斎と高丸・雪を見ながら笑い飛ばす。
「しんぱいむようじゃ。わたしには、たよりになるけんしがついておるからな」
「カッカッカッ! そりゃあ良いな。…………一刀斎、三法師様を頼んだぜ」
「あぁ……てめぇも、くたばんじゃねぇぞ」
「けいじ。そなたは、だれよりもつよいおとこじゃ。そのぶゆうで、みかたのみちをきりひらけ」
「おうっ!!! 」
勇ましく吠えると、慶次を中心に凄まじい覇気が吹き荒れる。慶次が居れば、多くの命を守ることが出来るだろう。
そして、最後に勝蔵を見る。身体のあちこちは傷だらけで、一見頼り無さそうに見える。だが、これこそがこの一年の修練の証。これまでの、集大成を見せる時が来たのだ。
「殿、必ずや首級を上げてみせまする。それこそが、殿に対する最大級の恩返しでございます」
若干緊張しているのか、少し固くなっている勝蔵が何だか可笑しくて。俺は、そっと勝蔵の手を掴んだ。
豆だらけで血が滲んでいて、何とも不恰好では有るけれど、これこそが勝蔵の人生そのものだ。何度も何度も皮が剥ける度に、固く強靭になっていく様は、スマートとはお世辞にも言えないが泥臭く男らしいカッコ良さがある。
「かつぞう。そなたは、だれよりもどりょくをした。かずおおくの、くつじょくにもまけず、ただまっすぐにつきすすんだ。そのときに、ながしたあせとなみだは、けっしてそなたをうらぎらない。むねをはれ、かつぞう。そなたは……つよい」
「……っ! ははっ!!! 」
深く深く平伏する勝蔵を、ゆっくりと撫でる。
勝蔵、この言葉を知っているか?
『彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一たび勝ちて一たび負く。彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず敗る』これは、孫子の言葉だ。
相手の情報は、既に把握済みだろう。後は、己だが……これは、愚問だろう。
勝蔵、誰よりも自分自身に向き合ったお主なら、必ずや勝利を収めるだろう。
俺は、今一度赤鬼隊の前に立つと姿勢を正した。それだけで、誰に言われるまでも無く一同一斉に姿勢を正す。
完璧に統率のとれた精鋭部隊。その一糸乱れぬチームワークは、戦場で大いに活躍するだろう。
「そなたたちにのぞむのは、ただひとつ。……いきてかえってこい! 」
『御意っ!!! 』
誰一人欠けることなく、帰ってくるのだ。俺達は、まだ見ぬ明日の為に戦っている。そこに、お主らの姿が無いなんて絶対に許さない。
だから、また会おう。………………頑張れ。
そろそろ出陣の時、総勢一万の軍勢が軒を連ねている。相手は、七千。差程変わらないと思うが、俺達だってこの一ヶ月手をこまねいていた訳では無い。
物流や人の動きで作戦がバレないように、夜間や早朝を使って物資等を支度した。親父の軍勢一万はバレていても、問題は無い。相手も、三千の差なら勝負を仕掛けて来るだろう。
大軍を展開出来ない地形、このままでは接戦になるのは間違いない……このままなら、ね。
既に、松尾城と岩村城は織田家の傘下に下っている。それぞれに、二千の兵を配備済みなのだ。そして、木曾義昌の館にも二千の兵が潜んでいる。
このことは、敵勢の総大将武田信豊は確実に知らない。まんまと、木曾谷の奥深くまで入り込んだらそこが運の尽き、総勢一万六千の軍勢に包囲される。
そうなれば、織田家の勝利は間違いない。後は、もう近くまで来ているじいさんの本隊五万と合流するだけだ。
まぁ、そう思惑通りにことが進むとは思わないが、そこは現場での微調整を、親父や新五郎がやってくれるだろう。共に戦場に出れないのは凄く悔しいが、彼等なら大丈夫……そう、信じてる。
そして、出陣の時が来た。けたたましいほら貝の音が響き渡ると同時に、親父が軍勢の前に立つ。
「此度の戦は、武田家との決着をつけるものだ! かような大戦に参戦することは、まさに武勇の誉れである! 者共! 後世に名を残す機会を、決して逃すな! その名を歴史に刻みたくば、その身をもって己の武勇を示せ! …………出陣じゃ!!! 」
『おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!! 』
親父の激励を皮切りに、大地が震えるかの様に兵士の叫びが響き渡る。士気は満点、勝機は充分にある!
天正十年二月三日、織田信忠軍出陣。




