49話
天正九年 十一月 箱根
弥五郎が剣術指南役に就任してから、一週間が過ぎた。幸い高丸と雪の怪我は大したことは無く、今では元気に修行に励んでいる。正直、高丸は骨折確実だと思ったのだが……どうやら、順調に人外化が進んでいるようだ。
「おはよう。こんなあさはやくから、せいがでるね」
『おはようございます! 』
「おぉ」
「ふたりはまだやみあがりなんだから、むりをしてはいけないよ? 」
『はいっ! 』
元気良く答える二人に、ついつい頬が緩んでしまう。これだけ元気ならば、問題は無いだろう。
一方、弥五郎は随分眠そうだ。おそらく、夜遅くまで酒を飲んでいたのだろうな。
やはりと言うべきか、すっかり慶次と仲良くなった弥五郎は毎晩飲み明かしているらしい。それでも、指導には全く影響を及ぼさないのだから大したものだ。
「やごろう。あさのたんれんがひとくぎりついたら、ふたりといっしょにわたしのへやにきてほしい。たいせつなはなしが、あるんだ」
「んぁ? おぉ分かった」
「では、わたしはもういくよ。たかまる、ゆき、がんばってね」
『はい! 』
さてと、そろそろ朝餉の準備も出来ただろう。続きはまた後で……だな。
三人と別れて部屋へ向かっていると、前方から藤姫と甲斐姫がやってきた。おそらく、俺を探していたのだろう。
俺に気付いた二人は、花のような笑顔を咲かせながら、嬉しそうに近付いてきた。
「あっ! 旦那様、丁度朝餉の用意が出来ましたわ」
「うむ! 今日は中々新鮮な魚を仕入れることが、出来たみたいですよ! さぁ行きましょう旦那様! 」
「わざわざきてくれたのかい? ふじ、かい、ありがとう。さぁ、いこうか」
『はいっ! 』
三人仲良く手を繋いで歩く。その様子は、仲睦まじい家族のようであり、微笑ましい思い出の一場面のようだ。
その証拠に、俺達の様子を遠目に見ている侍女は、みんなして頬を緩ませている。
あっ……例外がいたわ……視界の端で、椿がすっっごい羨ましそうにこちらを見ている。
う〜ん……今は家族サービス中だから、また今度かな?
あっ……松に縛られて、どっか行ってしまった。
後で、フォローを入れておこう。
しかし、最近になって藤姫も甲斐姫も随分甘えるようになった。最初は、俺の世話を焼くように接してきたのに、今では暇があれば頬を擦り寄せてくるようになったな。
後は、呼び方も変わったよね? 二人に旦那様って呼ばれる度に、なんかむず痒いものを感じる。
「そういえば、どうしてよびなをかえたのだ? いやではないが、すこしきになってな……」
すると、二人共示し合わせたかのようにくすりと微笑むと、俺の耳元へ口を寄せ、甘いひそひそ声で囁いた。
『それは……惚れ直したから……ですよ? 』
……これは、めっちゃ恥ずかしい……な。
正直、藤姫と甲斐姫の顔を見ることが出来ないくらい恥ずかしかったが、なんとか顔を俯かせることで乗り切ることが出来た。
うぅぅぅ……俺いま絶対顔真っ赤っかだよ……こんな状態で朝餉を共にするなんて……。
朝餉を手早く済ませた俺は、一目散に部屋に戻った。後ろから忍び笑いが聞こえた気もするが、きっと気の所為であろう……うん、気にしたら負けだ。
それから暫く経ち、準備が出来たのか弥五郎達が部屋にやってきた。大切な話しだと先に伝えていたからか、身なりもキチッと整えられている。
『失礼致します』
「よくきたね。さぁ、すわって? 」
『はっ! 』
俺の態度で、真剣な話しだと察したのか、各々緊張しているのが伝わってくる。
三人が所定の位置に座ったことを確認すると、俺は二枚の和紙を差し出した。
それぞれ『伊東一刀斎』『宮本』と書かれたソレは、俺からの贈り物だ。
「殿? これは? 」
「これは、ほうびだよ。まずはやごろうから、やごろうには『いとう』をなのることをゆるす。ぎふにかえりしだい、いえをおこしどうじょうをたてよ。おのれのりゅうはをつくるのだ。それと、せっかく『いっとうさい』をついだのだから、これからはそちらをつかいなさい」
「は? 俺が家……を? ま、待て待て! そんな簡単に家を興せなんて言うんじゃねぇよぉ! もっと、手柄とか立てないと……」
「きにするでない。こちらのじじょうもあるのだ。それに、あるにこしたことはあるまい、もらっておきなさい」
「……この恩は、絶対返すっ…………」
深々と平伏する一刀斎を見て、ホッと一息つく。喜んで貰えたのなら幸いだ。
一応、俺の剣術指南役兼護衛として雇っているから、ちゃんとした身分が必要なんだ。だから、家名を与えることになり、出身地らしき伊東を貰ったという訳なのだ。
「つぎに、たかまるとゆきには『みやもと』をなのることをゆるす。ほんらいならば、なまえもあたえようかとおもったが、ソレはなくなったごりょうしんからさずかったモノ、これからもたいせつにしなさい」
『うぅぅぅっ!…………有り難き幸せっ! 』
これで、二人も苗字持ちだ。かの大剣豪宮本武蔵のような、歴史に名を残す人になって欲しい……そんな願いを込めた。
二人ならきっと、どこまでも行ける。
これからもひたむきに、頑張って欲しい。
さてさて、まだまだこれからだぞ三人共? 実は前々から用意していた物があるのだ。
「れいのものを! 」
俺の声に反応した紫陽花が、部屋に入ってくる。その手には、三本の刀があった。
「失礼致します」
紫陽花は恭しく刀を掲げると、三人の前に一本ずつ置いた。それぞれ『焔』『雪柱』『白虎』と名づけられたソレは、近江国にある鍛冶屋に依頼して作ったものだ。
少し前に届き、渡すタイミングを測っていたのだが、先の立ち会いで高丸と雪の刀が折れてしまった為、渡すには丁度良いタイミングだった。
「やごろうには『びゃっこ』を、たかまるには『ほむら』を、ゆきには『ゆきばしら』をそれぞれあたえる。これからも、わたしのちからになってほしい」
『……………………』
予想通りというか、三人共放心状態で固まっている。やはり、少し与え過ぎただろうか?
だが、苗字は元々渡すつもりだった。
三人共生まれや環境は違えど、どこか似たような雰囲気を纏っている。それは、どこか崖に突っ込む猪のようで……見ていて心配になるのだ。
生き急いでいる……いや、報われて達成感に浸ってしまったからこその未練の無さか。彼等を引き止めるモノが無いのだ。
故に、帰る家を持って欲しかった。いつか、最愛の人と結ばれ子をなし、生きて帰りたい……そう思える居場所を。
泥に塗れても良い、屈辱を味わっても良い、ただ生きて帰って来て欲しい。死んでしまったら、そこでお終いなのだから……。
だけど、俺にはそれを言う資格が無い。俺は彼等を死地に送り込む側の人間だ。
だから、せめて彼等の力になりたい……どうか、彼等を守って欲しい……そんな願いを込め刀を送った。
焔・雪柱・白虎……どうか、主人の力となってくれ。
それから三十分くらい経つと、放心状態から回復した三人は一斉に深々と頭を下げた。
『この刀と、そして家名に誓います!! 必ずや……必ずや、この御恩をお返し致します! 』
「これからも、たよりにしているよ」
『ははっ! 』
『戦士の誓い』ソレは、正しく目の前の光景を指すに相応しい言葉だ。彼等が俺を裏切ることは、絶対無い。そう確信出来る。
この誓いに相応しい主人にならないと、三人に申し訳ないな。
どうか、いつまでもこんな幸せな日常が続きますように。
後に、一刀流剣術の開祖として崇められる伊東一刀斎。そして、継承者とされる宮本一刀斎は生涯に渡り、主君に忠誠を誓ったという。
宮本兄妹と伊東一刀斎は、『織田の三剣』と称され、彼等の愛刀は現代まで伝わり国宝に認定されている。
彼等の墓地は、まるで主君を護るようにして立てられており。
さながら、死してなお忠義が消えることは無い……そう物語っているようだと世界的に評価され、日本有数の観光名所となっている。
そんな伊東・宮本一刀斎の元に、後の大剣豪が弟子入りした……そんな逸話がある。
著書『王の剣』より一部抜擢




