47話
天正九年 十月 相模 白百合隊第五席 椿
殿からの指令を胸に、ひたすら野を駈ける。
こういった捜索任務は、なにより聞き込みが第一だ。そもそも、こちらは圧倒的に情報が足りていない。一刀斎・剣の達人・三浦三崎付近だけで、どう探せと言うのだ。
勿論、殿に対しては何も不満は無いが、斎藤殿にはもう少し詳しく知っとけ! とは思うが……。
とにかく、目的地を三浦三崎に定めて走り続ける。殿のご期待に応えなくては!
ふふっ! この任務を達成したら褒めて貰えるだろうか……も、もしかしたら、頭を撫でて貰えるかも!
「殿ぉぉぉおっ! うひょぉぉおっ! 」
この体力続く限り、走り続けますよ!
二日程で目的地近辺に辿り着けたわ。
ここら辺で、情報収集といきましょうか。
さてさて、何処か都合のいい場所は……あら? あそこにあるのは茶屋かしら? 街道沿いにあるから旅人の利用も多いでしょうし、ここに決めましょうか。ふふっ幸先良いわね。
「ごめんくださーい」
「はーい、いらっしゃいませ」
奥から出てきたのは、ご高齢の女性。気のよさそうな人なのも重要だけど、なにより女性なのがありがたいわね。
大抵の村には、耳の良い女性の一人や二人はいるもの、そういった女性から情報提供していただくのが、一番手っ取り早いものよ。
しかも、こういった人の流れが早いところだと、人の口は軽くなり世間話代わりに噂話をする人が多い傾向にある。
なんとか、良い情報を得たいものね。
「お婆さんこんにちは。お団子とお茶をくださいな」
「あいよ。二文ね」
代金を支払うと、そそくさと奥へ下がっていった。客との距離感も絶妙、私みたいな者にはこれくらいの方が居心地は良いな。
この隙に、店内の様子を伺ってみよう。
私以外には二組。一組目は大きな笠を被った坊主。二組目は浪人風な男達、刀を持っているところから察するに武芸者かな。
暫くすると、お婆さんが注文の品を持ってきてくれた。
「お待ちどうさま、はいお団子とお茶ね」
私の前に置かれた団子を、じっと見つめる。湯気のたったソレは出来たてであることを物語っており、なんとも食欲をそそる出来栄えだ。
一口食べれば、柔らかな弾力とみたらしの甘い美味が口いっぱいに広がり、なんとも美味な物だ。
正直、かなり腹が空いていたから、もう勢い良く完食してしまった。最後に、お茶をゆっくり飲んで余韻に浸る。
「お婆さん美味しかったよぉ」
「そうかい? ありがとねぇ」
しわくちゃに笑うお婆さんは、心から喜んでいるように思えた。お客さんに団子を出し、美味しいと喜んで貰える。
それは、本当に幸福なことだと思うし、そうやって笑えるお婆さんは根っからの商売人なのだろう。
毎日当たり前のように笑顔が溢れる生活、これが殿が思い描いた未来の姿。
確かに、護りたい……そう思える尊いモノだ。
今までは、殿が言われるから民の生活を護ろうと思っていたが、少しだが……私も護る価値があると思えるようになった。
ふふっ……どうやら、私もだいぶ殿に毒されてしまったようですね。
もう一口、お茶で喉を潤しながら一息つく。
さてと、そろそろお仕事しましょうか。
「お婆さん、私箱根から来たのだけれど、ここら辺で注意しなくてはいけないことってある? 」
「あら? 随分遠くから来たわね。女の子なんだから、気を付けなさいよ? えぇと、そうねぇ……」
お婆さんは少し考えていたが、不意に周囲を伺うと私の耳元にそっと口元を近付けた。
「最近、素行不良な武芸者が多いのよ。ここから三つ東の町では、道場破りが来て酷い目にあったそうよ? 」
道場破り……これかしら?
「お婆さん、それ詳しく教えて? 」
「あそこの師範は、ここら辺じゃ有名な人でねぇ。若い頃は北条様にお仕えしたとかで、沢山の門下生がいたのよ。それが、突然現れた大男にあっさり倒されちゃってねぇ。看板も門下生も根こそぎ奪われたそうよ。はぁ〜怖いったらありゃしないわねぇ」
「……名前とか言って無かったの? そんな強いなら、高々に名乗りそうだけど」
「それが全然分からないのよ。ただ、一刀で相手を薙ぎ倒すところから、一刀斎だなんて呼ばれているそうよ」
「へぇ……ありがとうお婆さん、これ貰っといて」
「えっ? ちょっとお嬢ちゃん!? 」
私はお婆さんに三文ほど握らせると、足早に店を出た。これ以上の長居は不要、早速行動に移すとしよう。
思わず笑いが零れそうになってしまう。まさか、一件目で当たりを引くとは思わなかったわ。
道場破りは武者修行故、一刀斎の由来は正確じゃ無いかもしれないけど、重要なのはそう言われているってことよ。
まず間違いなく、件の剣豪ね。
色々考えながら歩いていると、私に近付く影が一つ。先程茶屋にいた坊主だ。
そいつは私の横に並ぶと、蚊の鳴くような声で囁き始めた。
「椿様、白百合の者でございます。対象は、ここより東に五つ行った先にある町におります」
「ご苦労、戻りなさい」
「はっ! 」
気配が反対の方向へ遠ざかっていく。流石は殿、もうここまで手を広げているとは。
しかし、あの女やけに変装が上手いな。
それから走り続けること二日、遂に件の男と接触に成功した。この男、一ヶ所に留まることを知らないのか、ここまで随分苦労させられた。
丈は慶次殿ほどだろうか、腕周りも丸太のように太く逞しい。その練り上げられた闘気は、至高の領域にいることが伝わってくる。歳は二十半ばか……肉体的にも全盛期と言えよう。
おそらく、私では時間稼ぎも出来ないだろう。その鋭い眼光で射抜かれると、思わず武者震いしてしまうわ。
「貴方が一刀斎殿ですかな? 」
「俺はそう名乗ったことは無いが、弟子はそう呼ぶやつも多い」
弟子……言われて見れば、道場周りを複数の気配が取り囲んでいる。数は三十……と言ったところか、こいつらが暴れたら下手な野盗より凶悪だな。
「では、なんと呼べば宜しいか」
「……弥五郎とでも呼べば良い。それで、俺になんの用だ? てめぇ裏の人間だろうから、さしずめどこぞの領主の使いか? 」
嘘偽りは許さない……その眼光は、そう物語っているように感じる。この男、どうやら腕っ節だけの男では無いようだ。
面白いでは無いか、殿の懐に馬鹿はいらない。その腕っ節と言い、頭の良さと言い全てが一流のこの男、是非とも殿の元へ連れていかねばならない。
「私は、前右府様の直孫であり、岐阜中将様の御子息であらせられる三法師様の使いで参った」
「なっ!? 」
ふふっ流石にここまで大物と思わなかったのか、随分動揺している。それはそうだろう。三法師様は、今や天下人と言っても過言では無い織田家の御方、我等道草の者からしたら天上人だ。
「……天下人たる織田家の御曹司が、俺のような浪人に何の用だ? 」
「貴方を召し抱えたい……殿は、そう申しております。その剣の腕前、是非とも殿の為に振るわれませぬか? 」
「しかし、俺は何処の馬の骨かも分からん身の上だぜ? あの織田家に仕えるなど身の程知らずにも程があるだろぅが」
確かに、弥五郎殿の懸念は普通なら正しい。だが、我が殿はそのような常識で測れる御方では無い。
こんな、道端の小石程度の存在だった私を召し抱えてくれるような、そんな慈悲深い御方なのだ。
「私は、忍びです。それも襲撃を受け、家族を失ったような実力も精神も半端な未熟者……されど、殿はそんな私達を全員迎え入れてくださいました。屋敷を与え、服も飯もくださいました。殿は、こんな下賎な身の上である私達も重宝してくださいました。殿にとって、身分等なんも関係無いのですよ」
「貴方を請われたのは、一重に配下の剣術指南役に望まれたからです。今はまだ殿は幼いですが、いずれ成長したら貴方に剣術指南役を頼むでしょう。そうなれば、貴方は天下人の剣術指南役となられる。一廉の剣客にとって、これ以上の名誉は無いのではありませんか? 」
「……………………」
弥五郎殿は、静かに目を瞑っている。私は出来る限りのことはした。後は弥五郎殿次第だ。
半刻程経っただろうか、不意に目を開けたかと思うと深々と平伏した。
「分かった……連れて行ってくれぃ。だが、弟子達を置いていく訳にもいかねぇ…… 」
人数が増えることを気にしているのか、少し不安そうに見える。
ふっ甘いな。我が殿ならば、弟子の三十人や五十人一緒に召し抱えてくれよう。
「良くぞ決心なされた。我が殿ならば、弟子諸共召し抱えてくれましょう。その証拠に、殿は支度金として二十貫文を用意すると仰られております。……こちらが、その証文。北条家と織田家が誼を結んだ今、こちらを持って北条家を訪ねれば直ぐに銭を用意して下さりましょう」
【前金として二十貫文を与える】と、書かれたその証文。それも、本物であることを保証する為に織田家の花押が記されている。
当然、そのような代物を用意されていると思っていなかったのだろう。弥五郎殿は、指を震わせながら証文を受け取った。
「二、二十貫文!? そ、そんな大金を……っ」
声も震え、信じられないとばかりに目を見開いている。
……まぁ、気持ちは分かるわね。こんな大金を、前金として容易く用意するのだもの。それも、織田家の花押入り。殿の本気度が伝わってくる。間違いなく、弥五郎殿の心を掴んだでしょう。
……さて、後は無事に送り届けるだけね。ふふっ、殿は喜んでくださるかしら?




