40話
天正九年 八月 箱根
少女とその兄を救ってから五日が過ぎた。あの暴動に参加していた町民は、滞りなく裁きを受けたそうだ。
その件で、幻庵が小田原まで行ってしまった為、詳細は分からないが悪いようにはされないだろう。
今回の一件で、町の雰囲気が少し悪くなってしまったんだけど、俺達が使っている宿舎は山の麓にあるおかげかあまり影響は無かった。二人ともゆっくり休む必要があるから、少し警戒していたのだが……どうやら杞憂だったみたいだな。
一度箱根を離れるにしろ、兄妹の様子次第かな。三日程意識が戻らなかった二人だが、先日ようやく目覚めることが出来た。
しかし、やはりだいぶ弱っているらしくまだまだ休養が必要だ。
今まで苦労してきたんだ、温かいご飯と安全な寝床、そんな当たり前のことにすら涙を流して喜ぶ二人は、幸せになって欲しいと切に願う。
そんな訳で、外を出歩くことも出来ない俺は、自室で書物を読んでいたのだが、兄妹達が会いたがっていると報せが届いた。
正直、あまり無理をしてほしく無いのだが、どうしてもお礼を言いたいと言われたら、こちらも会わなくてはならないだろう。
兄妹達が眠る寝室に入ると、二人は小姓に支えられながら半身を起こしていた。
「ふたりとも、たいちょうはどうだ? むりはげんきんだぞ」
「さ、三法師様っ! 申し訳ございません。このような床に伏したままなど……」
「そのままでよい。いまはからだをやすめることがせんけつ、むりはするでない」
「さ、三法師様……」
俺の姿を見た二人が慌てて姿勢を正そうとするが、それをやんわりと制する。
顔色はだいぶ良くなっているように思えるから、順調に回復に向かっているようだ。
なんか感慨深いものを感じて頷いていると、急に二人が真面目な顔をしたかと思うと、勢いよく頭を下げてきた。
「三法師様っ! 貴方様は私共の命の恩人でございます。この御恩は生涯忘れません! 」
「ありがとうございました! 」
深く深く下げられた頭、身体は震え静かに雫が溢れていく。そこに込められた思いの丈は、きっとぬくぬく育てられた俺なんかじゃ見当もつかないかもしれない。
だけど、俺はたまらなく嬉しかった。二人が生きている事実が、たまらなく嬉しかったのだ。
「おぬしたちは、わたしのまもるべきたみだ。ならば、こたびのけんはあたりまえのこと。むしろ、わたしのほうがしゃざいしなければならないだろう。……おくれてすまなかったな」
そう言うと、俺は深く頭を下げた。こんな形でしか責任をとれなくて、恥ずかしい限りだ。
「あ、頭を上げてくださいませ! 三法師様が謝られる必要はございませぬ! 」
「そうですよ! 」
二人は慌てて謝る必要は無いと言ってくれたが、これは一つのケジメだ。
確かに、状況を思い浮かべればしょうがない一面もあっただろう。だけど、人が傷付き悲しみ嘆いていたのだ。それをしょうがないで済ませたく無かった。
ただ……相手が謝るなと言っているなら、意固地になってまで謝罪を続けても、二人に心労をかけるだけだろう。
それならば、もっと伝えなくてはならないことがある。俺は頭を上げ二人の傍まで寄ると、しっかりと手を握った。
ほのかに温かいその手は、確かに二人が生きている証拠。それを何度も何度も確かめるよう、強く握りしめた。
「では……ありがとう。ふたりがいきていてくれて、わたしはほんとうにうれしかった。はやくげんきなすがたをみせておくれ。それが、わたしのなによりもうれしいことなのだから」
『……っ! う……うぅぅぅ……』
顔を覆い涙を流す二人を抱き締めながら、俺も静かに涙を流した。三人で涙を流し合う姿は、確かに俺が勝ち取ったモノであった。
ありがとう。生きていてくれて、ありがとう。
それから二人の体調が許す限り、様々なことを話した。
まず二人の名前だが、兄が高丸で妹は雪。出身は越後国で、歳は高丸が二十歳で雪が十五歳。
これには、少し驚いた。見た目は実年齢より三、四歳程若く見えたのだが、その理由が栄養失調による成長阻害だと気付くと一気に切なくなる。
今から十年前に両親が他界して以降、各地を転々とする生活をおくっていたそうだ。
おそらく、定住しようとしても追い出されてきたんだろうな。なんだか、思っていたよりハードな人生をおくってきたみたいだ。
「それは……くろうしてきたのだな。つらかっただろうに」
「いえ、両親からは確かな愛情を注いで貰いましたし、なにより妹がいましたから……」
なんとも優しげな笑顔で雪を撫でる様子は、確かな兄妹の絆を感じて、俺まで穏やかな気持ちになってしまう。
雪の容姿は目を引くものだ。この時代は人権なんか有りはしない、とても命の価値が軽いそう感じることがよくある。
諸国を回ったことがある慶次に、アルビノについて聞いてみると、やはり数人は話しに聞いたことがあるらしい。
そのほとんどが、差別の対象にされたり見世物にされたりと、幼くして亡くなってしまうことが多く、慶次も雪が十五歳と聞いて驚いていた。
高丸は、両親が亡くなってから十年もの間、ずっと護り通して見せたのだ。
なんて尊い絆だろうか、祖国を離れこんな相模の山奥まで各地を転々とするはめになったというのに、高丸はそれを一切苦に思っていない。
「たかまるは、つらくなかったのか? だれもが、にげだしてもしかたがないとおもえるじょうきょうだぞ」
俺はその瞬間、言ってしまった……そう後悔してしまった。
これは愛する妹の為に、こんなボロボロになるまで耐え抜いた男の覚悟を、踏みにじる問いかけだ。
すぐに謝ろうと高丸を見ると、そこにはハッとする程に穏やかな笑みを浮かべる姿があった。
「心配してくださりありがとうございます。ですが、私は今までも、そしてこれからも雪のことを疎ましく思うことはありません。だって、この世でたった一人の大切な家族ですから」
「うぅぅぅ……お兄ちゃん……」
「雪、これからもずっと一緒だよ」
「うん、うんっ! 」
泣きながら高丸に縋り付く雪を、優しく宥める姿はどこまでも美しく、まるで絵画のようであり、思わず見とれてしまった。
雪が落ち着くのを見計らい、俺は本題を切り出すことにした。それは、今後の身の振りについてだ。
「ふたりはこれからどうするつもりだ? わたしとしては、そばつきにしたいところだが……いまはさがみにいるが、ことしじゅうにはぎふへかえるつもりだ。ながたびになるが、だいじょうぶか? ふたりがのぞむなら、どこかしずかにすごせるばしょを、ほうじょうどのによういしてもらえるように、たのむこともできるが……」
お義父さんには借りを作ることになるが、二人が幸せに暮らせるならいくらでも頭を下げるつもりだ。
勿論、岐阜に来て欲しいけど故郷からは更に遠くなるだろう。二人の気持ちを尊重したい、そう思っている。
だが、そんな心配は杞憂だった。
「三法師様、私共は許されるなら三法師様と共に歩みたいと思っております。あそこで助けられなかったら、きっと私共の命は尽きていたでしょう。ならば、この命三法師様の為に使わせていただきたい! 」
「私がここまで生きてこれたのは、兄さんのおかげです。ですが、生きる意味を見出すことが出来ずにいました……そんな時、三法師様に救われ生きる意味を教えていただいたのです! こんな化け物でも幸せになって良い……と。私の幸せは三法師様にお仕えすることです! 」
『どうか、御願い致しますっ! 』
二人の気持ちを聞いて、俺は思わず顔を伏せてしまった。せっかく仕えてくれるって言っているんだ。こんな泣き顔を見せたくない。
早く涙を止めなきゃいけないのに、どうしても涙が溢れて止まらなかった。
こんなにも、嬉しいことは無い。俺の為に命をかけるとまで言ってくれたのだ。これで応えなかったら、男が廃るってもんだ。
勢いよく袖で顔を拭うと、真剣な眼差しで二人を見る。
「ふたりとも、ありがとう。わたしは、すべてのたみがわらいあってすごせるよのなかをつくりたい。うまれやかんきょうにさゆうされることのない、そんなよのなかをつくりたいのだ」
「……どうか、わたしにちからをかしてほしい。ともにてんかたいへいのよをつくろう」
『はいっ! 』
二人の返答は、満面の笑みとともに告げられた。箱根に来て、人間の醜いところを沢山見ることになったが、こうして新しい仲間も増えた。
そうだな、いつか三人で……。
「いつか、ごりょうしんのおはかまいりにいこう。そのときまで、たくさんおもいでをつくらないといけないな」
この返答は……言うまでもないだろう。




