38話
天正九年 八月 箱根
俺達は街道沿いをひたすら走っていた。宿舎から少女の家までおよそ二十分、なんとか間に合ってくれよっ!
子供組は留守番でも良かったのだが、俺は絶対行く必要があるし、藤姫と甲斐姫は俺が行くならついて行くと譲らない。時間も無いので、致し方なく大人に抱えてもらっている。
五分ほど走っていると、不意に横から声がかかった。振り向くと、そこには白百合隊第九席紫陽花がいる。おそらく、報告に来たのだろう。
「報告っ! 集団が目的地に接近! 足止めはしていますが、さほど時間は稼げません! 」
「わかった! けっしてころすなよ! 」
「御意っ! 」
音もなく消えていく紫陽花を傍目に、俺達は走るスピードを上げる。
姿は見せず直接的な妨害の禁止、正直無茶言っているのは重々承知だが相手は一般市民だ。乱暴は出来ない。
こんな難しい任務を、嫌な顔せず遂行してくれる紫陽花達には頭が上がらない。しかも、若干でも足止めに成功していることは賞賛に値する。
ありがとう紫陽花! あと少し頑張ってくれ!
おそらく、俺達に残された時間は十分も無い……クソっ! 頼むから早まらないでくれ!
燃え盛る住居、泣き叫ぶ声、心の無い暴言の嵐……俺達が着いた頃には、既に地獄のような光景が広がっていて、俺達は思わず立ち尽くしてしまった。
間に……合わなかった……か。
最悪の事態を想像してしまった俺は、急に視界が暗くなっていくのを感じた。
あぁもう駄目だ……そんな絶望の中、一筋の希望が差し込んできた。
「殿っ! 悲鳴が聞こえるということは、あの少女が生きているかも知れません! 」
松の言葉によって、先程まで暗くなっていた視界が明るくなっていく。
はっ! 危うく勝手に絶望して諦めて……救えた命を取りこぼしてしまうところだった。
クソっ! 弱気になるな俺! 気を引き締めろ!
「……すまぬっ! みんないくぞ! 」
『御意っ! 』
駆け出した俺達は、後方にいた町民を次々と退かして前に躍り出た。
そこには白い少女とそれを守るように覆い被さる男性、多分報告にあった家族だろう。
そして、その二人を取り囲むように殺気立った町民達が罵声を浴びせていた。
『出ていけ化け物っ! 』
『不作も貴様等のせいじゃっ! 』
『この疫病神がっ! 』
「この子はなんもしてねぇっ! 」
『うるせえっ! 』
「ぎゃっ! 」
「兄さん……兄さんっ! お願い起きてっ! 」
少女の兄は、町民によってその場で意識を失ってしまった。そんな兄に縋り付くように泣き叫ぶ少女の顔は、この世の不条理を嘆いているかのようだった。
もう時間は無い! そう察した俺は、松の腕から脱出しひたすら走る!
町民達は興奮して俺達に気付いていない、ならば奴らの想定外のことを起こして正気に戻す!
「へっへっへっ! あとはてめぇだ! 」
絶望に打ちひしがれる少女、そんな彼女に魔の手が襲いかかろうとしたその時、俺は間一髪間に合うことが出来た。
「やめよっ!!! 」
俺はあらんかぎりの声を上げ、少女の前に躍り出た。両手をめいいっぱい横に広げ、爺さん譲りの眼力で町民を威圧する。
爺さんみたいに、覇気だけで他人を威圧することはまだ出来ないけど、絶対この少女を守ってみせる! そう心に決めて、立ち塞がった。
『……へっ? 』
いきなり現れた幼子に呆気にとられたのか、町民から戸惑いの声が上がる。
そんな意識の隙間をついて、俺は再び声を上げる。俺に意識を集めている間に、松達がきっとなんとかしてくれる。俺に出来ることは、なんとか時間を稼ぐことだ!
「なぜ、きさまらはしょうじょをきずつけるのだ! おなじひのもとのたみだろう! 」
「……っ! その化け物が人間だぁ? 馬鹿言ってんじゃねぇよ! そんな真っ白な人間がいる訳無いだろうが! 」
『そうだ! そうだ! 』
正気に戻った町民達が、一斉に罵声を浴びせ始める。いま目の前にいる男……コイツが先導者か!
狙いを定めた俺は、先導者らしき男を睨みつけ一歩前に出る。正気、危険な状況だということは分かっているが、ここはあえて更に突っ込むべきところ! 死中に活ありだ!
「きさまは、このしょうじょをどうするつもりだ。このようなことをしたもくてきはなんだ」
俺が目的を問いかけると、男は身の毛もよだつような暗い笑みを浮かべる。
「……へっへっへっ! この化け物は神への貢ぎ物にすんだよ。山の神へ捧げれば、きっと我等は許される……そうお告げが出たのだ! この化け物も我等の役に立って死ねるのだ、光栄であろう? なぁお前らもそう思うよなぁ? 」
『殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 』
俺は、初めてここまで人に怒りを覚えた。
……コイツらは一体なにを言っているんだ。化け物だ? 貢ぎ物だ? 死んで役に立てだ? ……ふざけるのも大概にしろ!!! 何様のつもりだ! 化け物は貴様らの方じゃないか!
そのあまりにも身勝手な言い分に、怒り狂いそうになる。
コイツら全員生きる価値無し、そう沙汰を言い放とうとした時、ふと小さな声が聞こえた。
「うっ……うぅぅぅ……私は生きていちゃ駄目なのかな……」
小さい小さい蚊の鳴くような声だったが、それは悲しみに明け暮れる少女の泣き声だった。
この少女は、コイツらの言葉を真に受けてしまっている。このままじゃ、一生消えない傷を負ってしまうだろう。
ならば、俺がすべきことは……っ!
俺は更に一歩前に踏み出すと、この胸の怒りを全てぶつけるように叫んだ。
「ふざけるのもたいがいにせよ!!! じぶんたちとちがうからと、たしゃをさげすみ、おとしいれころそうとする。そんなみがってなかちかんをおしつけて、きさまらはずかしくおもわんのか! このおろかものめが! 」
「みずからのこうどうをかえりみず、たしゃをぎせいにし、あまつさえこうえいにおもえだと? しょうしせんばん! たしゃをふこうにしたうえでてにいれるしあわせなぞ、このわたしがゆるさない!!! 」
『………………っ! 』
町民達は、皆一斉に黙り込んでいた。正直、今すぐにでも沙汰を下したかったが、今はコイツらに構っている暇は無い。
俺は少女の方を向くと、力の限り抱き締めた。今にも消えてしまいそうなこの少女を、繋ぎ止めたい。そう強く願ってただただ抱き締めた。
「おぬしはいきてよいのだ。あのようなおろかもののいうことを、まにうけてはならん」
「でも、私はこんな真っ白な髪で……」
「うん」
「肌の色も違くて……」
「うん」
「目の色も違くて……」
「うん」
「……こんな化け物でも、生きて良いのかな……」
「あたりまえじゃ! おぬしはばけものなんかじゃない。ばけものがこんなにもうつくしいなみだをながすものか! おぬしはいきてよいのじゃ。わたしがめんどうをみる、あにとともにこい」
「う……うぅぅぅ……うぅわぁぁぁあああああああぁぁぁ!!! 」
少女は縋り付くように泣き続けた。まるで、今までの悲しみが全て溢れてしまったかのように、ただただ泣き続けた。
そのまま泣き疲れてしまったのか、眠る少女を松に手渡し町民達の方を向く。いつの間にか俺の隣りには幻庵が立っていて、町民達も驚きの声を上げていた。流石に幻庵のことは、知っていたのだろう。
そんな幻庵はギロリと町民達を見渡すと、一斉に震え出した。
「者共、ここにおわす御方は前右府様の直孫であり、岐阜中将様の御子息であらせられる。頭が高い、控えよぉっ! 」
『……っ!? は、ははぁっ! 』
ご老体とは思えぬ声量で町民達を威圧すると、一斉に平伏した。
俺が度肝を抜き、幻庵が喝を入れたことで町民達の狂気が晴れたのだろう。正気に戻った彼等は、自分達がどんな立場の人に刃を向けていたのかを悟り、恐怖に震えていた。
「三法師様、こやつらは貴方様に無礼を働きました。沙汰は貴方様に一任致しましょう」
……ん? いや、幻庵の言葉は少しおかしい。いかに俺が主家の嫡男でも、ここは北条が治める土地。俺にコイツらを裁く権利は無い。
それに気付いた時、ふっと怒りが醒めるのを感じた。おそらく、幻庵は俺を試したのだろう。怒りに身を任せ沙汰を下すようなら、北条の教えを受ける資格無しと判断されていたかもしれん。全く油断も隙もない御仁だ。
「きさまらはほうじょうのたみ、ゆえにさたはほうじょうけにいちにんいたす。しんごろう、れんこうせよ」
「ははっ! 」
チラッと幻庵を見ると、何処か満足気にしていた。周りの張り詰めた空気も無くなっており、どうやらみんな俺の動向を心配していたみたいだ。
ふぅ……危うく怒りに身を任せ、過ちを犯してしまうところだった。反省しないとな。
「殿、保護した二人は外傷はありますが、命は助かりそうです。今は宿舎に運んでおります」
「ありがとう、ゆっくりやすめるようにてはいしてあげてくれ」
「御意」
松からの報告に、ホッと胸を撫で下ろす。
どうやら、俺達は二人の命を救うことが出来たようだ。あぁ良かった……間に合ったんだ。




