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106話

 

 一人の男が、黄泉の国から意識を取り戻す。名を、伊藤一刀斎。彼の本多忠勝と死闘を演じ、忠勝から蜻蛉切と右の視界を奪った、この戦最大の功労者である。

「――、――っ、――カハッ!? 」

『し、師匠っ!? 』

 咳き込む一刀斎の下に、傍に控えていた弟子達が駆け寄る。荒く、乱れた呼吸。大粒の汗が浮かぶ額。苦悶の表情。皆が皆、不安気に一刀斎の顔を覗き込んだ。

 そうこうしてるうちに段々と意識がしっかりしてきたのか、ぼやけていた視界がゆっくりと鮮明になっていき、一刀斎は己を取り囲む者達の正体に気付いた。

「ここ……は? ――っ、おま……ぇ、たち……っ! 」

『師匠っ!! 』

 先程とは打って変わって、彼らの声音に歓喜の色が混ざる。声を出せた。呼吸も正常に戻ってきた。対象をしっかりと認識出来ている。

『よ、良かった……っ、本当に――っ! 』

 自然と、涙が溢れ出す。一先ず、峠は越えた。もう、大丈夫だ。それは、医療の知識がない彼らにも察することが出来た。兄弟弟子の遺体を回収した彼らだからこそ、本心から一刀斎が意識を取り戻したことを喜んだ。



 その時、歓喜に湧く鈴木達を押し退け、三法師が一刀斎の前に現れる。

「ごめんね、少し退いておくれ」

『――ぁ。も、申し訳ございません……』

 おずおずと退る三人に申し訳なく思いながらも、三法師は一刀斎の容態を検診する。よどみない動き。その慣れた手付きから、何十回も、何百回も練習したことが伝わってくる。戦う術を持たない三法師は、少しでも己の代わりに戦う彼らの為に医術の心得を習得していたのだ。

「!? 」

 しかし、一刀斎からすれば、此処に居る筈のない主君の登場に驚愕し、思わず上体を起こして声を張り上げてしまった。

「と、との――っ!? 何故、このような場しょにぃ――ぐぅ……ぅうっ!!? 」

「あ、駄目だよ、安静にしてなきゃ! 傷が癒えた訳ではないんだから! 」

 無理やり身体を動かしたことで悶え苦しむ一刀斎を、三法師は叱りつけながら押さえつける。こんな幼子の力に抵抗出来ない。その事実に、三法師は顔を歪ませる。

 当然だ。全身に巻かれた布は所々血で滲み、空いた胸元から覗く胸骨付近には、青黒く変色した一本線が引かれている。

(肉は、斬られていない。血も出ていない。それでも、これは間違いなく骨が折れているよね。……もし、折れた肋骨が肺に刺さったら致命傷だ。十分な治療を出来ない以上、無理に動かしたら駄目だよね)

 表情に影が差す。

 三法師は、医術の心得を習得したとはいえ、ちゃんとした医者ではない。地面の上に着物を敷き、患者を寝かせ、傷口を水で洗い流して清潔な布で患部を止血する。三法師には、その程度の応急処置しか出来ない。そんな自分が、不甲斐なく思えた。



 それでも、三法師の献身的な治療が功をそうしたのか、次第に容態が好転していった。出血も止まった。脈拍や呼吸も安定している。三法師の努力は、無駄ではなかった。

 そして、落ち着きを取り戻した一刀斎は、地面に横たわりながら三法師へ視線を向けた。その眼差しは、「言いたいことが多すぎる」とでも言いたげな、複雑な心境を表していた。

「……して、殿は何故この場に」

「勿論、余も共に戦う為」

「しかし! それでは、御身が――」

「無論、危険は重々承知の上。相手を侮っている訳ではないよ」

「ならば、何故! 」

「余が、自ら前線に上がることで、味方の士気が上がるからだよ。もう、ここまで来たら最後は気持ちの差が命運を分ける。それは、一刀斎だって分かっていることだろう? 」

「……」

 押し黙る。心情的には認めたくないが、三法師の言わんとすることは理解出来てしまう。実際に、あるのだ。オカルトでも錯覚でもない。体力が底を尽き、技の冴えも鈍った時、人を限界のその先へ導くのはそこへ懸けた想いの丈。故にこその、【心·技·体】

 そんな一刀斎へ、三法師は優しげな眼差しを送る。

「それに、一刀斎も二人を信じていたのだろう? だから、高瀬達と同じように君も後を託した」

「……です、な」

 短く頷き、笑う。三法師の言う通り、最初から己も弟子達と同様に二人へ託すつもりだったのだから。

「信じよう、雪と高丸を。大丈夫。二人は、二人なら、どんな相手にも負けない。最強なんだ」

「……えぇ」

 目を閉じ、耳をすませる。やれることはやった。後は、信じて待つのみ。その時を。



 ***



 一方その頃、宮本兄妹と本多忠勝の戦いは激戦の一途を辿っていた。

『はああああああああああああっっ!!! 』

「ウオオオオオオオオオオオオッッ!!! 」

 空を揺るがす咆哮。切り結ぶ音は絶え間なく響き渡り、ヒビ割れた大地と、人の足跡で踏み固められた窪み。巻き上がる砂煙は視界を狭め、一度の鍔迫り合いに十のフェイントを入れる。

 戦場を縦横無尽に駆け回り、破壊の限りを尽くすその様は、正しく嵐の化身。敵が息絶えるその時まで、決して止まらぬ死の舞踏。この世で、最も死に近い場所がそこにあった。



 戦場は、既に初期位置から移動している。あそこは、足場が悪い。高瀬達の遺体は回収されているが、馬の死体はそのまま放置されているし、地面も流れた血潮で赤く染っている。もし、そこに踏み入って足を取られでもすれば、敵の眼前で致命的な隙を晒すことになるからだ。

 それ故に、彼らは東へ移動しながら攻防を繰り広げた。目まぐるしく移り変わる攻防。その間、決死の覚悟で挑む宮本兄妹は、絶対に逃がしはしないと言わんばかりの形相を浮かべながら攻め懸かる。忠勝も、兄妹が織り成す連携に見事に対応しているが、やはりどこかやりづらそうに見える。

 (……なんだ? いつものように力が湧いてこない)

 微かな差。されど、忠勝は明確に自覚していた。

「セイッ!! 」

「――ぬぅっ!! 」

 刃先が頬を掠める。当たる。攻撃が当たる。確かに、雪の剣技は超一流だ。しかし、あの時一刀斎が魅せた一閃には遠く及ばない。神の領域に達していない。

 それなのに、攻撃が当たるのだ。対して、忠勝の攻撃は全て紙一重で躱されている。訳が分からない。先程まで、全身に満ち溢れていた全能感が完全に消え去っている。二人の剣筋が、微妙に一刀斎とは違うことも相まって、忠勝は混乱の極みに達していた。



 忠勝は、何故突然力を失ったのか。

 その理由は、単純明快。一刀斎の攻撃を受けたことで、【数多の戦場を駆け巡り、ただの一度も傷を負ったことがない】と、謳われた神話が崩されたからだ。忠勝の力の由来は、この絶対神話を崇める人々の想い。それが崩されれば、当然忠勝は力を失う。

 つまりは、神格を失った。既に、本多忠勝は神ではない。これこそが、一刀斎が成した最大の功績。今ならば、誰であっても攻撃が通じる!

 この絶好の機会を、二人が見逃す筈がない。

『はああああああああああーっ!!! 』

 攻めるのは、常に宮本兄妹。足を動かせ、刀を振り続けろ。例え、手足がちぎれようとも。

(負けられない、絶対に! )

 そして、遂にその時がくる。目にも留まらぬ攻防の最中、高丸の蹴返しが上手く決まり、忠勝の身体が僅かに崩れた。勝機! その一瞬の隙を突くように、二人は同時に技を繰り出す。

「セァアアアアッ!! 」

「ハァアアアアっ!! 」


 ―― 一刀流 一ノ太刀 火走り・改


 ―― 宮本流 一ノ太刀 雪の舞・神楽


 高丸の足元を狙った水平斬りに合わせ、雪の飛び上がりながら捻りを加えた二連撃が忠勝を襲う。タイミングは、ほぼ同時。上に逃がし、逃げ場の無い空中で仕留める狙い。鳥籠。避ける道はない。決まった――






 ――かと、思われた瞬間。忠勝は、静かに刀を鞘に収めて呟いた。

「致し方ない……か」



 刹那、空気が変わった。



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