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103話

 


 【神を倒すには、己も神へ至るしかない。それしか、道はなかった】




 強さは、日ノ本屈指の実力。精神も、一見楽観的な軽い性格にも見えるが、それでいて一度決めたら絶対に曲げない強い信念を持っている。世間からの評価も、東国最強の剣士にして天下人 織田近江守お抱えとして名高い。何よりも、一刀斎門下は安土の治安を守る双翼の一角として広く知られている。彼自身自覚は無かったけれど、多くの人々に親しまれていた。

 そう、彼は既に資格を有していたのだ。織田信長、徳川家康、豊臣秀吉、上杉謙信、武田信玄、毛利元就、……そして、本多忠勝。その名を歴史に刻みし数多の英傑達。その中でも、【神】と謳われ畏怖される者達。そんな彼らと同じ領域へ到れる資格を。



 後は、精神的な問題だけだった。

 彼らは皆、人々からの願いを一身に受けている。人々から願いを託されている。幾億幾千の想いが綺羅星のように夜空を煌めいて、人々に希望という夢を魅させる。

 それが出来るのは、彼らが誰かの為に戦える存在だから。人々の願いを、受け止めることが出来る器を持っているから。そうでなければ、その者は神足り得ない。神とは、人の想いの上に成り立つモノだから。人を頼ることを恐れているうちは、一刀斎は神へ至ることは出来なかっただろう。

 ……だが、そんな彼が己の気持ちに素直になれた。誰かを助け、助けられ、支え合う。その行為を、偽善だと弱者の言い訳などと蔑むのではなく、尊いものだと認めることが出来た。人の想いを背負える器に。



 今、条件は今満たされた。

 師 鐘巻自斎から、悪を決して許さぬ火の意志を。主 三法師からは、救いを求める者達へ誰よりも早く駆け付ける雷の意志を。後を託し、自らの使命を全うした弟子からは不屈の意志を。人々の想いが、夜空を駆ける綺羅星のように【白虎】へ降り注ぐ。

 そして、伊藤一刀斎は至った。

【刀神 伊藤一刀斎】

 剣心一如。心に太刀を、決して折れぬ不屈の心を。魂が、黄金に輝く。

「ウオオオオオオオオオオァァァアアアアアアアアアアーーーーッッッ!!! 」

 咆哮。赫い闘気が荒れ狂う。その姿、まさに暴風の如し。必死の防御も吹き飛ばし、忠勝の頭部目掛けて刀を振り抜かれる。

 最早、言葉はいらないか。神の領域に辿り着いたそのひと振りは、忠勝が今まで保ち続けていた神話を崩す一撃と成る。



 ――斬ッッ!!!



「――ッッ!!? 」

 音を置き去りに放たれた斬撃は、まるですり抜けるかのように忠勝の防御を掻い潜り、額の右側を斬り裂いた。

 鮮血が舞う。

 遂に、神話が崩された。



 ***



 溢れた鮮血が視界を塞ぐ。焼けるような激痛に、忠勝は己が斬られたことを悟る。

 右目が開かない。眼球を斬られたのか? いや、違う。斬られたのは、右眉を僅かに掠めた所。そこから溢れた血が、カーテンのように視界を塞いでいるのだ。

(…………よもや、この俺が……傷を負わされるとは――っ)

 ぐらりと、地面が揺らいでいる。おぼつかない足取り。頭部に受けた衝撃。そして、酷い出血によって意識が何度も暗転しかけている。その様子は、傍から見れば今にも地面に崩れ落ちてしまいそうで……。



 ――だが、それでも。



「ふっ、ぐぅぅぅうううッッ!!! 」

 忠勝は、倒れない。崩れ落ちそうだった身体を、踏み込んだ右足で支えていた。驚愕。暗転しかけた意識を、唇を噛みちぎることで気付けとし、無理やり意識を繋ぎ止めているのだ。

 されど、急に踏み止まったことで身体が大きく前後に揺れる。その瞬間、顔を傾けたことで地面に血が滴り落ちた。出血は、今も止まっていない。だが、これは傷口が頭部だから故のこと。傷自体は浅い。直ぐに、布で圧迫止血すれば命に別状はないだろう。

 ……そう。一刀斎の一撃は、確かに忠勝に傷を負わせることに成功した。今まで、ただの一人も成し得なかった偉業。だが、それでも致命傷には至らなかった。攻撃が当たる間際、僅かに剣先がブレたことで忠勝の回避がギリギリ間に合い、結果として斬撃が浅くなってしまったのだ。



 振り抜いた剣先がブレる。そんな、土壇場で起きてしまった最悪の失態。それも、素人ならいさ知らず、一刀斎のような達人が一体何故……。

 その理由を察した忠勝は、悲しげに瞬きをする。

「毒……か。……そうか、あの時矢を受けていたのだな」

「――っ、――っ! 」

 垂れ下がった剣先が揺れる。忠勝の問いに、一刀斎は答えることが出来なかった。

  袖が裂かれ露出した肌。そこには、一筋の矢傷が刻まれていた。少し前、本陣が伏兵による奇襲を受けた。不意を突かれた第一射目。その中に、三法師を守る為にはどうしても己の身体で受け止めなくてはならないモノがあった。巧妙に隠された必死の一矢である。

 故に、一刀斎は身を呈して三法師を守った。その選択を一切悔やんではいない。だが、あの時、あの瞬間から、毒は一刀斎の身体を確かに蝕んでいた。今まで動けていたのは、強靭な精神力で我慢していただけ。当然、いつかは限界は来る。最早、一刀斎は息をするのも厳しい状態に陥っていた。

 ……皮肉にも、一刀斎の自己分析を正しかったと言える。【あと、ひと振りが限界だろう】その言葉通り、一刀斎の身体は蜻蛉切を斬り落とした時点で限界を迎えてしまったのだから。



 そして、忠勝は動けぬ一刀斎を前に立ち、一筋の涙を零しながらゆっくりと槍を上段に構える。

「……貴殿とは、万全な状態で死合うてみたかった」

 嘘偽りのない本音。伊藤一刀斎という一人の剣士を心から認めていたからこそ、このような結末に哀れを覚えずにはいられなかった。

(もし、戦場で相対しなければ。もし、織田家と徳川家が敵対していなければ。もし、もっと早く貴殿に出会えていたのであれば……我らは、唯一無二の友に――)

 互いの運命を嘆き、悲観する忠勝。そのあまりにも正直な様子に、一刀斎はここが戦場であることを忘れたかのような自然な笑みを浮かべた。

「……気に、するな。此処は、戦場で……我らは敵同士。なれば、詮無きことよ。お前が勝ち、俺が負けた。ただ、それだけ……だっ」

「…………道理よな」

 短く呟き、蜻蛉切を天に掲げる。最早、その瞳に一切の迷いはなし。

「伊藤一刀斎、貴殿は今まで切り結んできた誰よりも強かった。貴殿こそが、日ノ本随一の剣士である。その在り方に、その剣に、その忠義に敬意を表する。……故に、本多平八郎忠勝の名において誓おう。例え、この戦いに徳川家が勝利した場合であろうとも、織田近江守の尊厳を貶めることだけは絶対に許さないと」

「…………そう、か」

 背後から、こちらへ向かって来る蹄の音が聞こえる。

(であれば、これ以上の抵抗は無粋……か)

 最後の気力を振り絞り、刀を鞘に収める。そも、このような状態で抵抗しても刀を折られるのが落ち。ならば、このまま斬られよう。この刀は、未だ役目がある。折られる訳にはいかない。

「…………後は、頼む」

「さらば、伊藤一刀斎ッ!! 」

 両者の声が重なり、槍が振り下ろされる。



 ――落陽。



 終わりを告げる斬撃。

 後、少し。両者の下へ駈ける宮本 雪の目の前で一刀斎の身体が崩れ落ちる。

「せ、せんせぇえええええええええええーっ!!? 」

 伸ばした手は、届かない。



 ***



『正直、俺には天下泰平って言われても上手く想像出来ない。所詮、俺は剣を振るしか能がねぇしな。どうせ、皆そうだろ。天下泰平、天下泰平って口ばっかりで具体的な景色が見えてねぇ。そりゃそうだ。見たことねぇんだからな。……殿は、どうなんスか? 』


『……そうだね、難しい問題だ。さてさて、天下泰平ってどんな世界なのかな? 戦の無い世界。差別の無い世界。貧富の差が無い世界。一度に絶対叶えるのは、正直無理難題だろうねぇ』

『だから、余は皆が明日へ希望を持てる世界を作るよ。また、明日って気楽に言える世界に……ね。そうしたら、余の願いを継いでくれる人が現れる。その先も、また一人、また一人と意志を継ぐ者が現れる。そうやって、泰平の世は築かれるのだと思う』


『……』


『一刀斎、君が思う平和って何かな? 難しく考えることはないよ。実現可能かどうかは関係ない。ただ、君の純粋な気持ちを教えておくれ』


『……そうッスね。…………ガキ共が腹いっぱい飯を食える時代が、そんな時代が来てくれるのであれば、俺も見てみたいッスかねぇ』


『……うん。一刀斎らしい、良い夢だ』



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― 新着の感想 ―
[一言] 「彼らは皆、人々からの願いを一身に受けている。人々から願いを託されている。幾億幾千の想いが綺羅星のように夜空を煌めいて、人々に希望という夢を魅させる。」 すごくその通りだと思った。多くの戦国…
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